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ベミエラ編:1


 ベミエラと聞けば思い浮かぶ有名人が2人いる。領主代行のクロード・カイツと、帝国が派遣した大魔術師カスケイドだ。

 わけてもヴィルヘイムのクロード・カイツといえば、他国の井戸端にさえ名前が上がるほどの知名度である。大陸最強の戦士と謳われたハスター帝国のウォレス・ウォーレンと3度にわたって引き分け、弱小ヴィルヘイムの敗戦を大きく遅らせた男。腰に剣を佩くバルガにとっても、彼は憧れの存在だった。なのでこうして顔を見て、握手を交わす時を楽しみにしていたのだが。


「クロード・カイツだ! 君がバルガか!?」

「は、はい。バルガ・クインシーです。よろし――」

「せっかくだが、のんびり挨拶している暇はない!ついてきてくれ!」


 街に着いた時からなにやら様子がおかしい。

 もう夜だというのに、いかにも急造の旅支度をした女子供が大勢、門の外でかがり火に縋っている。彼等を守る兵士に、自分達の判断で逃げるよう言い聞かせた後、クロードは宵闇に沈む街へとバルガを招く。


「魔物ですか!?」

「そうだ! 着いて早々で悪いが、戦ってもらう! カスケイドの指示に従ってくれ!」


 闇に塗りつぶされた家々の輪郭が、星空の中を流れている。クロードが走るスピードを上げるにつれ、その流れは急になっていった。

 彼はバルガを振り返って、意外そうな顔をした。トーチの火を置き去りにするほどの速さで走っているのだが、バルガは問題なくついてくる。

 魔術師は体力に乏しいという認識はもう古い。そんな話をクロードは思い出した。


「ベミエラ魔境には、魔将が居ると聞きましたが!」

「噂の通り2年程前からだ! それ以前は散発かつ小規模で、ラクだったらしいがね!」


 魔将とは規模の大きくなった魔境に出現する魔物達の大将で、これが出現すると魔物達が統制された行動を取るようになる。魔将とこれに率いられた魔物は、そのほかとは段違いに強い。本来なら後方の非戦闘員も含め、10万人ほどが鎮静に関わるはずだが、ベミエラの人口は1000人を割っている。

 それで済むのは、この街にクロードとカスケイドが居るからだ。


「なるほど! では、今回はどれくらいの規模ですか!」

「……。とにかく、大規模だ!」


 跳ぶようにいくつかの階段を上った後、落ちるようにまたいくつか下る。

 やがて行く手に広大な下り斜面が見えてきた。そこで上がる多くの高い火柱が、夜でも地形を知らせるほどに、明るい。


「あの門を潜ったら、もう戦場はすぐ傍だ! 気をつけてくれ!」

「はい!」


 街を横断し、燃える斜面への入り口となる門をバルガ達は潜った。潜ってすぐの所には草木も残っていたが、10秒も走れば土が剥き出しになる。見ると土の中には油の匂いがする箱がいくつか埋まっていて、遠くの方で上がる火柱はこの箱に火をつけたものだと解った。

 火柱は星空を焼くと同時に、魔境から立ち上る紫がかった薄煙を照らす。

 俗に「魔界のカーテン」と呼ばれるあの煙に巻かれると、人間も魔物と化してしまう。


『すげー! 急に魔境率あがったよ!』

『どのくらいだ?』

『このへんでは50くらい!』


 ローブの中で興奮したウルザが跳ねている。カーテンまでは走って10分ほどの距離があるが、それほど近くで50ならむしろ驚くほど低い。

 ベミエラ魔境を鎮静するため派遣されたカスケイド。大魔術師はどのようにして魔境と向き合っているのか?


