本語り4
その日は平日の終わり、金曜日。
週の内の最後の学校生活が終わった後、萠志は少し上機嫌に鼻唄混じりでコンビニから出てきた。
料理は軽く嗜む程度だが、油料理等の手の掛かる物はあまり作る気になれない。故に最初から料理として完成されているホットメニューは、安価な上に手軽で、中々に魅力的な商品だ。
それ一つで充分に腹が膨れるし、何よりも美味しい。
学生が学校帰りに、思わず手を伸ばしたくなる気持ちは、痛いほどよく分かるものだ。
「少し奮発したかな、ホットチキン。まぁ、今日は給料日だし、たまには良いよね」
コンビニ袋の中にある大量のホットチキンの包みを見ながら、思わずといった様子で萠志の顔が緩む。
食事は、正義だ。
人の良し悪しに関わらず、幸福感だけを与えてくれる。
この気持ちは是非とも拡散すべきだ。帰ったら麗衣にもプレゼントしてあげるとしよう、一つだけ。
「コンビニのホットメニューは旨い。その気持ちは実に理解できる。俺も学生時代はお世話になったものだ。今も何ら変わりはないがな。ちなみに、オススメはフランクフルトだ」
「……それ、私に話し掛けてる?」
それは、いつの間にか隣に並んで立っていた、長身の男性。
深緑色のロングコートを身に纏い、顔を隠す為かサングラスを掛けている。全体的に細身のように感じるが、筋肉質な首元を見る限り、どうやら相当卓越した肉体の持ち主のようだ。
しかし、問題が一つ。
さも慣れ親しんだ様子で話し掛けてきているが……この男、知り合いではない。
「君を除いて、他に居るか?」
「知らない人には無闇に付いていかないように、って小学生でも知っている常識だ。そういう訳でさようなら、オジサン」
女子高生の輪辱、引ったくり、不審者……最近は随分と物騒になったものだ。
彼のことを見向きもせずに手を挙げ、早足でその場から立ち去ろうとすると、彼は慌てて後を追いかけてきた。
これは、挙動が完全に不審者である。
「ちょっと待て!別に怪しいものじゃない!それとオジサンとは聞き捨てならんぞ!?俺はまだ二十代だ!」
「一人芝居聞いている暇があったら、さっさと帰りたいんだけど」
流石に鬱陶しく感じて、ビニール傘を握る手に力を込めつつ、肩越しに彼の顔を睨み上げる。
すると、彼は両手を挙げながら、然り気無い口調でこう切り出したのだった。
「ならば、望み通り本題に入ろう。君────二日前に人を殺したな?」
「…………“何で”?」
それは、萠志が久しく感じていなかった……動揺だった。
彼女の発した、“何で”、には様々な意味合いが含まれている。
二日前……即ち、《孤永》で過ぎ去った筈の刻を、この男は認識していること。そして、その最中で元に戻る筈の人物が死んでしまっている、という事実だ。
「別に通報するつもりはない。恐らく、君たちには“それすらも意味を成さない”んだろう。どうだ?少し、話さないか?」
どちらも、“普通ならば起こり得ない現象”。
それが本人の知らない場所で起こるだなんて……明らかに異常だ。
故に、断る理由もない。
萠志は男が誘うがままに、彼の後を追うのだった。
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男の名前は、甲斐原獅文。
とある探偵事務所の助手として働きながら、独自に怪奇現象を調査しているらしい。その最中で、二日前の駅前通りで起こった殺人事件に白羽の矢が立った、ということだ。
話しによれば……乱闘でもあったのか、路地裏で倒れていた三人組の男子高生の内、一人が死亡していた。死因は恐らく、首元に空いた貫通穴。ナイフのような鋭利な物で貫かれたことによる出血死が有力だろう、と。
そして、ここから先が肝だ。
どうやら、その現場から逃げ出した人物がいた、という目撃証言を手に入れたらしい。
その人物こそが、日那谷萠志だと、獅文は主張する。
「……お前のでっち上げじゃないのか?(モクモク)」
萠志は余裕綽々と、ホットチキンを頬張りながら公園のベンチにもたれ掛かる。
「何故俺がそんなことをする必要が?ところで、そんなに沢山の持っているのなら、一つ譲ってくれないか?金は払う」
「一個一万円な?(ハフハフ)」
