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ベミエラ編:4


 カスケイドの書斎に戻り、変身を解く。魔人の体が文字列の繭に戻り、霧散していく。

 あとにはウルザを抱えたバルガが残った。


「満月の夜に、否応なく魔人に変身、まで話しましたか」

「ええ」


 ウルザが小さく変身し、バルガのローブへ入る。


「そのたびに、私はウルザに生命の一部を預けねばならない。さきほど彼女に吸われた血は、減ったまま体に戻りません」


 この預託は満月のたび確実に行われる。仮に魔人で居続けても避けることはできない。


「そんな事を続けていれば死ぬわね?」

「ええ。4回目で死ぬ、と思われます」


 白い本の表紙が全て血に染まれば、バルガの生命は完全にウルザのものとなる。


「預けるというくらいだから、取り戻す方法もあるのでしょう?」

「魔導の魂をウルザに吸収させること。それを怠ると、私の魂は完全にウルザと同化して人間に戻れなくなる。後に残るのは、私でもウルザでもない、1体の魔人です」


 魔導と人間では魂の造りが違うため、バルガの魂を吸収してもウルザの糧にはならない。無理に混ぜ合わせると、双方とも人格を失ってしまう。後に残るのは、人としての意識を失った魔物、魔境率を引き上げ続ける強力な魔物である。人を殺すも良し、殺されるも良し。どう転んでも人界に居場所のないその魂は、いずれ必ず魔界に帰る。

 バルガは死ぬまで魔導の魂を集め、それを魔界に還すよう仕向けられているのだ。魔術は最終的に、魔神へ利をもたらすよう作られている。人にとってのメリットはあくまで誘惑に過ぎない。それを知っている教会は、カスケイドのように有為な魔術師に目をつぶることはあっても、恐るべき敵となりうる魔人の存在だけは認めない。

 ウルザの存在が外に漏れれば、バルガへの追跡は徹底的なものとなるだろう。これがそのままカスケイドの守るべき秘密となる。


「……」


 カスケイドは目を細めた。今の話が本当なら、この小僧は最長でも3月に1度、最短なら1月に1度は新しい魔導を手に入れる必要があるはずだ。破滅を避けるには、魔術師と戦って奪うしかない。魔神たちは特段の事情がない限り、魔術師に新しい魔導を与えない。彼らにそれを奪い合わせるためだ。

 カスケイドも100年で50の魔導を集めたが、全て同業者から奪ったものである。

 2年に1度のペースで行われた決闘。それも決して楽なものではなかった。


「なるほど……正気では生きられない日常を越えてきたか、魔人のバルガ」

「……」

「それで、呪令の解消条件は。そんな日々をいつまで――」

「ありません。ウルザの魂が、親である魔神を超える以外には。彼女が新しい魔神と化す以外には」


 バルガは嘘を吐いていた。

 本当は解消条件もあるのだが、彼はそれを満たすつもりが無い。


 確かに魔の眷属には、自分より魂が小さい相手からの呪いに縛られないという特性がある。古から魔術師たちを争わせてきた魔神の甘言だ。

 自らと契約した魔導を、親である魔神より大きく育て上げれば、呪令に縛られることなく魔術を習得出来るようになる。が、それを達成した魔術師などいない。

 そんな魔術師が居れば歴史を変えているはずだ。魔神の魂の大きさなど、未だまったくの未知数である。

 魔導の1万倍とか、10万倍でもおかしくない。


「ウルザは……魔導をいくつ喰らってきたの」

「3000ほど」


 たいしたものだ、とカスケイドは思った。少なくとも彼女の知る限り、それほど多くの魔導を集めた系譜は存在しない。しかし所詮、バルガは人間だ。後50年もすれば死ぬ運命であるし、その間休まず魔導を集め続けたとしても、ウルザが魔神の域にまで達するかどうか解らない。

