時をつむぐ砂粒
祖父へ
人の記憶というのは不思議なものだ。
降り積もる時間の砂丘に埋もれ、とうに忘れ去ったはずのはるか昔のできごと。それが、ごく些細なきっかけで脳裏によみがえることがある。
幼い記憶はたいてい前後のつながりが不鮮明な断片的なもので、多分に主観的であり、どこまでが事実でどこからが後から造りあげた幻想なのか分からない。
夢のなかのできごとに、少し似ている。
なんの変哲もない一日だった。
仕事を終えて、部屋着に着替え、妻のつくってくれた夕飯を一緒に食べる。
僕たちは夫婦共働きの生活をしているけど、妻の方が定時が一時間早く、残業も滅多にない。
それよりも重要なことに、僕の作るメシは不味い。
自然と毎日の夕飯のしたくは、妻の役割になった。
収入の面であまり大差ない僕にとっては、ありがたくも少し申し訳ない気持ちになる。
「好きでつくってるんだから、気にしなくていいのに」
そう言って妻は屈託なく笑う。
けれども僕は、妻が夕飯を作るのは当然のこと、と思えるほど亭主という役割を果たしている自信がない。そもそも亭主なんていう代物になった自覚もない。
せめても、きっちり手を合わせて「いただきます」と口にする。
レタスとチーズのサラダ。キノコのオイル煮。鶏肉のソテー。
すごく手間暇かかるというわけじゃないけど、僕の好みに味つけされた手料理をありがたくいただく。
食卓をはさんで、僕たちは今日あったできごと、仕事の話、それにもっとくだらなくてどうでもいいような話を、たわいなく喋りあう。内容は少しずつ違っても、昨日もおとといも同じように過ごした、そしてこれからも同じように繰り返すのだろう、ささやかでゆるゆるとした時間が流れる。
その日を少しだけ特別なものにしたのは、二人で食器を片づけたあと、妻が用意してくれたおやつの存在だった。
チョコレートだ。
深緑色の包装紙にくるまれた、少し高級そうな球状のチョコを二つ、妻は袋から取り出して食卓に転がした。
別に食後におやつを一緒に食べることも、珍しくもなんともない。
けれど、その姿形に僕の記憶の何かが引っかかった。
なんとなく見覚えがある気がしたけど、最初は軽い違和感程度でその正体が何かは分からなかった。
包みをあけて、口に放る。
途端、言いしれぬ、胸を締めつけられるような郷愁が全身の皮膚に広がった。
僕はこの味を、たしかに知っていた。
かじると、甘さよりも苦味が口中に広がる。そして球状の表面が割れると、中からとろりとしたブランデーが溶けだす。カカオの香りとブランデーの風味が混じりあって鼻孔に届く。苦くて複雑な味なのに、呑みこむと後味は甘い。
間違いない。昔、一度だけ食べたあのチョコレートと同じものだ。
「どうしたの、味変だった?」
たぶん、僕があまりに真剣に包み紙を睨んでいたからだろう。
妻が心配そうに声をかけてきた。
照れくさくなったのと、安心させようとしたのとで、僕は半端に笑って返す。
「いや、おいしかったよ。これ、どこで買ったの?」
「えっ、ふつうにいつも買い物してる駅前のスーパーでだけど……」
「そうか。ふつうに売ってるものなのか……」
「バラでしか売ってないしちょっと高いから買ったことなかったけど、前からあったと思うわよ。ねえ、それがどうかしたの?」
再び包み紙を前に一人で考えにふけってしまった僕を、妻が下から覗きこむように見える。
まだ不安げな顔だった。
「ああ……。大したことじゃないんだけど、僕がちっちゃい時におじいちゃんにこれと同じチョコレートをもらったことがあるんだ。父方のほうの」
「えっと、お父さんの実家は熊本だっけ?」
「そう。それ以来食べたことなかったから、地元にしかないお菓子なのかと思ってた」
「これと同じチョコだったの?」
「うん。間違いないと思う」
僕の考え事の正体が分かって、妻もようやくほっとしたようだ。
自分の分のチョコをひょいっとつまみ、口に放る。