「守銭奴め、良い商売をする。受けとれ」
「払うのかよ、マジか……マジで?」
信じられないが……今回の買い物が一気に浮いた。
獅文が差し出した一万円札を手にして、萠志は衝撃を受けた顔をしながらも、ホットチキンを彼に手渡す。
すかさず、チキンを咥えたまま財布の中に一万円札をしまい、心の中でほくそ笑むのだった。
「これは、その筋では有力的な人物から得た情報だ。あの時、君は駅前通りに居て、三人組の内の一人を殺した……相違はあるか?」
チキンを口にしながら言う獅文に対して、萠志は空になったコンビニ袋を結びながら、こう断言する。
「違うね。というか、あり得ない」
「……やはり、随分とハッキリと言い切るのだな?」
「当然だ、違うんだから。“確かに私は全員を殺したけれど、誰一人として殺せない”。それは、私自身の手で下した事実……だから、間違いない」
萠志が殺した者たちは、零時を回った瞬間に元に戻る。
例の三人組の内、他の二人が健在であることを考えれば、それは明らかな事実だ。むしろ、彼女の手に掛かった上で、そのまま死を迎えたという男の方が不可解であると言えるだろう。
すると、獅文は頭に手を当てながら、呆れた様子で首を横に振っていた。
「……支離滅裂だ。頭が痛くなるな。そんな台詞で、誰かを信用させられると思っているのか?」
「信用なんざどうでも良い。そちらこそ────いい加減に知っていることを吐け」
「……何のことだ?」
萠志の意表を突く問い掛けに一瞬だけ言い淀んだ様子を見て、彼女は確信する。
この男……恐らく、“最初から全部分かっていて話している”、と。
「さっきお前、こう言っただろ?『その筋では有力的な人物から得た情報だ』って。その人物ってのは、誰のことだ?」
「……それを、知ってどうする?」
「仮に、お前の言っていることが全部正しいとすると……その人物の存在だけがあり得ないんだよ。だから直接問い詰める。“何故、見たことを覚えているのか”、ってな」
《孤永の怪》にいるのは、萠志ただ一人。
しかし、獅文の口にする人物は、明らかにとうの昔の過ぎ去った筈の、“日那谷萠志という存在が関わった出来事”を鮮明に覚えている。
十中八九────そいつはただの人間ではない。
彼女と同じ、人の形をして、人の世の中に溶け込んでいる……『異物』であるに違いないのだから。
「……ふむ。思った以上に聡明であるようだ、お前は。いや、“お前たち”は……と、言うべきか」
「……」
獅文がチキンの包み紙を丸めて、視線の先にあるゴミ箱へと投げ入れながら、感心したように言った。
そもそも、獅文が自らで今回の事件を『怪奇現象』と断定している時点で、殆ど結論は出ていた。
彼は最初からそれを、人ならざる者が関わっていると分かった上で話をしている。
しかも、ただの人でありながら、その人ならざる目撃者とも幾分かの交流があると見た。
萠志の立場でいう、日陰舘麗衣と同じように。
「察しの通り、俺はその目撃者が普通ではないことを知っている。だから、その発言がどれだけ支離滅裂であろうと、“そいつが言った通り”なのだということも、よく分かっている」
「一つ、認識を改めておく。どうやらお前はある程度『こちら側』に精通した、柔軟な思考の持ち主みたいだな」
萠志も手にしたコンビニ袋を放るように投げると、それは吸い込まれるようにゴミ箱の中へと落ちる。
彼女の発言に獅文は驚いた顔を浮かべるが、直ぐに元の表情に戻ると、両肘を膝の上に置き、前のめりの体勢で静かに警告した。
「光栄だな。それはともかく……悪いが、『奴』に会うのを薦めることは出来ない」
「何故?」
「人としての認識で言えば、火に油を放り投げるようなものだ。いや、現実的に考えて、果たしてその程度で済むのかどうか……どちらにせよ、お前たちはわざわざ対峙すべきじゃない。そうだろう────『怪者』たちよ」
分かったような口調で言うものだ。
しかし、生憎ながら、萠志でもそこまでのことは分からなかった。
実際、他の人ならざる者と接触したことは……今までに一度も無い。もしかしたら何処かですれ違っていたかも知れないが、例えそうでも、彼女は積極的に言葉を交わそうとはしなかっただろう。
答えは単純、興味がなかったからだ。
