第二話・異形の怪物
「はあ・・・はあ・・・・はあ・・・・・・」
あれから一体、どれくらい歩いたのだろうか。
速人は突然見知らぬ森の中に現れてから史夏や他の人の姿を探して歩き続け、すでに半日が経っていた。
幸いなことに、歩いてすぐに川を見つけ、流れに沿って歩いているため遭難の危険はなかったが、行けども行けども人里の気配は微塵も感じられない。
「史夏ちゃん大丈夫かな?」
速人は史夏の安否を気にしていた。
このような見知らぬ土地に突然飛ばされたのが自分だけならここまで心配することはなかったのだが、あの時、一瞬だったので確信はないが、自分をここへ送り付けた魔法陣のようなものは速人と史夏の二人の足元に二つ存在していたため、自分と史夏は二人ともここへ飛ばされたとみて間違いないだろう。
最初に近くをくまなく探してみても、史夏は一向に見つからなかったので、速人は諦めて人里を探すために歩き始めたのである。
「・・・それに・・・」
速人は自分の左手の甲に視線を向けた。
「何なんだ?これ?」
ここに飛ばされててすぐに、激痛と共に手の甲に刻まれた不思議な刺青。
それは何かの言語のようにも見えるし、模様のようにも見える。
「絶対無関係じゃないんだよな~」
その刺青はあの魔法陣と似たようなデザインであったし、ここに飛ばされたと同時に刻まれたことから、どうしても無関係とは思えなかった。
そして、それはこの出来事が単なる事故ではなく、何者かの明確な意図によって発生していることを意味するのだが・・・。
「まあ、今は置いといて、早く人里に向かわないと・・・」
今の彼にそこまでを気にする余裕などあるはずもなく、ただひたすら歩き続けるしかなかった。
この時の彼には知る由もなかったのだが、彼の刺青にはこの世界の古い言語で『賢者』と記されているのであった。
さらにどれだけ歩いたのだろうか。
川のせせらぎの音色しか拾わなかった速人の耳に微かに違う音が聞こえてきた。
「なんだ?」
その音にようやく人の気配を感じ取った速人は、川を離れ音のする方向に向かう。
「助かった。ようやく人のいる場所に出たみたいだ」
音のする方向へ小走りで向かう速人。
しばらくすると、森を抜けて少し広い草原と道を見つけた。
「な・・・に・・・・・?」
しかし、彼が見たのはそれだけではなかった。
「何だ?あれは?」
速人がそこで見たものは。
「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
「&$%@*#&%&%~~~~~~~!!」
「&@%#%&$%*@&!!」
黒い異形の怪物に襲われている集団であった。
荷馬車数台と20人程の男たちが怪物数匹に襲われており、あたりには荷馬車の残骸と男たちの死骸と血痕が散らばっていた。
逃げ惑う人々が何を話しているのか最初は全く理解できなかった。
パニックになって上手く喋れていないのかと思ったが、よく聴くと言語そのものが違うようである。
この時、速人は気付かなかったが、彼の左手の刺青が鈍く輝き始めた。
すると・・・・。
「た、助けてくれ!!」
「嫌だ、死にたくない!!」
「ああ、神様!!アシュトル様!!」
突如聞いたこともなかったはずの言語が日本語に聞こえてきた。
そのことに疑問を覚えることもできずに、目の前の惨劇に速人はどうして良いか分からずにただ突っ立っていた。
しかし・・・・。
「グルル・・・・?」
「っ!?」
怪物の一匹と視線が合った。
そのことを理解した速人は猛スピードで振り返り、森の中を走り出した。
(まずい!!気付かれた!!)
