本語り4
今宵、日向寺に残ったのは、血の匂い、変わり果てた日陰舘麗衣の姿、そして……静寂だけが支配する孤独。
麗衣は、最初から最後まで清水萠志を警戒していた。外界の住人を内界に招いた罪に苛まれつつ、同時に、この世界を守る使命に翻弄されながら。
そんな彼女が逝ったのは、両者の意志が食い違い、衝突したからだろう。
理屈は分かっていた。しかしながら、理由が分からない。罪と使命……両者の意志は、表裏一体だ。互いに作用することはあろうが、互いを否定することは有り得ない。
故に、この事態は予測不可能。
悲しいとか、悔しいとか、そもそも彼女を気遣うような気持ちはないものの、この全容を理解出来ない感覚は激しく歯痒いものだった。
「……遺志だけは、受け取った。だけど……」
萠志は血溜まりの中に沈んで絶命している麗衣を、無表情で眺め見ながら口をつぐんでいた。既に命を絶たれているにも関わらず、その華奢な手には、いつも彼女が携えていた刀が握られている。
まるで、来るべき時までは離さない……そう主張しているかのようだ。
恐らく、いやきっと、その時は、今この瞬間なのだろう。今や、日向寺に帰ってくるのは、萠志しか居ないのだから。
「……何故私なんだ、麗衣?」
少なくとも、《巫門》は死に、内外の境界線は曖昧になる。
ここから先は、人の立ち入る余地はない。
歪み、淀み、侵し、そして世界は一つの分岐点を迎えようとしている。行き着く先は、安寧か、混沌か、それとも……。
いずれにせよ。その運命は、この地に留まる者たちの手に委ねられた。
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その日も、平常な日である筈だった。
武上誠志郎は、いつもと同じ時間に登校して教室へ向かうが……廊下を歩きながら、妙な違和感を身体で感じていた。
具体的に言えば、“いつもやっていることをやっていない”ような。不思議というか、奇怪というか、考えれば考える程にどつぼにはまっていくような、恐怖に近い感覚だ。
しかしながら、きっと気のせいだろう、と自分に言い聞かせながら歩を進めていると……廊下の向こう側に、見覚えのある人物を目の当たりにした。
「“日陰舘さん”?何で学校に居るんですか?それに、その巫女装束は……?」
麗衣の服装が、いつもの着物姿ではなく、巫女装束と巫女頭巾に変わっている。一瞬だけ同一人物か疑ってしまったが、その顔は間違いなく日陰舘麗衣だった。
少しだけ安心して近付いていくと、彼女はやけに冷たい表情で、小さく口を開いた。
「いや。それより、どうした?何か、動揺した様子だったが?」
「えっと、まぁ。俺、そんなに早く登校する訳じゃないんです。いつもなら誰かしら居る筈なのに、クラスメイトも先生も、誰も居なくて……時間を間違えた訳じゃないと思うんですけど……」
そう、そうなのだ。
いつもならば、廊下を歩いていれば、誰かすれ違う。しかし、今は奇妙なことに、一度も誰の姿も見ていないのだ。
この広い世界に、一人だけ取り残されてしまったかのように、他人と呼ぶべき人達の気配すら感じられない。
まるで、本物の孤独という現象を味わっている気分だ。
「……何も、気が付いていないのか……」
「はい?」
麗衣のどこか呆れた口調に、誠志郎は理解が出来ずに首を傾げる。
すると、彼女は踵を返して、顎で上を指しながら言った。
「話がある。あの世……いや、限りなく天に近い場所。そうだな。屋上に来い。いいか、逃げるなよ?君に、逃げ場はない」
「何を言って……あ、あれ?日陰舘さん……?」
気付いた時には、麗衣の姿は消えていた。
夢、もしくは幻覚でも見ていたと言い聞かせることは簡単だが、周りを取り巻く異常現象は尚も続いている。このままでは、永遠に孤独をさ迷うことになるだろう。
