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ベミエラ編:2

 ベミエラの街は山の中腹にある。

 さほど標高はないが長く連なった山々の合間に、鉱山都市として築かれた。クリーム色の街路と赤いレンガ造りの家々が、広大な段丘へ横たわるように広がっていて、それをやや低めの外壁が囲っている。山間ながら労働者の街として栄えた頃の面影を残しているが、今は空き家の方が多い有様だ。

 街の北側をのぞめば、天にまで達するオーロラめいた紫色の煙が見える。あの中から魔将が出てくるようになると、腰の軽い若者はすぐ街を離れてしまった。街からの出奔は規制されていたが、規制をかける側も結託して街を逃げ出したのだ。なので帝国はこれ以上街の人数を減らさないよう「呪いの魔女」を派遣した。

 残ったのは家族を人質に取られた男か、クロードに忠実な兵士か、旅など望むべくもない女たちである。


「それに加えて流行り病ときた。鉱山も宝の持ち腐れ状態だし、畑にも悪いものが憑いている。……一見してみてどうかな? 治せそうか?」

「多くの人は、すぐによくなると思います。しかし大魔術師カスケイドをさしおいて魔術を振るうのは、少し緊張しますね」

「気にすることはない。彼女にも相談はしたのだが、病気を治すような魔術に心当たりはないそうだ。君が来てくれて助かったよ」

「恐れ入ります」


 診療所で病人の様子を見たり、畑の土に触ったりしている間に、クロードは会話をより打ち解けたものへ変えた。バルガという青年を軽く見た訳ではなく、彼の人柄を親しみやすいと感じたからである。歳もクロードが38、バルガが25と離れている。


「そういえば、先ほど武装した一団が街に入ってきましたが。彼等は魔境周辺の警備でしょうか」

「うむ、この街の兵士たちだ。聖灯の警備を交代したんだろう」


 聖灯とは対魔術式を内蔵した魔除けの柱で、かがり火のように輝く賢者の石がその核となっている。聖灯の加護は魔に不利をもたらす。

 時間が経つにつれ減衰していくとはいえ、魔力や祓気を貯蔵しておける賢者の石はとても高価なため、ベミエラでは数を用意できなかった。小さな街なら1つで覆えるほど聖灯の加護は広いが、巨大な魔境を大きく囲うには数が足りない。これを補うため兵士は魔境に近づかねばならず、負担も大きかった。


「帝国軍は、カスケイドを寄越したきりですか。人や金銭の支援さえありませんか?」

「その通りだ。……魔境を作ったのは我々の責任かもしれないが、もう少し税や賠償の徴収を緩めて欲しいものだな」

「魔境は帝国との戦争中に発生したのでしょう? ヴィルヘイムは侵略に立ち向かう立場だった」

「勝てない戦なんぞ、やるもんじゃないということさ。やって国を荒らした責任は我々にあろう」


 勝てないながらも長く戦ったヴィルヘイム。かつて存在した反帝国同盟で1番の小国だったが、最後まで戦ったのはこの国だ。

 そのために国が荒廃し、戦後賠償名目の搾取もほかの国より過酷となった。クロードの声にはその責任を感じている気配があり、バルガはなんとも言えない気分になった。クロードはよく戦った。それ以外のことは周りの役目だろうに、と思った。


