憂いの金髪剣士編 3
ホースから迸る水流が車体にぶつかってはじけ、きらきらと夕日を照り返す。
ワックスをかけたばかりの白銀のボディは、まるで新車の輝きだ。
「そこまでいうとさすがに嘘かっ」
自分で自分につっこんだりして。
僕の愛車は、二年前に買ったありふれた国産電気自動車である。
一応は新車で購入したんだけどね。
さすがに二年も経つと、ちょびっとはくすんだ印象になってしまう。
洗車中です。
土曜日にそなえて。
政治家の秘書をやってる人も、代議士を乗せる前には洗車を欠かさないという。
まあ、政治家に限らず他人様を招くんだから、事前に掃除するのは当然だよね。
車でも家でも。
ありのままの自分を見て欲しいってのは、最低限の礼儀も守らないって意味ではまったくないのである。
「初夏の夕暮れ、鼻歌まじりに車を洗う男。妖怪洗車小僧ってところね」
「だれが洗車小僧やねん。そもそもそんな妖怪は知らないよ」
かかった声に振り向けば、制服姿の亜里砂が立っていた。
やたらでっかいバッグを持っているのは、部活帰りなのだろう。
つーか、こいつってなんの部活やってるんだ?
「ただいま。兄さん」
「おかえりー」
妹の笑顔に手を振り返す。
妖怪うんぬんについては、華麗にスルーである。
仕方ないね。
意味のある会話ではないからね。
「なんでこんな時間に洗車してるの? 休みの日にやればいいじゃない」
しごく当然の質問だ。
仕事から帰って、まずは洗車するとか、どんだけ洗車好きなんだって話である。
「聞くも涙、語るも涙の、たいして深くもない事情があるですよ。奥さん」
「ほうほう。言ってみなさいな。八っつぁん」
八っつぁんとは誰だろう?
伝説の勇者とか、そういう人だろうか。
相棒は、きっと熊さんだ。
ともかく、僕は亜里砂に事情を説明する。
美月先輩の機嫌をとるために横浜の中華街までいくってね。
妹の眉が視認できるぎりぎりの範囲でぴくりとあがる。
怒った?
なんで?
「そつなくドライブデートを引き出すとは……なんという手練手管……」
またなんかぶつぶつ言ってるし。
だから、聞こえるように言いなさいって。
こっちは水使ってるんだから、大きな声じゃないときこえないんだよ。
「なんだって?」
「ウチも兄さんとドライブがしたいなー なんて」
不機嫌から一転。
にぱっと笑う。
やれやれ。まだまだ甘えたい年頃か。
兄貴とドライブなんかするより、クラスメイトと遊ぶ方が楽しいと思うけどね。
なんて思いつつも、兄さんの服と一緒に洗濯しないでーなんて言われるようになったら、大変に悲しむんだろうけどね。僕は。
ああ。妹よ。まだ反抗期にはならないでくれ。
「日曜日ならいいぞ。いきたいとこあるかい?」
「やった! 奥多摩いこうよ。奥多摩」
ぴょん、と、跳ねて喜びを表現する亜里砂。
東京からだと二時間弱といったところかな。
鍾乳洞とか湖とか滝とか、けっこう見所も多いし、なかなか風情のある日帰り温泉もあったはず。
なんだかデートコースみたいな感じになってしまうけど、たまには妹孝行も悪くないだろう。
「うん。良いんじゃないかな」
「OK。ウチお弁当つくるね!」
「え?」
「おいこらてめえ。なんで固まった」
「いやだってお前、料理なんかできたっけ?」
「できるよ! 毎日自分のお弁当作ってるよ!」
腰に手を当てて憤慨してる。
なんてこった。
我が妹に、そんなスーパースキルがあったとは。
「そっか。なら期待しちゃおうかな」
「まかせなさーい」
どんと胸を叩く。
豊かな胸がぷるんと揺れた。目の毒である。
まあ身体はでかくなっても、中身はぜんぜん子供なんだけどね。
「楽しみにしてるよ」
「……なるほどね。搦め手は効果が薄くて、ストレートにぐいっと踏み込む方が良いんだ。ある意味で判りやすいけど……」
なんかまたぶつぶつ言ってる。
搦め手? 踏み込み?
