憂いの金髪剣士編 8
「どうしたの? そんなにせつなそうな顔をして」
自分のデスクに戻った僕に、美月先輩が声をかけてくれた。
心配そうに。
「美人局にでも引っかかった?」
「なんでやねん」
心配の方向性がおかしすぎる。
苦笑した僕は、ついさっき叶恵と話したばかりのことを先輩に説明した。
どだい運動神経が壊滅しているオタクが、VRだからって超人的な活躍ができるわけがないのだと。
僕はこれからどうやって生きていけば良いのだろう。
「裕也くんって、そんなに運動神経悪かったっけ?」
「完全に文化会系ですね」
運動系の部活に入っていたことはない。
体育の成績も五段階の三とか四とかで、まったく普通な感じだ。
苦手でもなければ得意でもない、というあたりが正確な評価になるだろうか。
「でも、ゲーム内では普通に活躍してるんでしょ?」
「そりゃあシステムのサポートがありますからね」
肩をすくめてみせる。
魔法少女の時代に、夜叉丸が振り下ろした太刀の上を走ったことがあった。
本来の僕の運動神経で可能なことではないけど、そこはそれ、ゲームなのでけっこう無茶なことはできるようになっているらしい。
ただ、無茶できる範囲ってのが、プレイヤー自身の運動能力によってかなり異なってくる。
たとえば僕は太刀の上を走ったけど、人によっては太刀を踏み切ってバク転したりもできる。
簡単にいうと、運動能力に十を掛けるとしたら、元になる値が一か十かで、ものすごい差が出るってことだ。
つらいでしょ?
「べつに誰かと比較する必要なんてないと思うけど?」
先輩が小首をかしげる。
さらさらの黒髪がゆれた。
きれいだなあ。
「いやまあ、それはそうなんですけどね」
対人戦闘は『LIO』に存在しない。
だから他のプレイヤーと直接比較されるってことはないんだけど、どっちかってういうと自分自身の問題なんだよね。
クシュリナーダの動きを見ちゃうとさ。
あー 僕って劣ってるなぁって思っちゃうわけですよ。
「子供向けの太極拳教室にでも通うとか?」
くすくすと先輩が笑う。
実際、そういうレベルなんだよね。
もともと『LIO』のプレイヤーとして、スポーツ選手は想定されていない。僕みたいな運動もしてない普通の人ってのが基準だ。
だから僕はプレイヤーとしてとくに劣っているというわけじゃなくて、クシュリナーダがずば抜けてすごかっただけ。
あれに追いつけるかっていうと、さすがにそれは不可能だ。
「まあ、体を鍛えること自体は悪いことじゃないわよ」
「たしかに」
「あたしの通ってるジムに、一緒に行く?」
「お。良いですね。でも、お高いんでしょう?」
「通販番組か」
笑いながら説明してくれる美月先輩。
週一回で、一ヶ月くらいお試しで通えるコースもあるそうだ。
というのも、ジム通いってのはけっこうハードルが高いらしい。
「毎日欠かさず運動している人で、ようやくジムに通うのも視野に入れて良いかなってレベル」
「まじすか」
「すぐに行かなくなるのよ」
肩をすくめてみせる。
一回二回いったら、満足してもういかなくなる。
そういうものらしい。
下手をしたら、トレーニングウェアを揃えただけで満足してしまう人もいるとか。
三日坊主にすら届いてない。
なんか僕も、すぐそうなりそう。
だから、まずは週に一回だけ、一ヶ月ほど通ってみるってのが現実的らしい。
続くかどうか、自分で判断しましょうってこと。
「まして裕也くんみたいに、目的がゲームだったら、続くかどうか」
ひどい言われようです。
「ちなみに先輩は、なんでジムに通ってるんです?」
「ダイエットよ」
「は? どこにそんな必要が?」
思わず素で返しちゃった。
だって、ものすごいナイスバディで、むしろもうちょっと肉があっても良いくらいだ。
「ゆーて、二十五を過ぎるといろいろ気になるのよ。お腹周りとか」
「いやいや。美月先輩のスタイルに文句をいうやつがいたら、僕の前に連れてきてくださいよ。説教してやりますって」
