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どちらでもない者

 一夜明け、父を送り出してから幸は検査を受ける時にすぐ脱げるような前開きになった長袖のワンピースに、ファーコートを着込み、母の運転する車で一時間掛かる所にある産婦人科のある総合病院へ。

最初は若葉が絶対安心安全な運転手を買って出ていたのだが、免許証ないでしょの一言で撃墜されていた。

そして辿りついた小野鷹総合病院、初診であることと保険証や紹介状などは無い事をロビーの初診受付で話し、しばらく待って診察券を渡された。


 最初は風邪かなにかの来院かと思われていたのだが、産婦人科での受診の希望を伝えると、何度か確認された。

幸いロビーに居る人々はそれぞれの事に気を取られていてさほど目立たなかった。

だが、診察券を持って産婦人科の受付に着くとさすがに好奇の目を浴び始める事になる。

母子連れで検診に来た、にしては娘が大きすぎる、それが和やかに経過の話を交わしていた妊婦達に好奇と疑問を呼び、どういうことかと探るような会話が交わされ始める。

そんな中母が幸に囁きかける。


「大丈夫?辛いならちょっと離れた所にいてもいいんだよ」


 若葉も、周囲の興味がよろしからざるものだと感じたのか幸に進言する。


「引田幸。私の能力ならば若干の心理操作により貴女への彼女達の興味を逸らすことが出来ます。貴女が望むなら即座に実行に移します」


 二人に気遣われた幸は、大丈夫と言う風に若葉の提案を首を振って打ち消した。


「大丈夫だよ。ちょっとくらい妙な目で見られたって俺は平気だ。それにこんなんでわざわざ心理操作なんてしてたら、子供が生まれた後外で抱っこもしてやれなくなっちまいそうだ。だから、いらない」


 幸の、ちょっとした強がりとも取れる言葉に母は黙って幸の手を握る。

若葉は黙って目を瞑り、幸の意向を汲んだ様子で、家で幸をからかっていた時のようなふざけた空気はない。

そんな三人に周囲はひそひそとした声を交わすだけで声を掛ける者は最後に生理がきた日付等の質問が書かれた問診票を持った看護士だけだった。

彼女は幸が問診票を受け取ると一瞬驚きを露にしたが、大きな声を出す事は無く去っていった。

そしてしばらくして問診票が回収され、9時に着いて受付をしたのが正午を過ぎた頃、幸の受付番号が呼ばれた。


「39番さん、三番の診察室へお入りください」


 そのアナウンスに従って幸は席を立つ。

母と若葉はそれに付き従う。


 診察室内で幸を待っていたのは羞恥と忍耐だった。

問診票でも聞かれた最後の生理日は問診票を書くときに若葉と話し合って決めていたのでいい。

だがその後に母体としての機能を調べる内診などは幸に羞恥を覚えさせた。

若葉に身体を洗われる時にそういった部分も触られなかったわけではないが、その時は幸にとっても良く解らない女性の身体の扱い方の指導という側面が強かったので耐えられた。

だが触診によって体の内部まで調べられるのは改めて自分が女になった事を意識させられる上に、担当医になった石塚清が幸の母体としての高機能さに驚くのだ。

これは医療行為と我慢しようとしても、その医療行為を行う人間の感嘆によって、幸を見世物になっているような気分にさせる。

しかし、その触診と合わせて体重測定を除く血圧検査、超音波検査、血液検査を受けさらに診断が進むと、幸の体格と体重が小さく、軽い事意外は十分以上に母体として機能しているという診断が下った。

一週間後にまた診察を受けに来るように言われたが、保険証が現時点では無い事を告げると若干渋い顔をした石塚に次回までにお持ちください、と言われたがそう言った公的な証明証になるような物が入手できるあてができるのは早くとも一ヶ月以上先の事になる。

