子供で居てくれる時間は
世間では新エネルギー発見に伴いそれを活用する方法の模索と、科学的な分析が開始されたというニュースが流れ出し、幸成が幸になってから5ヶ月が過ぎていた。
幸は既に定位置になった若葉の膝の上で大分目立ってきた下腹部を触りながらぼんやりしていた。
そして時折、ん、と声を漏らしては可愛い顔をだらしなくやに下がらせてお腹を摩る。
気持ちがゆるゆるになっているのが容易に見て取れる幸に母が声を掛ける。
「あんたここの所ずっとそうだねぇ。ちょっとはしゃきっとしたらどうなの」
母の言葉にもにやにやとした顔を元に戻さず、幸は自分のお腹に話しかけるように俯いて答える。
「だって福与が動くのわかるようになったらさぁ、なんていうか、凄い充実感っていうか、幸せな気分になっちゃって……無理だよこんなの。なぁ福与」
そう言ってくすくすとこそばゆそうな顔をして笑う幸の顔に、男だった頃の面影は無い。
まあ顔の造型自体が大きく変わっているので面影が無いのは当然なのだが、今は口調以外に幸が男だったと示すものは一つもない。
その姿は幼い妊婦だが、ほぼ女性。
自分の子供が元気に育っている事を喜んでいる若い母親の姿だ。
「福与、二回お母さんのお腹蹴って」
そんな声をお腹の中の赤ん坊に掛けて幸はお腹に手を当てて、その反応を待つ。
胎内から二度、蹴られる感覚が幸に伝わる。
それを感じて相好を崩す。
その姿は完璧に生まれる前から親馬鹿である。
「引田幸。顔がずっとだらしないですよ」
だらしないと指摘する若葉の声も、楽しげな幸の様子に引かれる様にどこか明るい。
以前は若葉が触ろうとすれば振り払っていた幸も、今では若葉にも触って赤ん坊の動きを感じろと言わんばかりに堂々と触らせる。
「まったくしょうがない子だわ。まぁわからないでもないけどね」
こんな事を言う母も、幸が初めて赤ちゃんが動いたのを感じた日には大いに喜び、何度も何度もそのお腹を撫でていた。
出勤していて今はこの場に居ない父も、その日は祝い酒だと散々飲んで、珍しく次の日二日酔いの頭を抱えて出勤する羽目になっていたのだ。
何も福与の成長で浮かれていたのは幸だけではないのだ。
しかし、そんな空気もその大元であるはずの幸が崩してしまう。
「可愛いなぁ、でもこんな風に言ってられるのも福与が喋れないうちだけなんだよなぁ……」
幸の妊娠が安定し、ある程度のストレスに耐えられると若葉が判断した時点で福与がただの子供ではないという事について更に詳細に語られた。
それは福与が生物的に母を必要とするのは喋れるようになるまでで、それ以降は自らの法則を操り、ある程度独り立ちをしてしまうという事実である。
これ以降の幸の母親としての務めは、改変者に付き従い、改変者が癒しを求める時にそれを与える事。
残酷なようだが、改変者という存在はそのように出来上がってしまっている存在なのだという。
だからか無意識にか意識的にかは解らないが幸は子供との触れ合いを好む。
今も、内側から蹴られたお腹を愛おしそうに撫でている。
だが、生まれないで欲しいわけではない、ただ今注げるモノを全て注ぎ込んでいるだけなのだ。
そんな中、幸が呟く。
「そういえば福与はお父さんがいないの寂しがるかな……なぁ若葉、教えてくれ」
幸の問いに若葉は静かに答える。
「改変者は父を求めません。なぜなら改変者の父親とは神、常に見守り、改変者と繋がっている存在だからです」
若葉の答えに、幸はふっと笑いながらまどろみ始める。
「そっか、じゃあ福与は寂しがらないんだなぁ……なんだか眠くなってきた、ひざ、貸して……」
こくりこくりと舟をこぎ始める小さな身体を、若葉は抱きしめて、誰にも聞こえないように囁く。
「父親役が必要なら、私がその役を果たしてもいいんですよ、引田幸」
しかし誰にも聞こえないように囁いたはずのそれは母に聞き取られ釘を刺された。
「あんたは幸成のお守り役かもしれないけど、娘が女と夫婦になるところまで許すほど私達の心は広くないよ」
「ふふふ、何を今更。父親不在の妊娠を許すなら父親役が女であることくらい些細な事ではないですか」
「それならお父さんがやるから。若葉さんは気にしないで」
「またまた、娘の子供の父親役を実父がするだなんて、なんだか背徳的ですね」
「……あんた見た目は至極まじめそうなのになんでそんな変質的な台詞をぽんぽん言うかね」
「ゴッドジョークという奴ですよ。神は人間の忍耐力を試すものです」
「そんな神様は目の前に居たら拳骨かますところだけどねぇ」
そう言って母はゆっくりと立ち上がる。
若葉は母の姿に感じるものがったのか、言って聞かせるような調子で言葉を紡ぐ。
「待ちなさい引田恵。貴女が今からしようとしていることははなはだ無意味な事。ゴッドジョークですよゴッドジョーク。私ではなく責任は神にあります。そして神は今この場には不在で」
「いいわけすんじゃないの!」
眠る幸を抱えて身動きが取れない若葉の脳天に思い切り母の拳が振り下ろされた。
片手で殴られた所を摩りながら若葉が文句を言う。
「痛いではないですか。こぶになったらどうするんです」
「あんたそんな柔な口じゃないでしょ。まったく」
まったくもうといいながら自分の席に戻った母は、それでもぽつりといった。
「あんたが男で、妙な事言わない人間なら幸成の旦那に据えても良かったんだけどね」
「それこそご冗談を。私はあくまで護衛であり、女性として作られたのも引田幸と常に居られるようにという処置です。異性としてつくるのはナンセンスです」
「あんたは……ほんとどの口で父親役を買って出るなんていえるんだか」
「ふふ、色々と規制されている私の精一杯の愛情表現とでも言っておきましょうか」
「わたしにゃあんたの言ってる事はよくわかんないよ」
ぼやく母の言葉を聞きながら、若葉は腕の中で眠る幸の感じている安心感に、自らも満足を覚えるのだった。




