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本語り2


「なー、何を見てるんだ?」


 二人掛けのローソファでタブレット端末を見る誠志郎の隣に、萠志が腰掛けて覗き見てきた。

 彼はタブレットを彼女にも向けながら、画面をスライドしてページをめくっていく。


「参考書だよ。今年中に進路も考えないといけないし、ね。具体的な夢とかある訳じゃないんだけど」

「ふぅん……まぁ、大して難しくないな。何処の大学の参考書?」

「あ、えーっと……名前は、忘れちゃったかなぁ……」


 ふと思い立って、都内最難関の大学入試の参考書を見てみたのだが……分かる問題もあれば、分からない問題もある。

 分かる問題は、一割に満たないくらいだが。

 それを平然と、難しくない、と断言出来る萠志には脱帽だ。

 彼女ならば特に勉強しなくても、楽々と難関大学にまで進学を決めてしまいそうな気がする。

 少しだけ羨ましい気もしたが、そもそも人ならざる者ならば、あまり気にしなくとも実現出来るものなのかもしれない。


「大学ねぇ……興味はないけど、お前が行くんなら私も行ってみるかな」

「そんな軽い感じで……って、萠志さん、ち、近くない……っ?」


 気付けば、萠志の頭が肩に寄り掛かり、息の触れ合う位までの密着状態にあった。

 こうして目の前で見てみると、本当に整った顔をしている。女子は見た目に気を使うものだというが、彼女の場合は、気を使わなくとも充分に可憐で美しい。

 その顔立ちに圧倒され、誠志郎は顔を赤くして身体を震わせると、彼女は軽い上目遣いのまま小さく欠伸をしていた。


「人の裸を二回も見ておいて、ケチケチすんな……ふわぁ……っ」

「うぅ……っ!それを突っ込まれたら反論できない……って、二回?二回も、あったっけ?」


 思い返す限り、先程の自室での騒動しか記憶にない。

 そもそも、萠志とこうして交流する機会もそんなに多い訳ではない。日向寺に来ることはあったものの、庫裏に上がったのは初めてだった気がするが……。


「お前が、覚えていない、だけだ……ふぁ……風呂上がり、見られた……」


 不可抗力だったとはいえ、部屋を覗き見てしまった時は、顔を真っ赤にして怒っていた。それにも関わらず、今はそんな素振りすら見せずに密着している。

 ここまで感情が読み取れないのも、萠志の特徴の一つだろう。

 それはともかく、彼女の言葉を聞いてようやく察知した。

 彼女はこれまでずっと、全ての人間の記憶や意識から消える《孤永》の中を生きてきた。そこから何らかの理由で、誠志郎が脱却したのは三日前。つまり、それより前にも彼女と接していたとしたら、自分自身の知らない思い出があったとしてもおかしくはない。

 その思い出も思い出せないのが、少し悲しい話ではあるが。


「なるほど。《怪者》のそれで……って、風呂上がり!?風呂上がりの日那谷さん見てたの、俺!?」

「すぅ……くぅ……こ、の……へん、たい……」


 驚いて声を挙げた時には、萠志は肩に寄り掛かって眠っていた。

 とても穏やかな寝顔だ。

 ある意味自意識過剰な感情かもしれないが、普段から眠たそうにしているものの、この時ばかりは、いつも以上にリラックスしているように見えた。

 心臓の動悸がみるみる速くなり、思わずその場から立ち上がろうとするが……。


「寝るの早……って、ん?」


 これまたいつの間に……。

 膝の上で、子猫が身体を丸めて居眠りをしていた。

 この子達……打ち解けていないようでも、傍若無人な性格は瓜二つのようだ。人様の飼い猫とはいえ、名前を付けてあげたくなるような愛着が湧いてくる。


「す、少し、落ち着かない、かなぁ……」


 人と人外。

 本来ならば、触れ合うことすら許されない禁断の関係性なのかもしれない。獅門と千流と同じ様に、もしかしたら自身の身を滅ぼす結末を、自ら招くことになってしまう可能性もある。