野生動物と遭遇した時は、背を見せるとかえって襲ってくるリスクが大きくなると以前テレビで見た気がするがそんなことを考えている余裕などない。
今は一刻でも早く、この場から離れることしか頭になかった。
後ろを気にしながら全力疾走する。
しかし、100mも行かぬ内に、怪物の一匹に追いつかれてしまった。
「くそっ!!」
これ以上逃げ切ることは難しいと思った速人は持っていた竹刀袋から木刀を取り出して構える。
怪物が振るう腕を木刀で逸らし、突進の進路上から体をずらして通り過ぎた怪物に剣先を突きつけて牽制する。
そいったことを何度か続けていくうちに、最初は目の前の状況に興奮して何も考えられなかった頭が次第に落ち着いていった。
(落ち着け。力とスピードは半端ではないが、動きは単調だから見切るのはそう難しくはない。見た目こそ化物だけど、大型動物を対処するのと何も変わらない。木刀だからとどめを刺せないけど殺されないように立ち回るくらいならできる。このまま奴の動きに対処して隙を見て逃げれば何とかなる)
いつの間にかさっきまでの恐怖はなくなり、冷静に今の事態に対処するための思考をしている自分がいた。
怪物に襲われてからどれくらい時間がたったのだろうか。
あるいは数時間かもしれないし、あるいはたったの数分であったかもしれない。
時間の確認のしようがないため体感で把握するしかないのだが、速人の体感ではまるで何年も戦い続けているような感覚であった。
「はあ・・・はあ・・・・はあ・・・・・・・」
そして、速人はいきなり死闘を演じたことによる緊張や何時間も歩き続けた疲労、それに全力疾走からの激しい戦闘により、すでに限界に近かった。
対して相手は異形の化物。
疲れるどころか呼吸一つ乱さぬ様子から、このまま続けていれば先に根負けするのはこちらの方であると予想する速人。
「ブホォッ!!」
「しま・・!!」
そこから先は言葉に出来なかった。
一瞬の隙を見せた速人は怪物の蹴りを喰らい、吹き飛ばされてしまう。
「があっ!!」
まるで車に撥ねられたかの衝撃が速人を襲い、さらに衝撃で木刀が根元からへし折られてしまった。
辛うじて受け身を取ったため、内臓や骨に深刻なダメージはなさそうであるが、激痛が全身を襲い、数秒はまともに動けそうにはなかった。
しかし、今この場において、その数秒が致命的な隙になる。
「グオオオオオオオオ!!」
目の前の怪物は動けない速人向かって、まるで丸太のような腕を振り上げる。
「ここまでかよ。チクショウ・・・」
速人は諦めて目を閉じるが・・・。
予想していたような衝撃が襲ってくることはなかった。
「炎の精霊よ。我が意志に答え集い来たれ。我が敵を灰燼となせ」
その言葉はどう表現すればよいのだろうか。
既知の友人に話しかけるように自然で、しかし大事な試合に挑むかのような厳かさがあった。
それはまるで祈りのようでもあり、歌のようでもある。
速人の知る知識に照らし合わせてもっとも近いものを表すのなら、讃美歌がそれに当てはまるだろう。
いつまでも襲ってこない衝撃と目の前から伝わってくる熱に不審に思って目を開けると。
そこには先ほどまで自分を襲おうとしていた怪物が炎に包まれて苦しんでいる姿があった。
「な・・・・」
速人は突然の生物発火現象に驚きを隠せなかった。
しかし、怪物は炎を振り払い声の方向に視線を向ける。
そこにはマントのようなものを纏った男が立っていた。
マントの下から金属板と皮で作られた鎧のようなものが顔を覗かせ、腰には西洋の両手剣のようなもの(強いて言うならバスターソードが近い)が携えられている。
「そこの君!!大丈夫かい!?」
男は怪物に大してダメージを与えられなかったことを悟ると、腰の剣を抜いて刀身に炎を纏わせながら怪物に切りかかった。
「はあああああああああああ!!」
「グオオオオオオオオ!!」
熱で切れ味をあげた剣に切り裂かれ、怪物は悲鳴をあげる。
しかし・・・・・・。
「なっ!!」
「この程度じゃ浅いか。ギリギリ致命傷を外しやがった」
怪物の傷口がみるみる塞がっていく。
そんな生物の構造を無視したかのような光景に速人が絶句していると・・・。
