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本語り2


 この家屋は、『日向寺』と呼ばれる寺院の庫裏。普段は表側の寺院で法事等を執り行っており、その管理等も殆ど全て、住職一人でこなしているらしい。寺院というよりは、尼寺と称した方が正しいだろうか。

 萠志は学校が終わった後に、日向寺のバイトとして住職の手伝いをしており、週の殆どは日向寺で過ごしているのだとか。


「やぁ、お湯加減はどうだったかな?」


 住職の女性、日陰舘麗衣ひかげだて れいは、住職にしては華やかな着物を身に、何故か刀を携えて客室の間に入ってきた。

 彼女の厚意で檜風呂を堪能した誠志郎は、存分に身体を温めた後、貸してもらった紺色の浴衣と半纏を着て客室の間で寛いでいた。大雨が収まるまでと甘えることにしたものの、縁側の向こう側では一向に弱まる様子もなく地面を打ち付けている。

 今朝方の天気予報では、一日快晴という話だったが……。


「あ、日陰舘さん。とても良い湯でした。制服まで洗濯して貰っちゃって……なんとお礼を言えば良いか……」


 どちらにせよ、このままでは帰れない。

 そんな誠志郎に対して麗衣は、たまには賑やかなのも良い、と一晩泊めてくれることを了承してくれたのだ。


「いやいや、気にしなくても大丈夫だよ。それより、君に一つ聞きたいんだけれど……」

「はい?」

「君は────■■・■■■■という名を、知っているかい?」


 その瞬間、背筋を凄まじい悪寒が走る。

 たった今、麗衣が口にした言葉を……一体、どう表現したものか。

 彼女の言葉は、流暢だった。

 どんな言葉を口にするにしても、言い淀む気配は微塵にも見られない程だ。

 しかし。

 肝心の『何か』を尋ねた時、その『何か』だけが、そう────“聴覚から消えた”。


「…………え?な、なに、今、なんて?」


 まるで、幻覚。

 現実の景色を、影が覆うように。

 麗衣は間違いなくそれを口にしていたが、それは誠志郎の耳には届いていなかった。

 失礼に当たるだろうが、その不気味な違和感に答えを見出だすべく、もう一度麗衣の言葉に耳を傾けようとする。

 しかし、彼女は見限った様子で首を横に振ると、笑みを浮かべて直ぐに話題を切り替えた。


「ふむ。いいや、何でもない。今のは忘れてくれ。もうすぐ夕飯が出来るからね。君も食べていくと良い」

「え、えぇ!?そ、そんな、流石に悪いですよ!」


 お風呂や寝床だけでなく、食事までご馳走になるのは図々しいのではないだろうか。

 誠志郎は大慌てで両手を振りながら断りの言葉を入れようとした……その時。

 再び客室の間が開き、萠志が姿を現した。

 アイスを口に咥え、風呂上がりの様子でタオル一枚を肩に掛け、その華奢な白い肌を露見した状態で。


「ふはぁ……ん?あ、ぇ……っ!?」

「日那谷さん!?」


 萠志にとっては、日常の光景だったのだろう。

 この場において部外者なのは誠志郎であり、彼女はいつも通りにリラックスしていただけに過ぎない。

 故に、不測の事態に、二人して見つめ合ったまま硬直。

 顔を真っ赤にして次に出すべき言葉を思い悩んでいると、二人を代わる代わる見ていた麗衣が、溜め息混じりにこんなことを言うのだった。


「おいおい、萠志……君も年頃の女の子だ。せめてクラスメイトの男子の前では、もう少し恥じらいを持ったらどうだい?」

「……は、恥じらいって……そ、そんなの……どうしたら良いか、分かんないって……っ」


 萠志は明らかに動揺した様子で、胸元を両手で隠し、その滑らかな脚をくねらせながら、顔を強張らせている。

 普段が無表情である分、恥じらっている顔がやたらと可愛らしい……と、そこまで考えてしまったところで、誠志郎は慌てて顔を逸らした。


「み、見てません!決して見てないから!」

「~~~~~~~~……っ!」


 この場を取り繕うに相応しい考えも言葉も、簡単には出てこない。

 ただ、羞恥心で塗り固められた気まずい空気が静かに蔓延していた。

 そんな中、唯一卓越した麗衣が笑みを浮かべながら、ジト目で誠志郎をからかう。


「君もやるねぇ」

「勘弁して下さい……」


 楽しんでいるのか、怒っているのか、一見すると判断出来ないが……一先ず、その手に握られた刀を下ろして貰えないだろうか。

 何かの弾みで一刀両断……されないことを祈ろう。


「……この……変態……っ」


 一方、萠志は去り際に誠志郎を鋭い目付きで睨み付けてから、早足で客室の間から立ち去っていくのだった。



─※─※─※─※─※─※─※─※─※─※─



 コンビニで買いたいと思っていたものを調達するのを忘れていた。

 そう思い立って麗衣にバレないように庫裏を抜け出し、ジャージを身に付け、番傘を指して大雨の中、先程と同じコンビニに足を運ぶ。女性店員は何かに気付いたように、怯えた様子で接客をしていたが、余計なことは言わずにレジ打ちを終わらせていた。