 誰からも、理解されないだろう。

 誰からも、擁護されないだろう。

 だけどこの瞬間が、幸せだった。

 然り気無く流れる日常の中で感じる彼女の温もりと、この胸の小さなざわめきが、何よりも嬉しくて、優しくて……言葉にならないくらい、幸せなのだ。

 知らず知らずの内に、彼女の中へと消え去った過去の自分も、同じことを考えてくれていたら、と願う。

 どうか────この夢みたいな時間が、ずっと現実であり続けますように、と。


「うんうん、青春だねぇ」


 居間の襖の間からスマホのレンズを向けて、何かを納得した様子で頷く麗衣の姿が目に入った。

 誠志郎は軽く綻んだ顔を叩いて元に戻すと、ジト目で彼女へと声を掛ける。


「えっと、日陰舘さん……何やっているんです?まずはその堂々と構えたスマホを下ろして貰えますか?」

「何言ってんのさ!思い出作りは大切だよ!君もそこにいる以上はしっかりと責任取って被写体になることだね!」

「責任って……撮影会か何かですか、これは……」


 武上誠志郎は、間違いなく、常識を逸脱した世界に足を踏み入れている。

 しかし、不思議なことに、これまで感じたことがない幸福感を抱いていた。

 日向寺に、日那谷萠志が居て、日陰舘麗衣が居て、おまけに子猫が居る。その事実が、この幸福を作り出してくれているのだと、分かっているから。

 あぁ、何というか……本当に平和だ。



─※─※─※─※─※─※─※─※─※─※─



 一族の宿願。

 前人未到の偉業。

 一族の末裔として、それらがどれだけ熱望した称号だったのかは、わざわざ語るまでもない。

 だが、その時ばかりは、どうでも良い称号にしか考えられなかった。


「はぁーっ、はぁーっ……ひゅっ、ひゅっ……ぜぇっ……ん、ぐっ、く……何で、こんなモノを……喚び出してしまったんだ……私は……っ」


 滅びかけていた。

 称号を手に入れるとか、そんな下らないことを言っている場合ではない。あと一秒でも判断が遅かったら……称号どころか、自分自身の命ごと、この世界が崩壊するところだった。

