本語り1
出会いは一期一会、という言葉がある。
多くの場合は、出逢いに対する感謝もしくは大切さを謳っているが、必ずしも肯定的な意味合いばかりを示す訳ではない。
例えば相手が、犯罪者だったらどうだろう。
例えば相手が、得体の知れない怪異だったらどうだろう。
人はその出逢いに感謝もしくは大切にしたいと思うのだろうか。否、自身の運命を呪いたくなる程に憎む筈だ。
しかし、それもまた一期一会。
出逢いは一瞬であり、二度と訪れることはない。
それは、どんな出逢いであろうと、きっと同等の意味を持つものなのだろう。
「あなたと出会ったのはいつ頃だったっけ?あれは確か、私の学校で……」
「干渉に浸っている暇があったら仮面を着けろ」
公園のベンチで寝転がる少女の顔面に、甲斐原獅文は真上から叩き付けるように魔法少女の仮面を被せる。
少し強かったのか、少女は跳ねるように起き上がると鼻辺りを押さえながら文句を垂れ流した。
「はみゅっ!も~、乱暴は良くないと思うんだけどぉ!折角のデートなんだし、男性の方からもっと優しくリードして欲しいなぁ」
「おい、デートとはなんだ、デートとは。勝手に付いてきておいて、勝手なことを」
今回、駅前通りの路地裏で奇妙な事件が起こったと耳にした獅文は、隣町にまで足を運ぶことに。
特に確信がある訳ではないが……彼はこの世界に、人智の及ばない、人ならざる者たちが存在していることだけは知っていた。故に、『奇妙』と呼称された時点で、何らかの形でそれらが関わっている可能性がある……そんな仮説に至ったのである。
彼の目の前で仮面を被り直す少女、空野千流もその中の一人だ。
彼女は身体を両手で包むように回し、全身をくねらせながら、訳の分からないことを妄言し始めた。
「男は瑞々しい女の身体の前には逆らえないものだよねぇ、ハッ!まさか、ここまま然り気無く無垢な少女をラブホテルに連れ込んで脅す為に服を剥いで裸体を撮影するつもりか……この変態さんめぇ!」
「よくもまぁそんな口が回る……人聞きの悪いことをそんな楽しそうに言うな」
千流は仮にも中学生であり、獅文は成人しているものの見た目はだいぶ大人びている。
傍から見れば、小さい子を連れ回している悪い大人の様で……きっと、誰から見ても同じだったのだろう。
彼が後ろから肩を叩かれるまでは、そんなに時間は掛からなかった。
「ちょっとあなた、少し良いですか?」
獅文が一瞬身体を震わせて振り返ってみれば、そこに立っていたのは……一人の警察官。明らかに警戒した様子で彼のことをみつめている。
悪いことをした覚えはない。
しかし、ベンチに腰掛けて、ジッと警察官を見上げている千流の姿を見て直感した。
ヤられる、と。
「いや、ちょっと待っ……」
「やだ……酷いこと、しないで……お巡りさん、助けてぇ……」
この人外マジで……。
突然、怯えた様な口調で、身を震わせながらそそくさと警察官の後ろに隠れ始めた。
当人たちからすれば、ただのふざけ半分の冗談事だ。
しかし、そんな事情も知らない警察官から見たらどう思うか。
中学生を襲おうとしている暴漢が、必死に言い訳をしている図にしかならない。
「いや、誤解だ。これはこの少女が勝手に言っているだけであって……」
「署までご同行願えますか?」
そういって、警察官は千流を庇いながら、獅文の腕を引っ張る手に力を込め始めた。
やたらと反抗する訳にもいかず、弁明を口にしながら、ズルズルと引きずられていくと……その様を見ていた千流が、離れたところで口元を押さえながら、ボソリと一言。
「ふふっ、きひはははっ……マジ哀れ」
「洒落にならんわァっ!!」
彼らは決して、その出逢いを誇ったりはしないだろう。
自らの命が尽きる時まで、出逢いと己の運命を呪い続けるだろう。
それでも、彼らは歩むことを辞めない。
この出逢いの意味を、何処かの未来へ見出だす為に。
─※─※─※─※─※─※─※─※─※─※─
「本当にこの寺に、その当事者が居るのか?」
所属の探偵事務所に連絡し、何とかして身の潔白を証明した後のこと。
『日向寺』と大きな看板が掛けられた山門をくぐり、独特の雰囲気がある境内を、千流と並んで奥へと進んでいく。
「さぁ?でも、確かに路地裏で男子高校生たちを殺した女の子は、この寺に帰っていったよ?ね、私も一緒に来て正解だったでしょ?」