 カスケイドはバルガの嘘を信じた。というより、彼の焦燥を信じた。魔に魂を食われる運命から、逃れようと必死なのだ。


「ところで、貴女は今も魔導をお持ちだそうですね。余白が尽きてもなお、貴女以外には心を開かない……だから帝国は、貴女からそのネックレスを没収しなかった」


 カスケイドの黒い包衣は首筋までを隠していたが、確かに青い宝石に金の鎖を通したネックレスをしている。彼女は心の中で舌打ちした。

 魔導は余白が尽きれば眠りにつくが、その存在自体が心を通わせた契約者の魔術を補佐する。帝国はその有為性を認め、カスケイドから魔導を奪わなかった。


「これが欲しいか」

「是が非でも」

「力に頼ってもか」

「出来れば、そうしたくはありません」

「……出来れば、ね」

「……」


 空気が重くなっていく。バルガは爪半分、じりと後ろ足を進めた。

 その瞬間、カスケイドは死を意識した。いま彼の体から立ち上った氣の量は、一流の戦士と比較しても遜色ない。彼の剣閃より早く魔術を振るう自信はなかった。

 もし彼が魔導を目当てに街へ来たのなら、終わりだ。この場で魔導を奪い、すぐに街を発つだろう。


「これは、帝国から借り受けているに過ぎない。失えばクラウスの目が潰される」

「……」

「忘れないことね、魔人のバルガ。アベルを阻めばおまえは死ぬ」


 カスケイドは息子のため、これを最後の言葉にする覚悟を決めた。彼とアベルのことだけが気がかりだった。


「貴女は、ドレンに賭けていたのですね」

「……」


 ふいに、氣の圧迫が消えた。カスケイドはおおいに拍子抜けした。


「魔導を奪わなかった。こうして彼が負け、秘密が外に漏れる可能性を無視した」


 無視したのではない。直視できなかっただけだ。ただ彼から力を奪うことができなかった――彼の死を恐れるあまり、秘密が漏れる可能性を直視できなかった。

 地位的野心の強い若者に知識と経験を与える代わりに、クラウスを救うよう呪いで強制する。それだけに徹せない自分が腹立たしいとカスケイドは改めて思った。

 バルガにも指摘されるかと思ったが、しかし彼はそうしなかった。


「1月後にクラウスさんがやってきますが、その時に彼を強奪し、貴女を脅して人質の呪いを解かせようとする動きがあります」

「知っている。でも、クロードは愚かな男ではない。そんなことをすればどうなるか解っているはず。彼さえ敵に回らなければ問題ないわ」

「いいえ、承知の上で手を貸すそうです」

「……」

「その後はクラウスを帝国に返し、自分の首を差し出してベミエラの人々を助けるつもりでしょうね。まったく、噂通りの男ですよ。騎士の中の騎士です」


 カスケイドは太いため息をついた。


「魔人のバルガ。おまえは自分の正体を他人に明かしたことがある?」

「あります」

「裏切られたことは?」

「あります」

「……」

「貴女としたように、誰とでも契約を取り交わせればいいんですがね」


 聖印と魔術は同居出来ない。聖印を捨てるような事情を抱えている相手でなければ、呪いで秘密を強制することは出来ない。


「しかし私は魔境を鎮めるためにここへ来た。だから、その為に必要なら正体を明かします。それに……クロードになら明かせます。彼にならすっきりとね」

「なぜ?」

「彼だから」

「……」

「貴女には、そう思える相手が居ましたか?」

「……底意地の悪い男ね」


 カスケイドが自嘲する。


「人質達を信じて、呪いを解けというのね」

「いいえ、ただ人質の呪いを解けと言っています。貴女とクラウスさんの命が惜しければ」

「……」

「信じるか信じないか。貴女の決断に、私ごときが口を挟めるはずもない」


 150年という年月の重さを慮るように言う。


「決断は、あくまでご自身で」


 その後、バルガとカスケイドは病床に臥している罪人たちについて話し合った。

 治療はバルガに一任された。実際にバルガの魔術を検分した上でカスケイドが結論を出し、領地への出入りも許可された。

 そうして全ての用件が終わると、バルガは一礼して部屋を出て行った。


「……」


 こういう暮らしをするようなって50年。思えば自分の人生は50年単位で区切れるな、とカスケイドは昔を振り返りながら思った。

 はじめの50年は魔術の師と共に、諸国を巡りながら魔導を集めていた。彼が魔術を修めるたび、それを司る魔導を私が受け継いだ。

 師が90歳で死ぬ時、私はまだ手足の伸びきらない子供だった。私の若さを羨みながら彼は死んだ。


 守られつつ過ごしたその50年が広い平野を行く街道だったとすれば、次の50年は山岳の獣道と言える。長い伝統を持つ名の知れた盗賊団の中、代替わりを続ける頭目の傍で魔術を振るう日々が続いた。

