9話
夜の町をランタンを持った二人と一頭が歩む。
やがて探知犬が一軒の家の前で止まる。
「ここか」
レンガ造りの一軒家が並ぶシェフィールの住宅街。夜もだいぶ更けていて、周囲には人影もなく閑散としている。辿り着いた家の明かりも消えていた。
外から気配を伺っても住人は寝静まっているのか話し声は聞こえない。
「もし違ってたらどうすんですか」
「その時はその時だ」
夜中に起こされて人違いでしたということになったらかなり迷惑ではないか。
そんな心配をするキリクスをよそに、ベイジルは一呼吸置いてから扉をノックした。
何度かノックを繰り返したところ、家の主人と思しき男が出てきた。
「どちら様でしょうか」
男は眠い目をこすりながら不審そうな目を向けた。こんな夜更けに訪問者となったら当然の反応だ。
「私は王宮魔術師団のベイジルという。この家にディルという者はいるか」
男はわずかに目を見開いた。どうやらビンゴのようだ。
「どういったご用件で?」
「今日の昼間のことで少し確認したいことがある。キリクスという名を伝えれば分かると思う」
家の主人は怪訝な表情をしながらもどうやら呼んできてくれるようだ。扉を閉めて一旦戸締りをし直す音がしてから家の照明がついたのがわかる。
ややあって扉が開いて家の主人ともう一人現れた。少し長めの髪をゆるく一つにまとめて左肩に流した少年だ。
「ディルは自分ですが…あっキリクスさん!」
言った後にディルはちらっとベイジルを見た。そしてキリクスの方を見てハッとした。
「荷車が壊れた件ですか?あれは仕方がなかったことで、かなり使い古されていたので、ええっとキリクスさんは悪くありません!ちょうどその場面を見ていたんですが、あれはっ」
話の途中でベイジルが遮った。
「その件ではない。少し確認したいことがある」
「??違うんですか?」
家の外へと促され、ディルとドリーは外に出た。街灯はない上に、今晩は月も細くて辺りはかなり暗い。夜更けに出るような用事もないため、そこにいるのは四人と一頭だけだ。ちなみに犬はキリクスが手綱を握っている。
「君は先日行われた魔力調査には参加したのか?」
「しました」
「その時騒動に巻き込まれなかったか」
「あ…誘拐事件ですね。人質にされて…傷はもうほとんど消えましたけど」
やはり少年は同一人物のようだ。
「君の周囲では不思議なことが起こるようだな」
「??それは巻き込まれ体質でも持っているということでしょうか?」
「そうかもしれんが。そうではなく…まあ実際にやったほうが早いな」
そう言うと先程まで静かだった住宅街にひゅうっと風が吹き抜ける。その風を皮切りにさわさわと周囲の植物が音を立て始める。
ディルは魔術師を見つめていた。
今、魔術師は馬一頭分ほどの距離がある場所に立っている。
この人は一体何をしようとしているのだろうか。暗くて表情も見えづらいし、髪の毛からローブまで全身黒い。ただ、不思議と不気味さは感じなかった。
魔術師が近づいてくる。
風の音が聞こえる。
攻撃でもするのだろうか。キースがやっていたような火の玉を飛ばしてこられたら何もできずにやられてしまうだろうが、そういう気配もない。
風がより一層強くなった。
一つに束ねて肩に流したディルの髪がわずかになびく。
魔術師を見ていると、周囲の様子と比べて何か違和感があった。何故だろう。
キリクスとドリーを見ると強風で布や髪の毛が流されており、目を細めている。暗い中でもドリーの心配そうな表情が見えた。
もう一度黒いローブに包まれた黒髪の魔術師を見る。
「あれ、服がたなびいていないような…?」
長いローブを着ているのに、それが全く風に揺れていない。
魔術師が口を開く。
「君も自分を見てみるといい。少しは影響を受けているようだが、風の割にはおかしいと思わないか?」
「?」
確かに自分の服も髪もあまり風を受けていないような気がする。
「普通の風とは違う…これは魔術ですか」
「そうだ」
この人は風を操れるんだ。すごい。
だけど、この魔術師が何をしたいのかも何が言いたいのかも分からない。
強風でどこかの家に置いてあった木製の桶が転がっていく。
ゆっくりと魔術師が動き、とうとう手を伸ばせば届く距離まで来た。
おもむろにローブから右手だけをのぞかせた魔術師が言った。手には何も持っていない。
「…握手を」
言われるままにディルは魔術師と握手をした。
すると、それまで吹き続けていた風がピタリと止み、町に再び静寂が訪れた。
「…??」
ベイジルがニヤリ、と口の端を上げた。
「やはりな。君は魔術師だ」