 ベミエラが横たわるこの段丘をデンタナ方面とは逆側へ下った先に、大きな谷がある。そこがベミエラ魔境の中枢となっている。

 クロードが産まれた頃、大きな地震がこの近辺を襲った。その時に出来た深い地割れが、近年になって化膿した傷口のように周囲を魔で侵しているのだ。

 谷の深さに難儀していたところへ戦争の疲弊が加わり、魔物退治が遅れたたためにヴィルヘイムは魔境の発生を許したものの、今はその拡大を食い止めている。

 これはクロードとカスケイドの力によるところが大きい。魔将が街の攻略に大きく力を割いているのは、まずクロード達の根城を崩すことが先決と考えているからだろう。


「ところで、道中なにごともなかったかな?この国の治安はどうだ?」

「独立して自治をする都市が出始めています。帝国人の横暴に耐えかねたのでしょう、弱腰な国にはもう付き合えないと」

「ふうん。君はどう思う?」

「どう、とは?」

「国は弱腰すぎるかな?」


 バルガはデンタナで見た奴隷たちを思った。


「個人的な感想を言うなら、弱腰と思いますね」

「そうか」


 騎士を前にして、あなたの国は弱腰すぎると言う。だが不快には思わなかった。率直な言動と物腰の柔らかさが同居する様からは、むしろ育ちのよさが伺えるようでもある。

 クロードはこうした青年が好きだった。


「バルガ、私のことはクロードと呼べ。口調も崩していい」

「……。そうかい?それじゃ改めてよろしく、クロード」

「うむ」

「ところで、私に助手を1人つけてくれるらしいね」

「ああ、街の女達をまとめている――レディだ。丁重に扱いたまえ。そうすれば、素早く街に溶け込める」

「……お気遣い、感謝いたしますよ」


 ちょうどその時、坂の上に太陽を背にした金髪の少女が現れた。彼女はそのままこちらへ下ってくる。

 大柄で、レディというには少し若い彼女がクロードへの挨拶もそこそこに、バルガの目を見据えてくる。

 バルガは柔らかい笑みを浮かべながら、右手を差し出した。


「バルガ・クインシーです。よろしく」

「……。ヘラ・オーリンズです」


 ヘラは少し戸惑いながら、その手を握り返す。

 魔術師への偏見を込めた視線は、いとも容易く受け流されていた。



 医者の助手という仕事に、はじめヘラはピンときていなかった。


「いやー植物が豊富で助かった。これなら魔境率を上げなくて済むよ」

「……へー、そう」

「魔術はね、現実離れしたものほど難しくなるし、魔境率も上げやすくなる。だから元が薬草なら、その効能をちょっと高めたり、毒性を取ったりするだけでいいから――」

「別に聞いてないわよ」


 せいぜい薬箱を運ぶ程度かと思っていたらとんでもない、魔物が沸く山の中を行軍して薬の材料を確保するのだ。

 魔境の影響らしく、このあたりに沸く魔物はキワモノ揃いである。木ほども太さがある大蛇の頭が3つもあったり、それが巻き付いていた大木もいっしょになって襲ってきたり。


「魔物になるのは、生き物だけじゃないの!?」

「木も生き物だよ。まぁ、動物のほうがなりやすいね」


 そんな会話の直後、雹が降ってくる。雲に魔物が宿ったんだ、などとバルガは言う。


「……」

「地中や空気中には、目に見えない小さな生き物がいる、と私は考えてる。魔境の近くで奇病が流行りやすいのはこのせいじゃないかなぁ」

「……帰りたい」

「フードを被って、粘膜に雨粒を入れないように。なるべくでいいから」


 優しい声色で言いながら、バルガは剣と魔術を振るう。

 ヘラは街の男達がクロードの戦闘訓練に参加するのを見たことがある。中には帝国軍から誘いがくるほど強い人も居るらしい。そういう人に限ってクロードへの忠誠心が強かったり、クロードに付いて修行したいと言って残るので、素人のヘラから見ても街の兵士達は強そうに見える。

 だがバルガはさらにその数段上を行っている感があった。


「私、足手まといじゃない?というか、こんな所に連れてくんな」

「とんでもない、助かってるよ」

「……本当に?」

「荷物を背負ったまま戦うのは難しい」

「あっそう」


 ヘラは草木の根や葉の入った籠を背負っている。万一の時はこんなもの捨てて逃げてやるつもりでいた。


「それに、その聖印だ。この辺りの魔物に与える影響は僅かだけど、その僅かが生死を分けることだってある」

「おかげで疲れるけどね……でも本当に、わたしなんかでも?」

「その聖印を生み出した教会に感謝するといい。間違いなく、史上最大の発明だ」


 ヘラは右手の甲を見た。先程使った対魔術の余韻か、ぼんやりと聖印が浮かんだままになっている。これを持たないバルガに魔物が寄っていくのもはっきりと実感できるので、ヘラは生まれて初めて聖印に感謝していた。

