19話
ベイジルに指導をしてもらった翌日、ディルは周囲の雰囲気が違うことに気づいた。
朝、同室のラスカルたちと共に食堂へ行くと、妙にこちらを見る視線やひそひそと何かを話す姿が目に付いたのだ。
「ほら昨日の」だとか「あいつが」などと漏れ聞こえることから、どうやらベイジルとの関わりからディルに注目が集まっているらしい。
これまでは、遅れて転入してきたけど特に大きく目立つことは無かった。錬成所に所属するその他大勢の生徒のうちの一人だったのが、ディルという個人として周囲に認識されたようだ。
ラスカルたちも気づいたようで、「なんか騒がしいな」と呟く。
隠し事が多いディルとしては、なるべく目立たずに穏やかな生活を送りたいところではあるのだが、なかなかそうもいかないらしい。
オリバーはあまり気にした様子もなくパンを頬張りながら朗らかに言う。
「こういうのは一過性で、気にせず過ごしていればすぐに落ち着くんじゃない?」
オリバーにそう言われるとそんな気がしてきたので「そうだね」と言ってディルも食事を食べ始めた。
4人が食事をしていると、上級生と思われる人が数人こちらに近づいてきた。
「ちょっといいか?」
一人がディルに向けて声をかけてきた。噂の生徒にすぐに声をかけてくるとは、ずいぶん行動力のある上級生だ。
「はい、何でしょう?」
「突然で申し訳ないが、少し話をさせてほしい。君は転入してきたディル…で合っているか?昨日の王宮魔術師と知り合いなのか?」
どういうやり取りをするのが正解なのかと周りに目を向けると、ラスカルたちの表情にやや警戒の色が浮かんでいることに気づく。
とりあえず当たり障りのないように返す。
「僕がディルです。あの方には錬成所への入学の面倒を見ていただきました」
すると、上級生の一人から小さな声で「こんな細っこいのが?」と見下すように吐き捨てたのが聞こえた。それを聞いてニヤつく奴もいる。
ムッとしつつも事を荒立てないように冷静になろうと自分に言い聞かせる。
話しかけてきた者とはまた別の上級生が続けた。
「お前、あの方がどんな方か知っているのか?」
「ええと。あまり詳しくは知りません」
どちらにせよ、この上級生たちよりも知っていることがあっても話す義理は無い。
「何も知らないのか?ベイジル様は王宮魔術師の中でも上位の魔術師だぞ。風の魔力を操り、近衛隊に所属している上に様々な任務を請け負っているという噂だ。お前は特別に取り立ててもらっているようだが、本来であれば雲の上のお方だ」
上から目線で語るのを聞いていたら、さっき見下して嫌なことを言った奴が前に出てきた。
「お前は剣術などにも参加しているらしいな。兵士希望か?」
「それは…まだ分かりません」
「ハッ。それなのに忙しい時間を縫っての特別指導か。いいご身分だなぁ?それとも強い魔力でも持っているのか?」
じろじろと値踏みされるような視線の後、そんなわけでもなさそうだと上級生同士で笑いあった。ディルの表情が怒りを抑えているせいかどんどん抜け落ちていく。
「僕は確かに魔術師ではありますが、まだうまく使いこなせません。だから指導もしてもらえたんだと思います」
ここでは表立ってディルの魔力封じは使えない。詮索されても面倒なので使えない設定で行くことにする。
「そんなことだろうなとは思ったんだよ。ベイジル様も錬成所に在籍していた頃は優秀な成績を修めていたんだ。我々の仲間にも王宮への道を約束されている奴だっている。例えばクラウスとかな。特別目をかけてもらっているとしても、一年坊主は身の程をわきまえろってことだ」
「一体…」あなたたちはベイジルさんの何を知っていてそんなことを言うんだ、向こうだって関わる相手を選ぶ権利はあるでしょうと言おうとしたところで、言い留まった。
少し離れた場所から別の声がしたからだ。
「そこまでにしなよ」
諫める声のする方を向くと上級生の一人が「クラウス」と名前を呼んだ。ご本人の登場らしい。
「私の仲間が失礼したね」
近くまで来て、ニッコリ微笑みながら詫びる。
一見すると柔らかみ溢れる笑顔だが、嫌味な取り巻きがいる時点であまり人となりを信用できない。
とはいえ、うっかり火に油を注ぎそうだったところなので、ひとまずは感謝した。
「君は素晴らしい魔術師と知り合いのようだから、仲間たちも気になってしまったようなんだ。気を悪くさせてしまったけど、今日はこれで退散するから」
今日は、というところに違和感を感じつつ上級生軍団を見送った。姿が見えなくなってから、ラスカルたちが揃って「はぁー」とため息をついて肩の力を抜いた。
「あいつらに目を付けられるなんてな。やれやれだ」
「全くだよ。釘を刺しに来たんだろうね」
「とりあえず平穏な学園生活を脅かす集団であるということは分かったんだけど、あの人たちは何?」
「あれは三年生の中でも後輩いびりが得意な集団だな。さっき名前の出てきたクラウスってやつがトップ」
錬成所に入学する年齢はばらつきがあるが、ここでは入学一年目を一年生、二年目を二年生…という風に呼ぶ。15歳の一年生もいれば14歳で三年生の生徒もいる。この辺りは現在の制度上仕方がない部分でもある。
あまり魔力が高くなかったり特に専門性がなくて町で働くような魔術師は、魔術師として最低限の技能を一年間で身に着けてその年度が終われば卒業する。
最高学年は三年生で、三年生であるということは一、二年で卒業した生徒が減っているわけで、さらに錬成所での学びもあり、それだけ専門性が高かったり王宮への道を望む生徒も多い。
三年生にもいろいろな生徒がいるとはいえ、自分の実力に自信を持っている生徒が鼻高々に偉ぶってしまう、というのも避けられないのかもしれなかった。
ディルは飲み物を飲んで一息つく。
「何であそこでクラウスの名前を出したんだろう?僕からすると脅しのように聞こえたんだけど。名前を出して逆効果になるとは考えなかったのかな?」
「きっとベイジルさんに取り次いでもらいたいんじゃない?クラウス先輩も風の魔術師だから」
そう言いつつ、いつの間にかパンをお替わりしてきたオリバーがむしゃむしゃ食べている。
「ふうん」
「さっきは優しそうな感じだったけど、クラウスが一番気を付けた方がいい相手だから。今のところの裏ボスだよ」
平穏無事に、と思っていてもそうはいかない錬成所生活である。