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ベミエラ編:5


 バルガがベミエラに来てから1月、クラウスがやってくるまであと半月弱。街の病状は著しい好転を見せている。

 かねてからの予定通り、デンタナへ向かう商隊にバルガは同行していた。これは足りない薬を購入するためでもあるし、腕の立つバルガに代え、数人の護衛を鉱山に送るためでもあった。

 ゴーレムを操作する罪人の補充が遅れており、カスケイドはあまり鉄を要求してこなかったので、馬車の荷台には鉄鉱石が乗っている。

 鉄を売るなんて、ちょっと前なら考えられない話だ、と護衛の男たちは笑っていた。


 反乱の気配はベミエラから遠のいていた。聖灯を担保に金を借りるクロードの大胆さが活きたらしく、あれから餓死者は出ていなかった。加えて反乱が成功しても、責任者のクロードは助からない、とバルガはしつこいくらいに触れ回っている。

 カスケイドが人質を家に帰し、子供の呪いを解いたことも大きい。斜面に火箱を設置する人手は求められたが、彼等が酷使されることもなかった。カスケイドへの感情が好転したとは言えないが、もともと彼女が操り人形に過ぎないことを誰もが知っている。


 来年まで様子を見てもいいのでは? 家族を殺された人々にも、そう考える冷静さが戻っていた。反乱後の困難を恐れるが故に、ではあるが。


 しかし未だに襲撃を主張している強硬派がそれなりに居て、何故か彼らまでも冷静なことがバルガの気がかりになっている。この商隊にも何人か居るが、穏健派に転じた人々と諍いを起こす気配もなく談笑している。

 仲間が激減したことで、焦ってもおかしくないのだが。


 冷静で悪いなどということはない。だが、どこか腑に落ちない。バルガはなんとはなしに、今回同行する強硬派を良く観察してみようと思っていた。


 護衛を引き受けたバルガは商隊中程の林側を歩いている。危ないからと周囲の者がいうのも聞かず、彼の隣にヘラは居た。俯き加減で表情はやや暗い。


「お母さんの病気、治りそう?」

「ああ、快方に向かってる」

「正直に言って」

「……元気になったろう? 食事の量も増えて来た」

「お願い、ほんとのこと言って」

「……」


 そんな会話をしたのが10日ほど前である。

 罪人を治療するため、カスケイドの領地へ出入りするようになってすぐ、そこに引きこもったまま出てこないアベルに母親の病状を伝えた。そうすべきだと思ったからだ。

 すると流石にアベルも家へ戻ってきた。アベルはヘラにこの話をしていないようだが、彼の態度は何らかの異変を姉に伝えただろう。自然とバルガの嘘にも限界が訪れる。

 2人の母親に与えている薬は麻薬に近い。骨と皮に痩せこけ、便全てに血が混じる彼女の病状は既に手遅れだった。食べても食べても、彼女は骸骨のように痩せ細ったままだ。

 せめて最期は安らかに、とバルガは考え、苦しみを和らげることだけに尽力している。


 しかしヘラが沈んでいる理由は母親の病状だけではない。むしろアベルとの不和が主因のようだ。ヘラは家に戻ってきた弟と、彼の将来を巡って毎日のように諍いを起こしている。