 その内の1人を愛し、クラウスを産むまでに50年。確かに危ない目にもあったが、堅気の俗世間と違い、悪党の中では鬼人という種族の不自然さが薄れた。何より歴代の頭目は、みな自分を大事にしてくれた。今思えばあの盗賊団での暮らしが、人生で一番輝かしい時期だったと思う。なぜなら引退した夫との隠遁生活が長く続かなかったからだ。


 今でも忘れない、のちにハスター帝国皇帝となるガーランド・フィリッポスが、どこから嗅ぎ付けたのか山奥の小屋に手勢を率いてきた日のこと。若いガーランドの剣が夫を生け捕った時に、慎ましいながらも幸せだった日々が終わった。


 それから帝国の建国に一役買った。拡大にも一役買った。そして今は維持に一役買っている。その50年を一言で表現するなら、行き止まりだ。引き返す道のない行き止まり。


 あの時雑魚にかまけず、自らフィリッポスと相対していたら、という後悔は今でも夢に出る。しかしそれに魘される日々も、あと少しで終わりだ。アベルは必ず私と、彼自身の悲願を叶えるだろう。


 人間は、私を残してすぐに死ぬ。カスケイドが人生の中で得た教訓の一つだ。あのガーランドとて例外ではない、奴はそう遠くない未来に死ぬ。そうすれば必ずチャンスが来る。その時に、クラウスを開放するという確かな意志を持ったアベルが必要なのだ。

 この街の人々にしてもそうだ。私はクラウスのため、命を賭してでもここに踏み留まらねばならないのに、逃げ出したいなんて言い分がこの私に通用すると思うのか?


 これは信じるとか、信じないとか、そういう次元の問題ではない。命綱を手放すか、手放さないか。0か100かのシンプルな話だ。


「……」


 アベルだって、私を残していずれ死んでしまう。

 季節が移ろう前には送り出そう。カスケイドはそう心に決めた。



 カスケイドの屋敷を出た後、バルガはクロードの家に再び立ち寄った。


「君は、魔人を見つけたらどうする?」

「斬るね」

「……」

「ただし、事情を聞いてからだ。事情次第で生かし、状況次第で斬るだろう」

「魔境を鎮めるために、魔人を続けているなら?」

「生かすだろう。そしてその人が完全に魔となってしまったら、斬るだろう。見過ごした責任を取って、必ず私が斬ってやる」

「……」


 2人は握手し、そのまま右肩同士をぶつけるように抱擁しあった。それだけで十分だった。


『ねぇ、カスケイドから魔導を奪わないの?』

『……安心しろ、何とか方法を考える』

『わたし、ユリウスが殺されちゃうなんて、嫌だ』


 バルガと混ざり合った後に残る魔人のことを、ウルザはユリウスと呼ぶ。

 まるで輝かしい未来を呼ぶように。


「ふぅ」


 いろんなことがあった日だった。家に帰りつき、明かりをつけることもなくベッドへ横たわる。率直に言って疲れていた。


『今日は、ライブラリーにおいでよ』

「……ああ、そうだな」


 今日は一切の警戒を解いて、ぐっすり眠りたい。彼女の中でならそれが叶う。


『このところ忙しかったから、久しぶりだよね。ちゃんと見張っててあげるから安心してね』

「うん」


 人型に変身したウルザが横たわるバルガをまたぎ、額と額を優しく合わせる。瞬間、バルガの意識はウルザの中へと吸い込まれた。



 ゆるやかな丘の上に、その図書館はあった。

 波打つ緑色の草原と、真っ青な空の間に、小振りな民家ほどの建物が挟まれている。

 今回はずいぶん小さいな、とバルガは思った。山より大きな城郭調建築が空に浮いていたこともあれば、砂漠の中に地下へと続く階段が伸びていた事もある。

 この世界の姿は、彼女の気分次第で変わる。


 敷地を囲う白い柵は流線的かつ起伏の激しい形状で、天真爛漫な彼女の心を表すかのようだ。庭の中央にある泉の周囲では花が咲き乱れ、傍に椅子が2つ寄り添ったティーテーブルが置かれている。

 振り返ると、下り斜面の向こうにまた丘があって、こちらの丘との間にべミエラが横たわっていた。赤い家々の煙突からは炊事のものと思しき煙がいくつも立っているが、そこに人が居ない事をバルガは知っている。


 白い門を潜って、図書館の前に立った。赤いレンガ張りの外観がいかにも今住んでいるベミエラを思わせる。片開きの重い木製ドアを開けて中へ入ると、闘技場のような石造りの空間が広がっていた。何万という観衆を飲み込めそうなほどに、大きい。


