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【日那谷萠志は余命単日につき】 前語り



 前触れもなく、ましてや予兆もなく。


 少女は────クラスメイトを殴り飛ばした。


 『平手打ち』とか生易しいものではなく、確固として硬く握り締められた『拳』で。

 彼女に殴り付けられた男子生徒は、真っ赤に腫れ上がった頬を擦りながら、「何すんだ!?」と憤慨する。

 すると、彼女は冷えきった視線で彼を見下ろしながら、こう返すのだった。


「────別に。ムカついたから」


 その一言に、教室の空気が一気に凍り付く。

 特に、馬鹿にされた訳でもなく、虐められていた訳でもなく、いじけていた訳でもない。それなのに、口にした理由が────ただの苛立ち。

 気付けば、少女に向けられる視線は、恐怖、侮蔑、激昂……明らかな批判の目ばかりが向けられていた。

 しかし、少女は気にも留めない。

 男子生徒をそのままにして踵を返すと、色彩が抜け落ちたようなショートの白髪を掻き上げながら教室から出て行ってしまった。


「あいつ、ヤバくない……?」

「犯罪者の目だよあれは、怖ぁ……っ」

「絶対に何処かで人を殺しているよな」


 音も蓋もない陰口が聞こえてくるが、反論する材料が思い当たらない。

 彼女の言動は、まさに理不尽だ。そして、容赦がない。まるで、あのまま殴り殺していたとしても、平然と「あっそ」と吐き捨ててしまいそうな……そんな気配がしていた。


「ちょっ、ちょっと待って!」


 だから、少年はその後を追い掛けて、問い掛けた。

 何故唐突に殴ったりしたのか?

 何故平然としているのか?

 クラスメイトたちの視線もあるのに、罪悪感も、躊躇もなく、あんな風に人を殴り付けるだなんて……あまりにも人間離れした所業としか思えない。

 しかし、彼女は不思議そうに首を傾げるばかりで、まったく気に病んでいる様子はなかった。


「私が例えあの場であいつを殺しても、別に構いやしないでしょ?」


 いや、いやいや、問題どころか、大事件になるだろう。

 生徒や教師からの評判も悪くなるだろうし、あの男子生徒の親御さんからも批判を食らうことになるかもしれない。下手をすれば、裁判事に発展して罪を問われる可能性も無くはない。

 すると。

 そこで、彼女は初めて微笑み、何かを確信した様子でこう言明するのだった。


「どうせ罪を問われたりもしない。だって────私の命は、今日で終わるから」


 彼女の名前は、日那谷萠志ひなた きざし

 縁玄えんげん高等学校、二年生の女子高生。

 今初めて知ったのは、『余命単日の不幸者』である、ということ。

 それ以外のことは、誰も、何も知らない。



─※─※─※─※─※─※─※─※─※─※─※─※─



 夜でも活気付いている駅前通り。

 仕事帰りのサラリーマンを迎える沢山の居酒屋に、夜遊びを嗜む若者たちが集まるクラブ等。人の集まる場所は、昼であろうと夜であろうと例外無く、人々の為に娯楽と安楽の世界を開かせる。