「調子づくな」
「みゃっ!い~た~い~!ふふっ」
相変わらず楽しそうに言う千流を小突きながら溜め息を吐くと、奥の本堂らしき建物から、やたらと華やかな着物を来た女性が出てきた……何故か、その手に物騒な刀を握りながら。
彼女は獅門たちの存在に気付くと、軽く手を振りながら歩み寄ってきた。
「……ん?おや、参拝者かい?」
「あ、失礼する。俺の名は、甲斐原獅文。ここの住職、の方ですか?少しお話を伺いたいのだが」
獅門が会釈しながら挨拶をすると、住職にしては派手な格好をした女性は、彼と千流を代わる代わる見てから、何かを納得したように頷く。
そして、何故か刀の柄に手を添えながら、穏やかな笑顔でこう返すのだった。
「私は日陰舘麗衣。話だったら、“そちらの少女”に尋ねたらどうだい?《怪者》関連ならば、当事者の方が詳しいだろう?」
「……!」
不意打ちにしては、衝撃的な発言だった。
心臓を握り締められたような感覚が、獅門の顔を強張らす。
客観的に考えてみれば、魔法少女の仮面を被ったまま出歩くセーラー服の少女なんて、確かに妙な格好をしていると言える。しかし、それを超越して、いきなり《怪者》の正体を見破るだなんて……明らかに、普通の感性ではない。
しかし、当の本人である千流は、特に驚いた様子もなく、まるで状況を楽しむように身体を左右に揺らしていた。
「へぇ……あなたも、ある程度『こっち側』に精通しているんだねぇ。その刀は、さしずめ護身用?いや、でも、それにしては……“適し過ぎている”ような……」
「余計な詮索は無用だよ、《怪者》。“斬られたい”のかい?」
「ふぅん?“斬れるものなら斬ってみれば”?」
両者の間で、不気味な火花が迸る。
真っ向から対峙するというよりは、互いの思考を探り合うような……ネットリしていて、不愉快極まりない感覚。
獅門は二人の妙な気迫に割って入るように、千流へと戒める言葉を投げ掛けた。
「おい、千流」
「ふふっ、部外者なのは私だけみたい。ここは人間同士で仲良くやってどぉぞ。それじゃ、オジちゃん。また後でねぇ」
そう言って、千流はヒラヒラと手を振りながら、スキップ混じりの足取りで境内から歩み去っていった。
獅門は短く息を吐いてから、麗衣に向けて改めて頭を下げる。
「すまない、気を悪くしたのならば謝る。だから、頼むからその刀に掛けた手を下ろしてくれないか?」
怒りを買って、刀の錆びになるのは御免だ。
獅門の誠心誠意の態度が幸を奏したか、麗衣は小さく首を振りながら刀の柄から手を離した。
「いいや。まぁ、少し驚いたのは事実だけどね。まさか、《怪者》と親しげに話す人が居るとは思わなかったからさ」
「ふむ、まぁ……だが、それは君も同じなのでは?」
同じ《怪者》がここに帰って来た上に、それの存在を認知している時点で、少なくとも麗衣はそれと友好的な関係を築きつつある、と推測出来る。
ならば、麗衣自身も他人から見れば、充分に異常な境遇にあると言って間違いないだろうが……彼女は一度ニヤリと笑うと、こんな言葉を返した。
「そう思うかい?」
「ん?違うのか?」
「答える義理は無いね。だけど、そうだな……もし、萠志のことが気になるのならば、本人に直接聞いてみると良い。彼女のことを一番知っているのは、他でもない彼女自身だからね」
隠すつもりは更々ない、ということだろうか。
こうもアッサリと、当人の名前と、その人物との交流を認めるとは……少しだけ何らかの違和感を抱かずにはいられないが、その真意を見抜く術は、今の彼には無い。
「萠志……それが、君の匿う《怪者》の名前か……君は、何故その子を?」
「匿うとは、物々しい言い方だね。私たちに難しい関係性はない。ただ、一緒に暮らしているだけさ」
「一緒に、か……人のことを物珍しげに見ている割には、君も相当珍しい人種のようだ」
「同種、か。だけど、不思議だね?君とは────あまり仲良くやれそうがない」
断定したような発言に、一瞬だけ獅門は言葉を失う。
別にショックを受けた訳ではない。
もしくは疎外感を抱いた訳ではない。
ただ、麗衣の発言に、“納得してしまった”。
「……俺の中に、何を見た?」