「ふふ」


 おかしいではないか? あの慎ましい小屋がこれを内包しているというのは。

 まぁ、言ってもキリがないことだ。大理石の上に赤い絨毯が敷かれた階段を下りながら、ローブも靴も、絹の上着も脱ぎ捨てて肌着姿になる。バルガは大きなあくびをした。

 最後に太刀を後ろへ放り投げたが、それが大理石を打つ音はいつまで経っても聞こえない。

 振り返ると、降りてきた道には服も太刀も転がっていなかった。


 観客席に、大きさや姿形もさまざまな本棚がまばらに置かれている。中身が1冊だけの小振りな箱はベリダのような幼い魔導だが、中には切り株をくり貫いた穴の中に数百冊を収める魔導も見える。長生きだったのだろう。

 このように、図書館ではウルザに吸収された魔導が3000ほど眠っており、蔵書の数は約10万あるが、検閲されているものも多い。前の契約者への強い思い入れや、バルガと会ったことがない等の理由から、心を閉ざしている魔導の本は読むことが出来ないのだ。


 しかしウルザの余白を分けてもらい、これらの本棚に捧げれば、眠っている魔導と面会することが出来る。ウルザは魔導とバルガを何度も面会させてきたが、彼はあまり魔導の歓心を買うことに興味がない。

 彼は20ほどの魔術を習得しているが、必要に迫られない限りこれを増やすつもりはなかった。魔人の呪令をこなすだけで精一杯だった。そもそも鬼人のように長い寿命があっても、魔術の底など覗きようもないのだ。


 そんな自分が、これほど多くの魔導を囲って良いのか。埋もれていた迷いが掘り起こされるのを感じて、バルガは強い不満を覚えた。カルロスから魔導を奪う時には大した迷いもなかったが、それは彼が殺し屋だからか? ではカスケイドから魔導を奪いがたく思うのは、彼女が子を思う母親に過ぎないからだろうか。

 そんな個人的感傷に囚われていい立場ではないはずだ。ウルザの魂に、世界の命運が掛かっていると言っても過言ではない。魔導の数だけ人の願いがあるのだとしても、無差別に刈り取っていく覚悟を固めたいものだ。


「しかし……」


 反面、そんな単純な覚悟で済むのか? とも思う。

 確かに魔導を集め続ければ、魔人の力はどんどん増していく。そうすれば魔境を鎮めやすくなるし、いずれその力はクロードに迫るほど大きくなるかもしれない。が、負けるなりして死ねばそれで終わりだ。後に残る魔人ユリウスは、人類と敵対する厄介な魔将となるかもしれない。過去には完全な魔人となった者が、人界の知識と大きな力を駆使する人類の敵となった例もある。バルガ達の人格は残らなくとも、魂に記された情報は残るのだ。


 固めるべきは、今すぐクロードにこの身を斬ってもらう覚悟ではないのか。今ならバルガが死んでも、ユリウスが手に入れる生命は本来の4分の1だ。人界で振るえる力は僅かだろう、クロードが2度ハルバードを振るうだけで全て終わる。


