本語り3
「思わせ振りなことを言いやがって」
「やだ、熱烈な壁ドン。何のことぉ?」
誠志郎たちから大分離れた公園で、萠志は千流をジャングルジムに叩き付けて、眼前で睨み付けた。
どれだけ睨み付けても、彼女の被る仮面は表情を変えずに笑い続ける。
目の前に居る者を、徹底的に嘲笑うかのように。
それこそが、まさに彼女の本性を現しているかのようで、萠志の苛立ちは募るばかりだった。
「お前、人に対して直接手を下すことはないんだってな?だとしたら、妙な話だ。どうやれば、“既に死んだ人間を自殺させることが出来る”?」
あの時、男たちを殺したのは紛れもなく自分自身だ。
その時点で、彼らには最早命が無い。
自分の意思で動こうが、他者の意思で動こうが、それ以上、無い命を奪うことは絶対的に不可能。つまり彼らの命は、再び動き出す運命を決定付けられていたのだ。
生物の命は一つ。
それは、古来の時代から現代まで、決して覆ることがない生物の真実だ。
「つまり?」
この仮面女は、他者を発狂させて死に追いやる。
その殺害方法は、『自殺』。
命を奪われた時点で、人は自分の意思で動くことは出来ない。つまり、どう足掻いても『自殺』することは不可能になるのだ。
ならば、それを可能にした方法は何か。
結論は、一つしかない。
「お前じゃなかった。あの時、あの場には、私とお前────“もう一体の人ならざる者がいた”ってことだ。お前、そいつを見ているだろ?」
人ならざる者を出し抜き、《孤永》の呪縛すら塗り替えた、奇怪な現象。
それを可能にした────三体目の《怪者》。
間違いなく、あの場にはそれが居た。
そして、その存在をひた隠そうとした千流の思惑は、何処にあるのか……。
「────勿論、見ているよ?」
しかし、千流はアッサリと認める。
飄々とした態度で、わざわざ隠したであろう事実を、簡単に露見してしまった。
あまりにも難なく情報を手に入れてしまった萠志は、一瞬だけ目を丸くするが、直ぐに目を細めて彼女を睨んだ。
「何故、隠した?」
「だってぇ、そうやって情報に翻弄されるあなたたちを見るのが面白かったんだもぉん」
普通、自分たちがそうするから、きっと他の人もそうなのだろう……人間の形をしている物があれば、そこに人間の感情を当て嵌めてしまうのは、当然の認識だ。
しかし、それでも尚、忘れてはならない。
この空野千流は、人ならざる者。
例え、その一連に人の命が掛かっていたとしても、彼女はそれを嘲笑う為に行動する。
例え、その一挙一動で世界の命運が左右されるとしても、彼女はそれを嘲笑う為に利用する。
同じ尺度で考えてはならない。
人の成りをしているが、結局のところ、彼女たちは人ではいられない存在なのだから。
「……この野郎……それで?誰だ、そいつは?」
「ん~、でもなぁ……それはちょっと、ねぇ」
「なに言い淀んで……ん?」
その時、何処かで甲高い鳴き声が木霊する。
二人が同時に反応して、声のした方向を見ると……そこには、三毛猫が一匹と、やたらと小さな黒毛の子猫が歩いていた。
毛色は違うものの、まるで親猫と子猫……そこまで考えた時に、二人同時に直感する。
獅門が探している猫を、見つけた、と。
「……そうだぁ。もし私よりも先にあの猫ちゃんたちを捕まえることが出来たら、好きなことを教えてあげるってのはどぉう?」
提案を受け入れる義理はないが、丁度良い。
この仮面女には、一度何らかの形で一泡ふかせてやりたいと思っていたところだ。それに、勝つことが出来れば、情報も手に入れられて一石二鳥。
萠志は千流から離れて、その場で伸脚。
やる気満々な態度で彼女を睨み付けるのだった。
「面倒臭いけど乗ってやる。約束は守りなよ、仮面女」
