第一話・魔王亡き世界
魔王軍が英雄たちにより壊滅させられた後の世界に待っていたのは、未曽有の混乱であった。
一度、魔王軍により奪われた領土や資源を再び取り戻した6つの種族は、それぞれが自らの所有権を主張し始めたのである。
元々の所有権を持っていた種族に返し、魔王軍侵攻以前の状態に戻すべきと言う主張と魔王軍から奪い返した種族に与え、戦で活躍した物への報酬にすべきと言う主張が真っ向から対立することとなった。
さらには、魔王軍に対し、6つの種族が力を合わせて戦っていたことが、皮肉にもこの事態をややこしくしていた。
混沌としていた戦場では全ての種族に活躍の機会があり、極論すれば全員が所有権を主張する資格があったためである。
ここは人類族の領土、王都『アヴェロン』。
王宮の謁見の間において、人類族の王との拝謁の栄に浴した一人の女性がいた。
「面をあげよ。大騎士ソフィアよ。此度の耳長族との戦、大義であった」
「ありがたきお言葉です」
王の言葉に、女性は鈴のような声を発しながら、伏せられていた視線をあげる。
この謁見の間には、現在、隣国である耳長族領との小競り合いを制したことによる論功のために、多くの騎士や貴族、学士などが集まっているのであるが、彼女の美貌に全ての人間の視線が釘付けになる。
黄金を溶かして作ったかのような美しい金髪に宝石のような碧眼の瞳。
それはまるでこの世で最高の人形師が手掛けたアンティークドールのように美しかった。
彼女の名は、ソフィア・ディム・エヴァンス。
人類族領の公爵家の次女であり、貴族の子女が通う『騎士学院』を主席で卒業し、その後、王立騎士団に入団してから瞬く間に戦場での功績をあげ、最年少で、騎士の中でも特に武勇を示したものに贈られる『大騎士』の称号を王から受け賜わるまでに至った才女でもある。
「耳長族を退けた、主の剣技。実に見事なり。この戦の一番の功績は主の奮闘にあるであろう。そこで、この功績を以て、主を余の娘の『剣術指南役』に任命したい」
王の一言に、謁見の間に衝撃が走る。
先ほどまでの静寂さが嘘のように、ざわめきが広がっていくのが感じ取れる。
剣術指南役とは文字通り、王族に剣技を教える教育係の事である。
しかし、この役職はただ剣技が優れていればなれるわけではなく、それは騎士団の長である騎士団長になるよりも遥かに狭き門であると言われている。
剣技が優れているのは当然として、戦場での功績や武勇も求められるうえ、王族への指導と言う関係上、礼儀作法や高い見識も持ち合わせなければならないのだ。
それを、僅か20歳を超えたばかりの小娘が、候補に選ばれることですら異例であるのに、王直々に任命されたのである。
しかし・・・・・。
「申し訳ありませんが、その役を拝命することはできません」
ソフィアの言葉に、先ほど以上の衝撃が走った。
騎士を志す者にとって、剣術指南役は最上級の名誉であるだけではない。
剣術指南役は、法律上、何らかの特別な権利を持っているわけではないが、王家に連なる者の教育係になると言うことは、王家に対して計り知れない影響力を持つようになることを意味する。
最年少で、騎士として最上級の名誉と地位を前にしながら、ソフィアはそれを辞退したのである。
「そうか・・・何か理由でもあるのか?」
王がソフィアに尋ねる。
「はい。これでも私は、私に剣術を教えてもらった師から、未だに免許皆伝の証を頂いていない若輩者でございます。師を差し置いて、未熟者である私が人に指導する立場に立つのは、おこがましいと愚考した次第です」
「ふむ・・・そうか・・・」
ソフィアの言葉を聞いた王は謁見の間の片隅に佇む初老の男に視線を向けるが、男は苦笑しながら首を横に振って否定の意を示していた。
王がソフィアの『師』と言う言葉を聞いて真っ先に思い浮かべたのが、この男である。
彼は、先代の騎士団長で、現在は騎士学院の学院長をしており、かつては王の剣術指南役でもあったほどの人物である。
人類族領で最年少の大騎士たるソフィアが師と仰ぐ人物など、王には彼ぐらいしか思いつかなかったのだが・・・。
(・・・・おや?)