そこで幸は初めて、どうしようもないので仕方なく、若葉が病院の人間の精神操作を行う事を許可した。


 そして病院から家に帰る車の中、疲れた様子の幸に母が視線はやらずに話しかける。


「大分参ってるみたいだけど、大丈夫?」


「うん。こんなはっきりと女だって解らせられるのがきついとは思ってなかったけど、大丈夫。このくらい慣れなきゃ子供なんて産めないもんな」


「そう?もう一時も周ってるし、気分変えるために外で食べる?」


「いい。家帰ってお袋の飯が食べたい」


 どこか弱々しい声に、母は幸を元気付けるように言う。


「じゃあ何が食べたい?さっと作れる物がいいんだけど」


「んー、この季節蕎麦はまだ冷えるだろうし……ハンバーグ食べたい。ポテト沢山つけて」


「人参も炒めてつけるからね」


「……少なめで」


「はいはい」


 そんな二人のやりとりが終わるのを待って、若葉は茶々をいれる。


「引田幸、あなたはとんだ甘えん坊ですね。その歳になって人参少な目でなどというなんて」


「な、なんだよ。別にいいじゃんか。野菜苦手なんだよ。そりゃ、例外はあるけどさ」


「ほう、ではその例外の野菜とはなんですか引田幸」


「そりゃ、あれだよ、トマトとかさ……お袋の作るトマトケチャップとスープで煮込む豚肉の料理は美味いんだぜ」


「引田幸、ケチャップはトマトとは言いません。確かにトマトは一原料ですがその他諸々のものが足されてすでに別の存在になっているのです」


「う、うるせー。じゃああれだよ、大根の浅漬けとかも食うよ」


「ふふ、それでは朝ごはんに色んな漬物を用意してみましょうか」


「……食べられなくても文句いうなよ」


「解りました。その時は私が責任を持って引田幸の分を食べて差し上げましょう」


 こんな他愛の無いくだらない話をする、それだけでも徐々に幸の声色には元気が戻っていった雰囲気がある。

そして、会話が途切れた頃には少し寝るといって幸は浅い眠りに就いたのだった。




 家の近くの駐車場につくとやんわりと揺り起こされ、家では今回は休んでなと母に言われて若葉と居間で昼のドラマをみながら幸は言った。


「若葉、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」


 暖房のスイッチを入れるためにリモコンを操りながら幸が声を掛ける。


「なんですか引田幸。私のスリーサイズでも気になりましたか?」


「いや、それはいらねー。そんな事よりさ、今日の検診で赤ちゃんの性別はわからなったけど、お前なら知ってるんじゃないの?男と女どっち?」


「知りたいですか引田幸。それなら大好き若葉おねーちゃん、キスして!と言ってください」


 キリッとした表情で言い放つ若葉から視線を外して座卓に頬杖をついて幸は言った。


「あ、じゃあ良いわ。自然に判るのを待つから」


 しかしそんな冷たい幸に若葉はにやりと歯を覗かせて笑う。


「いいんですか引田幸。これは知って心構えをしておいた方がいいと思いますよ」


「な、なんだよ。そんなはったりきかねえぞ」


 幸が若葉の笑みに若干引きながら言うと、彼女は真顔になって続けた。


「いえ、これははったりでもなんでもなく貴女のより一層の覚悟を促す為に知っておいて欲しい情報です」


 若葉のしっかりとした口調に、幸もなんとなく居住まいを正す。


「じゃあ最初っから冗談みたいにいうなよ……で、どんな覚悟が居るんだ?」


「引田幸、貴女がどちらの性別の子供を授かりたいのかはわかりませんが、生まれてくる子供はどちらでもありません」


 若葉の紡いだ言葉に、幸は困惑した表情で問い返す。


「どちらでもないって……よくわかんないけど、両性具有って奴か?」


 幸の自信なさげな声を若葉の冷たいとも取れる冷静な声が打ち砕く。


「違います。引田幸、貴女の産む子供は性別を持たず生まれてきます。男でも女でも無い、そういう子供です」


 その言葉を聞いて、幸は思わず立ち上がりワンピースの裾を掴む。


「なんっだよそれ!別に性別がどっちでもいいじゃんか!なんでわざわざ性別を無くすんだよ!」


「落ち着いてください引田幸。世の中には他人に感じる好意を利用するハニーとラップというものも有るのです。それらの影響を最小限に抑える為に改変者は性を与えられません」


