吊られた男 5
娘がランドルフ王子を連れて帰ってきたことに、ゾーイの母と、ベテランと思しきふくよかなおばあさんのメイドはパニック状態になった。
「オードリーさんのお見舞いにうかがっただけですから、どうぞお気になさらず」
王子の麗しい笑顔に母とメイドは真っ赤になって見惚れる。混乱していた脳に、この国での極上の美は瞬時に安息をもたらしたようだ。
王子の両サイドにはタイプは違うがどちらも顔の良い、ふたりの護衛が張り付いていた。
短い黒髪の、精悍な顔立ち。高身長でがっちり体型の男性がここまでの道中にアンネリーゼが聞いてもいないことをペラペラしゃべってくれた。
彼はレイモンド。年齢は二五歳。剣士で魔法は使えないらしい。よく通る明るい声でアンネリーゼとゾーイをかわいいかわいいと何度も褒めていた。お調子者なのだろうが、ランドルフの護衛に選ばれているのでかなり腕は立つとアンネリーゼは見ている。
それより気になったのは相棒のブラントと言う名の少年だ。アンネリーゼと年頃はあまり変わらないと思われる。
問題はそこではない。アンネリーゼの護衛であるエリヤをそのまま少年にしたらこうなるだろうと言う外見なのだ。血縁としか思えない。つまりとんでもない美少年だ。美少女にも見えるほど整った顔立ちをしている。
ブラントはここまで一言も発することはなかった。話しかけても答えてくれそうにない雰囲気を漂わせている。
エリヤとの関係は気になったが、今はオードリーと話すことが先決だ。残された時間があまりない。
「寝てるかもしれないから、静かにしてください」
言われた通りに四人は無言でゾーイの後ろに付いていく。
この家に着いた時からずっと、魔法を使った匂いが漂っていた。進むほどそれは強くなっていく。
ゾーイはオードリーの部屋の扉をそっと開けて、中を確認した。ノックで起こさないための気遣いだろう。
「何……?」
寝起きのようなどこかぼうっとした声が部屋の中から聞こえた。
「ごめん、起こした?」
「大丈夫……。気分が悪くて横になってただけ」
双子だと言っていたので声がよく似ている。しかしオードリーのそれには力がなかった。体調が悪いというのは本当なのだろう。
部屋から流れ出る魔法の匂い。ここで間違いないとアンネリーゼは確信を持つ。
「見舞いに押しかけて申し訳ないね」
空気を読まない王子が、許可の下りないうちにオードリーの部屋へ入り込んだ。
アンネリーゼもそれに乗じてあとへ続く。
オードリーは大きなお腹を抱えてベッドで横になっていた。出産が近そうに思える。
「ランドルフ様……!」
あわてて起き上がろうとするオードリーを王子がしなやかな手つきと笑顔で制する。
「横になったままで構わないから、少し彼女の話を聞いてもらえないかな?」
「彼女?」
オードリーがきょとんとランドルフの顔を見上げる。麗しの王子は妖艶な微笑みを浮かべ、目の動きでアンネリーゼを示した。
「先ほどオードリーさんのお腹の子の父親が、研究院でトラブルに巻き込まれてね」
王子の言葉に、もともと良くなかったオードリーの顔色がさらに悪化した。
アンネリーゼはランドルフからの視線を感じた。
ちらりと一瞥する。それを感じ取ったのか、王子はアンネリーゼにしかわからないように、ニヤリと人の悪い微笑みを唇の端に浮かべた。
「トラブル……⁉ 一体、何があったんですか?」
オードリーの驚きにウソはないように見える。本当に何があったのか知らないのだろう。
それにしてもこの動揺ぶりは、ローワンへまだ情が残っているのだろうか。
「まだ好きなのですか?」
純粋に疑問だったので、アンネリーゼはストレートに質問した。妊娠したらポイ捨てする男への情と言うものがアンネリーゼには想像がつかない。
オードリーは少し困った顔になって、次に曖昧な笑みを見せた。悲しそうだとアンネリーゼは感じた。
少しふっくらしたオードリーの手が、大きな丸みを帯びるお腹にそえられる。
「どう言えば良いのかわからないけれど……。この子のお父さんであることは間違いないから、もし改心してくれるなら、一緒に育てたいの。それより、ローワンにトラブルって」
「大したことではないから大丈夫。彼は無事だよ」
(体調の悪い妊婦にこんな負担をかけて、何が目的なの?)