「バルガを連れてきたぞ!」


 前を走るクロードがそう叫ぶと、行く手に立つ鳶色のマントを羽織った妙齢の女性がこちらを振り返った。彼女がカスケイドだろう。


「後を頼む。いいか――彼は私の大事な客人だ。無茶をさせてくれるなよ」

「早く行きなさい。もうそろそろ、ゴーレムの列が突破される頃だわ」

「……。バルガ、気をつけてな」


 カスケイドの横顔をもう一度渋面で見つめた後、クロードは背負っていたハルバードを手に取り、鳥よりも速く斜面を下っていった。

 噂通り、2人の――と言うよりカスケイドと街の関係は良くないらしい。


「バルガとやら。まずこの場をゆっくり検分なさい。そして自分に出来ることをなさい。ただし、余計なことはしない。いいわね?」

「はい」


 クロードの要求に配慮したか、それともただ邪魔をするなということか。ともかく低めの美声は「慎み深くやれ」と命じてきた。

 バルガはまず「ゴーレムの列」とやらを探した。目を凝らすとカーテンのすぐ傍で、人型の、しかし明らかに人ではない影が蠢いている。

 人の2倍は高さのある、それよりさらに横幅の大きなゴーレムが、カーテンの向こう側からやってくるミミズやケラがバカみたいに巨大化した魔物と戦っていた。

 長い腕でミミズを引っ掴むと、自分もろとも火柱の中に入れて焼き殺す。そして鉄で出来ているらしい体に熱を蓄えてケラに体当たりし、大きく広い足で他の小さな虫どもを踏みつける。

 そしてゴーレム達の後方には、石版を手にこれらを操る人影が群れている。


(あれがカスケイドのゴーレムか。噂以上だな)


 自分より大きな魔物を持ち上げる膂力はもちろん、魔物をしっかりと掴む器用さに加え、人間並みの機敏さを備えている。

 しかも操作を他人に任せているとはいえ、相当な数を管理下においているようだ。


「ゴーレムは全部で何体居ますか」


 カスケイドは戦場を見たまま答えない。バルガが対応に窮していると、横から金髪の子供が話しかけて来た。


「カスケイドはゴーレム操作に集中しています。話しかけないで」

「君は?」

「アベルと言います。ゴーレムは全部で52体。それがどうかしましたか」

「数が合わないな。見える範囲には20体しかいないけど」

「……あなた、目がいいんですね」


 アベルは碧眼を細めながら戦場を見渡した。火柱と黒煙が乱立した視界の悪さ、そして何より距離のため、ゴーレムを数えるなど思いもよらない。


「未熟な人は、カーテンの向こう側までゴーレムを送り込めないんです。近くでないと操れないから」


 ゴーレムを操る人影。あれはおそらく帝国の罪人だろう。

 帝国には魔境付近で奉仕活動をする、という刑罰がある。カスケイドは彼等から聖印を奪った上で、前線に送りゴーレムを操らせているのだ。ろくに修行も積んでいない彼等の技量などたかが知れている。カーテンのすぐ傍に立つ背中は哀れなほど怯えていた。


「ゴーレムをこちら側に引け! 次に火矢の準備を!」


 カスケイドの号令に従い、傍にひかえる罪人たちがカーテンの向こう側からゴーレムを撤退させる。それを見て、ようやく未熟な罪人たちが前線から逃げる準備を始めた。中には石版を放り出して一目散に逃げる者もいる。


「私にも石版を!」


 叫ぶバルガの足元に、カスケイドの魔方陣が出現した。礼の言葉もそこそこに精神を集中する。

 石版の持ち主を失い、動きを止めていたゴーレムが7体全て動き出した。それを感じ取ったカスケイドが、今日初めてバルガに視線を送る。

 ゴーレムの撤退を機にして、カーテンの向こうから魔物たちがなだれ込んできた。津波のように押し寄せてくるそれらに向かってクロードが突っ込んでいく。彼が横薙ぎにハルバードを振るうと、蹴飛ばされた砂利のように魔物は吹っ飛び、カーテンの向こう側へと消えていった。その横をすり抜けていく小さな虫をバルガは確実に踏み潰していく。