「……苦い。わたしはこれ、苦手かも」
「ははっ、自分で買ったくせに」
「うぅ。包み紙がかわいいから、おいしーかなって思ったんだもん」
「僕は好きだけどなぁ」
妻は子どもみたいにぷくーっと頬を膨らませている。
居間でごろごろしながら、しばし僕らはたわいないやりとりを交わす。
けど、そうしながらも僕は、突然よみがえった幼い記憶に胸がざわつくような思いを感じていた。
妻にもそれが薄々伝わったのだろう。
「ねえ、あのさ。ちょっと一人で『本の部屋』にいてもいい?」
僕がそう頼んだ時、妻はそれを予期していたように、即座に快諾してくれた。
「もちろん。その代わり、借りてきたDVDあとで一緒に観てもいい?」
「もちろん」
言うまでもなく、僕も快諾を返す。
妻と軽く口づけをかわしてから、僕はダイニングから続く部屋に、一人で入った。
僕たちはいま、2DKの部屋に住んでいる。
籍を入れる前から同棲していたのと同じアパートだ。
結婚して、三年くらいが経ち、互いにもう三十の半ばを過ぎた。
もっといい家に住んだらどうか、と親や周りの者にはよく言われるが、僕たちはあまり気にしていない。
二人で暮らすには、こじんまりとした部屋がちょうどよかった。
もし、手狭だと感じるようになったらその時に引越せばいい。
先のことは先になってから考える。時が流れることに怯える必要はない。
そんなふうに、僕たちはゆるやかな二人の時間を重ねてきた。
同棲カップルで2DKの間取りなら、それぞれの部屋に割りあてるのがふつうだろうけど、僕たちの場合は少し違う。
二人の寝室は一緒で、その代わり一室を「本の部屋」または「ひとりの部屋」と呼ぶスペースにしていた。
名前の通り三方の壁を本棚が占め、文机と椅子が用意されている。(ただし本棚の中身は本だけとは限らず、DVDやゲームのパッケージ、アニメのフィギュアやぬいぐるみなんかもぎゅうぎゅう詰めこまれている)
喧嘩をすることは滅多にない僕たちだけど、時折僕も妻も、無性に独りの時間を過ごしたくなる時があった。
たとえば、いまがそうだ。
不意に立ち現れた古い記憶に、じっくりと向き合いたいような時。
そんな時間を尊重するために「本の部屋」はあった。書斎、なんて呼べるほど立派なものじゃないから「本の部屋」。
僕は椅子に座ると、いまだ手のなかでもてあそんでいたチョコの包み紙を机の上に放る。
だんだんと幼い記憶は輪郭がはっきりしてきて、僕は子ども時代の感覚を全身で味わった。
そう、あの時もじっと机の上に目を凝らしていた。見つめていたのは、チョコの紙じゃないけど。
祖父の顔が頭に浮かぶ。
白髪頭に九州男児らしい角ばった頬。だけど、笑い顔はどこか子どもめいていて、無邪気な雰囲気があった。新しいもの好きで、時代に先駆けてパソコンを買ったり、お気に入りの一眼レフのデジカメで写真を撮ってはブログを更新したり、フェイスブックに登録したのも、両親よりもずっと早かった。
五年前祖父が亡くなった時、僕は葬式に参加しなかった。
示しあわせたかのように、その二カ月前に母方の祖母が亡くなり、臨時休暇をもらったばかりだったから、職場にまた休みをもらうのが気が引けたのだ。
もともと、小さい頃家族と一緒に、年に何度か帰省するくらいしか会う機会がなかった。
最期に会ったのも、学生の頃九州に独り旅行したついでに寄った時だから、亡くなる十年以上も前のことだ。
それ以来、祖父のことを思い出すことはほとんどなかった。
けど、もしかしたら……と、僕は思う。
あの時、祖父がくれた贈り物。
不思議な十分間がいまの僕を形作っているのかもしれない。
たしか夏休みだったはずだ。
爆撃のような強烈な蝉の鳴き声に毎朝叩き起こされていた。
中学に上がる前だったのはたしかだけど、小学何年生の時だったかはよく思い出せない。
熊本にある父方の祖父母の家に家族そろって帰省していた。
たぶん三、四日くらいは寝泊まりしていたと思う。
