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本語り1


『サボったね、君』


 行きつけのコンビニで会計を済ませながら、スマホから聞こえてきた女性の呆れた口調に、萠志は肝を冷やす。

 下校中、今日は特に用事もないと踏んで、コンビニで暢気に立ち読みをしていた。

 気付けば、時刻は夕刻。

 そろそろ帰るかと思い立って、適当な商品を手にレジへ持っていったところで、とある人物から電話が掛かってきた。


「あー……今日、バイトの日だったっけ……」


 実は気のせいなのでは……そんな予感と希望を抱き、惚けるように言ってみる。

 しかし、電話越しの女性は揺るぎ無かった。

 むしろ、今の一言で怒りを買ってしまったか、少し嘲笑を含めた声で恐ろしいことを言い始めた。


『すっとぼけるつもりなら上等さね。昨日分のバイト代は給料から引いておくから』

「はぁっ!?ちょ、そ、それは勘弁!」


 慌てて女性の声を遮るように、声を挙げる。

 バイトの有無はともかく、給料が貰えないのは個人的に死活問題だ。というより、既に稼いだ分の給料を削るとは、この雇用主は、一体どんな了見で語っているというのか。

 労働違反だ!ストライキだ!この非道者め!


『んん?』

「……忘れていました、スミマセンでした……」


 ……などとは、口が裂けても言えないので、歯痒い思いを噛み締めながら、素直に謝罪しておいた。

 電話の相手は萠志の雇用主であるが、実は、彼女の居候先の家主でもある。当然、衣食住、全てを世話をしてくれているその人は、ある意味で、彼女がこの世界で唯一頭が上がらない人物といえる。


『ふぅ、別に無理しろと言っている訳じゃないんだよ。君もまだ学生だ。学校生活もある。勿論、プライベートも大切にして貰いたい。だけど、それでも尚も手伝うって言ったのは君自身だろう?その発言の責任は、最低限取って貰いたいものだけれどね?』

「それはー……」


 正論を並べられて、思わず肩を落とした。

 次の瞬間。

 ベチャッ、と柔らかい物が落下する音が響く。

 足元に落ちたそれは、パッケージに包まれたあんパンだ。袋に甘く詰められたのが原因となったか、中から溢れ落ちてしまったようだ。

 そこまでは良い。

 しかし問題なのは、その後の店員の接客態度だろう。


「千二百五十八円」

「……」

「ねぇ、早くしてもらえます?」

「……」


 謝罪すらなれば、気遣う様子もない。

 それどころか、早くレジ打ちを終わらせたいのか、会計を急かそうとする始末だ。

 よく男の顔を見てみれば、とても接客業を営んでいるとは思えない、冷えきった顔で萠志のことを見下ろしている。

 相手が女子高生だから、別に構わないと考えているのだろうか。

 どちらにせよ────ムカつく。


『ん?萠志、どうしたの?』

「………………これで」


 電話を肩で挟み、財布の中から千円札を二枚取り出し、静かにカウンターの上に置いた。

 その間、片時も店員の顔から目を逸らさずに。

 そして。


「二千円お預かりします。お釣りのお返……」

「────っ!」


 結局、店員の言葉は最後まで続かず、目の前の少女の靴底で遮られるのだった。



─※─※─※─※─※─※─※─※─※─※─



 武上誠志郎たけがみ せいしろう

 彼には、一つの悩みがあった。

 有り体に言えば、学校に少しばかり気になるクラスメイトが居ることだ。

 そのクラスメイトの名前は、日那谷萠志。

 隣の席の女子生徒が気になるというのは、大して珍しい話ではないだろう。

 彼女は、積極的にクラスメイトと話すような好意的な性格ではなく、授業を除けば大抵は机に突っ伏して寝ている。派手な容姿をしている訳でも、ミステリアスな雰囲気がある訳でもない、黙っていればただの冴えない女子高生でしかない。

 だけど。

 これは個人的な見解だが、彼女には他とは違う、不思議な空気が漂っているような気がしていた。まるで、広い世界の中で、彼女だけが一人取り残されているような……そんな感覚。

 少し、話をしてみたい。

 純粋な興味本意で時折声を掛けるのだが、彼女は必要最低限の短い言葉しか口にすることはなかった。今日も言葉を交わしたのは朝の挨拶だけだったし、そもそも、そう思い立ったのは今日が始めてだった気がする。

 縁がない。

 七十億人と大多数の人間が生きる世界ならば、きっと出会いは数え切れない程にあるだろう。今回は、その内の一つに過ぎない。そう考えれば、特に気に病む必要もないのかもしれない。