 逃げ出した罪人たちが、街の傍までたどり着くにはまだ時間が必要だ。なんとか魔物を足止めしなくては。


「もう少しゴーレムを引かせなさい、バルガ。……クロードの邪魔になるわ」

「……はい」


 クロードは窮屈そうに見えなかったが、ともかく言われるままにゴーレムを後退させる。

 直後、カーテンの中に大きな、とてつもなく大きな影が浮かび上がった。砦ほども大きさのある、触手の生えた山のようなシルエットがカーテンを潜ると、赤、青、白と色合いも鮮やかな花々が、火柱の発する光を受けて夜空の下に煌めく。

 五枚花弁の中央にある、牙を幾重も備えた口も、その土台になっている肉と土を混ぜたような胴体も、それらを引っ張って移動させている無数の触手も、どれもが冒涜的なまでに、大きい。


(地獄の大花――あれが魔将か?)


 記録に残ったものより2回りほども大きい。だがどれほど大きかろうがクロードの敵ではあるまい。ひょっとすると今日は、ベミエラが大きな山を越える日なのか?

 押し寄せる虫どもを薙ぎ払いながら、クロードが大花を視界に捉える。

 大花にはカスケイドの操る球体関節人形のようなゴーレムが群がっていた。バルガ達のゴーレムより高さのある、しかも大花の体をひょいひょいと駆け上がるほどの機敏さを持ち合わせたものが10体。7体で既に限界が見えているバルガは改めて感心する。

 それらは長い鎖のついた杭を大花に突き刺し、そのまま地面に飛び降り、鎖を引く。大花の巨躯が傾き、こちら側へ引きずり出される。


「おお!」


 周囲から期待の叫びが上がるより速く、クロードの振りかぶったハルバードから、魔を祓う金色の光が夜空へ伸びた。――勝機!





       「ぎゅおおおおおおおおおおおおお――」





 大花の絶叫に思わずバルガは耳を塞いだ。

 触手をフルに使って、必死にカーテンの向こう側へ引こうとする。さらに3つある口でカーテンを思いきり吸い込み、クロードへ吐きかけた。


「チッ―――」


 紫色の煙を避けたため、クロードの狙いは逸れた。大花を一刀両断にするはずだった黄金の一閃は、花を1つだけ削り取って消えた。


(そうだ、これがあるんだ)


 カーテンに触れればクロードも魔物になってしまう。そうなればこの街も終わりだ。魔境近くで魔物と戦う難しさにベミエラは直面していた。

 なおも必死に引く大花に力負けし、カスケイドのゴーレムがまるで木っ端のように宙を舞う。長い鎖が伸びきるまで高く飛んだ上、鎖の張りに引き戻されて地面に叩きつけられるもの。または空中で触手に捕らわれ、そのまま食われてしまうもの――あれほどのゴーレムをそのような目に遭わせる大花が、クロードへの恐れを隠すことなく、転がり込むようにしてカーテンの向こうへ引いていく。

 クロードも追撃を放つが、対魔の金色は魔境の中では霧散してしまう。

 ――仕留め損ねた。悔しさに背を震わせる彼の両脇を、虫たちが駆け抜けていく。


 ……もどかしいほど遅い罪人たちの背に、おぞましいほど速い虫の波が押し寄せる。バルガのゴーレムもそれを何とか押し留めようとするが、捌き切れない。


「――待たんかァ!!」


 振り向いたクロードが、首筋の聖印をより一層輝かせながらハルバードを地面に突き立てる。

 金色の波動が疾風のように斜面を駆け上がり、それに飲まれた虫達は断末魔の痙攣を起こす間もなく死んでいく。それだけでは飽き足らず、クロードの対魔術は街にまで届いた。

 バルガはとっさにローブの中のウルザを腕で庇う。


『いだだだだだだっ!?――――ふぅ……』


 人であるバルガや他の罪人たちに被害はないが、魔導であるウルザはダメージを受けて失神してしまった。他にもゴーレムを操るための魔方陣が消し飛んでしまい、斜面のゴーレムたちが動きを止めてしまう。