嫌な予感は拭いされなかったが、誠志郎は覚悟を決め、屋上を目指して駆け始めるのだった。
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波誠第三中学校の屋上に、“何か”が佇む。
暗闇そのものように真っ黒に染まった人型の影。幾多にも及ぶ大小様々な触手らしき物体が、水滴をなぞる音と共に、床を、宙を、中心にある影の身体を這っている。
その姿は、粉うことなく『怪物』だった。
辛うじて人の姿を保ったような人外は、屋上の縁に佇んだまま、捻れ、歪み、壊れ掛けた世界の風景を静かに眺めていた。
『……結局、最後の最後まで……気付かなかったんだよなぁ。私を出し抜く為に妹を殺して、オマケに私まで殺すだなんて……まったく、信じられないよ……なんて、なんてなんてなんてなんて……』
きっと、印象的な戦いだったのだろう。
初めて人の手で殺され、初めて屈辱を与えられた出来事なのだから。他人から屈辱を受けて平然としていられる者はいない。
だが。
『アハッ。うふヒハハハハッ!アハハハハハハハハハハハハハハッ!!なにそれ、なにこの展開、最っ高に笑えるじゃぁん!だけど、最後に自殺しちゃったのは頂けないなぁ。惜しいけど、落第点ってところだねぇ』
怪物は、あくまでも『嘲笑』していた。
あらゆる『嘲笑』を望む化け物にとっては、自らに降り掛かる不幸すらも『嘲笑的対象』と認識する。
そもそも生死という概念を持たない怪物は、例え殺されたとしても、また何かを嘲笑う為に姿を現すだろう。かつて、とある少女が宣言していた通り、それらは怪奇現象そのものなのだから。
「気持ち悪い身体で気持ち悪い笑い声上げているんじゃねぇよ、何の話だ」
『うぅん、全般的に個人的な話。それで?いい加減、自分の正体に気付いたのかなぁ?』
化け物が問い掛ける先に立つのは、一本の刀を携えた少女、日那谷萠志だった。
今や生物が生存出来ない領域で、明らかな怪物を相手に、平然と話しかけることが出来るのは、彼女を除いて他に居ないだろう。
「あぁ。今思えば、麗衣に真っ二つにされた時、違和感に気付くべきだった。あの時から私は、ある意味で……“彼女無しでは生きられない存在”になっていたんだな」
『その言い方はある種の語弊を生んじゃうかなぁ。正確にいえばこう……“日陰舘麗衣という寄代が無ければ現世に留まることが出来なかった”、とねぇ』
つまり、思念体と呼ぶべき存在だ。
日那谷萠志は肉体という器をもたず、麗衣の意識の中に根付くことで形を保つ曖昧な存在だったのである。
しかし、当の本人にとっては些細な事実でしかなかった。
彼女も怪物と同様に、生死の概念がないのだから。
「……私が知りたいことは一つ。麗衣を殺した奴は、何者だ?」
『簡単なことだよぉ。それは、人が意識しようとも、することが出来ない領域。何故なら、あまりにも馬鹿げているから。即ち────世界には、意志がある』
ゴミを捨てたら地球が泣いている……その言葉を、事実と捉える人間は居るのか。いいや、居るわけがない。今時は子供でも分かるような、頭の悪い大人が考えた作り話だ、と。
その程度でしない希薄で無価値な、仮想領域。
この領域の中で初めて意味を為す真実。
世界単体が崩壊する未曾有の危機に陥った時、危機に対抗する為の力と意志を遣わす。それこそが────『抑止力』だ。
「なるほど……だから、《抑止力》。つまりあいつらは、至って当然のことをしているに過ぎないってことか。だけど、何故麗衣にまで手を掛ける必要があった?」
『自分の胸に手を当てて考えてみればぁ?あいつらにとってそれは、崇高だけれど、私たちからすれば単調事。彼女は、近年稀に見る変人だったって訳だよぉ』
「……?」