家庭菜園で作ったトウモロコシをもぎとったり、庭で花火をするのも楽しかったけど、なんといってもおじいちゃんの家にしかないパソコンのゲームにぼくは夢中になっていた。
そのうちのどれかのお昼頃。
ぼくはこっぴどくおじいちゃんに怒られていた。
理由はよく覚えていない。なにか大人を馬鹿にするようなことを言ったような気もする。
世の大多数にもれず、孫には甘いおじいちゃんだったから、よほどぼくの態度が悪かったのだろう。
父か母に反抗するようなことを言ったとか、料理に手をつけようとしなかったのかもしれない。
ともかくぼくは、怒るはずないと思っていた祖父に怒られて、わんわん大泣きしていた。
怖い、というよりもびっくりしたのだろう。
祖母はこれもまた記念だとでも思ったのか、泣きわめくぼくに向けてにこにことビデオカメラを回していた。泣くのに夢中だったはずなのに、なぜかその光景ははっきりと覚えている。
おじいちゃんはひとしきりぼくを叱ると、客間の隣りの寝室に連れていった。
その時両親がどこにいてどうしていたのかは、よく覚えていない。
寝室は建物の中で一番「おじいちゃん家の匂い」が濃い。それはお線香や畳や木の香りだけじゃない、人の寝起きする住居が持つ、家の記憶の匂いだった。
蒸し暑い夏場に合わせて造られる伝統的な日本家屋は、ふすまを開ければ、ぼくたち家族が泊まっている客間も、台所もテレビの部屋も一つにくっついてしまう。
もっと小さい頃は、縁側の障子も開けて、庭まで含めて家じゅうを走り回って遊んでいた記憶がかすかにある。
けれども、おじいちゃん達の寝室だけは、なんとなく立ち入っちゃいけない気がしていた。
そんな言葉はもちろん知らなかったけど、祖父母のプライベートルームであることを肌で理解していたのだろうと思う。
だから、部屋に入るだけでぼくは緊張していた。
畳の上の座布団に座ると、これから厳しい修行を始める見習い僧侶になったような心地がした。
おじいちゃんがぼくに与えた罰は一風変わったものだった。
「少し待っていなさい」
ぼくが座ったのを見ると、おじいちゃんはそう言いおいて、部屋を出ていってしまう。
一人になると、ぼくは座布団の上で固くなったまま、盗み見るように部屋を見まわした。
小さな胴の仏像、山水画の掛軸、数珠や香炉などの仏具、ご先祖様の位牌。
いま思いかえせばどうということのない品ばかりだけど、宗教的伝統とは無縁の両親に育てられた幼いぼくにとっては、部屋全体がおどろおどろしく畏ろしげに見えた。
戻ってきたおじいちゃんは手になにかを持っていて、それをテーブルの上に置いた。
こつん、と固いもの同士がぶつかる時の音がする。
それは大きな―――といっても巨大というほどでもなく、たぶん十分間ぶんくらいの―――砂時計だった。
ガラスと木の枠が組み合わさった飾り気のないものだ。
けれど、枠木は深い焦げ茶色で、ガラスは透明よりほんの少しだけ青みがかっていて、なんとなく高級感があった。
ガラスの中の砂は細かく星くずみたいで、部屋の明かりにちらちらと光って見えた。
「いまからこの砂が落ちるのをじっと見ていなさい」
「……座って見てるの?」
そうすることになんの意味があるのか分からずに、ぼくは首をかしげる。
「そうだ。最後まで全部見終わったら、ゆるしてやろう」
ゆるしてやろう、なんて言ってるけど、おじいちゃんの声はもうちっとも怒っている感じじゃなかった。
秘密の遊びを教える時そうするみたいに、ぼくと同じ子どもに戻ったような顔をしていた。
いまにもへたくそなウィンクをぱちんとしてきそうだ。
「いいか、どんなに退屈でも目を逸らしてはいかん。じっと砂が落ちるのを見るんだ。まばたきはいいが、よそ見はいかん。いいね?」
「う、うん」
何度も念を押すおじいちゃんの言葉に少しだけ緊張するぼく。
「そうだ。いまのうちにおしっこいってきなさい。戻ってきたらはじめよう」