 それを、寸前で止められた。

 代償に、この一瞬で、一生分の身体のエネルギーを使い果たしてしまったかのようだ。

 彼女は額に溢れんばかりの脂汗を滲み出しながら、激しく呼吸を乱して、全身を痙攣させていた。まるで、自身の一世一代の健闘を讃えるかのように。

 しかし。

 悪夢は────既に、根付いていた。


「ギ、ゴビィ、ガ……ガ……ァ、アァ……ッ」


 真っ二つに斬り裂いた物体が、液状化しながら一つに合わさっていく。

 何かが砕け、何かが接合し、何かが擦れ合い、何かがぶつかり合い……思わず耳を塞ぎたくなってしまう程の、恐ろしくも不気味な音を轟かせながら。


「ひ、ぎ……っ!う、そ……そん、な……っ」


 最早『それ』は、恐怖の権化でしかなかった。

 追い出すことも出来なければ、殺すことも出来ない。対話することも出来なければ、和解することも出来ない。

 ならば『それ』を前にした時、一体どうすれば良いのか。

 人々はただ、恐怖に打ち震えて、最後の刻を待つしかないのだ。


「ワレ、メグリ……キゾン、ツイエ、ル……ソウ、ダろう……?」


 次第に、『それ』の身体が構築され、声が鮮明になっていく。

 ギョロリと蠢く二つの眼が彼女を捉え、音を立てて生えていく指先が彼女を差し、やたらと低く掠れた声が彼女を怯えさせた。


「辞め、ろ……喋るな……っ……辞めろぉ……っ!!」

「お前が────唯一の証明者だ」


 意味を、考える余裕すらなかった。

 耳を傾ける気配は、微塵にもなかった。

 恐怖と動悸が全ての感覚を遮断させ、その一瞬だけ、彼女を本物の破壊兵器へと変貌させる。

 『それ』を構成する液体が染み込んだ刀を手に、もう一度、『それ』の首を斬り飛ばすと……。


「黙れぇッ!!違う違う黙れ黙れ違う黙れ違う黙れ違う黙れ違う黙れ違う黙れ違う違う違う違う違うァァァァァァッ!!」


 あとは、無我夢中。

 目の前に佇む怪物を、とにかく、斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬りまくる。

 生き返っては殺し、生き返っては殺し、生き返っては殺し……その繰り返しだ。

 しかし。

 その行為を丸一日近く続けても……。


 ────怪物は、死ぬことがなかった。



─※─※─※─※─※─※─※─※─※─※─



 子猫の引き取り場所として獅門に指定したのは、地元のコンビニ前。彼がやって来るより前に、誠志郎は腕に子猫を抱き、萠志と共にコンビニで気楽な買い物を済ませていた。


「プレミアムデザート、当たった」


 萠志が機嫌良さげに手にするのはコンビニ限定のシュークリーム。

 購入金額に応じてくじ引きをすると応募券が貰えるのだが、時に低い確率で、商品との交換券が出てくることがあるのだ。それで萠志が一枚だけ券を引いたところ、見事、プレミアムデザートの交換券を引き当てたのである。


「日那谷さんって、本当にコンビニ好きだよね。何か理由でもあったりする?」

「手軽、安い、身近。ある意味で、アトラクションみたいなものだから。はむっ」


 和やかな顔でシュークリームを頬張りながら言う萠志。

 アトラクションとは……また変わった見方である。つまり、楽しそうで興味深い場所である、ということだろうか。何事に関しても無関心そうな彼女でも、肯定的な感情を持っていることが分かり、何だか安心した。


「な、なるほど……分かるような、分からないような……」


 少し複雑な心境で苦笑いを浮かべ、二人一緒にコンビニの外へ出る。

 すると、何の前触れもなく、鋭い暴言が空気を揺るがした。


「何ガン飛ばしてんだオッサンよォっ!?」

「こう見えても二十代なんだが……」


 見れば、待ち合わせをしていた獅門が、六人程の不良らしき男たちに囲まれていた。

 彼の隣に何故か千流が立っているのも、今や見慣れた光景である。


「中学生連れてリア充気取りかよ、犯罪臭パネェわぁ」

「わぁっ、リア充だなんてそんなぁ~。あながち間違いじゃないところに魅了があるねぇ~」

「オイ、何処がだ」


 わざとらしく身体をくねらせて言う千流を、獅門は呆れ果てた顔で睨み下ろす。

 散々な言いわれようだが、彼らに困惑した様子は一切見受けられない。むしろ、あんなにも劣勢的な状況でも、互いを警戒し合っているような……他のことにかまけている暇はないと言いたげな、ある種の余裕すら感じられた。