日陰舘麗衣の罪とは、日那谷萠志という外界の意志を内界に迎え入れてしまったこと。使命とは、萠志に対する警戒心を強めるあまり、世界の意志に従う『抑止力』となったこと。
それらが何故殺し合う羽目になったのか、未だに答えを見出だせていない彼女は首を傾げる。
すると、化け物は指を一本立てて、どこか面白がった様子で指を左右に揺らした。
『もう一つ。そもそも、あなたを現世に留まらせていた《巫門》が死んだ筈なのに、何故尚もあなたが現世に留まっているのか』
「……何故だ?」
『ここまで教えてやったんだから、勘付こうよぉ。日陰舘麗衣と同じ。もう一つ、あなたを現世に留めている意志があるってこと。そう────あなたと一緒に居たい、と。本気で願っている人が』
「……“あいつ”か」
怪物の言う意志に関しては、不思議なことに覚えがあった。
いや、むしろ可能性としては彼しかいない。
ほんの数日間の交流でしかなかったのに、その中で、日陰舘麗衣に変わる程の意志になっていた。
その事実に、流石の萠志も頭を抱えて、呆れた様子で首を振るしかなかったのである。
笑える話だろう。
最後の最後に、彼女の存在を世界に留めているのは、こちら側とは一切縁がない、ただのクラスメイトだというのだから。
『そして。そんな馬鹿げた思想を持つ愚か者のことを、《抑止力》は決して許さない。日陰舘麗衣が消えた今、残った危険因子を丸ごと抹消するつもりだろう────この世界に根付いてしまった史上最悪の害虫を、確実に消し去る為に』
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誠志郎は腕に付けられた切り傷を押さえながら、苦痛に歪んだ顔で彼女を見つめる。
屋上にやって来た彼を短剣で切りつけたのは、他でもない日陰舘麗衣だった。
そこで彼は初めて、彼女が『抑止力』と呼ばれる存在であることと、明らかに異常な事情が起きている世界の現状を知ることになる。
「……っ……それじゃあ、あなたは本当に……日陰舘さんじゃないんですか……?」
「正確には、奴から派生したもう一つの人格。奴の安寧を願う心情は、《抑止力》に相応しい器だとこの世界が判断し、私という人格が生まれた」
即ち、日向寺の彼女も、《抑止力》の彼女も、同じ日陰舘麗衣である、ということだ。加えて、どちらの彼女も、同じ様に萠志を警戒していたという事実に、誠志郎は驚きを隠せなかった。
少なくとも、彼の記憶の中にいる萠志と麗衣は、穏やかな笑顔で、まるで姉妹のように温かい家庭を築いていたのだから。
「それなら、何で日那谷さんを消し去ろうなんて……日陰舘さんは、そんなことを思う人じゃなかった筈です……!」
「だろうな。故に、奴は反逆者だ。大いなる世界の意志に背き、あろうことか最大の害虫である《外界者》を庇った。奴の死は、当然の報い。そして、お前も同罪だ」
「……!」
ようやく、理解した。
《抑止力》の麗衣に対して、説得という手段は全く意味を成さない。
彼女の認識では外界の住人、即ち日那谷萠志という存在は完全な害悪。それを消す為ならば手段を選ばない。そして、それを手助けする存在も、容赦なく滅却する。
これが、《抑止力》であり、世界を守ろうとする絶対的な意志なのだ。
「しかし、世界は寛大だ。お前がこれまでの出来事を全て忘れ、日常に戻るとするならば、その願いを聞き入れるとしている。願ってもない提案だろう」
その言葉に、誠志郎は身体を震わせて目を見開く。
彼女らの前では無力も同然の、絶体絶命の彼に示された、唯一の逃げ道。それを辿れば、こんな馬鹿げた世界からも逃げ落ち、元の平和に戻ることが出来る。
生きる為ならば、逃げるしかない。
逃げる為ならば、そのデメリットもない提案を受け入れるしかない。
ただ一つ。
どうしても、気にかかることがあった。