たぶん砂時計というものを見るのはそれがはじめてじゃなかっただろうけど、この部屋で見るとなにか魔法の道具のように見えた。
トイレから戻ってくると、入れ替わりにおじいちゃんは部屋を出ていった。
この部屋に一人でいるのははじめてのことだった。
ぼくはそっと砂時計を手にとった。
ガラスの表面はひんやりとしていた。
ひっくり返して机に置き直す。
なんの合図も音もなく、砂時計は静かに時を刻み始めた。
上辺いっぱいに敷き詰められた砂の中央に、ぽかりと小さな黒い穴が生まれる。
穴に引き寄せられるように砂粒が少しずつ、少しずつ中央へと寄っていく。
ブラックホールのイメージ映像をぼくは思い出した。たまたまその夏休みに見た、NHKの宇宙の番組で映していたのだ。
近づくものを全て無慈悲に呑みこむブラックホールほど、砂時計の穴はどん欲ではなかった。
ごくかすかに、ほとんど減っているのも分からないほど少しずつ、砂粒をかすめとってゆく。
穴からこぼれた砂は、細い糸のようになって下に落ちる。
こっちも、じれったくなるくらい細い細い糸だ。夜空の星みたいに、砂の糸がちらちらとまたたいていなかったら、動いているのかどうかも分からないくらいだった。
下に落ちた砂は、不思議なことに糸の真下ではなく、下辺の端から積もってゆく。
同心円状に薄い砂のカーペットが広がり、ガラスの底辺を消してゆく。残されたガラスの円は少しずつ小さくなってゆき、やがて一面砂に埋まる。今度は少しずつ、砂のカーペットが厚みを増してゆく。それも、じっと見ていもいつの間に積もってゆくのか分からないほど、ゆっくりとした速度で。
最初の一、二分が過ぎた頃、ぼくははや飽き始めていた。
なにもしないでじっとしていると、エアコンもつけていない部屋の暑さが気になりはじめた。
でもぼくはおじいちゃんの言いつけを守って、砂時計を見つめ続けた。
流れる汗を袖でぬぐった時も、目だけは砂時計からそらさずにじっと睨みつづけた。
上の砂と舌の砂がちょうど同じくらいになったころだろうか。
ぼくは不思議な感覚をいだきはじめた。
それを正確に言葉にするのは難しい。
ずっと見つめ続けていた砂時計が段々と大きくなり、視界いっぱいを占めるようになった。砂時計以外のものが目に入らず、見つめているぼく自身の存在も消えてしまったみたいだった。
砂時計のつむぐ時間が音になって聞こえてくる気がした。あるいはそれは、ぼく自身の呼吸のリズムだったのかもしれない。
急ぐこともおこたることもなく、砂時計はゆっくりと均質な時間をつむぐ。
ぼくの呼吸も砂時計のつむぐ時と一体になっていた。
はじめて味わう時間感覚だった。
ゲームに夢中になってあっという間に過ぎる一時間とも、終業のチャイムを待ちわびながらじっと時計とにらめっこする異様に長い五分間とも違っていた。
時間はぼくの内側にあって、ぼくの心は自由だった。
もう、砂時計から目をそらさないようにとがんばる必要はなかった。
ぼくの意識は、血管のトンネルを抜けだして、砂時計と一つになっていた。
気づくとぼくは海にいた。
海水も青空もない。白い砂粒ばかりが視界いっぱいに広がる。
けれど、それが砂漠じゃなくて、海の砂浜であることをなぜかぼくは知っていた。
砂粒の一つ一つが時間のカケラだ。それが無数にどこまでも広がっていた。
砂の上に寝ころがる。
寄せて返す波のせせらぎの代わりに、天井から砂の糸がほっそりと降り注ぐ。
海水浴ならぬ砂浜浴をぼくは楽しんだ。それはとても心地良い感覚だった。一人でもさみしくはまったくなかった。雲の上にいるように身は軽く、けれどそれより意識はしっかり地に足がついていて、降り注ぐ時の粒々を全身全霊で味わっていた。
ほとんど動いているのも分からないくらいだったのに、天井の砂は確実に減っていた。
周縁部分から少しずつガラスの底が顔をのぞかせる。無限とも思えた砂の海の時間が終わる時がきたのだ。