予想と違う反応に王は訝しみ、同時にソフィアほどの騎士を半人前と扱う彼女の師の正体に興味を持っていた。
「大騎士ソフィアよ。主の師の名前は何と言う?」
「はい。・・・・・我が師の名は、ハヤト・ナカジョウと言うものです」
ソフィアの口から語られる名は、しかし、この場にいる誰もの首を傾げさせた。
騎士たちは口々に「聞いたことあるか?」と互いに聞き合うが、誰もその名を聞いたことなど無かった。
そのことが、この場をますます混乱させることになる。
あのソフィアが師と仰ぐほどの剣術の使い手。
ならば、よほど優れた武勇を持つ高名な大騎士に違いない。
だったら何故、この場にいる誰も彼の名前を聞いたことがないのか。
無銘の大騎士について様々な疑問や憶測が流れるが、誰一人としてその正体にたどり着ける者はいなかった。
極一部の者を除いて・・・・。
「ソフィア様!!」
その時、謁見の間に集まっていた一人が大声でソフィアの名前を呼んだ。
「誰だ!?不敬であろう!!」
「よい。今の声は誰かね?」
突然の声に騎士の一人が今にも抜剣しそうになるのを、王が制した。
「も、申し訳ありません!!学術院所属のエミリー学士です!!」
学士の列から、一人の女性、いや、まだ少女と言ってもいいくらいの女が前に出てくる。
「おお!!学術院の鬼才、エミリー学士!!」
「平民上がりの小娘が不敬な」
「一体何だと言うのかね?」
論功の場に口を挟むと言う不敬を犯した少女に騎士たちは口々に彼女を罵り始める。
学術院とは対魔王軍政策の一環で生まれた教育施設である。
騎士学院が武術や魔法、貴族としての礼儀作法を学ぶ『貴族の為の教育施設』であるのに対し、学術院は才能さえ認められれば、『身分に関係なく』門徒を開く学問の聖地と言われている。
在籍していたという事実だけでも経歴に箔がつき、優秀な成績を修めた者は学士として所属することを許され、潤沢な予算での研究や人類族領の国政に携わることもあるのだ。
エミリーも最年少で学士となって数々の発明をしており、『学術院始まって以来の鬼才』とも言われているのだ。
「エミリー学士。申してみよ」
「あ、ありがたきお言葉です!!それでは・・・ソフィア様!!何故、父上の名を知っておられるのですか!?」
「「「ちち・・・うえ・・・・?」」」
その一言にざわついていた周りが一気に静まり返る。
「あ、あれ?」
しかし、当の本人だけが事の重大さを理解していないようであった。
「エミリー学士よ。ハヤト・ナカジョウとは主の父であるのか?」
「は、はい!!正確には私の義理の父親であります!!」
「その者は何者であるか?」
「王都の外れの片田舎で孤児院と学校を営んでおります!!」
エミリーの口から語られたあまりにも意外な人物像に、「別人ではないか?」と訝しむ声が聞こえる。
「いえ、確かに私がかつて師と仰ぎ、教えを受け賜わったお方は、彼女の義父であるハヤト様に間違いございません。私が騎士学の落ちこぼれであった頃、当時冒険者ギルドに所属していたあの方と出会い、剣を教えていただきました」
彼女のことを騎士学院時代から知る者にとっては周知の事実であることなのだが、意外なことにも、彼女は最初から主席だったわけではない。
騎士学院に入学した当初は、礼儀作用や座学では非常に優秀であったが、肝心の剣技は落第寸前であったのだ。
しかし、ある時期に突如として力を身に着け、元々剣技以外は完璧であったため、瞬く間に主席に上り詰めたのである。
多くの者は彼女の才能が遅れて開花しただけだと思っていたが、彼女が変わる切掛けになったのがハヤトであったのだ。
「俺もちょっといいか?」
そこに更に男の声が割り込む。
「『蒼炎』のバートン殿!?」
「俺も昔、そのハヤトの坊主に色々魔法の指導してもらったことあるぞ・・・・って言うか、そのハヤトを冒険者ギルドに連れて行ったの、俺なんだけど」
「何ですと!?」
金髪碧眼の男、バートンの言葉に更に動揺が広がる。
彼は冒険者ギルドに所属していた冒険者であったが、魔王軍との戦いの為に布告された徴兵令で兵士として集められ、そのまま隣国との小競り合いに駆り出されている高ランク冒険者の一人である。
「一体何者なのだ?ハヤト・ナカジョウと言うのは・・・?」
人類族領有数の大貴族、学術院の学士、冒険者。
出自も経歴も全く異なる彼女たちから共通して語られるハヤト・ナカジョウと言う存在について、今ここにいる彼らの疑問に答える声は存在しなかった。
その後、王宮に所属する人間の身元を徹底的に洗ってみたところ、なんと王宮の人材の中でも次世代を担う若輩層の半数近くが彼と何らかの関わりを持っていたり、彼の孤児院の出身者であることが判明したのだ。
その者の話を纏めてみたところ、ハヤト・ナカジョウの特徴は・・・。
出身・年齢など過去の経歴の一切が不明だが20代前半、黒髪で黄色い肌の人類族である。
王候数学(王宮に所属する人間が使う高等数学)を使いこなし、深い見識や多様な言語を話すことができる。
魔法は使えないが独自の剣術や体術を子供たちに教えている。
昼行燈。
そして・・・・左手の甲に古い文字のような刺青があるということである。
「・・・・・そうか」
報告を聞いた国王は資料に目を落とす。
「・・・とうとう、見つけたぞ!!」
そして、王は手元の羊皮紙を放り投げた。
「馬車を用意しろ!!今すぐにだ!!」
王は使用人に大声で命じた。
「今すぐに、そのハヤト殿をここに連れてくるのだ!!」
慌てて使用人たちは、手配を整えるために部屋を出て行く。
「ついに見つけぞ。・・・『六人目』を!!」