「で、でも他人に好意を持つなんて性別が無くても人付き合いしていけば自然と出てきて……俺の子供が誰かを好きになったらどうするんだよ!」


 冷静さを欠く幸に、若葉はあくまでも冷静に答える。


「改変者はあくまで人間などの生物から変えたい法則の声を聞き改変を行うだけの存在。ですが生物であるが故にどうしても精神活動としての好悪の情は出ます、それを最小限に抑える為の処置なのです。またこのような処置無くして世界の法則を改変する権能は与えられないのです。ご理解いただけましたか?」


「そんな、そんなのってありかよ……俺、生まれてくるのは世界に何か変化はもたらすけど、それ以外は普通で……そんなのを想像してたのに……」


「引田幸。それは幻想という者です。世界の改変者などという存在が普通であるわけがありません。当然その精神性は通常の人間と大きく異なります。覚悟を決めてください」


「そんな、そんな事言われたって、ちょっと、予想外すぎて俺……うっ」


 ぐらりと身体を傾けた幸を、まさに目にも留まらぬ動きで支える若葉。


「調子が悪そうですね。膝枕をしましょうか」


「……いらない。離せ」


「今の貴女を支えるのを止めるとそのまま倒れそうですよ引田幸。それは身篭っている母としてよろしくないのでは?」


「うるせぇ!離せよ!」


 若葉を突き放すと、ふらふらとした足取りでふすまのすぐ向こうで料理をしているはずの母の元へ向かう。

若葉はただ静かにその様子を見守る。


「お袋、お袋、俺、俺……」


「なあに幸成。ハンバーグならまだよ。……なんだか騒いでたみたいだけどどうしたの」


 背を向けてハンバーグの種をこねる母の背中に、幸は抱きついた。


「幸成?」


「お、俺の子供、特別だから普通には生まれないって……う、うー、う゛うぅぅぅ!」


 母は自分の背中に顔を埋めて唸り声のような泣き声を上げる幸の声に、種づくりを止めて手を洗い、素早く拭く。

そしてきつく自分の腰を抱きしめる幸の抱擁の中で振り返ると、力強く抱きしめてやる。


「幸、聞きなさい。普通じゃなくても、それはそれとして認めてあげなきゃダメだよ。認められる自信がないなら、まだ間に合ううちにケリをつけることも考えなきゃいけないよ」


「ふぐっ……ケリって?」


「……こんな事いいたきゃないけど、堕ろすっていう選択肢もあるんじゃないの」


「そ、それは……それは……やだ、やだよ……!」


 叫ぶ幸の身体を揺さぶるように摩る母。

小さな身体は容易く動く。


「なら、愛するんだよ!それしかないじゃないか!自分の人と違う所が負い目にならないように愛してやるんだ、母親になるあんたが!」


「うん、うん……」


 返事を返しながらも母の胸に顔を埋めながら、涙を流す幸の身体にまだ力は戻らない。

そして、自信の篭らない力ない言葉が零れる。


「俺に……変わらず子供を愛することって出来るのかな。ただでさえ世の中には育児放棄する親とかいるのに、俺なんか男から女になった変り種で、妊娠の覚悟なんて全然できてなくて……」


「二ヶ月、二ヶ月たっぷり考えな。それまでにあんたが堕ろすって言うなら私もお父さんも、若葉さんが何を言おうとあんたの味方をする。だから、ゆっくり考えな。今は混乱もあるから早まらずにね」


「うん……ぐじゅっ」


 ようやく自分の胸元から顔を上げた幸の頬を手で包んで母は言った。


「ほれ、今のあんた酷い顔してるよ。顔洗ってきな」


 言われて幸は腕を母の身体から解いて目元をごしごしと擦りながら言った。


「わかった……」


「よし。それじゃあ言っといで。私はハンバーグ作っちゃうからね。どうするにせよご飯はちゃんと食べるんだよ」


「うん。分かった」


 頼りない足音を立てながら洗面所に向かう幸を横目で見送る母。

その目に映る小柄な幸の背中は実際以上に小さく見えていた。

それを見送ってから母は背後に佇む若葉に言う。


「あまりいじめないでやっておくれよ。私にとっちゃまだまだ可愛い子供なんだ」


 若葉は母の言葉に短く返す。


「必要な事ですので」


 彼女の言葉に、母は小さくかぶりを振るのだった。

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