25話
「うう、手がしみるーー」
先程の打ち合いによってディルの手は何か所も皮膚がはがれていて、水で洗い流すと傷口が痛んだ。
傷口をきれいにしてから、失った水分を取り戻すかのごとくガブガブと水分補給をして、汗は頭から水をかぶって、それから犬のようにプルプルと水を飛ばす。
そして袖で余分な水気を拭ってから、生徒を指導するキースの元へと歩く。
ディルが近くまで来ると、キースも指導をしていた相手に二言三言添えてからこちらの方へやってきた。
燃える赤髪の魔術師が、爽やかな笑顔で話しかけてきた。
「久しぶりだね、ディル」
「キースさん!ご挨拶が遅くなってしまいすみません。お久しぶりです」
「先程の戦闘見ていたよ。体格も力も格上の上級生に対して物怖じせずに戦い、とてもいい動きだった。最後の仕掛けるタイミングの見極めも良かったね」
「ありがとうございます!」
キースのようなプロの魔術師に褒めてもらえると純粋に嬉しい。
「だけど、今日は魔力の使用は禁止ではなかったっけ」
「それは…」
これは正直に言っていいのか悩む。仕掛けてきたのは向こうだが、それに乗ったのはディルだ。答えに困っているとキースが笑った。
「ああ、気になっただけで、別に咎めようとしているわけではないんだ。そもそも私には君たちを裁く権利も何もない」
それであればいいかと思い、ディルは何があったかをかいつまんで説明した。
「あはは。それで上級生の喧嘩に乗っかったのか。度胸があるね」
「自分の力で解決したいと思っていたので、相手を見返すよい機会だと思ったんです。おかげでとても勉強になりました」
「ベイジルもここにいた頃は上級生からのやっかみがすごくてね。それでいて本人が気にもせず飄々としているものだから、先輩たちが怒ってしまってさ。よく先輩が返り討ちに遭っていたなあ」
「ええっ!ベイジルさんもそんなことがあったんですか!」
ベイジルにもそんな頃があったなんて初耳だ。
「僕も最近まで似たような状況になっていました」
「ん?他にもあるのかな?」
「王宮の魔術師に目をかけてもらっている新人、というのが先輩には気に食わなかったのだと思いますが、まあ色々と」
「…もしかしてここに来た当初から?」
「はじめは特に何もなく過ごしていて、目をつけられたのは先日ベイジルさんがこちらに足を運ばれてからです。特別扱いだとは思われたくなかったので、何とか見返そうとしてこちらも色々とやりました。僕を応援してくれる、よき同室に恵まれたのもあります」
「いつの時代もそういう輩はいるものだな、君がそこで折れなかったのは偉いよ。他にどんなことをされたのか教えてくれる?暴言や物へのいたずら?それとも暴力?」
目をすがめて促されると誤魔化せない。
「殴られたりはしませんでしたが、まあそんなところです。あとは、尾行されたり…その時は待ち伏せして撃退しました」
「ふぅん。そんな奴の中にもうすぐ王宮入りする人間がいるかもしれないと思うと反吐が出るな…。しかし、話を聞くほどにベイジルと過ごした日々を思い出すなあ」
そういえば、キースとベイジルはどのような関係なのだろうか。
「キースさんとベイジルさんは同級生だったんですか?」
「そうだよ。年は私の方が一つ上で、ベイジルとは同室だったから色々と充実した錬成所生活だった。それが縁で今でも親しくさせてもらっている」
そう言って遠くを見るキースの瞳は、きっと過去を懐かしんでいるのだろう。
女生徒が見たらキャーキャー言うのではというくらい絵になる姿だ。僕も女生徒なので、わーおイケメンくらいには思った。
「ちなみに尾行されたのって城下町の話?」
「いえ、錬成所です。僕が入浴の際に共同浴場を使っていないのを不審に思って…あ!皮膚疾患があって共用の風呂に入浴するのを医者に止められているだけ、と周囲には言っているのですが」
皮膚疾患なんてものは何もないが、周囲にそう言っているのは事実である。嘘は言っていないぞ、嘘は。
「ええ?それでは今まで風呂はどうしていたの」
「人気の少ない場所で水浴びを…」
「……」
「…」
はぁー、とキースが頭を抱えた。
「個別の風呂を使っているのかと思ったら予想外だった…。そういうことなら、入浴の時間だけあまり使われていない来客用の空き部屋を融通してもらえるように取り計らってあげようか?尾行や今回のこともあるから、それくらいの対応はできるかもしれない」
「本当ですか!」
温かい湯を使うことができるのは非常にありがたい。安心して冬を乗り越えられる。
「ここへ君を引き込むきっかけを作った僕にも責任はあるよ。僕にはそれくらいしか返すことができないから、遠慮なく頼ってくれて構わない。ただ、これからはそういうことは一人で解決せずにちゃんと先生に伝えるんだよ?」
「はい…」
わーおイケメン。
「そろそろ時間かな、大分話し込んでしまった。ディル」
「はい」
「君が魔術師としてここでの時間を大切にしていることが分かってよかったよ。これからも何者にも屈せず頑張ってね」
「あ、それから」
立ち去ろうとするキースが足を止めて振り返った。
「?」
まだ何かあるのだろうか。
「手紙の書き方は送り慣れている人に教えてもらうのが一番だよ。あの書き出しは恋人に向けたものだから」
クスクスと笑いながらキースはそう答えた。
「しっ、失礼しました!」
そんな代物を送ってしまっていたとは思わなかったのでディルは顔が熱くなった。
後日、無事本部棟の個室風呂の使用許可が下りた。お湯は自分で運ぶのだが、水浴びよりも断然環境が良い。
周囲もこれまでとは別の意味で一線引かれたような気はするものの、ディルにもようやく平穏が戻ってきたのだった。