「……もし、それを受け入れた場合……日那谷さんは、どうなるんですか?」
「何故害虫を気に掛けるのか理解に苦しむが、答えるまでもない。寄代を失った思念体は消滅する。そして、晴れてこの世界に、全生物が望む安寧が訪れるのだ」
不相応にも程がある。
ただの一般人程度が下せるような軽い決断ではない。
誠志郎の目の前に提示されたのは、世界を取るか、萠志を取るか……全ての命運を懸けた、最後の選択肢だ。
だが。
とうの昔に、彼の覚悟は決まっていた。
彼女の言葉が終わるや否や、彼は大きく呼吸をすると、“こちら側の選択肢”へと手を伸ばすのだった。
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ふと、あの怪物の言葉を思い出す。
今やこの領域は、《巫門》が消えたことにより、外界と内界の境界線が曖昧になって、『境界侵犯』が起こっている。
つまり、空間自体が極めて不安定な状態にあり、いつ崩れるかも予測出来ず、足を踏み外したら次元の狭間に放り出される可能性があった。
そうなれば、一生元に戻ってくれなくなる。
そんな中を下手に動き回っても、永遠に目的地に辿り着くことは出来ないだろう。
「チッ、面倒な……」
それは、『外界者』である萠志も同等だ。このままでは、《抑止力》の元へ向かうことが出来ない。
吐き気すら催す歪むに歪んだ空間を睨みながら、萠志は小さく吐き捨てる。
すると、彼女の足元で小さな生物が甲高い鳴き声を上げた。
「ニャァー」
それは、日向寺に置いてきた筈の子猫だった。
そいつの存在に気付いた萠志は、驚きつつ、屈んで手を差し出そうとする。
「ん?お前は……というか、どうやってここに……いっ!?何しやが……っ!」
いきなり、指先を小さな口で噛み付かれた。
痛い……と思ったが、冷静になってみるとあまり痛みは感じない。甘噛みでもしているのか、子猫は妙に唸り声を上げながら、何やら憤怒した様子で顔を強張らせていた。
「フゥーッフゥーッ!」
猫の言葉は分からない。
だが、この態度……人間が見せる、意地っ張りな態度に酷似している。
まるで、何か強い想いを訴え掛けているかのようだ……猫のくせに。
「……任せろっていうのか?うん、そうか……よし、決めた」
だからこそ、決断までに時間は掛からなかった。
そう思わせる程、人間に負けず劣らずな子猫の強い意志は、萠志の心をも動かす。
彼女はその小さくも力強い身体を抱き上げると、名前すらなかったそいつに、新たな存在意義を刻み付けた。
「────サイオン。今からお前の名前は、導き手の後継者だ」
日向寺からこの場所まで、子猫は……いや、サイオンは、自らの足だけで辿り着いた。
その事実には、きっと意味がある。
不思議と、それを信じてみたくなった。
サイオンの澄んだ瞳と目を合わせながら、萠志はこう訴え掛ける。
「聞いてくれ。私は、あいつと生まれて初めて約束した。明日、また会おうって。だから、出来れば、その……いや、絶対に……その約束を、果たしたい」
もしかしたら、否定されるかもしれない。
もしかしたら、ただの僻見かもしれない。
だけど、今の萠志を駆り出す心と身体は、紛れもなく彼の元へ向けられていた。
例え自分が消えることになっても、この想いだけは、最後の最後まで貫き通したい。そう、願うからこそ、立ち止まっていられないのだ。
「だから、お前の手で導いてくれ。私たちが、次の一歩を踏み出す為に。頼むぞ、サイオン」
「ニャァーッ」
言われるまでもない、と言いたげに、サイオンは甲高い鳴き声を上げて、手の中から飛び降りた。
そして、サイオンの先導で、再び走り出す。
世界の命運を懸けた事変を、この手で終わらせる為に。