ふんすと鼻息を荒くする。
美月先輩が半笑いを浮かべた。
「こんな時間からなにしてるの? 兄さん」
早朝、玄関先で運動靴の紐を調整していると、亜里砂に見つかってしまった。
目ざといやつめ。
「ジョギングでもしようと思ってね」
仕方なく振り返ると、なんと妹もまたトレーニングウェアを着こんでいる。
「なんでそんな格好してんだ? コスプレか? 亜里砂」
質問した瞬間、すいと目を細めた暴力妹に蹴られた。
げしっと。
「ウチは毎朝走ってる。出勤時間ぎりぎりまで寝てるのは、どこのどいつだ。このバカ兄貴」
おうふ。
「知らなかった……」
「そりゃ寝てるからだろ」
まったくである。
なんと亜里砂は、毎朝毎朝、早朝ランニングをしているらしい。
体力作りの一環として。
けっこうハードな部活なんだなあ。
「真剣にやってるスポーツに、大変でないものなんかないわよ。兄さん」
「たしかに。これは一本とられたね」
じつはスポーツだけではない。
仕事でも芸事でも同じだ。
真剣に挑めば挑むほど、その道は険しくなってゆく。
趣味ていどに、片手間にやるなら、どんなものだってラクなのである。
そして片手間では、絶対に一人前にも一流にもなれない。
たとえば『LIO』のシナリオを担当してる聖が、あれほどの物語を紡げるようになるまでに積んできた研鑽は、並大抵のものではないだろう。
つまり、やっぱり僕は甘かったってことだ。
まともに身体を鍛えたことすらないようなオタクがVR世界で無双する。なんてものを漠然と考えてしまった。
んなわきゃーない。
ちゃんと努力しているやつより、そうじゃないやつが勝るなんてことがあるわけがないのだ。
「一緒に走らないか? 亜里砂」
笑いかける。
「いいけど、兄さんついてこれるかしら?」
「お手柔らかに頼むよ。僕は初日なんだからさ」
「無理はしないでね?」
「ああ。ダメそうなら置いていってくれてかまわないよ」
わいのわいのと騒ぎなら家を出る。
太陽がのぼり始める直前の朝の空気は澄んで、大都市東京とは思えないくらいの爽やかさだ。
「軽く流しながらいくわよ」
「了解」
滑るように走り出す妹についてゆく。
そんなにペースをあげないでくれているようだ。
やさしいなあ。
「ちなみに亜里砂は、毎朝どのくらい走ってるんだ?」
「たいしたことないわ。四キロくらいだもの」
「……帰りたくなってきた」
「弱っ!? まだ百メートルも走ってないのに!?」
たったったっ、と、規則正しいリズムが足元から聞こえる。
なんか心地良いね。
「で、なんで突然運動しようなんて思ったわけ?」
「僕よりずっと強い戦士に出会ったんだよ。『LIO』でね」
昨日の出来事をかいつまんで話す。
結局、ちゃんと体を鍛えてるやつの方が強いんだと思い知らされた、と。
「気にすることないと思うけどな」
小首をかしげる亜里砂。
美月先輩と同じ反応である。
うん。
たぶんそっちの反応の方が正しいんだろう。
だって『LIO』はゲームだもの。
必死になってやるようなものじゃない。
「うまく言葉にできないんだけどさ、当たり前のことに気付いたっていうのかな?」
「なにそれ?」
「だから、うまく言葉にできないって言っただろ」
ちょっとだけ、ほんの少しだけ、自分のできることを増やしてみようと思ったんだ。
なりたい自分があるわけじゃないけど。
それでも、僕は頑張ってるよって自分自身にいえるように。
「ふーん」
なぜかにやにやと笑う亜里砂。
「なんだよ」
「いつまで続くかなって」
「う。三日坊主にならんように気をつけます」
くっそう。
ここも美月先輩と同じ反応かよ。
僕って信用なさすぎじゃない?
「それに、日曜日のドライブ、筋肉痛で動けないなんて話にならないでよ。お爺ちゃん」
だれが爺ちゃんか。
「鋭意努力するよ」
僕はランニングしながら、器用に肩をすくめてみせた。
ちょーっとだけ、息が上がってきたかなー。