 闘技場めいた図書館の中央には、砂が敷き詰められた戦場がある。

 それを囲う高い壁から生えた手摺につかまり、バルガはため息をついた。


「今日は何を見る?」

「……」


 背後から鈴を転がすような声。

 振り返ると、横長の席にウルザが座り、隣へ来いと手招きしている。誘われるまま、身を寄せてくる彼女の腰を抱いた。


「なんでもいいよ」

「じゃあ、わたしの思い出ね」

「おいよせ、せめて未読のやつにしろ」

「なんでもいいっていったよー」

「あー、わかった。好きにしろよ」

「みんなを起こすね」

「……待て、なんで見せる必要がある?」

「新しい子たちも、キミの過去を見れば心を開いてくれるかも。あと、古い仲間がキミに会いたがってるから」

「……余白がもったいないだろ」

「それでも、起こします。約束したんだ、キミが”迷ってる”ときは、必ず起こすって」

「……」


承諾を待たずに、ウルザが軽く腕をふるう。すると本棚たちが次々と人や動物へ姿を変えていき、バルガを見る。

 彼は観念せざるを得なかった。

 次にウルザは黒い本を出現させ、それを戦場の中へ放り込んだ。


 戦場が舞台に変わる。ただし本物の舞台のように、登場人物らが米粒ほどに見えるわけではない。必要に応じて見やすいように巨大化する。

 バルガは少し赤面した……墨色の髪と目をした女性が、赤ん坊を抱いている。


『バルガくん?』

『そうよ。この子が大きくなったら、君と契約するの。仲良くしてね』

『……おおおー』


 小さなウルザが母の体を登り、赤ん坊の頬をつついた。


『わー』


 赤ん坊がウルザの頭にかぶりつく。母がおかしそうに笑っている。

 観客席からも、女性の明るい笑い声が聞こえてきた。バルガは頭を抱えた。


 バルガとウルザは長く付きっきりで暮らした。板張りの床に白い石壁、窓からは港町と海が見える部屋から、一歩も出ずに暮らした。日中は出かけている母よりも、ウルザのほうにバルガは懐いていた。ウルザから母の腕へ移されると、泣き出すのだ。

 この時の母の顔からは、何度見ても慈しみしか読み取れない。だから自分はまだ小僧なのだろう、と母親の愛情を疑わないバルガは思う。


 年月が過ぎ、腕に抱かれていた赤ん坊が足に縋るようになり、やがて見上げながらも相対するようになった。

 すると3人の旅が始まった。ウルザと正式に契約し、彼女の鎖を修める旅だ。生物の魂を本に取り込み、使いきる。これを1年以内に100度繰り返すのだが、虫のように小さな生き物なら1日に100匹は殺さねば間に合わなかった。幼いバルガは虫を殺すのも戸惑う子だったし、家畜を買い取って母親が殺すのを見ると悲しくなった。さらに未熟な魔術が魔境率を引き上げ、魔術の存在が露見することもあった。


 僧侶とも魔術師とも知れない追っ手から傷を受けた母親の、貴方のせいではない、という言葉と笑顔を曲解し、ウルザを憎むようになる。


『なんでこんなことさせるんだよ! 性悪! バカ女! 死んじまえ!』

『……』


 魔導をあくまで魔神の手先と考えるか、友になりうると考えるかは魔術師の間でも認識は割れている。当時の自分は手先だと考えていた。舞台のウルザは今と変わらない姿だが、こんな顔をさせたのはこの時期だけだ、と思いたい。ただ悲しそうに目を伏せて、ごめんなさいと言う。その弱弱しい態度がバルガを更に調子付かせるのだ。


「……」

「んー、もっと」


 隣のウルザを撫でてやると、だらしない顔で追加を催促してくる。今のバルガにはそれが救いだった。


 やがて修行を終え港町に帰ると、そこが魔術師の里であることにバルガは初めて気付く。むろん表立って魔導を連れ歩くような人はいないが、酒屋の樽の脇におかれた瓶の数や、家々の物干しに掛かる洗濯物の配置などに特定の意味があると母親が教えてくれた。

 魔術師独自のネットワークがそこにはあった。彼らの集会めいたものに参加し、同年代の魔術師を見たこともある。母親と同じ黄色人種の、とても綺麗な子だった。あの子も死んでしまっただろうか?


「……! ちょっと! このシーンはカットだ、カット!」

「えー」

「お前も少しは恥じらえ!」

「なんで?」

「……」


 感傷に浸っている間に、場面が移り変わっていた。舞台のウルザは号泣しているが、隣のウルザはニヤニヤしている。

 12歳くらいだろうか、これは辛く当たってきた幼少期を詫びた日だ。赤ん坊の頃を過ごした部屋、月明かりだけがお互いを照らす中、冷えた関係を暖めようと一歩を踏み出した日のことだ。

 人のために魔術を振るう母の姿を見て、自分が何のために魔術を学ぶのか理解した。そして人と魔の境目に立つ苦しみを、多くの魔導もまた背負っているのだと思えた。だからウルザと向き合おうとしたが、背いていたのは自分だけだとすぐに思い知った。どんなに自分が冷たくしても、ウルザはただ優しかったのだから。

 舞台のバルガが、ウルザの頬を伝う涙を指でぬぐい、肩に手をかける。そのまま背伸びして口付けようとするが、微妙に届かない。


「……お前、実は俺のこと恨んでないか?」

「ちょっと、静かにしてよね……うひひ、このころはかわいかったなー」

【ませてんなー小僧!】

「やかましいわ!」


 舞台のバルガは、ウルザに屈んでもらっている。


「ちっ……」


 傷を拡げることはない、大人しく座っていることにした。

 それまでの空白を取り戻そうとするように、2人は常に寄り添って生きていく。正直なところ、魔性とさえ思えるウルザの美しさに、子供の自分は酔わされていた。ウルザのほうからも、構え構えと寄ってくるものだから悪い気はしない。そんな有様の2人に観客席の一部からは野次が飛ぶ。