「……ふふっ、勿論。勿論、守るよぉ……ふふふっ」
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夕暮れ時の河川敷。
その日も、美しい橙色で染まった空が、道を行く彼らを明るく照らしていた。
先頭を歩くセーラー服の少女が、手を振って後ろ向きで歩きながら、満面の笑顔で後ろを追う男性を促す。
「お兄ちゃんお兄ちゃん!早く帰ろうよー!」
「理都。あまりはしゃぐと転ぶぞ?」
甲斐原獅門は妹の無邪気な姿を見ながら、笑みを溢した。
理都の天真爛漫な可愛らしい振る舞いは、見る者に元気と力を与えてくれる。そんな彼女が、彼にとっては唯一にして最大の自慢であり、何者にも変えがたい存在であると自負していた。
「もー、私だってそんな子供じゃないもん。あ、今日の夕飯は何が良い?」
「君の料理なら、何でも」
「いやぁ、照れちゃうなぁ。でも駄目だよ、ちゃんと食べたいものを教えてくれないと!私が困っちゃうからね!」
仁王立ちで腕を組み、頬を膨らませながら言う理都。
そうやって怒る彼女の顔も、とても愛らしい。別に虐めることが趣味である訳ではないが、彼女のこんな反応を拝めるのならば、少し意地悪するのも悪くないかもしれない。
「それは良くないな。なら、ついでにスーパーに寄って、一緒に今夜の献立を決めるとしようか」
「名案!じゃあじゃあ、よし、よし!それじゃ、スーパーにレッツラゴー!」
理都は獅門の長い腕に手を回すと、腕を振り上げた。
兄妹としては何でもない密着状態であるが、少し顔を赤らめる彼女の顔を見ると、不思議と別の意味合いで意識してしまうモノである。
「これは……」
「えへへぇ、恋人同士に見えるかなぁ?」
そう言って上目遣いで見上げる彼女は、少し恥ずかしそうにも、小さく笑みを浮かべる。
「どちらかと言えば、親子、かもしれんな」
獅門が飄々とした態度で言うと、理都は「えー」と頬を膨らませながら、腕に絡める手に力を込めた。
それが、甲斐原姉妹の日常だった。
彼らなりの普通を存分に楽しみながら、毎日を二人で一緒に過ごしていく。きっとそんな毎日が、明日も、一年後も、十年後も、ずっと続いていくのだろう……そう願っていたのに。
そんな願いは、長く続くことはなかった。
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「え……!?」
あまりにも自然な流れで露見された事実に、誠志郎は思わず身を乗り出す。
彼の過剰な反応に、むしろ獅門の方が驚いた様子で肩を竦めていた。
「いや、すまない。殺された、は言い過ぎか。正確には、狂わされた。多分今も、部屋に塞ぎ込んで呪文めいたことを延々と唱え続けている。そうなってからもう一週間近くになるか……食事も手付かずで、いつ衰弱死するかも分からない状態だ」
理論上、人間は断食して、四ヶ月程度は生きることが出来るらしい。
しかし、実際に空腹のピークを迎えるのは二日後。
そこから先は異常な空腹感が始まり、脂肪が次々と消費されていく。その間は、凄まじい精神的ダメージに悩まされることとなるだろう。
彼女がどんな状況に陥っているのか定かではないが、身体的にも精神的にも、極限にまで追い込まれているのは間違いない。
「病院には、行かないんですか?」
「当の本人が外に出たがらないから、わざわざ医者を呼んだりもしたが……結局、諦めた。何となく、普通の症状ではないことは分かっていたからな」
「空野さんの……人ならざる者、《怪者》の手に掛かっていたと知ったから……?」
獅門の話によると、空野千流は、その顔を見た者を発狂死させる恐ろしい力を持っているらしい。
まるで呪いのような力だが、当然その正体は判明していない。