「お母さんはね、あんたのことが気がかりなのよ」

「……」

「例えばカスケイドがこの街から出て行く時、あんたもついていくんじゃないかってね。いいえ、あの女があんたを放さないかも」

「僕にどうしろっていうんだよ」

「あの女の為に働くのをやめなさい。他の人質と変わらない態度で接しなさいよ。子供で呪いを解かれていないのは、もうあんただけなのよ?」

「……僕が働いてるのは、カスケイドのためだけじゃない。街を守るためでもあるんだ。そんなことも解らないのかよ」

「……!」


 何よりも、場所を選ばないのが良くない。弱りきった母親や、彼女に治療を施すバルガの傍でさえ喧嘩を始める。

 仕掛けるのはいつもヘラだが、彼女の焦燥にも無理はない。母親が死んでアベルがカスケイドの元に帰ったら、彼女はこの家に1人きりだ。

 さらに美しいヘラに言い寄ろうとする男たちが、母親が死ぬのを面倒くさそうに眺めながら待っており、それに気付いているヘラは男たちへの反発を隠さない。


 だがアベルにはそうした姉の苦境よりも、身勝手さの方が目につくらしい。

 カスケイドから自分を引き剥がすために母親をダシにして、他人の前で恥をさらす様な会話をすることも厭わないヘラを、彼は蔑むように見ていた。

 またヘラの方も、カスケイドを悪く言うたびにアベルの反発が強まると解っていても、やめようとしないのだ。


 一度、取っ組み合いの喧嘩に発展したことがある。

 いつもの様に母親へ治療を施していると、居間からヘラの悲鳴が聞こえた。急いで駆けつけると、ちょうど彼女が投げ飛ばされるところだった。

 側頭部から血を流したヘラがおそるおそる身を起こし、怯えた目でアベルを見る。怯えの中には驚きが色濃くあった。

 腕力なら小さく華奢なアベルより、ヘラの方がある。彼女もそう考えていただろうが、その優位をあっさり覆されたのだ。

 なるほど、カスケイドの教育か。とバルガは思った。


「大丈夫か?」

「……」


 バルガに肩を抱えられた姉を見下ろしながら、アベルは他人を見るような顔でこう言った。


「そんなに逃げたきゃ、1人で逃げなよ。……ここには誰かが踏みとどまらなきゃいけないのに。姉ちゃんにカスケイドを悪く言う資格なんて、ない」


 後には母親の、何事かと尋ねる弱弱しい声だけが聞こえていた。


 魔境の傍から逃げたいのはみな同じだ。弟を連れて行きたいヘラにとって、カスケイドの存在は邪魔でしかないだろう。反乱の気配が遠のいたことで、むしろヘラは追い詰められている。皮肉なものだとバルガは思った。


「ヘラ、そろそろ着くぞ」

「ん……」


 隣を歩いているヘラに声をかける。

 幸い道中で現れた魔物も少なく、日が高いうちにデンタナの門を捉えることが出来ていた。



 日が暮れる前に必要な取引を済ませてしまおうと、商隊は広場で二手に分かれた。片方に強硬派が纏まったので、バルガの気がかりはさらに大きくなった。


『ウルザ、彼らを尾行できるか』

『まっかせなさいですとも! ……でもね』

『うん?』

『呼んだらすぐ来てね! 飛んできてね!』

『解ってるよ』


 小さなウルザは露天の天幕から建物の屋根へ登っていった。


「? ウルザちゃん、どっか行っちゃったよ?」

「そのうち戻ってくるさ」


 市場での取引が始まると、ヘラは持ち前の明るさを取り戻していた。そうせねばならない事情があった。

 鉄の値段などはおおよそ決まっているが、少女達が夜なべして作った縫い物や彫刻は商いの腕次第で高く売れる。素材は安くとも手の込んだ民芸品は、別の土地で珍しがられることもあるのだ。

 男達が鉄を売っている間、ヘラは馴染みらしい帝国人たちの商隊を訪ね、それらの民芸品を卸していく。


「今度は飲みに行く約束だったよね」

「あら、そうでしたっけ?」


 尻を撫で回されながらも笑顔で応対するヘラを、バルガはやるせない思いで見ていた。

 そうまでして釣り上げた値段が、彼女の苦労と釣り合うかは疑わしい。あからさまな男連れでは商人が興ざめするからと、護衛のバルガは無関係を装い少し離れていたが、途切れ途切れに聞こえてくる会話から察するに、商人の多くが装飾品に価値を見出している。

