美奈子ちゃんの憂鬱 秋篠君の幸福? 災難?
●昼休み 明光学園 教室
「ニュースニュース!」
大声をあげながら教室に飛び込んできたのは……。
「何?未亜、またロクでもない情報仕入れてきたみたいね」
「むーっ。何よ美奈子ちゃん。失礼だなぁ」
「真実よ」
「で、未亜ちゃん。ニュースって、何?」
「水瀬君、よくぞ聞いてくれました!」
未亜は美奈子の手から缶ジュースを取り上げると、一気に飲み干した後に言った。
「新しい剣術教官が来るんだって!」
「こら未亜!」
「剣術教官?」
「そう!ほら、ウチの組の剣術指導を担当する教官が決まっていなかったでしょう?ようやく決まったんだって!」
「水瀬君。剣術教官って?」
「あ、ルシフェルは知らなかった?ココにも、騎士に剣を教える立場の人がいるんだよ」
「ああ。そういうこと」
「ルシフェルさんじゃ、教わることなんてなと思うけどなぁ」
そういう美奈子だが、「そんなことない」と、ルシフェルは否定する。
「そう?」
「まだまだ未熟だよ?私なんて」
「世界最強騎士に「未熟」なんていわれたら、立場ないんじゃない?羽山君?」
「イヤミか?」
「無視。で?未亜、その人って、どんな人なの?」
「うーん。よくわかんないけど、近衛の人だって」
「ルシフェルさんの仲間?」
「私、聞いていない」
「え?本当に?」
「うん」
ルシフェルがちらりと視線を向ける先にいた水瀬も首を横に振る。
「うーん。極東最強の騎士団から派遣されてくるんだから、さぞ腕が立つんだろうなぁ」
感心したような声を上げる博雅に、美奈子が言う。
「剣が上手くても、厳しければ大変だね」
考えてみれば、その一言が、騎士養成科生徒のこれからの運命を予言していたのかもしれない。
●翌日 明光学園教室
騎士養成コース所属生徒専門の授業はいくつか存在する。
その中の一つが、この「戦術講義」だ。
「授業を始める」
苦い顔で教室に入ってきた南雲の巨体の後ろにはスーツ姿の女性がいた。
長い髪をポニーテールにして束ねており、鋭い感じのする目からは殺気に近いものが放たれている。
「怒らせたらタダではすまない」
生徒達は、一瞬にしてそう悟った。
「女の人?」
「誰?」
教室がざわつくのを、南雲が制する。
「静かにしろ」
張りがなく、憔悴したような声が教室に響く。
「新任の剣術教官を紹介する」
南雲がチョークで黒板に名前を書き出した。
福井かなめ
とある。
何故か水瀬の顔は真っ青。
ルシフェルも平然としているようだが、どこか焦っている感じだ。
「では、福井先生。どうぞ」
ガンッ!
福井は、まるで威嚇するように手にした竹刀で床を突き、口を開いた。
「剣術指導教官の福井だ。帝国国防の楯となる貴様ら騎士養成コース生徒の指導に当たることは名誉なことと思う。今後とも、よろしく頼む」
「ありがとうございます。……では、授業を始める。テキストの125ページを開け。今日の当番は……安藤、読め」
「あ、あのぉ……」
「どうした?」
「俺、テキスト忘れてきちゃって……」
バンッ!!
竹刀の鋭い音が教室に響き渡った。
生徒達が身を固くする。
「たるんでいる!」
「ふ、福井先生……」
「テキストを忘れた?貴様、何のためにそこに座っているのか!」
「あ、あの、すみません……つい」
「謝ればよいというわけではないぞ!」
バンッ!