しかし、今回は話が違う。
そいつは、萠志の生活圏内に土足で足を踏み入れ、あろうことかそのバランスを打ち崩そうとしている。
「じゃあもう良い。自分の足で探すことにする」
対峙した結果、何が起ころうと知ったことではない。
今の萠志には、自身の生活圏を乱されることで生じた、苛立ちだけが渦巻いていた。
だから────思い知らせてやる。
その感情だけを胸にベンチから立ち上がろうとすると……尚も反抗的な顔を浮かべる獅文が、大きな手で、彼女の腕を鷲掴みにする。
「オイ、話を聞いていなかったのか?行かせるつもりは無い、そう言ったつもりだったが?」
「……邪魔するなよ」
萠志の鋭い目付きが獅文を捉え、ビニール傘を握る手に力が込められる。
それは、苛立ち。
これまでに何度も人間を擬似的に殺し続けてきた瞳が、獅文だけを見据えていた。
次の瞬間……。
「ちょっと!その人から手を離して下さい!」
「……!」
声、次に人影。
突然と視界に割り込んできた人物が獅文の腕を掴み、半ば無理矢理、萠志から引き離したのだ。
「な……っ!?誰だ、君は!?」
「この人のクラスメイトです!あまり、乱暴をしないで下さい!」
「お前は……」
彼は、武上誠志郎。
ただのクラスメイトであり、この場に居る中で誰よりも部外者である少年が、あろうことか人ならざる者を庇う為、そこに立っていたのだ。
当然、彼自身そんなことは微塵にも認識していないだろうが、萠志にとっては、驚く程に意外な乱入者だった。
「えっと、ごめん!名前……思い、出せないんだけど……!今の内に逃げて!」
変わらない。
所詮はただの人間である彼は、他の奴らと同等に萠志の名前を忘れて、また新たな萠志と出会う。未来永劫、彼らはそれに気付くことはないのだろう。こうしていずれは助けに入ったことすら忘れ、また明日になった同じ質問を繰り返す。
だから、萠志は何度でも同じ答えを返すのだ。
せめてこの一日だけは、その者の記憶に、彼女の存在が根付くように。
「……日那谷だよ。好意は、受け取っておく」
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萠志が走り去ってしまい、反抗する意味がなくなってしまった獅文は、溜め息混じりに全身の力を抜く。
そして、ある意味で人智を越えた修羅場の中に割り込んできた少年に敬意を込めて、降参するように片手を挙げていた。
「……ったく。オイ、君。分かった。分かったから、そろそろ手を離してくれ」
「え?」
誠志郎は面食らった様子で獅文の顔を見ていたが、手を出すつもりはないと受け取ったか、小さく頷いて、素直に彼から手を離した。
緊張が解けたように獅文は大きく息を吐き、脂汗の滲む額を拭いながら、ベンチに深くもたれ掛かる。
「ふぅ。それにしても、クラスメイト、か。君は彼女の名前を知らなかったようだが……何故、助けた?」
「何故って……日那谷さんが危ない目になっているのを黙って見過ごせなかったから、つい……」
世の中には、時々こういう人種が居るものだ。
気付いたらいつの間にか、助けていた。目の前で危ない目に遭っている人を、放っておけなかった……そんな自分すら制御出来ない意志に翻弄され、わざわざ危険の中に身を投じる者が。
結果、大抵の者は不幸を見る。
助けようとした人の代わりに犠牲となり、後悔の渦に呑み込まれて消えていく。
しかし。
中には、そんな不幸をも乗り越えて、新たな活路を開いてしまう者が居る。
ならば彼は、武上誠志郎はどちらなのか────粉うことなく、“前者”だろう。
獅文は彼の素性を確かめるように、このような質問を口にした。
「そうか……なら、もう一つ尋ねよう。君は────■■■■■、という戒名を聞いたことがあるか?」
「……っ!今、なんて……?」
一方、誠志郎は、電撃に身体を打たれたような感覚に陥っていた。
聞いているようでいつの間にか耳の中から消えている、その不気味な言葉。
そう、あれは日向寺の庫裏。
ほんの少しのアクセントの違いはあれど……何故か、日陰舘麗衣の口から聞いた言葉と、全く同じ感触だったからだ。
いや、だけど……。
そもそも、何故、そんな話題になったんだっけ……?