 あと幾らかの小銭を上積みし、美しい田舎娘の必死さを愉しんでいるに過ぎない。

 時折彼女が馬車の陰や路地裏に引っ張り込まれそうになると、バルガまで肝を冷やすはめになる。


「はぁっ……」


 いつもの三角巾ではなく、リボンで飾った髪の乱れを整えながら、逃げるように歩くヘラへ近づき、10枚の銀貨束を差し出す。


「お嬢さん、残りは私に譲ってくださいませんか?」

「……へ?」


 銀貨とバルガの顔を交互に見る。


「あなた、そんなに払って大丈夫なの?金貨の1枚も持ってなかったじゃない」

「心配するな。帰りの路銀は報酬で支払ってもらうさ」


 あとで商人を捕まえて、買ったものを売りつければいい。

 半値くらいは取り戻せるはずだ、とバルガは思った。


「嫁入り前の娘が、あんな真似するもんじゃないよ」


 ヘラは暫く呆けていたが、すぐに余裕を取り戻した顔になって言った。


「もしかして、妬いてるの?」

「ああ、そうだよ」

「……」


 余裕タップリの顔が徐々に赤く染まっていく。

 これぐらい微笑ましいのが彼女には似合う、とバルガは思った。


『ちょっとちょっと』

『? どうした?』

『合わせて5人がそれぞれ単独行動に入ったよ』

『荷物は?』

『残った5人に任せきり』

『……荷物番を見張ってくれ。ばらけた連中を追うことはない。無理するなよ』

『はーい』


 隣を歩きながら何か言っているヘラに気取られないよう、バルガは頭を回転させた。

 10人ずつに分かれた商隊がそれぞれ鉄を欲しがる商人を探しているのだから、そこまで不自然な行動ではない。だからこそ、尾行を撒くための意図があるとしたら手が込んでいる。

 ともかく、これで彼らの行動を把握するのは不可能になった。バルガは漠然とした不安を大きくする。


 商人たちの噂話によると、独立した都市群を急速に纏め上げている勢力があるらしい。首魁の名はラヘルで、獣人の女性だという。


 獣人は人間より高い身体能力を持つ反面、人間並みの理性や知性を備えることが稀で、気性が粗暴か卑屈のどちらかに傾きやすい。

 寿命は人間の約半分で、交配のスパンも短く数は多いが、その気質のために彼らの社会は一枚岩になることが出来ず、高い社会性を備えた人間に敗北した。

 人間社会に組み込まれてからは、高い身体能力を買われ、教会の信徒として秘境の魔物退治に勤しむ者、逆にそれを活かして野盗に身を落とす者など極端な分かれ方をする。

 そして一度関係が悪化すると、今度は差別や偏見といった人間社会の機能が関係改善の邪魔をした。ヴィルヘイムは古くから獣人との仲が悪く、街で彼らを見かけることはほとんど無い。

 勢力指導者のような高い地位に着く獣人は、大陸全土を見渡してもきわめて稀な中、ヴィルヘイムのラヘルは異例中の異例と言える存在であった。


 しかし方々で語られている噂からは、ラヘルのカリスマ性を強く感じられる。

 クロードの影に隠れてしまっているが、この国にはもう1人チューゼン(選ばれし者)と称される戦士がいる。

 レックスという名の彼を、ラヘルは一騎打ちで生け捕ったという。


 冒険者や傭兵に仕事を斡旋する中立組織「冒険者ギルド」が、利用者の戦力を格付けをするため作った制度は、今や国が兵士の力を計るために利用するほど浸透している。この制度にチューゼンという区分けがある。

 クラスは1から6まであり、下からプロ(専業)、エリート(精鋭)、アデプト(達人)、ジェネラル(将軍)、ヒーロー(英雄)、レジェンド(伝説)となる。

 ジェネラル以上がチューゼンと呼ばれ、その域に達するのは人口比にして2000万人に1人とされる。さらに格が上がるにつれ発生率は極端に低くなっていく。


 チューゼンの戦力は凡人には計り難く、歴史資料や現存する個人との比較で格付けされてきた。

 ちなみに、レジェンドという格が出来たのは最近のことだ。

 事実上、ウォレスとクロードの為に作られた格である。


 戦士の力は格が上がるにつれ加速度的に強まっていく。「英雄」と称されるような戦士は一騎当千の力を持つが、実際に1人で1000人斬れるわけではない。古来より番狂わせの定番アイテムとして重用されてきた「毒矢」をはじめ、英雄殺しの手法はいくつもある。何者であろうと、1人で軍団を打ち破ることは出来ない。

 チュ―ゼンが真価を発揮するのは、軍団を抱えた時だ。彼らの域に達すると、守りを捨てた渾身の一撃は山を揺るがし海を割るという。なので格別に強い戦士が居る場合、軍団は彼らを守りながら戦うことになる。

 専業100人と精鋭100人が戦っても勝負にならない。精鋭100人に将軍1人が立ち向かっても、やはり勝つ事は難しい。

 ならば専業100人と将軍1人が組んだところで、精鋭200人には勝ち得ないように思えるが、歴史の中で勝ってきたのは将軍を抱える側なのだ。

 勢力図を大幅に動かすチューゼンの動向には、どの国も気を配っている。


(そのレックスを生け捕った、か。それも、たった1合で)


