二親に助けられて
父が帰宅して居間に入った時目に入ったのは、母に寄りかかるように座って、その役なら私が、と言う若葉に軽い蹴りを入れている姿だった。
それを見て一息ついて口を一度むっつりとへの字にした後、静かに妻に話しかけた。
「何かあったのか母さん」
「ちょっとね。ご飯は出来てるから適当に食べて」
そう言った妻が幸の肩に腕を廻し、とんとんとリズムをつけて触れ合っているのを見た父、巌は黙って台所に置かれている自分の分の夕食を取りに行った。
そして、いただきますとごちそうさまだけを口にして夕飯を一通り片付けると、自分もいつも座る位置から幸の近くに立った。
「幸成、俺も傍に座っていいか?」
母の肩に預けていた頭を起こしぼんやりと父を見やった後、こくりと頷く幸。
若葉がなにか声を上げていたが、親子三人は特に気に留めなかった。
父と母に挟まれて座る幸はどっちつかずで、母から身を離し真っ直ぐに座っていたが、そんな幸の両手を両親はそれぞれ手に取った。
言葉は交わされないが、それだけでなんだか幸は励まされているような気分になる。
父は何があったのか聞きたいだろうに、幸が自分から話せる様になるまで待とうという姿勢で居てくれる。
その静かな気遣いが幸には嬉しかった。
正直な所、母に泣きついた事だけ一杯一杯で、再び抱え込んでいる事を口に出す気力が今は無いというのが幸の正直な所だ。
なんだか小さな子供になってしまったような気がする幸だが、今日ぐらいはこの安らぎに身を任せてしまいたいと思った。
そして時間が過ぎ、そろそろ寝ようという時間になって若葉が笑顔で幸の後ろでかがみ、その手を幸のわきの下に差し入れて言った。
「さぁそろそろ寝ましょう引田幸、私との時間ですよ」
軽々と立たされた幸は若葉の腕を振り払う。
「今日は親父達と寝る」
幸の発言に肩をすくめ、何を言ってるんだこの子はというオーバーリアクションを返す若葉。
その顔は皮肉気な笑みを浮かべていて、背後の女を見上げる幸にとっては憎々しい。
「何を言っているのですか引田幸。女性に変化してからの二週間、二人一枚の掛け布団の中で過ごした仲ではありませんか。起きている間の癒しはご両親、寝ている間の癒しは私と使い分けませんと」
「もうあの狭いアパートじゃねーんだよ。布団だけ移して親父達と寝るから、お前は一人で寝ろ」
「引田幸。それは何かのいじめですか?親子三人で寝るというのに私だけ一人だなんて」
「お前は弟に両親の寝室で寝る権利を取られた兄貴か!ともかく、今日は俺は親父達と寝たいの。お前は遠慮しろ」
言い合う間にも幸と若葉の間では手を伸ばされてはそれを払うという攻防が繰り返されていたが、いつしか若葉は手を止めると言った。
「はぁ、しかたありませんね。今日は存分に甘えてくると良いでしょう。甘えん坊」
「うっせー。家族だけで話したいこともあるんだよ」
こういわれると若葉はそれ以上何も言わず引き下がる。
幸はちょっかいが出されなくなったのを確認してから父と母に言った。
「それじゃあ……親父、お袋。布団持って行くから場所空けといて」
「分かった」
「はいはい。こっちは後から上がるから先に行きなさい」
「じゃあ行ってくる」
そして部屋を出る幸の後を、若葉がついていく。
そんな彼女に二人は釘を刺す。
「寝るときまでついてこないでくれよ。家族水入らずだからな」
「遠慮してね若葉さん。貴女が幸成に必要な人なのは解るけど、こればっかりは」
二人からの言葉に若葉は少し振り返り答える。
「解っています。今の引田幸には私のような天から与えられた従属物からではなく、地に足のついた関係性を築いてきた貴方達の支えが必要です。よろしく、お願いします」
そう言って頭を下げる若葉に、父も母も自然体で答える。
「自分の子供だぞ。言われなくても支える」
「幸成との付き合いは生まれた時より前からだからね。見捨てたりできるかい」