「――バカ者ッ!!」


 カスケイドの叫びは加減を知らない対魔術ではなく、カーテンへ背中を晒したクロードの迂闊に向けられていた。いち早く復帰したカスケイドのゴーレムが、いつの間にか戻っていた大花の口を蹴り飛ばし、吐き出された紫の煙をそらす。


「うおおおおお!?」


 さしものクロードもなりふり構わず地面を転がり、煙を避けるしかなかった。彼の窮地を救ったゴーレムはそのまま食われてしまう。

 大花はこの一瞬の隙を突き、背後に隠していた虫の群を触手で掴み、街のほうへ投げつけた。芋虫や羽虫など、種類や大きさもまちまちの虫たちがクロードの頭上を飛び越え、いくつかは逃げる魔術師の背に着地した。

 惨劇からアベルは目を逸らす。


「これまでね……火矢を放て!」


 号令をかけながら、カスケイドは腕を天にのばし、かき混ぜるように回し始めた。

 すると空に張り付いていた黒煙が渦を巻き始める。――地上に強風が吹き荒れ始める。

 一方で火矢が地面に落ち、新しい火柱を起こす。火柱の列がどんどん街へと近づいて来て、バルガが感じる熱気も強くなってきた。そこで、彼はカスケイドの意図に気付く。


「まだ罪人たちが斜面に!」


 ぜぇぜぇと息を乱しながらも多くは斜面を登り切っていたが、何人かは斜面に取り残され、強風に煽られて進めなくなっている。クロードも大花の長い触手にけん制され、今度は振り向くことができない。


「――――」


 バルガは広げた両手から文字列を象った魔術の鎖を放ち、逃げ遅れた罪人たちを捕らえる。


「それを膜で包め!」


 鎖の先端が透明な膜に変わって魔術師を包む。


「よし、中に熱を通すな!」


 鎖の変化が止まったのを確認し、さらに命令を追加した。

 この魔文鎖こそ、ウルザがバルガにもたらした魔術である。主人の命令を理解し、自ら思考してそれを達成するウルザの鎖。1度に1つの命令しか処理できない上、命令の処理中は他の魔術を使えないが、無限に広がる可能性と利便性のため、バルガが最も頼りにしている魔術だ。


 そのまま逃げ遅れを引っ張り上げようとするバルガの腰に、アベルがいち早くしがみつく。火矢を放ち終えた罪人たちも加勢に来た。ゆっくりと、だが確実に逃げ遅れが斜面を登る。が、疾走する虫たちがその背に追いつくほうが速かった。

 形状の変化とは違い、魔術的な性質付与は処理を実行し続けないと解けてしまう。あの薄い膜が魔物の攻撃に耐えられるとは思えない。防ぐのは熱だけで精一杯だ。

 バルガはカスケイドを見た。カスケイドも彼を見返して、頷く。


 耳を劈く高音を伴って、強風が斜面を駆け下りた。

 風に煽られた火柱はその勢いを増し、土色だった扇状の斜面を真っ赤に染める。


「――――――」


 熱風の余波が口を利くことも許してはくれない。そんな状況が数分にわたって続いた。

 やがて火の弱まった斜面で、ウルザの鎖を握ったまま臥していた人影がゆっくりと動き出した。罪人たちは歓声を上げながら彼らを引き上げる。


「……」


 暫くすると、気だるげにハルバードを担いだクロードも斜面を上がってきた。

 魔将を取り逃した彼の表情は暗い。さらにカスケイドの背後に広がる光景がその影をいっそう濃いものにした。

 生き残った罪人達が、死体の乗った荷車を並べている。死体は今の戦いで死んだ者たちではなく、元々準備していたものを街の中から運び出しているようだ。青白い肌をした老若男女まちまちの死体は、一様に、一切腐敗していない。


