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本語り5


 本来、怪奇と呼ばれるモノたちは、人に畏怖と絶望を与える為だけの現象であり、戦う為に存在しているのではない。自ら戦いに繰り出すような望みはなく、他者に対して敵意を抱くことはないだろう。

 故に、対立は有り得ない。

 しかし。

 もしも、万が一……彼女らが誰かに敵意を持って、その者を倒そうと働きかけようとしてしまった時……果たしてそれは、“勝負になり得るのだろうか”。


「面白いことが起こりそうなよか~ん。ふふっ」


 波誠第三中学校の屋上で佇むそれは、嘲笑じみた顔つきを浮かべながら、楽しそうに呟く。

 《怪者》と《抑止力》。

 互角、拮抗、圧倒、蹂躙……そんな言葉では表現出来ない戦いが、この崩壊しかけた世界で巻き起こる。勝者は現れるのか、敗者は現れるのか、その果てに、この世界はどう成るのか……最早、予測すら出来ない。

 ただ、一つだけ断言出来ることがある。

 それは間違いなく、誰も認識することもない領域で────世界という枠組みにとって、史上最大級に愉快な異変になるのだ、と。



─※─※─※─※─※─※─※─※─※─※─



 “使い方を理解していない”……と直感して顔をあげつつ、子猫を誠志郎へ向けて放り投げる。 

 迫る無限の刃の内、一番先頭を走っているモノは、真正面。

 それが腕の射程圏内に入ったことを認知してから……目にも止まらぬ速さで動いた左手で、逆手に掴み取った。


「要らねぇのか?じゃあ、私が使ってやる」


 恐らくこの短剣は、相手を切り付けるものでも、射出して突き刺すものでもない。

 これぞまさしく、外界と接触の鍵だ。

 刃先の屈折部分は、“次元を引っ掻けるモノ”。


 即ち────【次元刈ディ・モウ】。


 萠志はその場で、【次元刈】を斜めに振り下ろす。

 すると、彼女の目の前の空間が刃先に沿って、“引っ張られた後に折れ曲がった”。

「……っ!?」

 無限の刃は萠志の目の前で、右斜め上と左斜め下へと分断。

 全ての刃が彼女を避けて、怒濤の襲撃が屋上を蜂の巣にした。

 そのど真ん中に君臨する萠志は、右手に刀を、左手に短剣を握り、静かに顔を強張らせていた《抑止力》を睨み付ける。


「全ての望みと命?それを守る為に、不要な命は致し方ない犠牲だってのか?人間らしい、下らねぇ矛盾だ」


 《抑止力》は、これまでに世界の安寧を守る為に、萠志を含めて、《怪者》の手に陥った者を悉く切り殺してきた。

 きっと彼女は、それを躊躇したりはしなかったのだろう。

 それが世界の意志、世界の正義と称して、容赦なく手を下してきた筈だ。

 結局のところは、そういうことなのである。

 正義を振りかざすということは、他人に正義を押し付けることに他ならない。しかし、人はそれを間違いだと憤慨する。

 偽善と虚偽だらけなのだ、人間たちは。

 彼らは自らが薄汚く卑しい生き物であることを自覚するべきだ。



 ……。



「黙れ!人でもない部外者が、偉そうに人を語るんじゃない!人間(私たち)は怪者(お前たち)とは違うッ!!」


 彼らは人を尊重し、人を気遣うことが出来る、尊い生き物だ。

 人と人は手を取り合い、助け合いの中で成長していく。

 沢山の人々と、沢山の感情と、沢山の経験と出会い、そして人生を育んでいくのだ。

 《怪者》はそれを平気で嘲笑い、踏みにじる。

 悪意、殺意、感情と呼ばれるものすらも持ち合わせず、人の尊い命を壊していく。

 しかしながら、その行為に意味はない。無感情のままに、ただ目についたからという理由で手を掛ける……そんな馬鹿げた現象を、果たして許して良いのだろうか。いいや、許される筈がない。



 ……。



「これまで散々犠牲者を出してきた『亡霊』が当然のように偽善を吐くな。お前が世界の模範だってんなら、この世界の安寧は偽物だ。私がこの手で世界の本性をさらけ出させてやる」

「そんなことはさせない。安寧が故の人の世界だ。それこそが世界の真実!それを守るのが私の役割っ!邪魔者なのは、貴様の方だッ!!」


 《抑止力》が一度腕を前に突き出し、何かを引っ張りあげるように腕を引く。

 次の瞬間。

 屋上を蜂の巣にした無限の刃が、一斉に戻ってきた。

 幾多の刃は萠志の、頭を、顔を、腕を、肩を、胸を、脚を、全てを背中から貫き、彼女を絶命へと誘う。

 しかし。

 彼女は勢いに押されて一度大きく仰け反るが────直ぐに、モノともしていない様子で、地に足を着いた。


「一つ、思い違いをしているぞ、《抑止力》」

「な……っ!?」


 《抑止力》が動揺した声を挙げると、萠志の身体を貫いた筈の全ての短剣が、音を立てて床に溢れ落ちる。

 身体に傷一つ付いていない彼女は肩を回して、短く息を吐きながら、冷たい目付きで《抑止力》を見定めた。

 これでようやく、“自分たちの立場がハッキリした”、と。


「私が真っ二つにされた時、私の肉体は世界に浸透した。即ち────“この世界は私”、なんだよ」


 日陰舘麗衣や《抑止力》は、勘違いしていた。

 そう、今まで萠志が殺されても死ななかったのは、《怪者》だからだった訳でも、思念体だからだった訳でもない。


 彼女は────世界そのものだった。


 日陰舘麗衣に一番最初に殺された時からずっと……彼女は、“世界の意志として世界に君臨していた”のだ。故に、例え殺されたとしても、この世界が在る限り、彼女は永久的に死ぬことはない。