何故、彼女の顔を見たら発狂してしまうのか、そして最後には死を迎えてしまうのか……いいや、もしくは、理屈なんて存在しないのかもしれない。
そうなれば、最早現代人の知恵や技術だけでは、太刀打ちすることは不可能だろう。
「だが、これまで、彼女の顔を見て魅了された者は、全員例外なく自殺している。それに比べて、一週間もの間生き続けているあいつは……もしかしたら、今も自殺の衝動と懸命に戦い続けているのかもしれない。そう考えたのさ」
「つまり、それを解くには……」
「────空野千流を殺して、根源を断つ。それしか無い」
それしか無い、というより……それに“縋るしか無い”、といった様子だろう。
《怪者》に翻弄されてしまう最大の要因は、情報の少なさ。彼女たちの存在は、最早未確認生命体も同然。もし、人がUMAに遭遇にしたらどうなるのか、その答えを想像できないことと同じだ。
正体も、対応策も、何も分からない。
ただ、それを振り撒いた存在だけが、そこにある。
ならば、事態の解決に乗り出そうとする者たちが出来ることは……元凶の根絶しか他に無い。
それが、本当に解決に繋がるかどうかも、確信を得られないまま……。
「だったら、何故空野さんは甲斐原さんに付いて回っているんでしょうか?」
「知れたことだ。妹のことで試行錯誤する俺のことを傍で見ながら、存分に嘲笑う為。俺はまんまと彼女の餌として、釣られている訳だ」
「……でも……」
千流に対しても同等だが、獅門に対しても、素直に応援の言葉を授けることが出来ない。
何故なら、仮に彼女に《怪者》という呼称が無ければ、残るものは、ただの仮面を着けた女子中学生でしかないのだから。
幾ら未確認生命体とはいえ、彼らと同じ姿形をしていて、同じ様に言葉を発している存在を……さっさと殺してしまえ等と、簡単に切り捨てることは出来ない。
少なくとも、武上誠志郎は、そういう考え方をする人間だった。
「気を重くする必要はない。人と人の関係は、最初から最後まで利害関係で始まって終わる。利益を得る為、愛を育む為、欲を満たす為……俺たちの関係も、その延長線でしかない」
「それは、みんな同じことなんですか?」
少しだけ残酷な感じた言葉に、誠志郎は顔を強張らせて彼の顔を見上げる。
「言いたいことは分かる。だが、同じことだ。それに、そもそもあの少女は人間では無い。だから、俺も“気兼ね無く殺す気になれる”。君も今後、彼女と関わりを持つつもりなら、覚悟だけは決めておいた方がいい。彼女らは、自分たちとは違う、とな」
「……!」
「俺は必ず、妹を救ってみせる。そして、全部が終わった後は……一緒にこういうのどかな場所で、のんびりと散歩でもしたいものだな」
彼らの過去は知らないし、どんな覚悟を持って戦っているのかも分からない。
だけど、最後の穏やかな顔で口にした願いだけは、何としてでも叶えて欲しい。
そう願うばかりだった。
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「意外に追い付けない……つーか、あの仮面女は何処に行ったんだよ……」
運動能力にはそれなりに自信はあったのだが、猫の小柄な身体と身軽さが相手では、中々思うように距離を縮めることが出来なかった。
一方の千流は、公園を出た辺りで盛大につまづいてスッ転んでいたが……大丈夫なのだろうか、色々な意味で。
「ん、猫ちゃん。おいでおいでぇ」
気付くと、道の先でセーラー服を身に付けた少女が屈み、三毛猫と正面から向き合っていた。
彼女に対しては警戒心が解けたのか、差し出された小さな手を嗅ぎながら、ゆっくりと近付いていく。
「あれは、先に捕まえられたな……おーい、その猫をこっちに……」