 拷問のような時間が終わったのはシーンが15歳に差し掛かったころ。隣のウルザの表情もその時が近づくにつれ曇りがちになっていく。

 10年前のその日、魔術師の里が銀剣十字騎士団に襲われた。街の人々を残さず生け捕って聖印を確かめ、逃げる者は容赦なく斬り捨てる徹底ぶりだった。

 部隊を率いたのは栄えある団長・グレイス・カレッジ。トルタ教会総本山が置かれたカシミール神国の第3王女として姉の後を継ぎ、18歳の初陣とは思えない指揮ぶりで、脱出する船を湾内に閉じ込める手際の良さを見せた。


『どうしてだっ……!』

『……』


 火矢が降り注ぐ中、死体に囲まれた船柱の影で怒鳴り散らす。

 空の太陽は半ば以上まで欠けていて、あたりは暗い。魔境率が30を越えると陽の光は弱まり始め、50に届くと太陽は直視できるほど暗くなり、更に上がると徐々に黒く欠けはじめる。魔術師達の最後の抵抗が空に現れていたが、それも鎮圧され、対魔の金色がこの船にも迫っている。


『俺達は人のために魔術を得てきたんだろう!? 教会の指図で!!』


 トルタ教会の重役には、裏で魔術を研究している者もいる。

 当たり前のことだと今でもバルガは思う。彼らの使命は人々を守り続けること。その為に必要なら魔術だって扱うべきだ。が、開祖である聖トルタは、神の名において魔術の探求を禁じていた。それを振りかざして魔術を取り締まってきた教会が、裏の顔を持っていることが露見でもしたら、彼らの権威は地に落ちる。

 どんな場合でも魔術は秘密裏に研究されてきた。そして教会の政争の中で、ある重役の秘密が浮かび上がることもあったろう。

 例えばそれは、この里の存在。


『そんなこと、いいから』

『……』

『ねぇ、剣なんて捨てて、わたしを抱きしめて。船が沈むまで、ずっと』

『……俺は』


 バルガは腕を差し出した。


『俺は生きたい! こんな所で死んでたまるか!』

『……ごめんね、この状況をひっくり返せる魔術なんて、ないよ』

『魔人転生がある』

『……』

『お前なら扱えるはずだ』

『いいの? 知ってるでしょう? あれがどういうものか』

『ああ』


 月に1度、魔導を食わなければ死ぬ。


『それがどうした、ここで死ぬよりはマシだ』

『わたしと完全に混ざっちゃったら、人の敵になるかもしれない! 本当の意味で、人に背くことになるんだよ!?』


 それだけはいけないと母は言っていた。

 魔導の魂を集め続け、新しい魔神となってから魔界へ攻め入ることが仲間たちの本懐だった。その前に魔人転生の契約を結び、呪令に負けて人間の敵となってしまえば、先人達の遺志を踏みにじることになる。

 しかし。


『先に背いたのは向こうだ。それに――呪令の解消条件は、グレイスを殺すことだったな』


 沸き上がる憎しみが顔を歪ませる。邪悪な笑みの形へと。

 先ほど、念話で母の断末魔を聞いた。ただの悲鳴ではない、自身の死を断定する辞世のことば。……尻切れに途絶えてしまったそれは、最後の1文までバルガの身を案じていた。

 嗚咽を堪えながら周囲を見る。今まさに海の中へ沈んでいこうとしている、魔術師たちの亡骸。人の為に魔と結んだ彼らの、そして母の戦いは、バルガにとって、聖騎士にも負けないほど気高く崇高なものだったのに!