「……コンビニでも寄って……あれ?」


 ふと、目の前のコンビニへと顔を向けた。

 その時だ。

 入り口の自動ドアが開かれ、見覚えのある少女が、スマホで電話をしながら出てきたのである。


「今から帰るから……うん、それじゃあ」

「日那谷さん?」


 これは、少し驚いた。

 まさか彼女のことを考えていた時に、学校以外の場所で遭遇することになるだなんて。

 誠志郎が思わず彼女、日那谷萠志の名前を呼ぶと、彼女はスマホをポケットしまいながら顔を上げた。


「ん?あぁ、武上……だっけ?帰り道こっちなんだ」

「まぁ、うん。そういう日那谷さんも、もしかして自宅が近…………何かあった?」


 萠志が出てきたコンビニ内が、やたらと騒がしい。

 レジのカウンター付近で、店員たちが忙しなく動き回っている。時折怯えた表情でこちらの様子を伺っているように見えるが……何を見ているのだろうか。


「さぁ、別に大したことじゃないでしょ。火事か、もしくは強盗でも入ったんじゃない」

「それはそれで大事な気がするけれど……」

「どうでも良いよ。それじゃあ」


 そう言って、肩越しに手を振りながら歩み去ろうとする萠志に、誠志郎は勇気を振り絞って呼び止める。


「あ、えっと!俺も帰り道そっちなんだけど、途中まで一緒に……良いかな?」

「……好きにすれば」


 萠志は全く気にした様子ではないが……たったそれだけの会話でも、彼らの間では、今までで一番長い言葉を交わしていた。

 珍しい……いや、ある意味では奇怪とも言えるかもしれない。

 彼らの間には、目に見えない境界がある。それは一般人が何気なく入り込める領域ではなかった。

 即ち、武上誠志郎は自ら足を踏み入れたのだ。

 日常を越えた、非日常の世界へと。



─※─※─※─※─※─※─※─※─※─※─※─



 天気は、気紛れだ。

 雲一つ無い快晴でも、ほんの数分後には黒雲が天を覆って雨を降らすこともある。もし天気を操るような神様が居るのならば、きっとあの天の上で自然に翻弄される人間たちを見下ろしてほくそ笑んでいるのだろう。

 つまり、何が言いたいのかというと……お天道さん、どしゃ降りは辞めてくれよ、どしゃ降りは。


「なんっていう、タイミングが悪い……本当に大丈夫だったの、上げて貰っちゃって?」


 幸いにも、大粒の雨に見舞われたのは萠志の自宅の近くだった。

 塀に囲まれた、瓦屋根の木造家屋。引き戸式の玄関を開くと、線香でも焚いているのか仄かにお香の匂いが漂ってきた。現代風の住居とは違い、昔ながらの趣のある内装は、不思議と心を落ち着かせてくれる。まるで、昔の時代にタイムスリップしたかのようだ。


「別に。ずぶ濡れになって帰りたいなら、引き留めはしないけど」

「い、いやいや!ホント、有り難いです。ありがとうです」


 雨が染み込んだ制服が、身体にまとわりついて気持ちが悪い。

 しかし、萠志は相変わらず表情一つすら変えず、雫が滴り落ちるブレザーを脱いで玄関に放り投げる。彼女の水で濡れた姿も、まるで自らの衣装として水を纏っているかのようで、独特な美しさを醸し出しているように見えた。

 そんな濡れたワイシャツの後ろ姿の下に、薄らと水色の下着らしきものが映ってしまい……誠志郎の目を釘付けにする。


「……なに、見てんの」

「ふぐぅっ!?な、何も見てないですよ!?」

「……あ、っそ……ふぅん」」


 敏感に視線を察知した萠志がジト目で言うと、誠志郎は顔を真っ赤にして目を逸らす。

 一方、彼の姿から視線を外した萠志は、軽く頬を朱に染めながら、胸元を腕で覆い隠していた。

 マズイ、多分、視線に気付かれたかも知れない……。


「おかえり、萠志。おー?バイトをサボってたのは、ボーイフレンドを連れてくる口実だったわけかい?」

「げっ……そんなんじゃないよ……」


 奥の方から、からかうような声と共に、華やかな花模様の着物を身に纏った女性が姿を現す。

 彼女を見た萠志は、珍しくも動揺の色を浮かべると、慌てて靴を脱いで早足で奥へと去っていってしまった。

 その後ろ姿を見送りつつ、女性は脱ぎ捨てられたブレザーを丁寧に拾い上げながらニヤリと笑う。


「ふぅん?まぁ良いか。ほら、君も上がった上がった。そのままだと風邪引いちゃうよ?」


 見た目は自分らと殆ど変わらない二十代の女性。美しく艶やかな黒色の長髪を後ろで束ね、まるで若女将のように華やかな着物を綺麗に着こなしている。何より、まるで宝石のように澄んで見える黒い瞳は、一人の女性、日本人として何よりも魅力的に映る。

 萠志とは相反して、包容力のある人物だ。

 気さくに笑う物腰は軽い雰囲気なのに、その一言一言が慈愛に満ちたような不思議な魅力を秘めている。

 女性の優しい歓迎の言葉に、誠志郎は少し緊張しながら頭を下げた。


「す、すみません。じゃあ……お邪魔します。えっと、日那谷さんのお姉さん……ですか?」

「おぉ、嬉しいこと言ってくれるね。だけど、残念。元は赤の他人だよ。私は萠志の雇い主であり、ここの家主であり、そして日向寺の住職さ」

「住職さん……?じゃあ……あの、『それ』は……?」


 誠志郎が震える指で差したのは、女性の右手に握られていた『あるもの』。

 そもそも何故それをここに持ってきたのか。平穏に迎えてくれた人が携えるには、最も相応しくない物騒な代物だった。


「ん?護身用だよ」


 平然とした様子で、満面の笑みと共に掲げたのは……。


 ────一本の刀だ。


 本物か、偽物か、それを判断することは出来ないが、それ一本の存在がやたらと物々しい雰囲気を発しているのは間違いない。

 今だけは何故か、この綺麗な笑顔がやたらと恐ろしく見えた。あまり声に出して言いたくはないが……一体、何に対する護身のつもりなのか。


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