それは、突然の出来事だった。
ほんの数秒前まで、優しく迎えていた筈の少女が、手に触れた三毛猫を────両手で無造作に、首を握り絞めたのだ。
「猫ちゃんは────駄目ぇ」
「……!?」
萠志が制止の声を上げるより前に、三毛猫は力尽きる。
鳴き声を上げることもなく、その場に倒れ、ピクリとも動かなくなってしまった。
親の危機を察したのか、子猫が茂みから姿を現すが……少女の気配に竦み上がる。
「猫ちゃんはつまらない……だから、《同情》なんて要らない……だからだから、こっち、見ないで?」
少女の手が、目の前で立ち尽くす子猫へと伸びる。
それが子猫の細い首に触れる……その寸前に、萠志が子猫を抱き上げてから、目の前の残忍な猫殺しを睨み下ろした。
「これ以上の面倒事を、私の生活圏内で増やさないでくれるか?」
「……お姉ちゃん、だぁれ?」
「そういうお前こそ……ん?お前、何処かで……」
不思議そうな表情で首を傾げる彼女を、真正面から目の当たりにして、ようやく気付いた。
この少女、見覚えがある。
確か、そんなに遠い昔の話ではない。ごく最近……それも、ほんの数日前……そう、そうだ……駅前通りの裏路地で、男三人組を刺し殺した時だ。
あの時確かに、現場に居た────男たちに拘束された被害者として。
「ご名答ぉ……ぜぇっ、ぜぇっ……ゲホッゲホッ」
「仮面女……!お前、どした?」
満を持して出てきた千流を振り返って見れば、彼女は殆ど肩で息をしながら、強情っぱりな姿勢で仁王立ちしていた。
もしかして……運動、苦手なのだろうか。
流石に可哀想になって珍しく気遣いの言葉を投げ掛ける。すると、彼女は尚も姿勢を崩さずに、首を横に振りながら手を前に突き出した。
「気遣いは無用だよぉ、ゲホッ!猫も先に捕まえられちゃったし、こりゃ負けたなぁ、エホッ!約束通り、答えを教えてあげるねぇ、ウェホッ!」
「……答え?」
「その子があなたの知りたがっていた三人目の《怪者》。名前は────甲斐原理都ちゃん。可愛い名前でしょぉ?ゴホッゴホッ!」
その瞬間、世界が止まった気がする。
今まで抱いていた感情が全て吹き飛んだ。
この女……然り気無い口調で、トンでもない言葉を吐き出しやがった。
目の前の猫殺しの少女が、三人目の《怪者》である……そこまでは良い。
だが、問題はその後だ。
「…………“甲斐原”?」
「そう────甲斐原獅文の妹ちゃん」
「あーっ!空野ちゃんだーっ!ねぇねぇ聞いて聞いてぇ!今日もいっぱいいーっぱい《同情》を貰ったのぉ!褒めて褒めてぇ!」
突然、あの甲斐原獅文の妹、甲斐原理都が歓喜した様子で立ち上がり、慣れ親しんだ様子で千流に抱き付いた。
そんな彼女をあやすように頭を撫でると、少し身体を痙攣しながら口元を押さえた。
「おぉよしよし、いい子いい子ぉ。あ、でもあんま寄り掛からないで、リバっちゃう、リバっちゃうから、吐くだけの口ないんだけどオェッ」
「えへへぇ」
これは、目も当てられない衝撃的な光景だ。
最初から理都が千流の味方だった……というのは、流石に有り得ないだろう。だとすれば、千流が何らかの手段で理都を味方に付けるように、洗脳を施したに違いない。
もしこれを、あの獅門が見たら……一体、どんな反応をするのだろうか。
「……この際、方法なんてどうでも良い。何故、あいつの妹を手懐けている?」
「はぁはぁ、あ、落ち着いた。えっとねぇ、オジちゃんは、健気にもこう思っているんだぁ。空野千流の手で狂わされた妹は、今も人知れず自分と戦っている。だから、手遅れになる前に元凶を殺さなくてはならない。何よりも、妹を助ける為に……その肝心の妹が、元凶の手先として踊っているとも知らずにね」
「……だから?」