「そもそも私たちは、誰かと馴れ合う人種じゃない。強すぎる信念は他者を受け入れることは無く、理解の外で孤独に死んでいく。だけど、孤独は悲しい、という認識は人の偏見さ。中には、それを強く望む者もいる」
人とは、千差万別。
馴れ合いを望む者もいれば、孤独を望む者もいる。そこに意味を見出だすのはあくまでも当人次第。少なくとも、部外者が批判するような余地はないものだ。
しかし、人は必要以上にそこへ漬け込もうとする。
正義を振りかざす者もいれば、お節介をかます者もいる。人は一人では生きられないという理由を正当化して、終いにはそれを人間の常識と化してしまった。
故に、常識という枠組みから逸脱した者たちは、この世界では限りなく生き辛い。
結局のところ、彼らも自分を殺して常識に付き従っていなければ、生きることは出来ないのだから。
ある意味で、人間という枠組みは、人間という生物が作り出した牢獄そのものなのかもしれない。
「……俺たちは、誰かに理解される為に生きている訳ではない。この世界でなら、尚更だ」
だが、彼らは少しだけ違う。
生きる為とか、残す為とか、理解される為とか、そういう普遍的な思想を持っている訳ではない。
だからこそ、共感できる。
だけど、干渉したりはしない。
それが彼らにとって、ただの障害にしかならないと分かっているから。
「ふふっ。世間的に言えば、ただのいきがってる餓鬼だけどね。同種として、君はそれとはちょっと違うってことを保証してあげるよ」
「それは有り難いが、結局のところは意味を成さない。だから、余計なお世話だ」
獅門の発言に、麗衣は少し視線を落としつつ、小さく頷きながら笑みを溢した。
「それはそれは……そうか。なら……もう二度とここには戻ってくるなよ?君の還る場所は、天国じゃないんだろう?」
「……あぁ。そう、だな」
「ん。それじゃ、はい」
すると、麗衣は満面の笑みを浮かべながら、獅門に向かって手を差し出してきた。
彼はそれと彼女の顔を代わる代わる見ながら、全く理解できないと言いたげに首を傾げる。
「……ん?はい、とは?」
「何を惚けているんだい。お布施だよ、お布施。悩みの相談に乗ってやったのだから、ちゃんと見返りは払って貰わないと。今回はとっても縁起の良い数字ってことで、五百五万五百七十五円。きっちり払って行ってね?」
「ぼったくり寺院だと!?請求金額が遥か彼方へとぶっ飛んでいるぞッ!?」
しかも、五百五万五百七十五円とは……一体、何処から生まれた数字なのか。
麗衣が言うにはとっても縁起の良い数字、ということらしいが……五円、十一円、二十円、二十五円……さて、どんな計算をしたら、こんなにも馬鹿げた金額が算出されるのだろう。
「はぁ、分かった。後程振り込んでおこう」
「…………あれだね、君、苦労人って奴だね」
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その日は、偶々コンビニで立ち読みしている萠志に気付いて、誠志郎の方から声を掛けた。
それから彼女の隣で一緒に立ち読みを始めたのだが、彼女は漫画雑誌を熟読したり、週刊雑誌を軽く見通したり、ファッション誌を手に取って直ぐに戻したり等……何が見たいのか、イマイチ要領を得ない雰囲気だ。
そこへ、彼女が腕に掛けている安物なビニール傘が目に入った。
「今日は雨降ってないのに、何でビニール傘を持ち歩いているの?」
思い返せば、今日は朝から快晴だった気がする。雨が降らなければただの荷物でしかない傘を、わざわざ持ち歩く意味はないと思うが……。
「あぁ、それは……」
萠志が顔を上げてからビニール傘に視線を落としたところで。
コンビニの自動ドアが開いて、いきなりテンプレ染みた古臭い怒号が響き渡ってきた。
「オォイオイオイオイッ!!退けやテメェら俺様のお通りだッ!!」
そちらへ目を向けてみれば、誠志郎たちよりも遥かに高身長で、化け物と見違う程にがたいが良く、強面な大男が立っていた。
彼は周りを気遣う様子も無く、わざと大股で店内を回り始める。
「……うるせぇな」
「あの男……腕っぷしが強いってことで有名な不良だ。なんでも、武器を持ったヤクザ複数人を相手に、素手で皆殺しにしたって噂」
真偽のほどは不明だが、あの化け物染みた外見を見れば、そんな噂でさえも信じてしまうのは無理もないだろう。
