哀しみの魔法少女編 4
僕が所属するのは営業部の営業三課。
花形といわれる営業一課みたいに大企業を相手にした仕事ではなく、中小や個人ユーザーを主な顧客にしている。
「おつかれちゃん。裕也くん」
「あれ? 美月先輩。もう戻ってたんですか?」
自分のデスクに戻った僕に話しかけてきたのは、二年先輩の王美月。中国人で黒髪黒瞳、背も高くスレンダーな大陸的な容貌の美人である。
スーツ姿で会社にいるより、チャイナドレスを着て暗黒街を支配していたほうが似合いそうな雰囲気の人だ。
「おいてめえ。失礼なことを考えてる顔だぞ」
「相変わらずエスパーですねぇ」
くだらないことを言って笑いあう。
入社したての僕の教育係を務めてくれた人なので、けっこう気心は知れているのだ。
「テストプレイなんて十分で終了しちゃったわよ。自キャラが弱すぎて話にならないんだもの」
「エフェクトですか?」
「あらら。そっちも」
苦笑する先輩に、僕は肩をすくめてみせた。
僕は叶恵につきあって律儀に何パターンもエフェクトを出現させたけど、彼女はそこまで気が長くはなかったようだ。
問題点を次々と指摘して、技術部の担当者を撃墜してしまったらしい。
さすがです。姐御。
「デバッグどころの騒ぎじゃなかったわね。それ以前よ」
「作り方がちぐはぐな印象でしたね」
正直な所感である。
どこまでもリアルなグラフィックと、やたらと理に適った動きをする敵キャラクター、そして無駄なギミックの多すぎるプレイヤーキャラクターだ。
技術部のプログラマーやデザイナーたちがそれぞれ勝手に仕事をして、それをきっちりまとめきれていないって感じだった。
これで発売一年前なんだから、片腹痛いってもんである。
「それぞれを単体で見たら、すごい技術なんだけどね」
半笑いの先輩だ。
たしかにその通りなのである。
初めてダイブした仮想現実の世界は、息を呑むほどの現実感だった。
ただただすごかった。
建造物も、地面も、肌に触れる風すらも、現実と変わらなかった。
あれがヘッドギアから送られる電気信号によって脳が見ている偽物の情報だなんて、最初から判ってなければ絶対に気付かないだろう。
あのクオリティはすごい。
にもかかわらず、僕は魔法少女だった。
この哀しみ。
汚れっちまった哀しみに。
テストプレイだからね。好きなキャラクターで遊べるわけじゃないんだよね。
でもさ、なんでよりによって魔法少女なんだべね。
悪意すら感じるよ。
ともあれ、そんな魔法少女の造型だって完璧に近かったさ。
そういう趣味のある多くのプレイヤーが納得できるレベルだろう。そしてそれ以上に、違和感がなかった。
身長百八十センチ近い僕が、百五十センチもない異性になっても、べつにおかしいとは、脳が認識しなかったのである。
地味にみえて、これがものすごい技術なんだってことは僕程度にも判る。
そのすごい技術を使って、あのいかれたエフェクトを出すんだから、技術と才能の無駄遣いも良いところだ。
「敵の動きもすごかったわね。正直、恐怖すら感じたわ」
「同感です」
美月先輩の言葉に大きく頷く。
叶恵の手前、平静を装ってはいたものの、ものすげー怖かった。
邪小鬼の眼光が、動きが、びりびりと伝わってくる殺意が。
本当にあれってプログラムされただけの存在なのかって疑うほどに。
「どう? ふたりのフルダイブVRMMO初体験を記念して」
右手なにかをつまんだような形をつくって口の前に運び、くいっと傾ける仕草をする先輩。
飲みのお誘いだ。
「いいですねえ。超特急でレポートを片付けます」
もちろん僕に否やはない。
ちびりちびりとオンザロックの紹興酒を飲む。
黄酒だ。
もともとは僕も大卒の若い男のご多分に漏れずビール党だったのだけれど、美月先輩と飲みに行っているうちに紹興酒を楽しむようになった。