 独立都市を再びヴィルヘイムに併合するため、ラヘル討伐に赴いたレックスは、先方から一騎打ちの要望が出た時に喜んだという。

 ただでさえ疲弊した国軍を消耗せずに済むからだ。結果的には消耗どころか、国軍側からラヘル軍に多くの投降者を出すことになったが。

 そしてこの勝利を期に、ラヘルはいよいよヴィルヘイム王家の打倒を口にする。弱腰の王家を倒し、ヴィルへイムの復権を帝国に直談判するというのだ。それを認めないなら、他国の抵抗勢力とも連携して反乱を大きくするという。


 これに対しヴィルヘイム王家は、ベミエラからクロードを呼び戻してラヘルと戦わせるよう帝国に打診したらしいが、未だにそんな命令は出ていない。

 出る気配もなかった。


(魔境を鎮めるのが優先というのはありがたい。だが属国の内紛を鷹揚に眺めるとは……帝国の考えはちょっと計り知れないな)


 このデンタナもいつラヘルに併合されるかわからないのに、帝国人たちは暢気に商売をしている。たいした度胸だ、とバルガは思う。

 帝国は自国の非戦闘員から略奪を行った敵を決して許さない。商人達は祖国の力を恃みにしているのだろう、ラヘルも帝国人から略奪を行うことはないらしい。

 掟に従う姿勢を内外に示すことで、帝国は大陸を治めてきたのだ。ラヘルもまだ、帝国の逆鱗に触れることだけはしていない。


(しかし今はそれよりも、ベミエラ魔境がどうなるか、だ)