 だがバルガの扱う魔術を見ていると、それも薄れていく気がする。


 彼が懐から取り出した、鳥の形をした紙がひとりでに飛び立ち、紫色の火の鳥となって魔物にまとわり付く。すると周りの草木までもが激しく燃えるが、彼が指を鳴らした途端、破裂音と共に炎は消滅する。何故か解らないが、煙は全く出ない。

 他にも彼自身が黒い霧に姿を変えたり、魔物を寝返らせたりするのだが、ヘラがいくら魔除けの言葉を叫んでも、それらに影響は無いように見えた。

 魔物の方は「ぎょっとする」程度の反応は見せるのだが。


 ひょっとしたら、この人は凄い魔術師なのではないか。

 カスケイドたちの力さえロクに見たことが無いのでわからないが、魔術師がこんな人ばかりなら、教会はもっと手を焼いているに違いない。


「ねぇ、そんな凄そうな魔術を使っても大丈夫なの?奇跡に近いほど、魔境率は上がるんでしょ?」

「よく知っている魔術ばかりだから。魔術の仕組みを知れば知るほど、魔境率を抑えながら使う方法も解ってくるのさ」

「……」

「それより、これだけの魔物を放置しておくほうが、長い目で見ると危険だ。魔物は一朝一夕で育つものじゃないから、多少無理しても退治するほうがいい」


 魔境発生の原因は、多くが魔物の集合である。

 彼らは魔境率が高い場所に集まり、集まる事で魔境率を高め、高まった魔境率が強い魔物を生み出し、強い魔物ほどさらに魔境率を高め易い、というスパイラル効果を引き起こす。

 単独で魔境を呼び寄せるほど力のある魔術師はごく稀で、多くの場合、魔術は魔物集合のきっかけとなっているに過ぎない。


「……魔術なんか無い方が良い、って教会は言うけど、そんな事ないのね」


 カスケイドが街から追い出した神父たちのことを思い出す。そのまま諾々と街を出てしまった彼らに比べれば、魔術を使ってでも魔物を倒すバルガのほうが有難く感じられる。


「無いに越したことはないさ。実際、魔境率を上げすぎてしまうと、本末転倒だ」


 カルロスのような未熟者ほど魔境率を上げやすいという事情があるので、魔術を魔物退治に使うやり方は浸透すべきでない。人類の領土を守るだけなら、クロードのように強くなり、司祭のように対魔術を修めるやり方が一番効率がいい。

 剣と対魔術。両方を究めんとする戦闘集団に銀剣十字騎士団がある。大陸最古にして最も有名なこの戦闘集団は、世界中に散らばり今も魔境と向き合っている。


「バルガ、もう籠がいっぱいだよ。いったん帰ろう?」

「そうだな、雨も強くなってきたし――」


 ヘラの頭めがけて、彼女の頭ほどもある蜂が飛んでいる。バルガは蜂を一閃し、ローブの中にヘラを押し込んだ。

 べちゃり、とローブに蜂の体液がかかる。


『ぬおおお!! マイホームがあああ!?』

『後で掃除たのむ』

『えぇぇぇ!?』


 ウルザの絶叫(念話)をよそに、ヘラは沈黙していた。腰に巻きついたバルガの腕は想像以上に固く、逞しかった。


「悪かった。次からは兵士を借りる事にするよ」

「……」

「さ、帰ろう。私から離れるな」

「う、うん……」


 ヘラからすれば視界が暗転している間に全てが終わっていたので、なんということはない。

 はずだったのだが、不気味な羽音は夜になっても耳から離れなかった。


「気にしないで。街に暇な男なんて居ないから、また私が行くわ」


 こうバルガに伝えるのに、3日の時間を要した。



 バルガがベミエラに来てから半月ほど経っていた。

 ヘラはバルガの家で、粉薬を紙に包んでいる。人の頭ほどに膨らんだ布袋から、木の匙で粉末をすくい取り、小さな秤で決められた量に分けてから、包む。そんな卓上の作業を、同じく卓上から小さなウルザがじっと見守っている。