 その中でも特に人気の感じられない路地裏で、三人の少年たちが輪になりたむろっていた。

 そこは、彼らの溜まり場。

 これから事を起こそうと考えた時、決まって集まる縄張りのような場所だった。


「おいおい、その頬どうした?」

「別に……何でもねぇ」

「オイオイ、放っておいてやれよ。コイツ、学校の女子に殴られてへこんでやがんだって」

「オイッ!てめぇ余計なこと言ってんじゃねぇぞッ!」


 理解し難いのは当然だろう。

 彼はいつも何ら変わらない学校生活を送っていただけなのに……脈絡も無く、突然に同じクラスの女子生徒から、拳で殴り飛ばされたのだから。

 そもそも、今まであの日那谷とは接するどころか、言葉すら交わしたことは無かった。つまり、殴られる謂れも、恨まれる覚えも、紛れもなく皆無だったと断言できる。

 ただ────。


「────んんーっ……!んぅんーっ……!!」


 こうして、辱しめた女たちに一体どれだけ恨まれているのかは、数え切れないと自信を持って言えるが。

 両手を頭の後ろで縛られ、口に布地を捩じ込まれ、涙を浮かべて震えるセーラー服の少女を見下ろし、男は声を上げながらその下半身に手を掛けた。


「あぁぁーくっそ腹が立つッ!!もうとっととヤらせろッ!!こいつでストレス全部発散してやらぁッ!!」


 彼らの目には最初から、女と呼ばれる生物は愛玩物としか映っていなかった。

 仲間たちと一緒に町を彷徨いては、めぼしい女を値踏みして、人気の無い場所まで追跡してから、拉致する。後は、わざわざ語るまでもない。

 そんな遊戯を始めてから、早一ヶ月。

 すっかり女狩りが虜になっていた男たちは、今日も可憐な少女を拘束し、事を起こそうとしていたのだが……。


「────懲りないなぁ、お前」

「あ……ぁ、が……ッ?」


 突然のことだった。

 か細くもやたらと威圧的な声と共に、一番後ろに立っていた男が膝から崩れ落ちる。

 残りの二人が驚愕して後ろを振り向くと、そこには……。


 ────一人の女子高生が立っていた。


 その見覚えのある顔と、他では見たことがない白髪。そして、彼女が手にする、“石突きが鮮血で濡れたビニール傘”を目の当たりにし、男は尋常ではない恐怖心に駆られる。


「てめぇは……ッ!!う、嘘だろ……ッ!?な、なんてことしやがるッ!?」


 ────日那谷萠志、だ。

 昼間に、彼を拳で殴り飛ばした少女が、待ち構えていたと言わんばかりに、冷たい目付きで彼らを見下ろしていたのだ。

 彼女の前に倒れ伏した男は……首元に空いた貫通穴から血を流したまま、ピクリとも動いていない。

 あまりにも突然な事態に、殺されてしまった、という事実に彼らが気付くまで、やたらと時間が掛かっていた。


「言ったよな、ムカつくって。それで察せなかった、お前が悪い」

「ひ、ひぃっ!?や、やべぇよっ!!に、逃げ……ッ!!」


 一番遠くに居た男が、慌ててその場から逃げ去ろうと地面を蹴る。

 しかし、叶わない。

 即座に、風を切る勢いで飛来したビニール傘の石突きが、彼の首を無惨に貫いたからだ。


「ひいぃッ!!?まっ、待てよっ!!わ、分かった!俺が悪かった!だから、もう……頼む、もう辞めてくれぇっ!!」


 次に察知したのは、命の危機。

 男は腰を抜かし、日那谷に向けて何度も何度も頭を下げながら、誠心誠意を持って許しを請う。

 殺人者?通り魔?

 いいや、違う。

 彼の前に立つのは、人間ではない。


 恐らく────人間の皮を被った怪物だ。


 そうでなければ、ただのビニール傘で、あんな躊躇もなくかつ正確に、人間の首を貫くことなんて出来るものか。


「悪かった?頼む?辞めてくれ?それは、何の懇願だ?」

「え」


 日那谷が首を傾げて不思議な表情を浮かべた、次の瞬間。

 男の首が、胴体から転がり落ちた。

 その残酷な光景を、返り血で濡れた顔で見下ろす彼女は、尚も苛立った様子で、男の胸を蹴り倒したのだった。


「何度も言わせんな、私はムカついただけだ。そこに正義も無ければ、悪意も無い。ただ私の苛立ちの為に────ここで死ね」

「ひ、ぃ……ぃ……ッ」


 結果的に救われた身である少女も、あまりにも非道な仕打ちに、恐怖で染まった悲鳴を漏らす。

 そして。

 今宵、その路地裏で起きた悲劇を知る者は……“誰一人として居なくなった”。



─※─※─※─※─※─※─※─※─※─※─※─※─※─



 翌日、縁玄高等学校にて。

 日那谷はいつもと同じ様に、学校生活に勤む。

 しかしながら、無言で教室に入っても、それを気に止めるクラスメイトは────一人も居なかった。

 彼女を諌める者は、誰一人として現れない。

 まるで、“昨日の暴動なんて、完全に忘れ去っている”かのように。

 だが、ある意味当然だろう、彼らにとってはそれが『普通』なのだから。


「おはよう、えっと……」


 教室の席に座ると、隣の席の男子生徒が挨拶をしてきた。昨日、やたらと気に掛けた様子で、何故か、何故か、と問い掛けてきた少年だ。

 彼は歯痒い表情で何かを言い淀んでいたが、日那谷は分かりきった態度で、たった一言だけを投げ掛ける。


「日那谷」

「あ、そうだった、つい“忘れちゃっていた”よ。おはよう、日那谷さん」


 分かっている。

 気にする必要はない、これは“初対面”の挨拶のようなものだ。

 日那谷も彼に倣って、「おはよ」と返すと、直ぐに机の上に顔を伏せて居眠りを始めようとする。 


「なぁおい、聞けよ。昨日可愛い奴見付けてさ。今夜早速ヤりに行くから、お前らも来いよ」

「マジかよ!あ……い、いや、俺辞めとくわ……」

「なにチキってんだよ。いつもは真っ先に食い付いて来てただろうが」


 少し耳を澄ませてみれば、何処かでそんなクラスメイトたちの会話が聞こえてきた。

 人の性は、例え死んだとしても変わらない。

 ただ、歯車と歯車の間に小石を投げ入れる程度の……ほんの少しのきっかけと、微弱な違和感を与えてしまえば、もう元に戻ることは出来ない。

 しかしながら、彼らは未来永劫、その違和感の正体に気付くとこはないだろう。

 即ち、結局のところ────“何一つ何も変わっていない”、のである。


「ふぁぁ……今夜の晩ご飯、何かな……」


 そう。

 クラスメイトを殴り飛ばそうと、クラスに不信感を残そうと、誰かをこの手で殺そうとも、“何も変わってくれない”。

 日那谷萠志は、昨日の命日で終わり、そして今日という命日に始まった。

 ただ一人、《孤永こえい》をさ迷う彼女は、呑気に欠伸をしながら、帰宅後の至福の時間に密かな想いを寄せるのだった。


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