 ラヘルはベミエラ魔境に対し、まだ展望を示していないようだ。ヴィルへイム最大の内政問題について、いずれ王となるかもしれない彼女の意向が解らないのは不気味だった。

 帝国とぶつかるとき、ラヘルはクロードの力を欲しがるだろう。その時ラヘルは魔境よりも、帝国との戦いを優先するだろうか。

 愚かしすぎる悪手だが、無いとは言い切れない。身を焼いてでも帝国を倒したいという人は、今もそこら中に居るのだ。


「ねえちょっと。聞いてんの?」

「ああ、聞いてるよ……それじゃ用事も済んだし、宿に帰ろうか」

「う、うん……」


 商売を終えて宿で合流し、金貸しに利息と幾らかの元金を返すころには、とっぷり日が暮れてしまった。

 商隊は2部屋にすし詰めで雑魚寝した。



 深夜、闇の中に人影が蠢いた。位置で強硬派の1人と解った。

 彼は無音のまま、剣を持って部屋を出て行く。ほとんど間を置かずに数人が後に続いた。

 バルガは全員の寝息を聞くまで眠るつもりがなかったので、それをはっきりとした意識で見送ることができた。


『おやおやおや? これはまた、わたくしの出番ですかな?』

『いや……俺も行く』

『え?』

『ローブから出るな』


 傍にいるヘラの眠りを確かめ、バルガも静かに身を起こした。



 宿には出入り口が2つある。バルガは部屋から遠い方を使い、神経を針にしながらもう一方へと回り込んだ。

 何をするでもない、強硬派はすぐ先にある路地裏でたむろしていた。物陰から暫く見守っても変化はない。


『何してんだろ?』

『誘ってんのさ』


 日に2度も尾行の機会が降って沸いたなら、作意を疑ってしかるべきだった。

 身を隠すのを止め、宿から路地裏へと通りを渡る。右手を見ると、遠くでトーチの光が揺れていた。深夜でも人通りは皆無でないらしい。


「やあ、どうしました皆さん。こんな遅くにお揃いで」

「……。悪く思うなよ、先生」


 商店の外壁を背にしていた中年男が、そのままの姿勢で言う。やはり驚きや気後れは全く感じられない。


「ずいぶんと、せっかちですな――」


 バルガは目を細めた。

 しかし台詞とは裏腹、目の前の男達から剣呑な気配は伝わってこない。長髪を後ろで結んだ若い男などは、こちらを見てさえいない。

 不自然。そこからバルガは新手の存在を意識した。即座に一歩引いて背後を窺ったその時、頬に殺気が叩きつけられる。

 これまで体験したことがないほど大きな、殺気。


「シィー……静かにしな、センセ」


 強硬派の存在を忘れて振り返り、喉から出かけていた悲鳴を言われるままに何とか飲み込む。

 中背の、声から察するに女性と思われるその人は、トーチを掲げたまま通りを渡り、無遠慮に間合へ入ってくる。


「ビビっちゃってカワイイね……ほら、突っ立ってないでちょっと詰めてよ」


 言われるままに後ずさりながら、女性を路地裏へ迎え入れる。

 全身をすっぽり覆っていた緑色のローブから、燃えるような茜色の髪が現れた。髪の中から、虎を思わせる耳が生えている。

 顔の左側を大きな傷跡めいた毛皮が縦断しており、その中にある目は獣よろしく鈍い光を放っていた。


「奥に馬車を待たせてあるんだけど。何も言わずに乗っては……くれないよなあ、やっぱ」

「……まさか、首魁自らお出まし、ですか」

「んー。ま、これじゃあ名乗っちゃったようなモンか」


 バルガは女性――ラヘルが纏う凝縮された気の量に慄いていた。こんな化け物がそうそう何人も居るわけがない。彼女自ら、おそらくはベミエラに何らかの工作をしようとやってきたのだ。


「センセは、こいつ等の異変にいつ気付いたの?」


 トーチの火が不意に消え、音を立てて地面に転がった。

 バルガの周囲をラヘルが回り始める。バルガは横目で、彼女に背負われた大剣の分厚さを確かめた。


「あのチビはあんたの魔導? オレも獣入ってっから解るんだよねー動きで。そいつの頭が人間並みかどうか」

「……」

「ああ、安心しろよ。何も魔導だけをどうこうしようってんじゃないから」

「ベミエラにいるときから、おかしいとは思っていました」


 バルガは乾きかけていた唇を湿らせながら答えた。

 冷静に考えれば、これは大きなチャンスでもある。ラヘルと会談できるなんて、願ってもないことだ。


「仲間がどんどん減ってるのに、彼らは落ち着いていましたから。何か頼みにしているものがあるのか、と」

「ふーん。あ、敬語やめて。センセの方がずっと年上だろ? くすぐったいんだよ」

「解った……ところで、あんたは何をしに?」

「今日のところは、センセを誘拐しに来ただけ。で、それはクラウスを攫うための下準備。クロードやカスケイドだけでもしんどいのに、あんたにまで邪魔されちゃマズいからね」

「……」

「腕のいい魔術師なんだってな。腰抜けのクロードなんざ見限って、オレに付け。金もタップリ払うぞ」

「あんたがベミエラをどうするつもりか、によるな」

「マジメだねーあんた。善玉魔術師ってやつ? ま、いいや。クラウスはベミエラに着いてから攫う。お空からやってくるんじゃ、着地点で待ち受けるしかないだろ?」

「……」

「で、カスケイドを脅して捕まってる連中の呪いを解く。その上で、とりあえず奴の手足を一本ずつ貰う」

「それで? 魔境をどうする」

「これまで通り、カスケイドに頑張ってもらうさ。手当ては頼むぜ、お医者サン。……んで、奴は帝国との交渉材料にする。……帝国にさ、オレが王になったら、奴隷制と帝国人の優遇を止めるって言ったんだ」

「答えは?」

「属国税を2倍に上げるってさ」


 厳しい、とバルガは思った。今も帝国人に好き放題されているヴィルヘイムの経済だが、おそらく今より国は貧しくなる。


「はいそうですか、ってわけには、いかないよなぁ? センセ?」


 バルガの正面で立ち止まり、下から顔を覗き込んでくる。


「帝国とやりあうつもりか」

「連中次第だな。いずれヴィルヘイムが元の姿に戻れるなら、当面は属国でもいい」

「そのために、奪ったカスケイドを交渉のテーブルに乗せる、と」

「奴は大陸で10指に入る魔術師なんだろ? 屑札ってわけじゃねーよな。なぁ、他に札を増やす方法があるか? 言うだけ言ってみろよ」

「……。帝国が大切にしてきたルールの1つに、信賞必罰がある。それだけの力があるんだ。まずはあんたが、帝国のために戦ってみたらどうだ」


 手柄を立てた者を、帝国は決して無下に扱わない。やりようによってはそれも手札になる。

 バルガの提案を、ラヘルは大声で笑い飛ばした。強硬派の1人が思わず路地裏から顔を出して、通りを窺う。


「そんで、反乱起こしそうな奴を潰しに行かされるんだろ?……ごめんだね」

「……それが不都合ってことは、やっぱり帝国と戦うつもりじゃないか」

「そりゃいずれ潰すさ」


 顔が、接するほどに近い。


「テメー、この国を見てきたろ? この国に巣食うクソ虫どもをよ。ありゃ、一体なんなんだ? オレが都市を制圧すると、迷惑そうな顔でこっちを見下してきやがる。商売の邪魔だ、なんて言いやがる。迷惑そうに、見下すんだ。女子供を攫って売り飛ばしてるような連中が!」