日本酒よりウィスキーより先に中国のお酒に目覚めてしまったのは、さて幸運なのか不幸なのか。
うん。
美味しければなんでも良いのである。
「裕也くんの相棒って、噂の神代女史でしょ? どうよ?」
スモークチーズをつまみながら先輩が訪ねた。
紹興酒のおつまみといえば皮蛋を連想しがちだが、じつは薫製系はなんでも合う。
ピータンは見た目的に苦手な人だよって人も多いから、スモークエッグなんかを試すといいんじゃないかな。
かなりオススメ。
「どう、とは?」
問い返す。
ちょっと質問が漠然としすぎている。
はてさて、いったい何について答えれば良いのやら。
「美人だった?」
「どっちかっていうと可愛い系じゃないですかね? 美人とは先輩のことでしょうよ」
叶恵の容貌を思い出しながら回答する。
大学を出たばかりだから二十二。年齢に比して幼い容姿だ。
高校生だっていっても、そんなに違和感はないだろう。
少しでも大人っぽく見せようとしているのか、素通しの眼鏡なんかかけてるのが、また笑止である。
対する美月先輩は、もう純然たる美人だ。
肩下までの艶やかな黒髪も、切れ長の目も、スパイ映画に出てくる謎の美女って感じである。
「むしろ君のたとえが謎よ」
こつんと小突かれた。
理解を得られなかったようである。
残念無念。
「私が訊きたかったのは、裕也くんの好みかどうかって類のことだったんだけどね」
「んー どうでしょー」
「あんたはミスターか」
まったく似てないモノマネだったが理解してもらえたようだ。こっちは。
百年以上も前の野球選手である。
いろんな伝説を残した人で、エキセントリックな言動が記録された動画がいまでも残っているという伝説の人物だ。
「ゆーて先輩。今日初めて会ったんですよ? 好みもへったくれもありませんて」
「人間なんて第一印象が八割でしょ」
「それは迷信ですね」
ちびりと紹興酒で喉をしめらせる。
第一印象なんてアテにならないものだ。
むしろそんなものが正しい例なんて希有だろう。
「いやに断言するわね」
「だって僕、美月先輩と初めて会ったとき、すごく厳しそうな人だなって思いましたもん」
「あってるじゃない。あたしは厳しいわよ」
「でも、すごく優しいじゃないですか」
先輩は自分に厳しく他人にも厳しい。ただそれは無原則に人を甘やかさない為人だってだけの話だ。
できないといえば手伝ってくれるし、判らないことは判るまで教えてくれる。
サボったり手抜き仕事をしたら、しっかり叱ってくれる。
どうしてそれがいけないのか、と。
大学を出たてで学生気分が抜けてない僕を、しっかりと指導してちゃんとした社会人にしてくれた大恩人だ。
彼女を優しいといわなかったら、世の中に優しい人なんて存在しないだろう。
あるいは、甘やかしまくってなーんにもできない人間を作るのが優しさだと誤解している人か。
「…………」
なぜか顔をそらし、ぐいぐいとグラスを傾ける先輩。
飲み過ぎですて。
顔真っ赤じゃねーですか。
「先輩。大丈夫ですか?」
「うっせばーか。ばーかばーか」
だめだ。
幼児退行してしまってる。
なんだその小学生みたいな罵声は。
「飲み過ぎです。そろそろお開きにしましょう」
ほんぽんと肩を叩いて立たせる。
華奢な肩だなぁ。
寄ってきた店員に左腕の端末腕環をかざす。
軽快な音を立てて会計が完了した。
「ぁ……私が……」
「いいですいいです。たまには僕にかっこつけさせてください」
「ぬー 裕也のクセになまいきだ」
真っ赤な顔で、なんかごにょごにょ言ってるけど、声が小さい上に呂律も回ってない。
せめて日本語で話しなさいって。中国語ですか?
かなりダメっすね。
店を出てタクシーを拾う。
まずは先輩を乗せ、それから僕も乗って行き先を告げた。
なぜか訳知り顔の運転手が、笑いながら頷く。
ホテルとかじゃないよ?
先輩を家まで送るだけだよ?