 先ほどまで食卓だったそこを共に囲んでいたバルガは、ベッドに転がったままぴくりとも動かない。彼の眠りを妨げないよう、ヘラはあくび1つするにも静粛を心がけた。


 魔境周辺では病気が流行り易いが、魔将が出てくるとその危険度は跳ね上がる。

 いちど病気に掛かると、ほぼ治ることはない、という絶望感がこれまでベミエラを覆っていたが、バルガが来てからは変わった。ヘラはこの半月だけでも、50人近い人が快方に向かうさまを見ている。

 高熱や下痢が続くまっとうな病気ならまだしも、四肢が黒ずんで動かなくなるとか、夜中に魔境へ向けて歩いていってしまうなど、魔境周辺で見られる奇病にふつうの医療は効果がうすい。しかし魔術を併用するならその限りでないらしかった。

 死の淵から生還したひとが言う「ありがとう」は、あんなにも重いのか。今まで知る機会のなかった重さが、ヘラにやりがいと気迫をもたらしている。


 とはいえ助からない人や、黒ずんだ手足を切り落とさねばならない人も居た。よそに病気を移さないようにと、病人の面倒は家族が見ることになっていたので、ヘラはそうした場面に遭遇するのも初めてだった。

 ヤブ医者め、と罵られ、殴られても謝るだけのバルガ。それを避けることなく、ときには残酷な処置もする。しかし堂々としているのは上辺だけで、内心は苦悩に満ちていることをヘラは知っていた。それが隠しようもなく彼の横顔に表れるとき、ヘラは胸を締め付けられる。

 母親の治療もしてくれる彼が、いずれ街を出る時がきたら、自分は「ありがとう」と声をかけよう。ヘラはそう心に決めていた。

 

「ニャー」

「!」


 ウルザの高い鳴き声が、船を漕ぐヘラを呼び起こした。いけない、と彼女は自分を戒める。自分よりバルガの方がずっと寝不足なのだ。

 そんなふうに身を粉にして働く彼を、襲って拘束しようなんて話がある。いくら例の計画を邪魔させないためとはいえ、ヘラには許せない話だった。なのでむしろ彼を仲間にしてしまおう、と周囲に提案し、強引に納得させてしまった。

 彼が起きたら、その話をしようと考えている。



「約束よ。カスケイド達には絶対秘密にしてくれるって」

「ああ」


 内緒話を持ちかけられたバルガは、ともあれ秘密を約束した。

 内容による、などと言ってしまうのは賢くない。空手形ならヘラの望むとおり切ってやれる。


「カスケイドにはね、クラウスという息子が居るの」

「知ってる。……有名な話だからね」


 カスケイドは人間との間に男児を1人設けている。男児はいま帝国本土に軟禁されており、解りやすくいえば首筋に刃物を突きつけられている状況だ。

 このためカスケイドは諾々と帝国の指図に従ってくるしかなかった。魔境の鎮静など、本来の彼女からすればどうでもいいことらしい。


「うん。それでこの街には、年に1度クラウスがやってくるんだけど、今年はそれがもうすぐなの。1月後」

「……」


 かまどの火にかけていた薬草入りの鍋をひとまず外し、緊張した面持ちでこちらを見ているヘラに向き直る。

 バルガが借りている家に今は2人きり。テーブルの上にはヘラが用意してくれた食事が乗っている。席に着いた彼女の腕にウルザが寝そべっているが、込み入った話をするのに不便はない。

