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唐揚げ弁当  作者: やゐゆゑよ
2/5

インスタント粥と簡易味噌汁

 田中の職場は、事務室のドアと休憩室ドアが廊下を隔てて向かい合わせになっている。

事務室の接客カウンターの正面奥に廊下に面するドアがあり、廊下を挟んだ正面に休憩室のドアがある。2枚のドアを開けっぱなしにすれば、休憩室からでも窓口に来客があるか見通せる配置になっている。昔は昼食と取りながらでも受付ができるはずだと、1人勤務を強いられる時代あったという。

 確かに今でも仕事量はほぼ一人分しかない。することがないもう片一方が業務時間中に遊び歩くざまだ。たまに忙しい日があってもストレスは却って少ないかもしれない。

 2人が配属されるようになって、ドアは出入りの時以外は閉められた状態でいいはずだったが、どういうつもりか先輩は自分の食事中、2枚とも開け放ったままにして仕事をする田中と会話をしたがった。

 一人でゆっくり仕事をしたい田中は、客が来た。電話がかかってきた。電話をかけるから。シュレッダーがうるさいだろうから。と理由をつけては事務室側のドアを閉めている。


 今、休憩室のドアが開け放たれたままだ。事務室のドアも閉め損ねていた。

 休憩室で先輩が、

「ジュッ、ふうー、ジュッ、ううああ、はあ、ジュズッ、ああはあ、ズ、ジュウズズッ」

 田中はたまらず、立ち会ってドアに向き直り、ドアノブに手をかけた。どういうことかと休憩室の中に目を向けると、先輩がカップ麺の容器のような器で白い粥状のモノをすすっていた。日本では蕎麦やうどんのような麺は音をたてて食べても()()()()とされているけど、お粥ってどうだったっけ、お粥って作法どうだっけ、え、あれお粥なの?と考えながら事務所側のドアを閉めた。

 一枚のドアで防ぎきれる音と声ではなかった。その日はドアの向こうから20分程の間、

「あああ、ふー、ズッジュ、ズルッ、ううあ」

「ズルズル、ううっ、あうはー、は、はあああ」

と響き続けた。


「同窓会があってヤセなきゃいけないのお」

何日か後、入力作業に追われている田中の横で頬杖をついて歌舞伎公演のチラシを眺めていた先輩が言った。

「同窓会、ですか」

 だから何。好きにしろ。邪魔すんな。心の声は他の者には聞こえない。先輩は続ける。

「しらばく、お昼はインスタントのダイエット用のお粥なのお。ネットで箱買いしたから安くついたし。まあまあおいしいし。同窓会の前の日まで続けたらかなりいい感じになるはずよお」 

 いい感じには多分、ならない。それなりにヤセるだけだろうけど、それだけ。心の声はやはり先輩には聞こえない。

 あれから毎日、先輩の昼休憩になると

「ジュ、ズッズルズズズ、うおふふうっ、あああえっうっ、ジュズル」

と休憩室から聞こえてくる。休憩室のドアは開け放たれたままだ。事務室のドア一枚では限界があった。もはや粥の作法とかの問題ではなかった。

 昼休憩で先輩が事務所から出ると田中は事務室のドアを閉める。一度閉め損ねたまま接客し、居合わせた客が事務室の奥から聞こえる<物音>に何事かと言葉を失った様子だった。

 田中にはすする食べ方も問題だが、すする間のうめき声も一体何なのか疑問だった。

 例えば、

 一口食べて ああ、おいしい。とか

 パクリ、あー美味い。というところを、

 ズズッ、あああえっ。

 だとしても、本当に一口(ひとすすり?)ごとに発する必要のない<声>なのではないだろうか。


 職場での昼食を粥のみに替えてから、先輩の食への執着が日に日に強くなっているのを田中は肌で感じた。一口一口噛みしめて食べてもさすがにお腹がすくのだろう、と。

 食への執着も、自分自身が食べるものだけにこだわっていればよいものの、田中が食べる物にも何か一言口を挟んで来ようとすることには閉口した。

 12時30分が過ぎ、自分が休憩する時間になると、田中は休憩室で自分の昼食の準備に取り掛かる。

 休憩室の冷蔵庫から自分の味噌のパックを取り出し、ティースプーンにひとさじ取りマグカップに入れる粉の鰹節を一振りして、ポットのお湯を少しだけ入れる。味噌を溶いたら湯を六分目まで足す。

 田中が行う昼食前に行う一連の作業を、何故か先輩は休憩室の入り口に立ちふさがってじっと見入っている。そして

「かつおぶしのにおいがたまらないわねえ」

とひとこと言う。

 欲しいのか、何なのか。具の全く入っていない簡易味噌汁にいったい何故こうも執着できる?

 入口に立っているので退いてもらわなくては閉められない。そもそもあんたはもう仕事の時間だろうが。さっさと事務所に行け。

 事務室のドアも開け放たれている。客が来ればわかる。ということだろう。

 マグカップの味噌汁と家から持参した弁当を並べ腰かけると、弁当箱の蓋を取る前に

「事務室、大丈夫ですか」

と声をかける。

「あー、大丈夫よお。何かあれば声かけてくれるわよお」

 先輩は受付を振り返ることもなく答える。さっきから目は田中の弁当箱にくぎ付けだ。

「えっ、でも、どなたかいらしてません?」

先輩の背後に視線をやるとさすがに

「ええ、そう?」

と事務室の方向に体の向きを変えた。

「ほら、いらしてないですか…」

 田中が伸びあがると本当に人影が見え、田中に促されるまま、先輩は事務室に戻った。その隙に休憩室のドアをしっかり閉めた。


 今日はうまく追い出せたが、どうやっても先輩が事務室に戻らなかったとき、あきらめて先輩の前で弁当の蓋を取ったことがあった。食べ始めるとそれを見ていた先輩から、弁当の中身、ご飯とおかずの配分、おかずの種類、品数、いろどりについて逐一だめだしされた。

 先輩は教えてやっているつもりだったようだ。田中にしてみれば毎食、店で売っている弁当を買って食べてる人間にあれこれ言われたくなかった。

 鰹節のにおいがたまらないだって、なにあれ?工場で粉にした鰹の粉だよ。食べたら出汁がいい感じに出てすごくおいしいけど、お湯入れただけじゃそんなににおいがするわけないじゃない。さもしいったらありゃしない。

 …どんなに強く思っても、心の声は他人には決して聞こえないのだ。




 


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