現に、明らかな営業妨害を起こす彼を前にしても、店員は怯えた様子で何も言わないし、客も極力目を合わせないようにしながら早足で店から去っていく。
そんな中、一組の若いカップルが、彼の腕にぶつかってしまった。
「テメェ、どこ見て歩いてんだァ!?あァッ!?」
「す、すみません、すみません……っ」
二人は顔を真っ青にして頭を下げながら、その場から逃げ出す。
例え彼女の前でも、この大男の前では格好つけることすら出来やしない。喧嘩なんてしようものならば、絶対に殴り殺される。恐怖を通り越して、命の危機すら感じさせる、圧倒的な力の根元だ。
「……お前さっき、何で私がビニール傘を持ち歩いているのか、って聞いたな?」
「え?ま、まぁ、うん」
唐突に話を盛り返す萠志に驚きつつ、彼女に視線を向けると……既に彼女は雑誌を置いて、ビニール傘を片手に大男を睨んでいた。
すると、ドリンクコーナーの中を物色する大男へと足を向ける。
「安価で、振り易いからだよ」
「え、え!?ちょ、日那谷さん!?」
嫌な予感がして慌てて彼女を呼び止めるが、最早聞く耳を持たなかった。
微塵も困惑した素振りを見せないまま、堂々とした足取りで大男の近くまで歩み寄っていくと……。
「あ?何だおまっ」
一閃。
体格差はまさに天と地の差。
大男と比べると遥かに小柄で細身である萠志の、横に薙ぎったビニール傘は、彼の顔面を捉え……。
「────私の進路を塞ぐな、退いてろデカブツ」
後方のカップラーメンが陳列する棚へ、殴り飛ばしたのだ。
大男が棚に直撃すると、カップラーメンが華麗に宙を舞う。
大男は鼻血を出しながら前のめりに倒れ伏せる。
更に、そこへ追い討ちを掛けるように、後ろの棚が倒れ、そのまま彼を押し潰してしまった。
一切の気遣いすらない容赦のない一撃を加えながらも、萠志は何でもない様子で手を払う。そのまま脇のドリンクコーナーからコーラを取り、レジへと行ってしまった。
「な、何者なんだろ……日那谷さんって……」
棚に押し潰されて泡を吐いている大男の安否を案じながらも、誠志郎は逃げるように萠志の後を追うのだった。
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例え、理解の及ばないような不可解な現象であったとしても、人間と呼ばれる生物は、長い期間を掛けてでも必ずその正体を解明させる。
人体、科学、天文……かつての時代では魔法や神秘と呼ばれた現象も、今ではただの常識。
現に、《怪者》と称される者たちを認知して、その正体に手を掛けようとする人間も現れ始めた。
いずれ、彼らが自らの枠組みから脱却して、新たなる世界へ繰り出せるようになるのも、時間の問題かも知れない。
「……人って、本当に賢い生き物だよなぁ」
空野千流は、公園のブランコを揺らしながら、痛感するように呟いた。
彼女は────彼らの始まりを知っている。
正確には、“人間を始まらせた存在”の正体を目の当たりにしたことがある。“あれ”は確かに、常軌を逸していた。“あれ”が始まりだと言うのならば、人間たちの高度的成長にも説明がつくものだろう。
しかし、この世界には一切関係がないことだ。
少なくとも、《怪者》である自分たちが気にしても仕方がないだろう。
「日那谷さん。あれ、何というか……流石にやり過ぎじゃないの?」
公園前にあるコンビニの自動ドアが開いて、何やら困惑したような声を挙げる少年と、無気力そうな表情をした少女が中から出てきた。
「やり過ぎってなんだ?あいつの態度は如何にも、猿山のボスって感じだった。だから引きずり落としてやっただけだ。傲慢をも踏み潰す力を持ってしてな」
つまり、自業自得。
自身の行いには必ず報いがある、という言葉を体現したような言い方だ。なるほど。
そう言えばほんの数分前にやたらとがたいの良い大男が入っていったが……もしかして、あの少女は……。
「行き付けかなぁ?ふふっ、良い情報手に入れちゃった」
そして、翌日。
日那谷萠志のことを聞いた獅門は、彼女に接触して駅前通りの事件について問い詰めるのだが……それは結局、無駄足で終わりを迎えることになった。
ただ、一つ。
唯一部外者だと思われた少年を、覚醒させる手助けをすることになるとは……この時は、誰一人として予想だにしていなかったである。