「あの二人、また厄介なことに……って、あ、あれ?日那谷さん?」


 気付けば、隣に立っていた筈の萠志がいない。

 既に彼女は、男たちの集団をど真ん中から堂々と掻き分けながら進み、獅門たちの前に立ち塞がっていたのだった。


「遅い、というより……なんでお前まで居るんだ、仮面女」

「今日は大切の日だからねぇ。あとはぁ、リア充のい・と・な・み」

「うざっ」

「剥ぐぞ」

「ヒドいぃっ!?」


 自分ならば確実に竦み上がってしまうのに……あの人たち、何であんなにも余裕なのだろう。

 突っ掛かってきた不良たちをそっちのけで、完全に自分たちだけの世界に入ってしまっている。

 ただ、その態度には、彼らも大層ご立腹のようだ。


「オイっ!!無視してんじゃねぇよっ!!なにを身内で仲良しアピールしてやがるっ!!」


 不良は顔を真っ赤にして、感情のままに怒鳴り付けていた。

 少しだけ、彼らに同情してしまう。

 このまま流れを読めば、眼中になかった等というテンプレ染みた台詞と共に、また彼らを怒らせる展開になるのなろうが……この時だけは、何かが違った。 


「仲良しじゃねぇよ」

「仲良しとは心外だ」

「仲良しとかウケるぅ」

「……!」


 断言、だった。

 冗談の欠片もない、絶対的な否定。

 不思議なことに、今だけ、その言葉を発した萠志たちの心情が読み取れた気がする。

 こいつらとは一緒にされたくない。

 こいつらと仲良しなんて死んでも御免だ。

 心の底から互いと互いを毛嫌いするような心情が、その時は初めて、痛いほどに伝わってきたのである。


「え」


 いつにも増して。

 そこから先は最早、地獄絵図だった。

 萠志が手にしたビニール傘で薙ぎ払われ、仮面をずらして笑い声を漏らす千流を前に、不良たちが次々と倒れ伏せられていく。

 流石に《怪者》としての力を遺憾なく発揮している訳ではないだろうが……不良たちが断末魔に近い悲鳴を上げて薙ぎ倒されていく様は、とてもではないが、見ていられない。

 呆れ顔の獅門と共に、少女たちの暴挙を止めて、四人揃ってコンビニ前から退散するのだった。

 そして。

 駅前通り、人々が沢山行き交う街道で。


「ほら、さっさと引き取れ」

「フゥニャフゥニャァッ!」


 萠志が暴れる子猫の首根っこを摘まんで、獅門の前に突き出す。

 すると、彼は一度視線を落としてから元に戻すと、ポケットから一枚の紙切れを取り出して彼女に差し出した。


「すまないが、依頼主の連絡先を教えておく。連絡が着くまで、そちらで預かっていては貰えないか?これから、理都を探しに行かなければならなくなったのでな」

「はぁ?」

「理都って、妹さんの……え!?探しに行かないとって、まさか……!」


 何も言わずに、部屋からいなくなってしまった……そういうことなのだろうか。

 彼の言い方から推測した誠志郎は、詰め寄るように協力を願い出る。

 しかし、彼はただただ静かに首を横に振っていた。


「いや、構わないでくれ」

「え?」


 その大きな手で萠志の持つ子猫の頭を撫でると小さく笑う。


「君たちには色々と世話になった。それに、あの住職にもお礼を言っておいて欲しい」

「……お礼?」

「言葉に金は要らない、しかし、俺たちには最も意味があるモノだ。だから、余すことなく、尽くすだけ尽くすべきだろう。万が一の時、後悔することが無いように」


 一つ一つの言動に迷いがなく、堂々と『怪者』と行動を共にする、彼らしい言葉だと思った。

 妹を助け出す為に、正体すら定かではない『怪者』と敬遠し合う姿は、一人の人間として一種の憧れすら抱かせる。

 しかしながら、最後の言葉が妙に力がこもっていたことが少しだけ気に掛かる。

 まるで近い内に、何らかの大きな決断を下す未来を見ているかのような……そんな決意染みた意志を感じた。

 そして、彼の傍で静かに佇んでいた千流は……。


「……ふふっ」


 何かを予期した気配を醸し出しながら、小さく笑い声を漏らすのだった。



─※─※─※─※─※─※─※─※─※─※─



「中学校……」


 誠志郎と萠志と別れ、千流に連れられて来たのは、一ヶ月前まで理都が通っていた波誠第三中学校。また、獅門の母校でもある思い出深い場所だった。

 思い出とは、人に、場所に、記憶に、あらゆるモノに深く刻まれるものだ。

 充実した学校生活を送っていた訳ではないが、思い出だけは鮮明に蘇ってくる。良くも悪くも、外観も雰囲気も当時から何も変わっていない。