萠志が鋭い目付きで千流を睨むと、彼女は口元を押さえ、不気味な笑い声を漏らしながら身体を震わせていた。
「ふふっ、もしそれをオジちゃんが知ったら、どう思う?くふふっ、もしどれだけ努力しても永遠に妹は戻らないと知ったら、どう感じると思う?くふふっひひひひっくぃひひひひぃっ!」
それは、マトモな笑い声ではなかった。
とても普通な思考回路で理解出来るような感情ではなかった。
彼女の全ては、《嘲笑》する為に在る。
そこに人の命が関わろうが、自らの生活が乱されようが、一切関係ない。どうすればもっと甘美な《嘲笑》となるのか、もっと愉しい《嘲笑》に変わるのか。空野千流は、自らの歪んだ純粋無垢な感情が満足することだけを考えて、人々を陥れるのだ。
「────完全に無・駄・骨じゃなぁいっ!?そう考えたらもう!もう!興奮しちゃって堪らないんだよねぇぇっ!!」
今だけは、笑顔だけを浮かべる魔法少女が、何よりも不気味に映った。
確かに、まるで魔法のようだ。
ただし、その魔法は誰かを救うとか、誰かを助けるとか、そんなきらびやかな代物ではない。
闇から這い出てきた怪物が、《嘲笑》だけを求めて人々の心を、命を殺していく……悪意に満ち溢れた、どす黒い魔法だ。
そこに巻き込まれた甲斐原兄妹の命運がどこへ向かうのか……それはきっと、この怪物だけが知っているのだろう。
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「お帰り。よくもまぁバイト時間寸前でドタキャンしてくれたもんだ……って、おや?その子猫は?」
日の光が地平線の彼方へ沈み、夜の刻が世界を覆い始めた頃。
日向寺の境内に、萠志が両腕で子猫を抱えながら帰ってきた。麗衣が不思議そうな表情で首を傾げると、萠志はその小さな頭を指先で撫でてから、少し呆れた顔で溜め息を吐く。
「引き取り先に連絡付かないってことで、否応なしに預かることになった。良い?」
萠志の若干意気込んだ雰囲気から、本当に否応なしだったのかは疑問だ。
しかし、別にペット禁止としている訳でもない上に、これも折角の機会と考えれば、たまには彼女の我が儘を聞いてやるのも悪くはないかもしれない。もしかしたら、最近はそんなことばっかりだったかもしれないが……まぁ、気のせいだろう。
仕方がないな、と切り出してから、麗衣は彼女の顔を見ながら小さく頷いた。
「構わないよ」
「ん。明日にでも餌を買ってこないと」
そう言って、つぶらな瞳をした子猫と目を合わせてから、本堂に上がろうとする萠志の後ろ姿を、麗衣は少し強張った顔で見つめる。
「うん、そうだね……明日の為にも、ね」
誰にも聞かれないような声で呟き、密かに刀を握る手に力を込めていた。
その時。
「────躊躇するな、《巫門》」
頭の中で、行動を急かすような声が響く。
「……ッ!《抑止力》……」
その声の正体を、麗衣はよく知っていた。だから、言葉の意味も感情も、何を表しているのかは考える必要はなかった。
そうとも、“やらなくてはならない”。
あとは、その鞘から刀を引き抜いて、思いのままに振り抜くだけなのに……たったそれだけのことが、どうしても、どうしても……。
「忘れるなよ、君の……罪と使命を」
静寂と慟哭が心の中で交わり、渦巻き、麗衣の視界を大きく歪める。
しかし、そんな中でも、日那谷萠志の後ろ姿だけは鮮明に映っていた。
現実は、運命は……とにもかく、残酷だ。
所詮のところ、その渦中で生きる人の力では、そこに抗うことは出来ない。彼らは、最早その上を歩むしか、他に道はないのだから。
だから。
目の前で────萠志が赤い血溜まりの中に落ちた瞬間を目の当たりにしても。
麗衣はただ無心で立ち尽くすことが出来なかったのだった。