『望むところだよ……!』


 否応なく魔人と化す運命、それを避けるため、銀剣十字騎士団の長を殺す。

 最古にして不敗、聖騎士団の異名をとる人類の希望、その象徴を殺す。

 腕を伸ばすバルガにウルザは逆らえない。魔導としての宿命よりもまず、誘惑に抗えない。

 常日頃から、自分たちは何のために存在するのかと疑問に思ってきた。人間とも、魔導とも子を成すことが出来ず、ただ余白を食いつぶしながら彼を魔に誘う日々。

 魔神も余白を増やす方法を探すため、子を成すことで魂を増やしていく人界の者達を研究しているのだ。破滅が見えている魔神たちの焦りをウルザは理解していた。


 余白増やしの方法は未だに解らない。解る気配もない。だが1つ、彼女が憧れたのが魔人転生だった。彼と混ざり合って新しい命を創るなんて、なんて素敵なことだろう。そして魔人はこの世界の生物であると同時に、魔導の魂を内包する唯一の存在なのだ。

 彼らなら、人間のように新しい魂を繋いでいく方法を見つけられるのでは?

 そうすれば、人と魔が争う理由も無くなるのでは?


 だったら、だったら混ざる相手は彼がいい。というより、彼じゃなきゃ嫌だ。

 彼にこんな仕打ちをする人たちなんか、ちょっとくらい危ない目にあっても、いいよね? 

 2人の指が絡み合い、そこを呪いの影が行き来した。ウルザの目から最後の涙が、頬を、抑えようもないあでやかな歓喜の上を伝う。


【おおお……!】


 炎と海水の狭間に、魔人の繭が出来た。彼はそのまま空へと飛び立ち、矢を弾き返しながら太陽へと手を伸ばす。魔界の闇が、ついに太陽を覆い尽くす。

 するとそこから毒々しい紫色が、燃え広がるようにして空と地上を染めていった。聖騎士たちは泡を食って街から引いていく。


「……」


 それからのことをあまり思い出したくないバルガは、舞台から目を逸らしている。

 魔人となった彼は母の亡骸を捜していた。銀の兜に顔を覆われ、泣くことも出来ないまま港町の空をさまよう。幸いと言っていいか解らないが、元が人とおぼしき魔物と出会うことはなかった。代わりに同胞が連れていた魔導を相次いで見つけた。もはやここは魔界の一部であり、契約者を失った魔導も自力で生きていくことができる。

 それでもほとんどが、ウルザと融合する道を選んだ。


【怖いから、連れてって】

【時々でいいから、余白を分けてくれ】

【いいや、毎日起こして、その日の出来事を聞かせろよ】


 親である魔神が聞けば呆れるだろうが、人と共に生きてきた彼らは魔界の闇に馴染めないらしい。まるで飼いならされた野生が自然へ帰れなくなるように、ごく人間的な理由で本へと姿を変えていく。

 ましてやこの里に住む魔術師はみな、魔導をパートナーとして敬う者ばかりだった。その長い系譜を辿ってきた魔導たちも、契約者へ血の繋がりにも似た感情を抱いている場合が多い。

 大なり小なり、似た言葉を唱える者が多くなる。


【復讐を】


 船まであと少し、というところの、小さな十字路に母の亡骸はあった。看板の影になって空からは見えなかったらしい。

 少し体を丸め、うつ伏せに倒れている母の顔は、扇状に広がった長い髪に隠されている。バルガは跪き、黒く染まった腕で母を抱き起こした。まずは吐血にぬれた酷い顔を拭ってやる。

 白い上着の胸を中心に広がった血が、藍色の下穿きまでをも濡らしている。腰の小剣を抜く間もなく、胸を一突きにされたのかと思ったが、抵抗しなかったと考えるほうがしっくりきた。出来るかどうかはともかくとして、聖騎士を傷つけるようなひとではなかった。

 それでも、制止を振り切って逃げたのだろう。バルガの待つ船に乗るために。


【復讐を!】


 声は舞台ではなく、観客席から聞こえた。すぐに同調する声がいくつもあがる。

 どれも久々に見る顔で、会うたびに同じ言葉を繰り返している。聖騎士に契約者を殺された古い仲間の中でも、特に恨みが深い魔導たち。彼らは復讐を叫ぶとき以外はずっと眠っている。憎しみが時の流れに癒されてしまうことを嫌ったからだ。

 自ら望んで時を止め、いつまでも憎悪の新鮮さを保っている彼らと会わせるために、今日ここへ招いたのだ――ウルザの顔をじっと見ながら、バルガは既に出ている答えを、いつも通り宣言した。


「復讐はしない。グレイスが、聖騎士でありつづける限り」

【……】

 