「ゾンビです。これからあれを魔境に送り込んで、偵察や火箱の設置を行わせます」


 バルガの推察をアベルの言葉が肯定した。

 まず死体をカーテンまで運び、魔境へ送り込んだあとにゾンビとして起こす。なるほど魔境の拡大を予防するいい措置だ、とバルガは思った。魔境率は100を超えてもなお上昇し、100を超えた分が周囲に持ち越されることはないからだ。

 人類の陣地である100以下の土地を護る為には、魔術はなるべく魔境で作用させる方がいい。斜面をゾンビに歩かせてしまっては、無駄に魔境率を上げることになる。


「……」


 それにしても、これほど状態のいいゾンビは初めて見た。さすがはカスケイド――危うく出かけたその言葉を飲み込む。アベルは死体に背を向けたまま俯いているし、クロードは動き出した荷車を痛ましげに見送っている。

 彼等の反応を見れば、あの死体がベミエラ市民であることは容易に想像できる。


「朝になったら広場にきてくれ。広場に面した、門に赤い布を結びつけてある家が君の住まいだ」


 ぶっきらぼうにそれだけ言うと、クロードは街へ引き上げていった。


『あのおじさんむっちゃくちゃ強いねー。魔神より強かったりして』

『起きてたのか。魔境率はどんなもんだ』

『60ちょっとかな。結構危ないよ』

『……』


 魔境率はそれを上げる要因がなければ、5日に1程度下がる。次の襲撃が50日以上後であることを祈るしかない。


(それにしても、あれだけの魔術を用いながら10程度の上昇に抑えるとはな)


 さすが天才と言われながら100年以上も生きているだけのことはある、とカスケイドの横顔を見ながらバルガは思った。彼女のオレンジ色の髪から、鬼人の証である黒曜石めいた角が覗いている。

 1つの魔術に熟練すれば、魔境率を上げずにそれを扱うやり方も分かってくる。だとしても10というのは驚きだ。彼女がここで扱った魔術は、魔境率を0から100まで押し上げても不思議でない規模だった。

 あらかじめ火箱を用意しておく準備と、遮蔽物のない斜面という地形が、あの熱風を奇跡から遠ざけているのかもしれない。

 奇跡に近い魔術ほど魔境率を上げやすい。単独で魔境を招くほどの大魔術師ならば、それを避ける術も持っているべきである。数々の魔境を鎮静してきたカスケイドは、それを持っているのだろう。


(しかし――)


 そうした実力を示し、魔術の必要悪的な面を世に認めさせている彼女だが、赴任先からはことごとく憎悪を買ってきた。

 世に曰く、呪いの魔女。その渾名を信じるならば、死人をゾンビにする程度は序の口のはずである。



 家の近くに魔境が出現したらどうするか。

 何も好きで魔物に食われる人はいない、逃げるか、戦うかである。そして戦う力があったとしても、事情がなければ逃げたいのが人情だ。しかしそれを許してしまえば魔境の拡大は防げない。

 カスケイド――呪いの魔女は、赴任先でまず市民を呪う。自分から離れられなくなる呪いをかけ、その家族もろとも街に縛りつけるのだ。彼女の呪いを拒むことは帝国が許さない。なぜなら、効率的だからである。


 土をも喰らうゾンビは病気とも無縁で、痛みや恐怖を知らず、しかも魔境に入れることから場合によっては兵士より有能だ。そうなると現場に居ない支配者たちは、現場の死に寛容となっていく。

 魔術という奇跡と、その代償。時には代償だけでなく、奇跡そのものが人を虐げる。ゾンビやゴーレムを従えるカスケイドは、行く先々で命の価値を暴落させてきた。魔境周辺で人が死んでいくからといって、それがなんだろう。彼等を救うために金を使うくらいなら、いっそゾンビにした方が有益だ――という帝国の思惑に対し、カスケイドの態度は従順だった。