 購入したのは、一番安値のビニール傘。

 昨日まで持っていた奴は大分使い古した為か、使い物にならなくなってしまったので、良い買い換えの機会となっただろう。

 萠志が購入したビニール傘を肩に担いで外に出ると、未だ弱まる気配すら見せない大雨が出迎えてきた。


「……いつまで降ってるんだよ……」


 雨は、嫌いだ。

 世界の有り様を丸々と雨模様に変えてしまい、まるで自らが世界を支配しているかのように居座り続ける。もし自然と呼ばれる現象に人格があったのなら、それらは『神』も同然の存在として君臨していたのだろう。


 ────気に入らない。


 趣とか、風情とか、そんな下らない言葉を持って、染々と感傷に浸る連中の気が知れない。

 何故自身の生活空間を乱す奴の為に、傘なんて差して、濡れないように注意して、憂鬱な溜め息を吐かなくてはならないのか。

 萠志は溜め息混じりに番傘を開き、大雨の中へ繰り出す。

 すると。


「────きゃあっ!!」

「……?」


 離れた場所から、女性の甲高い悲鳴。

 ボンヤリと声のした方向を見れば……雨の中に関わらずに地面に倒れ伏した女性と、彼女の持ち物と思われる小さなバックを抱えて逃げ出す男の姿があった。


「そこをどけ小娘ぇっ!!」


 どうやら、引ったくりのようだ。

 こんな雨の日にご苦労なことだと、ある意味感心してしまうが、男の逃走経路は真っ直ぐに萠志へと向かっていた。

 このままでは鉢合わせになる。

 男の手には小型のナイフが握られており、あの興奮ぶりでは躊躇なく振るってくるだろう。


「……チッ」


 男から怒鳴られた萠志は、舌打ちをしてからゆっくりとその場で屈む。

 雨で濡れたコンクリートに手を這わせ、水を掻き分けながら『あるもの』を掴むと、腰を上げ、水溜まりを踏み散らしながら迫る男を睨んだ。

 その小さな手には────手のひらサイズの石が握られていた。


「どけって、言ってんだろうがァァァッ!!」

「お前の為に、道を譲る義理はねぇよ」


 目の前にまで迫った男のナイフを顎を引いて軽々と避け、番傘が地面に落ちると、ギョロリと萠志の眼球が男の顔面を睨んだ。

 瞬間、世界の時が止まった。

 そう錯覚してしまう程、流れ落ちる大雨よりも速く────萠志の手に握られた石が、男のこめかみを殴打していた。


「ぎぶりゅっ!!?」


 遠慮どころか、容赦すら無い、残酷な一撃。

 不気味な衝突音と共に断末魔を上げながら、男は水溜まりの中に叩き付けられ……そのまま、ピクリとも動かなくなっていた。


 しかし、萠志は意にも介さない。


 雨で濡れてしまった髪を掻き上げ、ウンザリした様子で落胆するだけだった。


「あーぁ、また濡れちゃった……」


 両手を振りながら番傘とビニール傘を拾い上げ、何も気にする様子もなく、その場から立ち去ろうとする。

 そこへ、後ろの方から、こんな言葉が飛び交うのが聞こえてきた。


「どうしたんですか!?」

「た、助けて下さい……!今、引ったくりされて……!そ、そしたら、その引ったくりを、女の子が……っ!」

「あの子か……!オイ、君!そこを動くなよ!?」


 なんとも丁度良いタイミングで、警察官たちが参上したようだ。

 現場を見れば明らかだろう。引ったくりが絶命している脇に立ち尽くしている姿を見れば、誰から見ても萠志が加害者であると予測出来る。

 だが。


「…………」


 萠志は傘すら差さず大雨に濡れながら、無言で警察官たちを眺めるだけ。

 彼女が彼らの手で拘束されるまで、さして時間は掛からなかった。



─※─※─※─※─※─※─※─※─※─※─



 日那谷萠志には両親や兄妹の家族が居らず、天涯孤独の身であるらしい。

 最初は名前すらなかったのを哀れに感じた麗衣が、引き取ると共に彼女に命名したのだとか。同じ名字にしなかったのは、日陰舘の字にはとある事情があって、萠志には与えられない、ということだ。

 当然、詳しい事情は教えて貰えなかったが、麗衣が萠志を気遣っていることだけは、辛うじて見て取れた。


「彼女も色々と事情持ちでね。君が良ければ、仲良くしてやってよ。まぁ、“難しいかも知れない”けれど」


 まるで本当の親のように話す麗衣の言葉を思い出しながら、案内された寝室で、誠志郎は窓からの景色を眺めていた。


「……雨、止まないな……」


 雨は、美しい。

 そのおしとやかな流れや雨音が、世界の汚れも、人の心の淀みも、全てを洗い流してくれる。

 今回、日那谷萠志と接する機会を与えてくれたのも、全てはこの雨天の恩恵があってこそだ。

 もしかしたら、雨という自然現象には人々の心を穏やかにさせてくれる、不思議な魔力のようなものが秘められているのかもしれない。

 出来れば、いつまでも、降り注げ。

 この夢のような時間が、いつまでも、現実であり続けますように。


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