「懐かしいだろうねぇ、なんせ一週間ぶりの学校だし。きっと、あの子も泣いて喜んでいるんじゃないかなぁ?久しぶりの学校だぁ、って」


 スキップ混じりの足取りで先導する千流を追い、長い廊下をゆっくりと歩む。

 その後ろ姿を見ながら、学校敷地内に入ってから感じていた違和感を、それとなく尋ねてみた。


「それは良いが、もし知っているのならば教えて貰いたい。休日とはいえ────何故、一人っ子一人いない?」


 生徒、部活動生、教師、事務員の人まで……まるで廃校になってしまったかのように、人の気配が微塵にも感じられなかったのだ。

 そもそも、誰かが居れば、とっくの昔に不審者と見られて通報されているに違いない。ほんの数日前に、千流と一緒に居ただけで警察のお世話になるところだったし。

 すると、彼女は肩越しに仮面の不気味な笑みを見せながら、意味深な言葉を口にするのだった。


「ふふっ、さぁ?“余計なものは排除された”……そういうことなんじゃないのかなぁ?」

「……」


 その口振りを見る限り、少なくとも《怪者》として、何かを理解しているのは間違いなさそうだ。

 無理矢理問い詰めることも出来るだろうが……理都が実質的に人質に取られている以上、下手に刺激するのは得策ではない。

 今は、大人しく従うべき……。

 今は、とにかく、彼女の言う通りに……。

 次第に会話も減っていき、最後には押し黙ったまま廊下を歩く。

 そして、ある教室の前で止まると、彼女は一度獅門を見てから小さく笑い、扉を開いて中へと入っていった。


「……何なんだ?」


 絶対に、何かがある。

 隠すつもりもない嘲笑に、度重なる嫌な予感が心臓を打ち続けた。

 固唾を呑んでから、一度心臓を落ち着かせる為に深呼吸。

 それから意を決して、教室の中へと足を踏み入れる。


「……(ブツブツ)」


 一週間ぶりだった。

 会いたくて、待ち焦がれて、ずっと走り続けてきた。

 その願いが、ようやく実現する。

 教室の中に居たのは、紛れもなく……


 ────甲斐原理都の姿だった。


 窓際の席に座って頬杖を着きながら何事かを呟く妹に、獅門は珍しく声を大にして、彼女の名前を呼んでいた。


「理都!どうしてここに……理都?」

「いっぱい……いっぱい、《同情》して貰わないと……私は、可哀想なんだから……だって、頑張ったよ……顔色伺って、沢山繕って……だって、それしかなかったんだもん……悪くない……私は、悪くない……違う……私じゃない……そうでしょ?だから、だからだからだから……」


 いつもは部屋の扉を隔てて聞こえていた呟きが、今はやたらと鮮明に聞こえる。

 だから、一週間の時を経て、ようやく理解した。彼女は苦しんでいるのではなく、何かを訴えている。

 獅門が目を見開いて理都を見ていると、彼女はグリンと首を回し、血走った瞳で彼のことを睨み付け……。


「────《同情》してよぉ、お兄ちゃぁん?」


 空気すら震わせる声を発しながら、悪魔のような歪んだ笑みを浮かべていた。

 驚愕するに、決まっている。

 動揺が無い方が、おかしい。

 一週間より前は、太陽のように明るくて優しい笑みを浮かべていた彼女が、まるで別人のようだ。

 しかし、不思議な気分だった。

 あれと同じような言葉と笑みを、彼は知っている。ここ数日間、幾度となく見てきた嘲笑染みた顔。いつもは仮面で隠れて見えないが、きっとあれにも顔があれば、理都と同じ様に笑っていた筈だ。

 だからこそ、状況を理解するまで時間は掛からなかった。


「……千流……っ!」


 理都は、彼女の手で狂わされてしまっただけではない。彼女の手駒として、洗脳されている可能性が高いのではないか、と。

 理都がふらついた足取りで近付いてくる中、獅門は教卓に腰掛ける千流を睨み付けると……。


「ふふっ、さぁて……何のことかなぁ?ふふっ、くひふふっ」


 千流は身体を震わせながら、堪えるように笑い声を上げていた。

 一度、主導権を握られては、後は『怪者』の成すがままだ。そこに呑み込まれた者は、何が起こったのか理解出来ぬまま、気付いた時には命を落とすことになるだろう。

 彼女の毒牙は、既に獅門の喉元に歯を立てている。

 後は……ただただ、嘲笑の罠に落ちるだけ。

 その時点で、彼の運命は決定付けられていたのだった。

 

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