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【空野千流は笑う】 前語り


「いつもあんな顔して笑ってるよね」

「正直、キモくない?」


 波誠なみじょう第三中学校、三年生の教室。

 女子中学生たちが、教室の窓際席に座るクラスメイトを横目で睨みながら、小声で陰口を溢す。

 その視線の先に居るのは、一人の小柄な女子中学生。

 一見すると物静かな性格をしているようが、授業中でも、休み時間でも、常に窓の外を眺め見ながら、ニコニコと笑っている。

 例え、先生に怒られようが、クラスメイトから話しかけられようが、彼女は微塵にも反応を返すことなく、ずっと空の向こうへと笑顔を向け続けているのだ。

 あまりにも奇妙な様子に、先生も注意を促すことすら辞め、生徒たちも遠慮なしに陰口を垂れ流す。終いには、学校の七不思議『笑う女』と呼称され、次第には奇怪なモノを見る目で、彼女を軽蔑するようになっていた。

 そんな中。

 一人の男子中学生が、ほんの好奇心から彼女に声を掛ける。


「あの、何を見ているの?」


 誰かに命令されたとか、罰ゲームの一環だとか、そういう強制的なものではなくて、彼の心にあったのは純粋な興味だけ。

 しかしながら、当然、他の人と同じように無視されるに決まっている。

 これまでも何人ものクラスメイトが彼女に話し掛けては反応すら貰えず、諦めて落胆するというパターンが定着していた。

 きっと、今回も同じだろう。

 その程度の認識しかなかったのかもしれない。


「ねぇねぇ、あなた」

「え」

「────私、魅力的?」


 故に、衝撃だった。

 初めて、彼女は窓の外から目を離し、少年に向けて穏やかな笑顔を向けながら、そう問い掛けてきたからだ。

 あまりにも唐突な急展開に、少年は顔を真っ赤にして動揺しながら、目を泳がせつつ小さく頷いていた。


「う、うん。えっ、と……綺麗というか……うん、とっても、魅力的」

「えへへ、嬉しいなぁ。ありがと!」


 しかも、とにかく可愛らしい。

 面と向き合って話してみれば、その整った顔も、穏やかながらも無邪気な口調も、宝石のように輝く可憐さが、彼女を形作っているように見える。

 その後しばらくの間、二人は談笑していた。

 学校のこと、勉強のこと、それ以外の世間話まで。彼女は何に関しても楽しく話し、そしてよく笑う。

 少年にとって、それはまさに至福の時だった。

 まさか、クラスメイトに気味悪がれている少女が、こんなにも可愛らしくて楽しい人柄の人物だなんて、考えもしなかったから。


「何で、そんな楽しそうに笑うの?」


 ある日の放課後。

 少年は彼女と共に帰路に付き、然り気無くそんなことを尋ねてみる。

 すると、彼女は自身の胸に手を当てて、染々とした口調でこう答えた。


「人が心の底から笑う時はね?笑顔に心の姿が写し出されるんだよ。笑顔はその人の心そのもの。人が笑顔と笑顔で会話をするのは、心と心が通じあっているってこと。それって、とても素敵なことだと思わない?」


 中には、話を合わせる為の作り笑いもあるだろう。中には、業務上における社交的な笑顔もあるだろう。

 人に笑顔は、標準搭載されている。

 人は笑顔を見るだけで、心穏やかになる。

 だから、それを当然と称して、仕事にまで利用しようとする輩は、沢山居るだろう。それが分かっているからこそ、人々は笑顔を浮かべる時にまで、他人を気遣わなくてはならなくなっていた。