アンネリーゼは自分のことを棚に上げて、ランドルフに疑問を抱く。最初から見舞いが目的ではないだろうとは思っていたが。
「オードリー、本当だから落ち着いて。あいつは何ともないわ。何かあっても良かったのに。ここにいるアンネリーゼさんが私への疑いを晴らしてくれたの。それで……」
ゾーイがちゃんとアンネリーゼの手柄だと言ってくれたことに、表向きミステリアスな美少女は小躍りしたい気持ちになった。そんな愉快なことをすると、探偵としての威厳に関わるのでグッとガマンする。
「ゾーイに疑いって、何があったの?」
「魔法で宙吊りになっていたんだ」
切羽詰まった様子のオードリーにランドルフがからりと答える。
ランドルフの口調が柔らかいのと声質の良さで、なぜかそれほど大事に聞こえない。そこにはアンネリーゼは感心した。
ここまで王子がお膳立てしてくれたのだから、満を持して登場しよう。アンネリーゼはキリッと凛々しい表情を作った。
「そのことでお話があって、ゾーイさんに無理を言ってお邪魔しました。オードリーさんのお腹の中にいる赤ちゃんがしてしまったことなので」
「え?」
オードリーだけでなく、ゾーイとなぜかレイモンドまで目を丸くしている。
「赤ちゃんはお腹の中で声が聞こえているらしいので、皆さんの会話を聞いて、お父さんを確認しただけなんだと思います。かなりの魔力の持ち主だったのでこんな騒動になりましたが」
「それはアンネリーゼさんの推理だろう?」
ランドルフは腕を組み、アンネリーゼへ体ごと振り向いた。
「オードリーさんが犯人ではないという証拠はあるのかな?」
意地悪に問い詰める薄ら笑いさえ美しいのは質が悪い。アンネリーゼは王子を軽く一睨みしてからオードリーに向き直った。
「これを握ってください」
アンネリーゼはオードリーに魔法試薬紙を差し出す。
「こ、こうですか?」
さすがは双子。戸惑いながら小首を傾げる姿が瓜二つだ。
オードリーの握った試薬紙は青色に変化した。ローワンが宙に浮いてから一時間以内なので、彼女が犯人ではないことが証明される。もっとも、オードリーの魔力はゾーイと同じで人ひとりを持ち上げられるほど強いとは思えない。
その人物の持つ魔力の強さや大きさをアンネリーゼは何となく肌で感じることができる。
ここにいる人間だと、ランドルフはかなり強いと思われる。レイモンドからは魔力を感じない。
試薬紙の結果に、ゾーイがあからさまに安堵して胸を撫でおろした。大きくため息をついて、へなへなとしゃがみ込む。
「良かった……」
心の底からほっとした声が漏れる。オードリーが裏切った男への復讐心を抱いていないと信じきれていなかったのだろう。
「私にそんな魔力はもともとないし、今は体力もないわ」
オードリーは困惑した表情で何度も首を横に振った。
「この部屋から魔法が放たれたことは間違いありません」
アンネリーゼはきっぱりと言い切った。そしてランドルフに黄色い半透明なレンズの眼鏡を渡す。
「眼鏡?」
「空気中に漂う魔力の痕跡を見ることができる眼鏡です。精度が低いので一時間以内に使われた強い魔力しか見えません」
これも以前にアンネリーゼの魔法で生み出した物だ。探偵をするのに必要だと考えた。改良の余地はかなりあるが、今回はこれで十分だろう。
「次から次へ、いろいろな道具が出てきておもしろいね」
ランドルフは端正な口元を緩める。デザインの野暮ったい眼鏡を装着する姿さえ流麗だ。
「緑色の光の線が窓の外へ伸びているね」
「それが魔法の轍です」
王子の見ていたあたりに、アンネリーゼはシュッと霧吹きで液体を吹きかけた。緑色に光る物体が現れる。レイモンドと双子の姉妹は驚愕していた。
ブラントだけは全く表情が変わらなかった。そもそも何に対しても興味のない顔をしているようにアンネリーゼには見える。
「出発点は……」
ランドルフは光の線を追って振り返る。ベッドの方へ続いていた。
「オードリーさんの、お腹?」
王子を追ってアンネリーゼは部屋にスプレーを撒く。謎のオブジェのような魔法の軌跡が現れる。
「お腹の中の赤ちゃんに話を聞くことはできませんから、私の推測になりますが」
アンネリーゼはそう前置きをしてからオードリーの横になるベッドへ振り向いた。
「赤ちゃんはお父さんがどんな人なのか、確認したかったのだと思います。ですがまだ胎児なので何もわからず、触れようとしたら魔法だったので持ち上げてしまった、と言うコントロールが利かなかった末の事故かと」
オードリーは悲しげに唇を結ぶ。大きく膨らんだ腹部に視線を落とした。
「私の不安をわかっていたの?」
お腹の中の赤ちゃんに語りかけながら、ゆっくり腹部を撫でるオードリー。ゾーイはその様子に思うところがあったようでしゅんとしてしまう。
「ごめん。私もいろいろ言っちゃってたから……」
「私こそ、心配させてごめん」
双子の姉妹は涙ぐみながらそっと抱き合った。アンネリーゼにはわからない苦労や葛藤があったのだろう。何も言わずに見守るしかできなかった。
しかしランドルフ王子はさすがだった。
「赤ん坊でそんなに優しくて強い魔力を有しているなんて、将来有望だね」
胡散臭い笑顔を浮かべる王子と、感動して泣いているレイモンドと、相変わらず無表情のブラント。
ゾーイとオードリーはランドルフ王子の言葉に感動して涙を流していた。
「この子は私たちで大切に育てます」
オードリーの瞳に先ほどまでの迷いはなかった。
「おそらく、不安が赤ちゃんに魔法を使わせます」
アンネリーゼの言葉にオードリーとゾーイは目を丸くする。それから同じように苦笑いをした。