 青と金の瞳が燃えている。ラヘルの唸り声めいた怒声がバルガの胸を押し揺るがした。


「大陸の支配者なんざ、いらねぇんだよ。人間は力をつけるにつれ、どこまでも腐っていきやがるからだ。……オレに付け。あんた、魔術師に身を落としてでも人を救おうって男だ。解るだろ、オレの気持ちが、さ」


 時代と、状況が違えばこのまま彼女に付いたかもしれない。

 だが反乱は、最後の最後にすべきだ。腐敗はなにも権力者の特権というわけでもない、多くの血を流すことに意味があるのか、剣を振り上げる者こそがまず省みるべきだ、とバルガは思った。


(他に道はないのか? ……ある。少なくともベミエラには、まだ希望がある)


 カスケイドに言わせればカードがもう1枚必要だが、なんならラヘルを巻き込んだっていい。


(勝てるのか? 帝国に――)


 かつて帝国と戦い、破れた男の横顔が浮かぶ。積年の無念が層を成す彼の横顔。

 ラヘルから言わせれば腰抜けなのだろう。だが彼の決断は、ラヘルのそれよりも重くバルガには感じられた。

 命を投げ打っての「苦言」に留めるのは、支配者の力を認めているからこそ。帝国という怪物を相手に、再び大陸を戦火に包んではならないという強い意志が、彼にはあるのだ。


「ベミエラのクロードを納得させてみろ。彼があんたを認めるなら、従うよ」

「……」


 見る者を慄わせる、ラヘルの獰猛な笑み。


「抜かしやがったな――いいさ。どっちにしろ、オレに靡かないなら奴は倒す。いいところで邪魔されちゃ白けるからな。王家を倒すまでには決着をつけるさ」

「そうかい」

「オレがクロードに勝ったら、あんたもオレに従うんだ。啖呵切ったんだ、誓えるよな」

「誓うとも」

「……それまでは保留ってワケね。だが解ってるだろうけど、センセをベミエラに帰すわけにはいかない。どうしても帰るってんなら、力でここを通りな」

「1つ、頼みがある」

「言えよ」

「市場で買い込んだ薬草にまだ魔術を施してない。あれをそれなり以上の薬に変えて、ヘラに託したい」

「ああ、センセの助手ね。もう医者をやれるのか?」

「医者、をやるのはとうてい無理だ。だが決められた症状に、決められた処置をすることは出来る」

「はいはい。で、薬草はどこにあんの」

「ヘラが抱えて眠ってる」


 ラヘルは渋面になった。


「オレも付いてく」

「――何故」

「起こすなよ。もしオレの存在に気付かれたら、その子も攫う」

「……」

「カスケイドやクロードには、あらゆる準備をさせない。助手に妙なことを吹き込まれても困るからな」


 バルガは薬草への処置を断念し、むしろここから早く立ち去ろうとラヘルに懇願した。

 何かの間違いでヘラがやって来たりしたら……そんな最悪の想像が現実となり、バルガは何年ぶりかに神を恨んだ。


「バルガ、どこ? ねぇ、そこに居るの?」



 ヘラが目を覚ましたのは、悪夢のせいだった。ベミエラで暮らす将来の自分、というのは夢魔にとって格好の題材らしく、近年の定番になりつつある。

 何が自分を苦しめているのか、ヘラ自身にもよく解らない。骸骨のように痩せ細り、先日ついに死の宣告を受けた母親か、カスケイドに阿る弟か。病死した妻を今も忘れない、街の女たちを袖にし続けているクロードなのか……それとも1月前にやって来た黒い魔術師、いずれ自分の元から去ってしまうであろうバルガか。