 そういえば最近は忙しくて、寝る時以外はロクにウルザを構ってやれていない。爆発する前に機嫌を取っておこう、と思いながら、ヘラに続きを促す。


「まぁ、はっきり言っちゃうと、ね」

「うん」

「私達、帝国の護衛からクラウスを奪って、カスケイドと取引しようと思ってるの」

「……どうやって奪うんだい。帝国側は毎年どんな備えをしてる?」

「護衛がたくさんってわけじゃないの。バルバラに乗って空を飛んでくるから」

「なるほど」


 バルバラとは鷹の一種であり、大陸で最も巨大な鳥類だ。人を乗せて運べるほど大きく育つも個体もいるが、1羽で馬300頭が買えるほど稀少なうえ、調教が難しい。

 このため用途は要人や緊急連絡の運搬に限られてきた。


「魔術師風の男と、騎士風の男に率いられた10人くらいの集団で……カスケイドが何か妙なマネをすれば、クラウスの首を刎ねる、という感じ」


 何かしてくれといわんばかりだな、とバルガは思った。本気でクラウスを守るつもりなら、もっと護衛をつけるはずだが。


「それでね、貴方にも相談しておこうと思って。反対の人も居たけど、貴方がいれば断然有利じゃない」

「しかし……」

「あ、大丈夫よ。このことはクロード様も知ってるから、報酬の心配はしなくていいわ」

「な。……なんだって?」

「ぜっっったい秘密だからね。特にクロード様が協力してくれることは、まだ私しか知らないんだから」

「……」

「街の半分以上がやる気になったら、私も協力するって言ってくれたのよ。貴方とクロード様が居れば、けが人も出さずにやれるわね、きっと」

「……」

「……」


 バルガが驚きの表情のまま固まっているので、ヘラの笑顔が少し不安を帯びた。

 クロードが、こんな苦し紛れの反逆に乗る? バカな、うまくいくはずがない。

 そりゃあクラウスを手中に収める事は簡単だろう。そんなことはカスケイド1人でもできることだが、そのあとが続くまい。どうあれベミエラは反逆の都として扱われることになる。


「クラウスを奪取して、それからどうするんだい? 帝国からの追求はどうかわす?」

「この街を捨てればいいわ。カスケイドに皆の呪いを解かせて、クロード様と一緒にどこか別の都市へ身を寄せるの。クロード様は世界で1番強いんでしょ? 引く手数多じゃない?」

「……」


 ハスター帝国は実力主義を自ら喧伝している。相手が罪人や敵、あるいは魔術師であっても、能力があるならたしかに寛容な姿勢で臨む。

 反面、裏切り寝返りの類にはとても厳しい。ただベミエラから逃げたというだけなら、ヘラ達の罪は軽くて済むかもしれないが、クロードはベミエラを護るという主命を受けている。そしてその主命は、帝国がヴィルへイム国王に下させたものだ。これに背くことは、即ち帝国に背くことである。

 よしんば情状が酌量されたとしても、クロードは強すぎる。ウォレスより強い他国出身の戦士など、邪魔なだけと考える筋が帝国には大勢居るだろう。クラウスの護衛が少なすぎるのはそういう筋の工作かもしれない。何か問題が起きれば、クロードの責任を追及出来るからだ。


「街の半分以上ってことだけど、同意は得られそうなのかい?」

「行けると思うわ。一応許可なく街を出ちゃいけないんだけど、もう大して厳しく取り締まってないのよ。どうせ逃げられる人はなんとかして逃げちゃうもの」

「そして残った逃げられない人々が……」

「そう。私みたいに家族を呪われた人か、病人か……家族を失った人」


 憎悪も露にヘラが吐き捨てた。バルガの脳裏に、魔境へ送り込まれていったゾンビたちの姿が浮かぶ。

 ヘラはアベルさえ戻ってくれば、あとは病気の母親を連れて逃げるだけだ。しかし家族を失ってもなお、あえてベミエラに残っている人はどうか。反逆を企てようとしている人々の中には、人質の開放だけで満足しない人もいるだろう。恨みはどういう形で爆発するかわからない。もしクラウスやカスケイドの身に何かあれば、ベミエラの立場は一層悪くなる。