 だけど、もし世界中の人々が、彼女のように素敵な考え方を持つことが出来れば……少なくとも、笑う時まで他人を気遣う必要は無くなるかもしれない。


「へぇー。じゃあ、君はいつも幸せなんだね」

「うん!とっても幸せだよ!こうして、あなたに会うことが出来たから!」

「……っ!」


 突然の言葉に不意を突かれ、少年は顔を真っ赤にして彼女から目を逸らした。

 彼女は、純粋な子だ。

 別に疚しい気持ちがあるから、そう言った訳ではない、ということは分かっている。

 しかし、どんな理由があろうとも、出会いを喜ぶような言葉を投げ掛けられては、幸福を感じずにはいられない。


「あの、そう言えば……君の名前は?」

「私の名前?」

「あ、ご、ごめん!同じクラスなのにこんなこと聞いちゃって……!失礼だよね……ホントにごめん!」


 失礼な話だが、多分、クラスメイトの誰も少女の名前を知らない。

 気味悪がってという人が大半だろうが、実際、学校生活を送る上で、彼女の名前を耳にしたことが一度もなかったのである。多分普通に過ごしていては、今後も、名前を知る機会は二度と訪れることはないだろう。

 つまり、これは彼女との距離を縮める、最初で最後のチャンスとなるかもしれない。


「良いよ、気にしないで?じゃあ、教えてあげるから。ちゃんと覚えてね?」

「う、うん」

「私の戒名いめいは────■■■■■」

「……え?」


 絶対に聞き逃すまいと思って耳を澄ましていたにも関わらず、聞き取れなかった……いいや、“言葉が抜け落ちた”。

 それに、今彼女は……『名前』と言わず、『戒名』と口にしていたような……。


「じゃあ、私はここで」


 困惑する少年を放って、少女はヒラヒラと手を振りながら十字路を別の方向へ歩みだした。少年がもう一度聞き返そうとするが、勇気が湧かずに、俯き気味に溜め息を吐く。

 すると、少女はその場で振り返り、両手をメガホン代わりにして、声を張り上げていた。


「あなたも!とっても魅力的な笑顔をしているよ!」

「……!」


 自分の笑顔が魅力的だなんて、考えたことはなかった。果たして、一体どんなところが魅力的だと感じたのか……少年は、しばらくの間気付くことが出来ずにいたのだった。

 彼女と別れて、自宅のマンションに帰宅すると、ただいま、と口にしてリビングへと向かう。そして、魅力的だと褒められた顔を確かめる為に、壁に掛かっている鏡を見ながら、もう一度考えを巡らせた。

 そこで、彼は初めて気づいたのだ。

 あぁ、そうか。

 何であの子の笑顔が、とても魅力的に見えたのか……ようやく、分かった。


「僕がする笑顔と────同じ、だったんだ」


 そう呟きながら静かに振り返ると、彼は満面の笑みを浮かべていた。

 目の前に、全裸で両手両足を縛られ、恐怖にひきつった顔で涙を流す、愛しい母親と妹の哀れな姿を眺めながら────。


 ……。

 …………。

 ………………。


 翌日。

 一つのニュースがお茶の間を騒がす。

 とあるマンションの一室で────一家の変死体が見つかった、と。


「ふふっ、ご馳走様」


 人の世界で生きる人は、本音を制御される。社会や人の常識の下に自分を押し殺し、限りなく常識的な人間を心掛けて生きていく。そういった人こそが評価される。優秀な人であると称賛される。

 それが、人間社会だ。

 なんと、気の毒なことか。

 人間はもっと本能と欲望が示す限りに、本音を吐き出しながら生きるべきだ。

 そういった正直者が、彼女は大好きだった。

 そうやって現実と理想の区別が着かなくなって身を滅ぼす者が、彼女は大好物だった。


「ねぇねぇ、あなた」


 そいつの戒名は、■■■■■。

 そいつは、全てを笑って想いを踏みにじる。

 そいつは、全てを笑って現実を叩き付ける。

 そうやって、理想が現実を塗り潰し、本性をむき出しにして発狂する様を見て、また笑う。

 それが、彼女の至福だから。

 それが、彼女の存在意義だから。

 そして。


「────私、魅力的?」


 今日も、少女は笑う。

 己の笑顔に魅了された愚かで可哀想な者たちを────《嘲笑》うかのように。


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