 あるいは全て、ベミエラという街そのものが原因とさえ思う。愛するものたちが自分を癒してくれないどころか、苦しみを運んでくるという考えは、ヘラにとって受け入れ難いものだった。

 自然と、異物であるカスケイドを一層憎むようになる。


 彼女さえどうにかできれば、アベルは帰ってくる。そう思ってクロードを反乱に誘ったが、どうやら子供の浅知恵だったらしい。

 どういう形であれ、ベミエラの反乱が成功すれば、クロードはその責任を負わされる……バルガが人々に行った警告には説得力があったし、鉄や食料を提供すればカスケイドも態度を軟化させることがわかった。

 反乱はもう成功しそうもない。理由は街が良い方向に進んでいるからだが、ヘラはそれをどこかで不満に思っていた。


 どうしてこうなってしまったんだろう。この先、自分はどうなるんだろう。

 母さんが亡くなったら、アベルはまたカスケイドのところに帰ってしまうだろうか。治安はずっと悪いままで、隣街にさえ1人で行けない状態は続くのだろうか?

 もしそうなら、女優の夢は諦めるほかないだろう。だいいち私は歳を取りすぎた。一座に弟子入りしても、子供のうちから修行してきた人と競争できるとは思えない。

 このままベミエラで、母さんの病気を恐れた男達をどうにか許して、うち1人と結婚して子供を産むんだろうか。あんな街に産まれる子供はかわいそうだ。また何か問題が起きれば、カスケイドは街からお金を巻き上げるのだから。

 子供が人質になるなんて耐えられない。そうなるくらいなら私が呪いを受け、骨と皮まで痩せてやろう。でも夫は街に残ってくれるだろうか。家に居ない女のことなど忘れて、子供と別の街へ逃げてしまうのでは?


「うう……」


 今夜はゾンビになるところで夢から覚めた。暗闇の中で頭を抱え、嗚咽を漏らす。

 バルガを起こして慰めてもらおう……そう思い隣を見たが、誰も居ない。怒りとさえ呼べるような衝動に突き動かされ、荷物を抱えたまま部屋を出る。

 治安のことが頭をよぎったが、それに留意できないほど彼女は追い込まれている。



「来るな、ヘラ!」 


 暗闇の中、警戒しながら通りを渡ってくる人影に向け、バルガは短く叫んだ。ヘラは大きく身を震わせる。


「センセ。わりぃけど、もう遅いわ」


 言いながら、ラヘルは右手で大剣を背から外し、左手でローブを脱ぎ捨てた。胸当てに腰巻の軽装と、虎の尾が露になる。


「……!」


 バルガは黒い霧へと姿を変え、ラヘルの足元を抜けていく。その速さにラヘルは胸を躍らせた。右手首の聖印を輝かせながら、振り向きざまに大きく1歩を踏み出す――そして、眼前に広がる予想外の光景に面食らう。

 てっきり、ヘラの元まで走っているかと思った。そこへ追い縋るため前のめりになったのがアダとなった。バルガはラヘルの至近距離で足を開き、お辞儀をするように体を沈め、持てる内で最速の剣を振るっていた。


 自分から魔術を解き、ラヘルの対魔術を空振りさせ、しかもその隙を突いてしっかりと氣を練っている。

 極めつけは、欲をかかぬ足元狙い。

 こいつ、イイな。とラヘルは思った。口角を釣り上げながら獣の目を見開く。

 

 聞こえたのは鋼の悲鳴。肉や骨を断つ音ではない。

 ラヘルの左手が、正確には親指と人差し指が、太刀を挟んで、止めていた。

 聖印の余光を頼りに、バルガの顔を窺う。子供のように呆けている彼の顔。

 食欲が湧くほど滑稽で、愛らしい。


「ほれ」


 壊さないように、しかし暫くは動けないように。注意深く加減しながら、鞘に納まったままの大剣でバルガを打ち上げる。彼は空に舞った。比喩ではない。

 ここでようやくラヘルのローブが地に落ちた。


 間の抜けた悲鳴を連発しながら、バルガを受け止めようとヘラは地上を右往左往する。

 ラヘルの肩に担がれてからも、彼女は空を見上げていた。


「バカ、怪我するってねーちゃん……よっと」


 ラヘルは膝を柔らかく使い、バルガを優しく受け止めた。


「荷物を馬車まで」


 強硬派にそう命じて、ラヘルは2人を馬車に運んだ。

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