名残りを惜しむ間にも、ガラス部分はテリトリーを広げてゆく。
「え……」
最後の一かけらがこぼれ落ち、ぼくは我に返った。
砂の落ちきった時計はただのオブジェとして、机の上で沈黙していた。
砂が落ちるまでのあの感覚はなんだったのだろう。不思議な経験をしたようでもあり、なにか当たり前のことに気づいただけのような気もする。なんだか頭がぼんやりとして、夢心地だった。
おじいちゃんが部屋に戻ってきた。
ぼくの目を見て、小さくうなずく。きっとそれで全部分かったのだろう。「ちゃんと目をはなさなかったかい」とか「砂時計をずっと見てみた感想はどうだい」みたいなことは何も言わなかった。
ただ一言、「おかえり」
そう呼びかけられた。
よく考えるとずっと部屋にいたんだから、変なあいさつだ。
「ただいま」
けどぼくは、なんの疑問も抱かずに自然と返事をしていた。
「よし。がんばったご褒美をやろう」
そう言っておじいちゃんは、なにかをぼくの手の上に落とした。
それがあのチョコレートだった。
おじいちゃんについて部屋を出たぼくは、なぜか両親に見つからないように、こっそりとチョコを
食べた。
苦くて複雑な味はたぶんまずく感じたはずだけど、その時のぼくは大人の仲間入りをしたような気
がして、なんとなく嬉しかった。
そして、その味を二十年後までも覚えていた……。
ひかえめにドアをノックする音で、僕はおぼろな記憶から我に返った。
どれくらいの時が経ったのか分からない。
うたた寝するくらいの時が過ぎたような気もするし、ほんの一瞬だった気もする。
祖父の家で砂時計を見つめたあの十分間の続きにいるような気分だった。
「紅茶淹れたんだけど……」
ドアを開けると、マグカップを片手に妻が軽く微笑んでいた。
「ありがと。居間で一緒に飲もう」
僕が部屋を出ようとすると、妻は「えっ」と僕の顔を見た。
本の部屋に差しいれてくれるつもりだったみたいだ。
「邪魔しちゃった?」
「ううん。元々本読んでたわけじゃないから」
妻の手からカップを受け取り、後ろ手に扉を閉める。もう追想は十分だった。
居間に戻ったぼく達は、紅茶を飲みながらなんでもない時間を過ごす。
たわいもない会話を交わすけど、なにも喋らない間があっても気にしなかった。
週末で疲れたせいか、あまりDVDを観ようという気分じゃなかった。
妻も同じらしい。軽く身を寄せ、いつまでものんびりとおしゃべりを続けていた。
「明日の休みはどこか出かけようか」
会話の中で、なんとなく僕は提案した。
「うん。明日も天気いいって。でも、あんまり遠出するのは嫌かな」
「じゃあ、近くの川沿いを散歩しようよ。たしか、上流の方に公園があったよね」
「おっ、いいねえ。お散歩、しよ」
妻の賛同は得られたけど、僕は自分で自分の言葉がおかしくて軽く吹きだす。
「どうしたの?」
「いや、僕ら老夫婦みたいだなって……」
つられて妻も軽く笑った。
「ふふっ、たぶん、おじいちゃんとおばあちゃんになっても同じことやってるよ、わたし達」
「そうだね、たぶん」
そうだといいな、と胸の内でほんの少し願いを込めながら僕はうなずく。
僕たちは出会った時から、未来に急ぐこともなく、過去に浸ることもなく、ゆっくりと時間を重ね
合わせ、同じ歩幅で歩んできた。
それが良いことなのか悪いことなのかは分からない。けれど、僕にとって心地よかった。
いままで忘れていたし、そんなこと考えたこともなかったけど……。
もしかしたら、いまこうして妻と出会って、流れる時間に怯えずに、ゆっくりと同じ時をいっしょに重ねていられるのは、幼い頃、祖父が僕にくれた贈り物なのかもしれない。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
楽しんでいただけたなら、幸いです。
もしも一言、二言でも感想をいただければとても励みになります。
また次の作品でお会いできることを、お祈りします。