 彼女こそが世界であり、世界こそが彼女なのだから。


「馬鹿な……っ!?だとしたら、私は一体……っ!?」


 動揺するのも無理はないだろう。

 そうなれば、《抑止力》が何処から生まれたのか分からなくなる。

 恐らく、萠志が世界を侵食する前は、間違いなく《抑止力》を生み出した意志があった筈だ。それが最後の最後で残した、残留思念。

 つまり、現時点のこの世界で、最も曖昧で希薄な存在だったのは……彼女の方だった、というわけだ。


「断言しといてやる。人間たちが望むのは、自分たちの代わりに戦ってくれることじゃない。自分たちと足踏みを揃えて歩んでくれることを、何よりも望んでいる。それを無下にしたお前は、《抑止力》になれど、《守護者》になれねぇよ」


 右手に握られた刀を横に振るい、鞘を飛ばす。

 露見された黒紫色の刀身は、以前のような揺らいだ気配は微塵にも感じられない。

 しかし、刃先から柄へと、ゆっくりと色彩を溶かしていき、元の純銀の刀身へと変化を遂げていく。

 その本来の持ち主である萠志の白髪が、徐々に黒みを帯びていき……そして、少女の髪が黒紫色に染まりきった時────世界の真の支配者が、姿を現した。

 そこにあるのは、明確な刀。

 刀が形成するのは、世界。

 世界が斬り裂くのは、即ち世界。

 あらゆる手段と工程を省略し、人々が奇怪と呼ぶ領域の中で、世界を斬り裂くその刀は────【奇飢怪界キキカイカイ】。


「違う……違う……っ!私は、この世界を守る為に……いや、違う……こんな世界を守るつもりじゃ……違う、違う、違うっ!分からない……こんな、血生臭い所業に手を染めて……私は、一体……“何の為に戦っていた”……ッ!?」

「そして、この世界が私である限り────“未来永劫、私が負けることは有り得ない”」


 萠志が【奇飢怪界キキカイカイ】の刃先を向けた、次の瞬間。

 一閃。

 目にも止まらぬ速度で駆け抜けた黒紫色の閃光が、《抑止力》の身体を真っ二つに斬り裂く。

 この世界における存在価値、手にした力、そして意志……全てを上回った萠志が、本当の意味で《抑止力》を終わらせる瞬間だった。


「ご……ぼォ……ッ……く、そ……くそくそくそくそォォォォ……ッ」

「消えろ、《抑止力》。この世界は私のモノだ。お前らにくれてやる領域は、何一つとして残っちゃいねぇ」


 背後で最後の恨み言を吐くのを耳にしながら、萠志は目の前に現れた鞘に黒紫刀を納める。

 そして。


「…………グ、ソォ……抑止、力は……君、を……絶対、に、永遠、に、忘れ、ん、ぞ……ぢく、じょォォォォ……ッ!」


 彼女らしからぬ、感情を剥き出しにした断末魔と共に、その身体は朽ち落ちるように消滅。

 恐らく、萠志が世界に君臨する限り、《抑止力》が現れることはないだろう。

 今後は世界の奪い合いは起きないどころか、必要以上に人が殺されることもなくなる。その代わりに、限りなく《怪者》が暗躍し易い世の中になるかもしれないが……それは、彼女の関与すべきことではない。


「すごい……あ、日那谷さんっ!大丈夫!?」


 サイオンを抱える誠志郎が、声を上げて駆け寄ってくる。

 その姿を見た途端、まるで緊張が抜けたように足が痙攣を起こし始めた。

 こんな時、どうすれば良いのか……どんな顔をして、どんな言葉を発すれば良いのか……萠志には分からなかった。

 しかし。


「……ぁ……っ」


 誰かに、背中を押された気がした。

 こうすれば良い、と耳元で囁かれたような気がした。

 足がほつれて前のめりに倒れそうになった所を……誠志郎が、慌てて抱きかかえてくれる。

 元々強気な性格でもなく、自分よりも弱くて頼りないのに……今この時だけは、その身体が何よりも、いとおしく感じた。


「わわっ!?危ないっ、と!え、っと……これ、何がどうなって、ん……?」


 そう言って慌てふためく彼の口元に指を立て、萠志は彼の胸元に顔を埋めながらこう囁く。


「何も、知らなくて良い。何も、分からなくて良い。お前は、これからも私の隣に居ろ。私が、私であり続ける為に。お前が、必要だ」

「……!」


 何を感じたのかは分からない。

 だけど、それ以上は何も聞くことはなかった。

 ただ、胸の中で静かに呼吸をする萠志の身体を包み込むように……優しく、そして力強く、包容する。

 その一時の温かい時間を噛み締めるように、少しの間、二人はお互いの体温に身を委ねるのだった。


「……待っててくれたこと、正直、その……嬉しかった……」

「日那谷さんこそ。助けに来てくれて、ありがとう。それに、その着物……すごく、似合ってる」

「……うるさい……褒めんな……っ」


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