 呪いの魔女は、命の価値を決して水増ししない。


 朝。魔物の襲撃を退けたベミエラの広場で、クロードは餓死寸前の領民達と向き合っていた。数は50人ほどだ。

 彼等を救うためには食料と、鉄が必要である。それは彼等を人質に取っているカスケイドが鉄を欲しているからで、彼女が鉄を欲するのはゴーレム製作に必要だからだ。

 飢えた領民達を挟んで向こう側、20歩離れてもなお明瞭な黄金の瞳に向けて、クロードは抗議した。


「……話が違う」

「そうね」

「予定の1.5倍だ。そんなに鉄を用意したら、人に回す食料が足りなくなる」

「おまえたちが彼等ほど飢えているようには見えない。今より切り詰めなさい」


 クロードの体重は赴任当初から4分の3ほどまで減っている。ボタンを売り払った立襟の軍服は肩が大きく尖り、これを仕立てた頃の隆々とした体つきは見る影もない。背の高さが、その痛々しさを際立たせるようでもある。

 彼の後ろに控えるベミエラの代表達も似たような有様だが、確かに骨と皮ほどに痩せている、とまではいえない。


「それに、おまえが呼んだ魔術師はとても優秀。彼のゴーレムも用意したいわ」


 カスケイドは他意無くこうした言葉を口にする。

 事情はどうあれ、人質をさらに餓死へ近づけた男に人々の厳しい視線が注がれる。バルガは下を向く以外にしようが無かった。

 一方で、クロードはカスケイドの後ろに控える罪人たちを見ていた。人質と同じカスケイドの呪印が刻まれた頬はしかし、人質とは対照的に活き活きと張り、飢えとは無縁なことが一目で解る。中には腹が出ている者さえ居た。

 鉄も食料も、カスケイドは妥協せず確保する。そして自らに近い罪人たちへしっかりと配る――人質たちの食料は、罪人の食べ残しに過ぎない。


「…………」


 重く乾いた音をたてて、広場の石畳が割れた。クロードの足下からクモの巣状のヒビが広がっていく。

 死んだように臥していた人質の子供が身を起こし、一方で罪人たちは後ずさりを始めた。

 場の誰もがクロードを刮目する中、カスケイドだけは怯まず、空を見るように首を傾げただけだった。クロードの体から立ち上る、無尽蔵と思えるような氣を彼女は見ていた。


「まるで神のごとき力ね。皆怯えているわよ、騎士のクロード」


 低めの美声が場によく通る。灰色の眼球に浮かんだ黄金の瞳が、物憂げな光を宿した。


「悔しい?」

「……」

「悔しければ、その力を魔境で振るってみせなさい」


 ハスター帝国との戦いで、大陸最強の男と引き分けたクロード。

 しかも還暦を迎えたウォレスに比べまだ38歳と若く、クセのある栗色の短髪や無精ひげに白いものは混ざっていない。かの戦いから5年、今や大陸最強は1人ではないか、と噂される彼も、魔境に入れば理性無き魔物と化してしまう。対魔術で人々を護る教会も、大魔術師と称されるカスケイドもそれは同じだ。この世界の生き物である限り、例外は無い。


 しかし魔術師はゴーレムなどを操り、魔境に攻め入ることが出来る。カスケイドはゴーレムが手に入らなかった場合、新鮮な死体をゾンビにすることで代用する。餓死寸前の領民達はその素材候補であり、彼らを救いたい家族は必死で鉄を用意するしかない。

