ランドルフ王子の憂鬱 1
「問題は宙吊りになった理由をどう伝えるかだね」
「正直に伝えてはいけないのですか?」
アンネリーゼはきょとんとしてランドルフを見上げる。麗しの王子は大げさにため息をついてみせた。
「ローワンくんの父君のアルタウス男爵は、あまり評判の良くない人物でね。孫に強い魔力があると知ったら何を仕出かすかわからない。ゾーイさんやオードリーさんが傷つけられるところなんて見たくないよ」
どこか芝居がかったランドルフの言動に、アンネリーゼは冷めた気持ちで半眼になる。
強い魔力を持った人間は利用価値も多い。
「それこそ、王子の権力でキルシュ家の方たちを守って差し上げればよろしいのでは?」
「たまたま事情を知ったから特別扱いというのも、立場上難しいからね」
それは確かにそうだと、アンネリーゼも納得するしかない。うさんくさい王子だが、以外にきちんと王子なのかもしれないと少し見直す。
「評判が良くないというのは、どういった方面でよろしくないのですか?」
「金銭関係と女性関係かな。特に、貴族でない若い女性に対して。アンネリーゼさんが聞いて愉快な話ではないと思うよ」
息子が息子なら父親も父親と言うことらしい。それ以上聞いたところで不愉快にしかならないので、アンネリーゼはローワンとその父親の詮索をやめた。
「私からもっともらしい理由を伝えておこう。それがおそらく、一番丸く収まる」
物柔らかな笑顔でうなずくランドルフにアンネリーゼは違和感を覚える。野生の勘が働いたのか、背筋が寒くなった。嫌な予感がする。
「そうするために、アンネリーゼさんにひとつ手伝ってもらいたいことがあるんだ」
あの姉妹を守ることとアンネリーゼがランドルフに協力することがイコールにならず、黒いレースのドレスを身にまとった令嬢はけげんそうに眉間にしわを寄せた。
「アンネリーゼさんの能力の片鱗を拝見して恐れいったよ。君にしか頼めない」
不意に右手を掴まれてアンネリーゼは驚いた。真剣なランドルフの表情。どこか人を喰ったようなところのある人物だが、この言葉にうそはないと思った。
「お、おだてたって思い通りになんてできませんよ!」
アンネリーゼは精一杯強がっているが、ランドルフには彼女が喜んでいることが手に取るようにわかる。彼女のも年相応のかわいいところがあると、王子は片頬だけわずかに緩めた。
「アンネリーゼさんにしか解けない。魔法での行為を魔法ではないように装っていると、私は思っているけれど証拠がない」
ランドルフ王子の言葉にと双眸に真剣さと熱が帯びてくる。
「彼の死の真相を知りたい」
その真摯さに、アンネリーゼは話を聞く気になった。
魔法はこの世界の誰もが使えるわけではない。むしろ、魔法を使える人間の方が少ない。
そのため魔法を悪用することは固く法律で禁じられている。
しかし魔法を使える人間が善人ばかりではないし、大義の前では忘れ去られる。国を守るための軍にも魔法使いだけの部隊はある。
戦争のように大々的に魔法で攻撃するのは、魔法を使っているとわかりやすいのでまだ良い。
窃盗なども不可能犯罪であれば魔法使いの仕業だろうと推測できる。
もしも個人的に、殺人を行うために使われたら。
全く火のないところで焼死したり、水のないところでの溺死なら憲兵団も疑いを持つだろう。
でも特に外傷のない遺体は、検死と言う概念がほとんどないこの世界では病死としての扱うのが当然だ。
「本当に突然、心臓が止まったのかもしれない。だけど私は納得ができない」
ギデオンはランドルフの世話係のひとりだった。主な任務は魔法でのランドルフ王子の護衛。
レイモンドより少し年上で、軍の魔法部隊にいたが魔法で誰かを攻撃することができず、王宮の護衛となり、ランドルフ専属の警護役となった。
容姿も性格も振る舞いも、優しくて穏やかな男性で、防御魔法が得意だった。
そんな彼が急死したのはひと月ほど前のこと。
自宅のベッドで眠るように息を引き取っていた。
ランドルフがレイモンドや執事に無理を言って遺体と対面したのだが、左の手の甲に前日にはなかった謎の紋様があった。
「どんな紋様だったのですか?」
「家紋かと思って調べたけれど該当するものはなかった。ヘビに見えたのだけれど」
「ヘビ……」
何も思い当たる魔法はアンネリーゼにはなかった。魔法紋の可能性があるが、一ヶ月も前のことなので火葬するこの国では遺体もないので調べようがない。
手がかりは王子の記憶だけとなると、あの場所に入れるチャンスかもしれないとアンネリーゼは不謹慎にもワクワクしてきた。
「王宮の図書館で調べたいです」
王宮の図書館には、他では見られない貴重な書物がたくさん所蔵されている。見たことのない禁呪かもしれない。
気持ち悪くにやにやしているアンネリーゼに、ランドルフは少々圧倒されていた。
ランドルフ自身、蔵書を調べたが謎の紋様のことはわからなかった。ひとりでは気づけなかったものが見つかるかもしれない。
ただアンネリーゼを王宮に出入りさせるにはひとつ問題があった。
伯爵家令嬢、それも国王の信の厚い憲兵団副団長の娘といえども、気軽に王宮に出入りは許されない。何かもうひとつ肩書がほしい。
今すぐにランドルフがアンネリーゼに用意できそうな肩書がひとつしか思いつかなかった。
「王宮に出入りするには、私の結婚相手の候補と言う肩書が必要になると思うよ?」
「かまいませんよ」
ノータイムでのアンネリーゼの返答にランドルフは面食らった。この娘は好奇心の塊だ。
「結婚相手の候補でしょう? 候補ですから、本当に結婚するわけではありません。王宮の図書館に入るためには致し方ないです」
言ってから、どこか表情の冴えないランドルフに気づく。ハッとして口元を押さえた。
「もしかして、ランドルフ様にはすでに心に決めた方がいらっしゃいますか? それは申し訳な……」
「いないよ。いないけど」
ランドルフから言い出したことだが、アンネリーゼの態度にもやもやしていた。
この国で一番美しい青年とまで言われるランドルフ。彼が指先をひとつ、唇の端をわずかに動かすだけで皆口々に褒めそやす。
結婚相手にさせたいと親に送り込まれてくる貴族の令嬢たちはランドルフの身分と容姿に目が眩んでいるのがひと目でわかる。
ランドルフがそれをどこか冷めた気持ちで眺めていたのは事実だ。
しかし目の前の令嬢は美しい王子より、王宮の図書館の方がずっと魅力的らしい。
それがおもしろくないなんて、ランドルフは認めたくない感情だった。
「アンネリーゼさんのご両親にもお許しをいただかなくてはいけないね」
眉目秀麗な王子はあくまで余裕たっぷりに人を喰ったような言動に徹する。
「そうですね」
あっさりした返事に、ランドルフは驚いて目を見開く。
アンネリーゼにとっては、王宮の図書館で自由に調べ物ができる地位が手に入ることは最優先事項だった。
「多分お父様は嫌だと泣いてゴネるとおもいますが、気にしないでください。お母様は話にならないので申し訳ございません」
シュツルム家に対して、ランドルフ王子は一抹の不安を抱いた。