武道かな?
「なんの話だい? 亜里砂」
「ん? 部活の話よ。部活の」
にっこりと笑う。
ううむ。
本当に、こいつはいったい、なんの部活をやってるんだ?
風に揺れる短い金髪。
瞳は青で、すらりと背が高く、腰には長剣。
放浪の剣士ニルス。
それが僕だ。
『うっわ……』
「……なにがうっわなのか、ちょっと説明してくれたまえ。神代くん」
姿を変え、ふたたび『LIO』の世界に降り立った僕に、叶恵から最初に投げかけられた言葉が、うっわだった。
どういうことなの。
『いや、だって、そんなベッタベタな』
「ベタベタじゃない。王道と言って欲しいね」
金髪碧眼の戦士なんて、むちゃくちゃ格好いいじゃないですか。
やっぱり主人公はこうあるべきだと思うわけですよ。
ファンタジー的な世界においては。
だいぶ現代が混じっちゃってるけどね。
『本当にサッポロスタートでいいんですね? 鏑木さん』
確認するように叶恵が言った。
「夏といえば北海道だからね」
今回のスタート地点の話である。
魔法少女のときはトウキョウからの開始だったが、べつにどこから始めても有利不利は存在しない。
『ゲーム内に気温差はありませんけど』
「気分の問題だよ」
じっさい、『LIO』の中においてプレイヤーが暑いとか寒いとか感じることはない。
これにはちゃんとした理由があって、現実の室温に対する感覚が優先されないと大事故に繋がってしまう可能性があるからだ。
たとえばいま、『LIO』のなかでニルスはサッポロにいるわけだけど、現実の僕は東京にいる。
気温でいえば、北海道と関東はかるく十度くらい違うんだ。
会社内はちゃんと空調が効いていて快適にプレイできるが、誰も彼もがそういう環境で遊ぶわけじゃない。
蒸し風呂みたいなところでやってる人もいるかもしれない。
そんな場所で熱中症になってるのに、頭の中は北海道の涼しさを感じていたらどうなってしまうかって話だね。
最悪の場合は死んでしまうだろう。
だから『LIO』では、温度に関する情報が脳に送られることはない。
プレイヤー自身のメディカルコンディションは、常に端末腕環がチェックしていて、その情報は逐一ヘッドギアに送られるから、熱中症の危険があったらすぐにゲームは強制終了である。
もちろんそれ以外の肉体的な異常も一緒。
夢中になりすぎて飲まず食わずでプレイし、餓死しちゃう、なーんてことは起きない設計になってるのさ。
「ものくらい食べれても良いとは思うけどね」
『味覚情報も送れるんですけど、やっぱり飲まず食わずの人が出る可能性が考慮されました』
僕が魔法少女だったときに提案した、お酒を出すのはどうかと思うって意見が採用され、いっさい飲食物は登場しない仕様になった。
もう酒場とかに入っても、なにも注文できない。
完全にフレーバーである。
雰囲気を味わうだけだ。
これはこれでさみしい。
「ゲームの中で、サッポロラーメン食べてみたかったね」
味噌バターコーンとか、そういうやつ。
『金髪剣士がラーメンをすすってる図は、シュールすぎますよ』
「たしかに」
ライラックの花が咲くサッポロの街を歩く。
きれいな街だねー。
『ミキシングの影響が少ない方、という設定ですから、そんなに荒廃もしてませんしね』
「たしかに、道行く人々の顔も明るいね」
さて、この街ではどんな物語が待っているのかな。
期待しながらくぐるのは、賞金稼ぎ互助組合の扉だ。
これはどこの街にもあって、プレイヤーは仕事の依頼を受けることができる。
いわゆるギルドみたいなものだ。
都市間の通信・連絡手段が限定されてしまっている『LIO』の世界観において、いささか都合の良い設定ではあるけど、こういうのがないと不便だからね。
「若いの。腕っ節が強そうだな」
いかにもベテラン賞金稼ぎって感じの大男が話しかけてきた。
そらきた。
冒険の幕があがるぞ。