 ベミエラの統治はとても合理的だった。住人にとってはおぞましい合理性ではあるが。


「今日中に商隊を組織して、デンタナへ向かいなさい」


 歯噛みしたまま物も言えないクロードに代わってそう命令すると、鳶色のマントを翻しながらカスケイドは去っていく。


「アベル!」


 呼びかけたヘラ――アベルの姉は、クロードの制止も顧みずに広場の中央まで駆ける。バツが悪そうにのろのろと振り向いたアベルにあわせて、カスケイドも足を止めた。


「あんた、いつ帰ってくるの! お母さん心配してるよ!」

「新しい兵器を思い付いたらね」


 金髪碧眼の姉弟が手のとどく距離で向き合った。エプロンドレスの腰に手をあて、頭ひとつ分も小さい弟をヘラは見下ろす。

 街の北側に作られたカスケイドの領地を、自由に出入りできるのはこのアベルだけだ。カスケイドはアベルをなにかと特別扱いし、小間使いとして傍に置いている。そうした事情はバルガの耳にも入っていた。

 カスケイドの視線にヘラは一瞥さえ返さないが、緊張のために背中は冷や汗でじっとりと濡れていた。


「設計だかなんだか知らないけど、そんなのこっちでも出来るでしょ?」

「集中できないよ。……そっちじゃ、ご飯もロクに食べられないし」


 鳶色の外套に身を包み、カスケイドに寄り添うような弟の態度を見て、ヘラはやるせなさと強い憤りを感じる。憤りはカスケイドへと向けられていた。

 ヘラにはよくわからないが、アベルもまた人質や罪人と同じく、聖印を奪われた上にカスケイドからの呪いを受けている。彼女から離れられなくなる上、害意を向けようものなら命を奪う呪いだという。

 にもかかわらず、アベルはカスケイドを非難するどころか、公然と彼女の肩を持つような言動を見せる。街の人々はそんなアベルを嫌うが、ヘラは唯々カスケイドが憎い。鬼人として150年近くも生きているという魔女が、こんな子供の心まで操って何が楽しいのか。


「早く決めなさい、アベル」

「戻りません」


 アベルはそう答え、カスケイドと共に歩き出す。再びヘラに名前を呼ばれても、アベルは振り返らなかった。

 彼らは人質と共に、街の北側へと帰っていく。……これから人質たちは、昨夜戦場となった斜面で火箱を設置する作業に入る。あの中の何人が、次会うときまでに生きているだろうか。彼らの背を見送りながら、バルガは自らの重労働も覚悟した。

 急がねばならないはずだ。


「……ふう」


 カスケイドたちが去ると、クロードの頭も冷えてきた。彼女の言うとおりだ、と思った。

 怒りはまず誰よりも、不甲斐ない自分へと向けられるべきなのだ。街をこんな姿に変えてしまった自分に、だ。

 罪人が不自由なく飯を食っているからと言って、それがなんだろう。当たり前の事ではないか。そんな事にさえ恨みを覚えるとは。なるほど貧すれば鈍する、クロード・カイツも落ちたものだ、と彼は自嘲した。


「ヘラ」

「……」

「ヘラ、帰ろう」


 振り返った彼女の表情に先ほどまでの勇ましさはない。

 三角巾の中から流れる強いウェーブの掛かった金髪が、高く昇った陽の光を受け鈍く輝き、痩せた顔に落ちる影を一層濃く見せた。


「……私、お母さんの世話がありますから」


 ヘラは足早に家へ戻っていった。


「……先ほどは失礼したね。クロード・カイツだ。よろしく頼むよ、バルガ・クインシー君」

「いいえ、とんでもありません。お会いできて光栄です、クロード様」


 2人は改めて握手を交わす。

 魔境の撃退に協力する善玉魔術師とはいえ、バルガはカスケイドのように国の公認を得ているわけではない。魔境周辺の統治者に、自ら協力の打診をするところから始めなければならない。

 しかし魔術師と名乗った上で人と顔を合わせるのは面倒の元だ。バルガは様々な国へのパイプを持つメッセンジャーに金を払い、クロードに協力の打診をしていた。彼がそれを受け入れたので、バルガは急いでこの街にやってきた。


「さて、バルガ君。私と来てくれるかな」

「はい」

「そうそう……ヘラの母親も重い病気でな。後で診てやってくれ」

「解りました」


 クロードによる街の案内が始まった。

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