「……ヘラ。どんなにいい形で状況が推移しても、クロードだけは助からない。帝国は、命令に背いたものを許さない」

「……」

「彼はきっと、自分の首を差し出すことで君達を守るつもりだ」

「クロード様は言ったわ。帝国だって鬼や悪魔じゃない、彼らは覇権を握ったからこそ、大陸を守る責任を自覚しているって。私だってそう思う。クロード様が生きて、魔物と戦って……。それだけで救える命がいくつもあるわ。ねえ、そうでしょ?」


 そう言うヘラの表情はいつものように明るいものではなかった。歯切れの良さは鳴りをひそめ、同意を求めるようにバルガの顔を覗き込んでいる。

 彼女の瞳の奥にあるのは、恐れと焦りと、後ろめたさだ。


 彼女の言うことは正論だ。世は彼女の言うようにあるべきだとバルガも思う。

 だが鬼や悪魔が居るのは、魔界だけではない、とも思う。人の中にもそれは居る。ベミエラの人々の中にも。

 自分たちが逃げたら、ベミエラ魔境はどうなるのか。クロードを頼るのはいいが、そのせいで彼が窮地に陥った時、お返しに彼を救ってやれるのか?

 そうした疑問から目をそらす後ろめたさが、ヘラの態度から読み取れる。


「解った。その時が来たら、君に協力するよ」

「……ああ、よかった」


 ヘラはほっとした表情を見せた。

 彼女がいつものように勢いよくバルガの警告へ反論しなかったことから、彼女の良心を感じ取れるような気がした。

 そう明るく考えることにした。



 ヘラを家に帰した後、食事の片付けもそこそこにしてバルガはクロードの家へ上がり込んだ。


「私は何のためにこの街へ来たんだ」

「どうしたね、薮から棒に」


 食べていたパンの切れ端を口に放り込みながら、クロードが寝椅子から身を起こす。


「クラウスを攫うのはやめろ。どう足掻いても君は助からないぞ」

「そうならないように君を呼んだんだ」


 クロードはにっこり笑ってパンを差し出してくる。バルガはそれを手で制した。ヘラの作った食事はうまかったが、腹は満ちていない。それでも自分はクロードほど痩せていない。


「正直言うと、最後の悪あがきのつもりだったんだ。はじめはね。だが君は予想以上に素晴らしかった。だんだん希望が見えてきたよ」


 人の病状は快方に向かい、鉱山も僅かずつだが動き始めている。

 街の産業が再興すれば、人質が飢死にすることもないし、カスケイドが望むだけ鉄を用意することができる。そうしてゴーレムの数を増やす事ができれば、クロードが魔将を倒すチャンスも増えるはずだ。


「じゃあもっと辛抱強く待とう。皆に事情を話して、どうあれ来月の襲撃だけは止めてもらうんだ。来年の今頃には、魔将も倒せているかもしれないだろ?」

「しかし1度約束してしまったからなぁ。騎士に二言はないのだ」

「……あんたな……」

「はは、まぁ座れよ」


 深呼吸をして、クロードの隣に座る。寝椅子に敷かれた毛布には、彼の体温が残っていた。


「世のためを考えれば、魔境の鎮静を投げ出して良いわけがない。そうしない為に、街を再興するために君を呼んだ。これは事実だ」

「……」

「だがこのまま魔境を鎮静すれば、ここで死んだ人々は忘れ去られるだけだ。……それが許せない、血の雨を降らせてでも――という遺族の思いも理解できる」

「……」

「多くの人が逃げることも出来ないまま飢えて死に、今も魔境で働かされている。そう仕向けた者達は、帝都の安全な場所にいる。やったことは書類へのサインぐらいだろう」

「……」

「覇権を握り得る者というのはな、バルガ。人間を数字と見なせる者だ。サイン1つで、安全な位置から何万という人間を殺せる者だ――下々の者達がどこまで我慢するか、安全に確かめることが出来るだろう?」