「この程度で何を驚いている!!確実に心臓か頭を潰さないと悪魔族はいくらでも再生するぞ!!」
「悪魔族・・・?」
初めて耳にする単語に困惑を隠せない速人。
再生を終えた悪魔族の怪物と睨みあいの状態になった。
互いが互いを警戒してうかつに飛び込めない状況なのである。
「あの・・・さっきの炎は?」
「さっきのって魔法に決まってるじゃないか」
当たり前のように返される『魔法』と言う単語に、速人は本日何度目になるか分からない眩暈を覚える。
悪魔に続いて魔法と来たか。
男の現代ではまず見かけないような中世ファンタジーのような衣装といい、悪魔に魔法といい、どうやら自分は地球ですらないとんでもない場所に飛ばされたようである。
同じようにこのような世界に飛ばされてしまった史夏の安否がいよいよ心配になるが、今は目の前に迫る死に対処せねばなるまい。
「全力の一撃だったにも関わらず大して効いてないようだな。剣も紙一重で避けられるし。どうしたもんかな・・・」
男の呟きを聞きながら鞄の中をあさる速人。
鞄をあさりながら思考を止めずに考える。
(落ち着け。考えろ。僕にあの悪魔を倒す方法はなくて、倒せるのはこの男の人だけのようだ。さっきまでは何の躊躇もなく僕に襲い掛かってきていた悪魔が今は警戒して襲ってこないのがいい証拠)
速人は状況を整理する。
目の前の怪物は悪魔族と言い、頭か心臓を潰さなければ死なない。
謎の男はとりあえず味方のようで、炎の魔法と剣を使う。
男の剣は悪魔を切り裂くことが出来るし、悪魔が警戒していることから殺傷能力はある。
しかし、悪魔は素早いため、確実に急所を攻撃できない。
炎の魔法は悪魔には効かないが、痛み自体はあるようで完全に効かなくとも、動きを封じる程度のことは可能であると判断してよいだろう。
「・・・・・・・・・」
そこまで考えて、鞄の中にいつも入れていたある物を見つけた速人は一つの打開案を思いつく。
「あの・・・」
「なんだい!?」
「一つ作戦があります」
「ほう?聞こうではないか」
「さっきの炎はどこにでも出せますか?」
「僕の近くならば好きな場所に出せるよ」
「でしたら、僕が合図したら僕の目の前に炎を出してください」
「?」
「いいからお願いします!!」
「わ、分かったよ・・・」
その時、しびれを切らした悪魔が二人に襲い掛かる。
二人は二方向に別れ、速人が悪魔の前に、男が後ろに回った。
「今です!!」
「ああ、もう!!どうなっても知らないよ!!」
そう言うと男は先ほどと同じ言葉を唱え、速人の前に火球が現れる。
そして、速人は手に持っていたソレ、『消臭スプレー』を噴射した。
「ギャアアアアアアアアアアアア!!」
スプレーのガスに引火した炎は先ほどとは比べものにならない勢いで悪魔を襲い、その顔を襲う。
目を焼かれた悪魔は浴びせられ続ける炎に動きを封じられていた。
「今のうちにお願いします!!」
「でかしたよ!!」
そして、男の白刃が悪魔の胸を貫いた。
「ガアッ!!」
心臓を貫かれた悪魔をその場に崩れ落ち、まったく動かなくなった。
「「はあ・・はあ・・はあ・・・・」」
男と速人はその事実にようやく安堵して腰を落ち着けた。
「凄いね、君。さっきのは何だい?僕でもあそこまでの炎の魔法は使えないよ」
「いや、あの・・・」
速人が行ったことを魔法と勘違いした男に質問責めにあう速人だが・・・。
「あっ!!」
「どうしたんだい?」
「悪魔は一匹だけじゃありません!!向こうに何匹もいましたし大勢の人や馬車が襲われていました!!」
「何!?本当かい!?」
「すぐに助けに向かわないと!!」
「分かった!!案内してくれ!!」
「はい!!・・・・・ええっと?」
速人はここでようやくまだ男の名前を聞いていなかったことに気が付いた。
「ああ、自己紹介がまだだったね。僕の名前はバートンだよ。バートン・アルバート」
「中条速人です。助けてくれてありがとうございました」
「礼はいいから急いで案内して」
「分かりました!!」
それこそが、後に魔王軍との戦闘で目覚ましい活躍を遂げ、その功績から『蒼炎のバートン』と呼ばれるようになる魔法剣士との出会いであった。