 それ以上、バルガに何か言わせるより早く、ウルザは魔導と舞台を元に戻した。

 そうして2人きりになったあと、独り言のようにバルガが呟く。


「グレイスを殺してほしいかい」

「どうかな。あなたの思う通りにしたらいいと思うよ。それがわたしの、1番の望み」


 はじめのうちは、バルガも復讐をするつもりだった。現にそう約束して魔導たちを取り込んだのだから、裏切ったと罵られても仕方ない。

 しかし年月を経てきたバルガはいま、グレイスを殺すべきではないと考えを改めている。聖騎士など走狗に過ぎないからだ。彼女もまた、要請を受けてあの里を滅ぼしたに過ぎない。

 何より聖騎士たちの献身は本物だ。今も世界中で魔を鎮めるために戦う人類の希望だ。その象徴たるグレイスの命が、自分の命より軽いとはどうしても思えなかった。

 バルガは母と違い、既に教会の隠された手先――教会隠密――ではないが、魔境を鎮め、魔を人から遠ざける使命とは決別していない。恨みは私事であり、それはひとまず横へ置かれるべきだった。生きたいという私的な理由で魔人となった自分もまた、そのケジメを付けられずにいるのだから。


「そして2番目の望みは、あなたとずっと一緒に居られること」


 いずれバルガの寿命が尽き、彼と共に魔人ユリウスとなった後も、である。

 ユリウスが平和に暮らしていけるなら、世界を魔に沈めてしまっても構わない、とウルザは考えている。魔人は狩りたてられる運命だというなら、世界そのものを変えてしまえばいい、と。

 そうする上で最大の障害となるのが、聖騎士団であることは間違いない。

 ウルザにとって、グレイスは仇であると同時に、取り除くべき障害ですらあった。


「こういうのって、ひどいかな?」

「そりゃ酷いさ。奴隷の姉妹は救えとうるさいくせに、世界を魔に沈めろなんて物騒なこと言いやがるんだから」

「……」

「もし俺とお前で立場が逆なら、グレイスに復讐したか?」


 三角座りの膝に顎をのせて、ウルザは考えこんだ。

 思い出すのも辛いという事情もあり、グレイスのことについて深く話しあったことはない。ただ、ウルザは里が滅びた時でさえ復讐を叫ばなかった。バルガはそれを彼女の性格によるものと考えていた。人を憎むことを知らない、爛漫の心と。

 しかしそれは早合点だ、と今は思う。彼女には決断の機会がないだけだ。バルガに依存して人界に留まっている彼女は、否応なくそれをバルガに委ねるしかない。

 善悪も是非も越えて、憎悪は人を支えもする。選ぶのは決断の主だ。

 バルガはウルザの決断を知りたかった。


「許すよ」

「どうして?」

「わたしも、許されたいから」

「……」

「わたしたち、いつの日か、人にすごく迷惑かけちゃうかもしれないね」

「ああ」

「でも、仕方ないんだ。わたし、あなたを愛してるんだもの」

「……」

「今まで人をいっぱい殺してきたけど、あなただってその理由を解ってほしいでしょ? 誰かに許して欲しいでしょう?」


 バルガの目が内へと向けられた。そのさまをウルザが優しく見守っている。

 許されるとか、許されないとか、そんなことはもう随分ながいこと考えていなかった。法や倫理の万能を信じていないバルガには、それらの手が及ばない領域を世の中にいくらでも見出すことが出来た。彼自身もその中の1つに足を踏み入れた。それも、人の足跡さえ見つからない未知の領域。

 そこでは全てを自分で決めねばならない。神が必要なら自分が神にならねばならない。少なくともバルガはそう考えていたが、結局のところ自分が思いあぐねているのは、この世に人が居るからなのだ。

 自分は人から目を逸らしているだけではないか。許し許されようとするウルザのほうが、よほど人に向き合おうとしているのかもしれない。


「それで、これからどうする?」 

「魔導を集め続ける。お前の望みを叶える為に」


 魔境は鎮める。人類を危険には晒さない。母を忘れない限り、それは譲らない。

 しかしどこかに道があると信じる。例えばどんなにか細い可能性だとしても、親よりもウルザの魂を大きく育てられたなら。彼女と共に新しい魔神となって、魔界をこの手に掴めば、人と魔の長い戦いを終わらせることができる。そういう形でケジメをつけられればいい。

 そこに至るまでがどんなに険しい道だとしても、途切れない限りはそこを行けばいい。


(すまないな、カスケイド。やはりあんたの魔導は俺がもらう)


 ウルザの膝を枕にしながら、バルガは深い眠りに落ちた。

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