「そいつ等を君は倒そうとして……」

「ああ、負けた。そしてこの通り、祖国は荒廃した」

「だからって、カスケイドを殺してどうなる。あの哀れな女に一体どんな罪があるっていうんだ」

「罪は無くとも、死ぬ価値がある。彼女の力には失って痛いと思わせるだけの価値が、ある」

「…………」


 帝国は戦乱の世に建ち、1代で大陸を制覇してのけたが、国としての機能が本当に試されるのはこれからだ。短い間に多くの戦を起こしたために、帝国に恨みを持つ有力者はまだ大陸中に燻っている。彼らが寿命で死ぬまで、少しの油断もなく監視を続けねばならない。絞り上げて帝国を富ませるのもいいだろう。

 だが搾取が過ぎれば過去の恨みも何もない。現状への不満は万人共通、むしろ反乱の足並みは揃うだろう。下からの搾取を緩めすぎても、締め付けすぎても再び大陸は戦火に包まれる。帝国の中枢も数え切れないほどの折衝を経ながら「ちょうどいいところ」を探っているに違いない。

 サインをするだけの人々もまた、眠れぬ夜を過ごしているのだろうか?


「私には帝国のやり方が正しいかどうか解らない。カスケイドが殺さねばならないほど悪人かどうかも。それでも私は領民を預かる騎士だから、領民の意志を世に示さねばならない」

「……」


 バルガは何も言えない。彼にだって「ちょうどいいところ」など解らない。

 反乱を起こせば、帝国にはクロードを殺す理由が出来たと喜ぶ筋もあるだろう。だがそんな連中ばかりならクロードは既に生きていない、彼の反乱と、カスケイドの死に驚き戸惑う筋も少なからず居るはずだ。その驚きが、国を治める彼らの教訓となればいい。あの時の轍を踏むまいと、これ以上絞ってはまずかろうと、第2のベミエラを恐れる考えが根付くけばいい。そうクロードは考えているらしかった。

 巨人の耳に声を届けるためには、反乱でも起こす以外にしようがないのだ。しかし市民を逃がした後は即座に自分の首を差し出すことで、新たな反乱の呼び水にはしない。

 クロードの判断はベストではないだろう。バルガに解るのはそれくらいで、代案など浮かばなかった。


「いずれにせよ、クラウスがやってくる前日にはすべてが決まる。やるとなれば徹底的なものになるだろう。それに君が参加する必要はない、日をまたぐ前にあれを持って帰れ」


 クロードは壁に掛かった自分のハルバードを見た。

 彼の力にも耐えられるほど硬い金属で作られているから、加工も魔術の手を借りねば覚束かず、金属自体も稀少なため市場では値がつけられないほどの価値がある。ヴィルヘイム王家からクロードへ内々に下賜されていたものだが、敗戦を機に帝国が没収、貸与という形で改めてクロードに預けられた。並の商人が受け取っても、帝国の影がチラついてどうにも出来ない代物だが、バルガは使い道に心当たりがあった。

 しかし彼にはこれを受け取るつもりがない。否、受け取らねばならない状況を作る気はない。ただ、ベミエラの人々には思い留まってもらう。それが良いことか悪いことかは解らないが、そのために動くつもりだった。

 クロード・カイツという巨星を墜とさないために。


「急に上がりこんだりして悪かった」

「気にするな」

「でも納得した、立派だ、なんて言わないぜ。消えない汚名を自分から着ようとしてるんだ」

「構わない。私は正義に背く大罪人かもしれないが、人に背くつもりはない――考えた末の決断だ」

「ああ……君はよく考えてるよ」


 周りのことばかりで、自分のことだけは考えていないが。


「これは私の経験則なんだが、世の中にベストな方法なんてないのだ。正しいことをせよと教えられ、また教えて来たが、魔物と同じくらい人も斬って来た」

「……」

「あるいは魔術に手を染めることも、難しい決断なのだろう。違うかな?」


 バルガは少し俯いた。今の言葉が彼の胸に突き刺さっていた。


「俺は、クラウスを攫わなくてすむように尽力してみる」

「好きなようにやってみたまえ。ただし、皆の選択を阻むような真似はならん」

「解ってるさ」


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