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「だったら、聞けません」
断言していた。
例え平和を取り戻したとしても、例え世界が元に戻ったとしても……そこに、日那谷萠志が居なければ、何も意味がないのだから。
「信じられない。それでも君は、血の通った人間か?」
尤もな反論だ。
誠志郎が庇う存在は、いうなれば世界の侵略者であり、全人類を危険に陥れた黒幕も同然。
世界的なテロ組織を庇う被害者が何処に居るのか。地球に飛来して大陸を破壊した隕石を擁護する愚か者が何処に居るのか。
端から見れば、それと同等な言葉を口にする彼を、人々は声を上げて罵倒するだろう。
しかし。
彼は知っている、普通の女の子と同じように恥じらう少女が居たことを。
彼は知っている、コンビニ巡りが大好きな庶民的な少女が居たことを。
「どう思って貰っても結構です。だけど、今の俺は日那谷さん一筋ですから。彼女の居ない世界なんて、俺は絶対に認めなくない」
あらゆる出来事に無関心なようで日常を謳歌するのが、日那谷萠志という少女だ。
そんな彼女を捨てて世界を救うのなら、彼は迷わず反抗の声をあげる……簡単に、彼女を見捨てることなんて出来ない、と。
決意の固められた顔をあげると、《抑止力》は溜め息混じりに手を前にかざす。すると、笛のような音が響き、その手中に先端の屈折した短剣が出現した。
「そうか。ならば死ね。最早君も、奴と同じ害虫だ。この世界を乱す、全生物の敵そのものだ」
「……っ!」
逃れる術はない。防ぐ術はない。あとは、あの刃を受け入れるしか、残された道はない。
言いたいことは全部言った。
だけど、せめて最期くらいは、彼女と一緒に居たかった。
死の気配が、迫り、迫り、迫り、そして……。
「────待てよ、《抑止力》」
一陣の風と共に、新たな気配が屋上に現れる。
それは、子猫を片腕に抱え、もう片方の手で見覚えのある刀を携えた、日那谷萠志だった。
ただ、いつもの彼女とは、明らかに雰囲気が違う。
その身を包むのは、淡黄色を基調に蝶柄が装飾された、荘厳ささえ感じる着物。紗綾型模様の帯には、誠志郎が贈った、白色蝶を象る帯留めが着けられている。心なしか、いつもよりも大人びて見える彼女の姿が、彼の目にはとてつもなく魅力的に映っていた。
「日那谷、さん……?」
「馬鹿な、不可能だ……どうやってここまで……」
誠志郎だけでなく、《抑止力》までもが、有り得る筈がない来訪者に目を見張る。
「いいからさっさとそいつから離れろ。こちとら気ぃ立ってんだ。これまで、散々私の生活圏を乱してくれた借りを……今ここで、全部まとめて返してやる」
すると、萠志は緩やかな足取りで歩み寄りながら、鋭い目付きで《抑止力》を睨み付けた。どれだけ神秘的な衣装に身を包もうと、その威圧感だけは健在のようだ。
しかし、《抑止力》も退く素振りすら見せない。
改めて萠志に向き直ると、短剣を前に放り投げる。それは目の前で浮遊し、彼女が両手を横に広げると、徐々に上へ上へと浮かび上がっていく。
「……私は、この世界と、生きとし生ける全ての生物たちの望みと命を背負っている。たかが外界の害虫程度が《抑止力》に勝とうなどと……思い上がるな?」
次の瞬間。
笛の音が響いたと思ったら、短剣が凄まじい速度で分裂を始めた。
二、四、八……百二十八、二百五十六、五百十二……まだまだ、止めどなく、次々と、更に増え続ける。
「君の相手は、全生物の意志だ。この世界を守る為に……君は、ここで必ず仕留める」
最早数えることすら許しはしない。
万……いや、億……下手をすればそれ以上。無限大数に近い刃が《抑止力》の元に集結し、ただ一人佇む萠志に狙いを定める。
そして。
彼女が掲げた両手を、緩やかに萠志へ向けたと同時に────全ての刃が、一斉に射出された。




