第5話 天才の作るフレーズ
lotus
「あれ、君楽器やってないって言ってなかったっけ………?」
言葉に詰まる。まさかこの先輩だったとは。どうしようか。悪気は無かったとはいえ、嘘を付いてしまっているし、ここで下手に話しかけるのは余りにも気まずすぎる。忘れられてるのが1番だったが、生憎そんな都合良くはいかなかった。
「いや、違う人だったっけ………?」
1人で悩むように呟いている。どうやらごちゃごちゃになっているらしい。はっきり思い出されるより前に何も無かったことにして帰るか。
———でも。どうしても訊いておきたかった。これだけははっきりしておきたい。
軽く息を吐いて、嫌がる口を無理やり開く。
「あの、今弾いてたフレーズって、なんの曲のやつですか?」
自分は割と音楽は広く聴いてる方だと思う。有名どころは大体押さえてるし、大抵の曲なら知っている。どこかのインディーズバンドだろうか。
しかし、帰ってきた答えは全く予想打にしないものだった。
「いや、あの、今なんとなくアドリブで弾いてたんだけど………」
———え、嘘だろ?
「………アドリブ、ですか」
「うん…」
先輩は少し困ったような、何が言いたいのか分からないような顔をしている。
どうしようか。困った。誰かの曲だったらそれを聴いて参考にしようと思ったのに。取り敢えずこの気まずい雰囲気から逃げ出したい。
「あ、そうですか、すいませんありがとうございます」
そう言って今度こそさっさと店を出ようとする。しかし、そうは問屋が卸さなかった。
「あ、君、名前は?」
「………橘、蓮です」
流石にこれを無視して変えるような無礼なことは出来ない。
「俺、八朔直樹!えっと、ギターやってるの?」
八朔と名乗るこの先輩は俺が手から下げてる買い物袋を見ていた。完璧に誤魔化す事が出来る上手い言い訳が思いつかない。本当の事を話すしかないか。
「はい。あの時は嘘を付いてすいませんでした」
軽く頭を下げる。
「いやいや!そんな事ないよ!そっか、ギターやってたのか………」
八朔は少し考えるような素振りを見せて、また申し訳なさそうに訊いてきた。
「あの、やっぱり俺とバンドとか組まない………?」
あの後誰も捕まらなかったのか。確かにいきなり上級生から一緒にバンドやらないかと訊かれても、良い返事を出す人は少なそうだ。そもそも、当てずっぽうに誘わなくても。
「あの、軽音部とかに訊かないんですか」
「うーん、まぁそうだよね」
八朔の顔が曇った。良く分からんが、何やら事情があるらしい。
「すみません、やっぱり俺」
そこまで言いかけて考え直す。
正直、悔しいけどあんなギターフレーズを俺に作れる自信はない。少なくとも適当にアドリブでは。マンネリ化している自分の曲には喉から手が出る程欲しい。でも……。
「そうだよねごめんね、この話は忘れてくれていいよ」
言いかけのセリフに続く沈黙で、八朔は俺の答えがNOだと判断したらしい。
「じゃあ、失礼します」
三度目の正直で漸く帰ろうとする。しかしどうやら今日の問屋はご機嫌が斜めらしい。
黙って事の顛末を見守っていた店主がわざとらしい咳払いをした。
「あー、急に悪いが2人にちょっと手伝って欲しい事がある」
入口の前で足を止める。咄嗟の事で言葉が出なかったが、代わりに八朔が返事をした。
「はい、何でしょう?」
「うちには地下に併設スタジオが有るんだが、今日は暫く誰も入ってないから機材の調子を見てほしいんだ、アンプとかドラムとか。今ちょっと手が離せなくてな」
八朔にならまだしも、今日初めて来た客になんて事をさせるんだ。客とは余程仲良くするのが店の方針なのか、それとも人との距離感の測り方が少し下手なのか。
「あ、俺はいいですけど………君は?」
視線が集まる。別に急ぎの用は無いけど、1人では出来ない仕事なのだろうか。しかし、こうなると断りづらい。
そう思っていた時に、背中をひと押しする言葉が放たれた。
「今なら好きなギターで試奏していいぞ。流石に高いやつはダメだけどな」
好きなギターだと?まあそりゃそうか、点検するなら音出しをしなければならない。しかし俺も八朔もギターを持ってきていない。ならば、店にあるのを使うしかない。
「じゃあ、やります」
ずっとテレキャスター1本しか弾いてこなかったから、他の種類のギターに興味はあった。OKを出す良い言い訳を作ってくれたもんだ。
「おーそうか!助かるよ!八朔君が色々知ってるから、橘君だっけ、案内してやれ」
「りょーかいっす!」
2人とも仲良さそうに話を進める。やれやれ、とんだ展開になったもんだ。
だが、もっと八朔が弾くギターを聴けると思うと、どこか心が弾む俺がいたのは否めなかった。