この答えを聞いて若葉は普段幸には見せないような穏やかな微笑を見せた後、居間を出て行った。
残された二人はそれを見送ると、声を抑えて言葉を交わした。
「……なんで幸成なんだろうねぇ」
「他に出来る人間が居なかったと思うしかないだろう」
「でもねぇ、昼間あんな風に泣く幸成は見たく無かったよ」
今の幸の前では絶対に見せられない、悲しみに歪む母の顔。
それを見て父は呟く。
「泣いたのか。あのお気楽なあいつが」
「生まれてくる子が普通に過ごせない子供だって聞いてね……あの子アレで夢見がちな所があるから、父親はいないけどそれ以外は他の皆と変わらない、幸せな家庭とか想像してたんだと思うけど」
「そうか……今夜はしっかり話を聞いてやらんとな」
「ええ、お願いねお父さん」
こうしてしばらく沈黙の中で互いに寄り添った後、父が口を開いた。
「そろそろ幸成の準備もいい頃だろう。上に上がろう」
「そうね、行きましょうか」
こうして父と母が二階の寝室にあがると、二人の布団の間にピッチリと自分の布団を敷いた中で待っている幸が居た。
そんな息子に、自分達も布団に入りながら二人は声を掛ける。
「待たせたな幸成」
「おまたせ。お母さんちょっと傍に寄ろうか?」
母は幸の方を向き、頷くのを見ると掛け布団の端まで移動して、布団の中で幸の手を握る。
「幸成。ゆっくりでいいからな」
何がとは言わない父の言葉に、幸はゆっくりと呼吸を整えてから小さな声で話し始めた。
「俺この二週間、女になるって事、妊娠するって事を舐めてた。神様が押し付けてきた仕事だけど、サポートしてくれるって言うし、ぽんと産んで育てて終わり、どこかでそんな風に考えてたんだ」
幸は一旦言葉を切る。
しかし父も母も、まだ何も言わない。
ただ、父も幸の手を握った。
「でもそんなんじゃ全然覚悟が足りないって今日解った。覚悟が足りないって解った、でもそれでも俺エコーで赤ちゃんが確かに俺の中で生きてるの見たらなんか、すごいほっとして、わけわかんないけど胸が満たされたような気分になって……」
言葉を重ねるごとに徐々に声色に涙が混じり始める。
それでも父と母は聞き続ける。
「覚悟なんか全然できないけど産みたい……産んであげたいって思っちまったんだ……!俺、俺、普通の子供としては産まれないって言われた後も、そんな事とかどうでもいい気持ちになっで、あがぢゃんうみだいっで……」
それ以上は感情があふれ出して制御できなくなったのか、両親に手を握られながら泣くだけの幸。
元から身を寄せていた母はもとより、父も身体を寄せて抱きしめるようにしながら言い聞かせる。
「いいんだ。幸成。お前の気持ちがそうなら産んで良いんだ。俺も母さんもお前の事を助ける」
「そうよ幸成。あんたが生まれてくる子供を幸せにしたいならお母さん達もできる限りの事をするから。安心しなさ」
「うっぐ、うぐぅぅぅ……ひぃぃぃうぅぅぅ……」
包み込んでくれる温もりに小さな身体でしがみ付いて、ひたすらむせび泣く幸。
父も母も静かにそんな幸を包み込んで感情の昂ぶりが去るのを待ち続けた。
何分かは解らない、だが短くない時間が過ぎてから鼻声の幸が言った。
「なんか泣いちゃったけど……普通じゃない子を産んでも、認めてくれるのかなっていうのが聞きたいんだ。教えてくれよ、親父、お袋」
幸の不安そうな声に父も母も柔らかい声で答える。
「いいんだ。幸成の子供なら俺達の孫だ」
「そうだよ。想像してたのとは違うけど、初孫だしね。可愛がらせとくれよ」
二人の答えに、幸はこくこくと頷くと、搾り出すように言った。
「ありがとう……ありがとう……俺もうこれ以上なんていったらいいかわかんねえ……」
その後の幸は両親に挟まれて、ぐったりと力を抜いて眠りの中へ入っていった。
父と母はそれを確認すると、幸の手を握ったまま眠りに就いたのだった。