「そんなたるんだ根性で騎士として十分な戦いが出来ると思っているのか!?」
「……」
安藤はうつむくだけだ。
反省はしていると思う。
だが、福井はそんな安藤に容赦しなかった。
「罰だ。校庭を10周してこい」
「こ、これからですか!?」
「ふ、福井先生……それはあまりに」
「騎士たるもの、少しの油断が死につながること、その程度は南雲先生にはお分かりのはず」
「は、はぁ……まぁ」
「この生徒にはその油断がある。テキストを忘れるなど、その証拠以外の何者でもない!」
福井は竹刀を一閃させながら怒鳴った。
「校庭10周だ!さっさと行け!」
「はっ、はいぃ!」
安藤は走りながら出ていった。
「あーあ。情けねぇの」
誰かのボヤきが福井の耳に入った。
「……誰だ?」
しんと静まりかえる教室。
「ワイや」
手を挙げたのは草薙だ。
「そんなにおかしければ一緒にやってこい!校庭10周だ!」
「そんな無茶な!」
「授業中の私語が禁止されていることは、生徒として当然知っておくべきことだろう!ましてクラスの仲間を侮蔑するとは何事か!」
「い、いや、ワイはそんな」
「いいから走ってこぉい!」
草薙が出ていった後、水を打ったように静まりかえる教室。
「うむ。授業中は静かであるべきだな」
福井は満足そうに言った。
「では南雲先生、心おきなく、続きをどうぞ」
●桜井美奈子の日記より
お昼休み。
騎士養成コースの生徒のほとんどが、自分の机に突っ伏している。
ご飯すら食べていない。
「南雲先生は止めなかったの?」
「ああも理路整然と精神論唱えられたら、あの口べたの南雲先生が止められるはずないよ」
水瀬君はため息混じりに言った。
「草薙なんて校庭40周だよ?あれじゃ見せしめだよ」
うわーっ。お気の毒。
「しかも、午後の体育は、あの先生の指導。大変なことになるよぉ?」
●明光学園校庭
「授業を始める」
なぜかスーツ姿のままの福井が居並ぶ生徒達に口を開いた。
「まず、校庭10周」
ざわつく生徒達を無視した福井は続けた。
「その後、腹筋、腕立て、背筋を各300回、終わったら各自スタンブレードの素振り1000回だ」
「な、何ですかそれ!?詩乃ちゃんのシゴキじゃあるまいし!」
「……この程度のウォーミングアップ、当たり前だ」
「じ、冗談。どこがウォーミングアップだよ」
「いいからやれ!いいな!?基本こそ最も大切だ!基本を体にたたき込め!」
「……やってられねぇよ」
そんな声があがり、何人かの生徒が腰を上げた。
●桜井美奈子の日記より
騎士養成コースの生徒5人(確か沼田君達)が福井先生の叩きのめされたと聞いた時はさすがに驚いた。
福井先生の指導に納得出来ないという生徒達だ。
福井先生に挑発されて剣を向けた5人は、あっさりと先生の刃に叩きのめされ、しかも、生徒達全員が連帯責任で校庭20周させられたという。
「無茶だよねぇ」
放課後、水瀬君はそうボヤいた。
「相手は近衛だもん。ルシフェルさんじゃなきゃ、勝てないよね」
「かなめさん、ルシフェルに勝ってる」
「え゛!?」
驚いて見たルシフェルさん、心なしか顔が引きつっている。
「ルシフェル、同じようにかなめさんに抗議して、同じ目にあってるんだよ。ね?ルシフェ」
「……あの時は、本当にそう思ったんだもの」
「る、ルシフェルさんが負けた?」
「ルシフェが剣をお父さんから学ぶきっかけにもなったんだよね?」
「……負けるの、嫌いだから」
なるほど、やっぱりみんな、いろいろ過去があるんだね。
●桜井美奈子の日記より
翌日の午前中。
普通コースの授業を受けていたら、
ドドドドドッ
すごい音がしたので外を見たら、騎士養成コースの生徒が一丸となって校庭を走っていた。
「うむ。やはり騎士は体が資本だからな」
神田先生はさも当然という顔でうなずいた後、黒板に向かったけど…。
●秋篠博雅の日記より
ついに俺も走る日が来た。
うっかり、出席当番を忘れていたことをとがめられ、校庭10周。
確かに、非は自分にある。
だが……
校庭から教室に戻った途端、他の生徒の連帯責任でさらに20周だ。
さすがにバテた。
20周を走り抜き、ゴール地点でへたり込む。
見ると、他の生徒もあちこちでばてていた。
「お疲れさま」
声をかけてきたのはルシフェルだった。
一緒に走っていたはずなのに、息を乱してなければ汗一つかいていない。
「大丈夫か?」
「平気。いつもやってるから」
「はぁ!?」
「毎朝、福井先生のカリキュラムはこなしてるの。水瀬君もだよ?」
……あいつらが平気な顔している理由がわかった。
当たり前のことをしているからだ。
俺も修行が足りない。
よし。俺もやろう。
ここで休んだらな。
そこへ福井先生がやってきた。
「よし。走り終わったようだな。これに懲りたら、少しは失態を犯さずに済むように心がけろ」
「……はい」
「よし。さっさと教室に戻れ」
俺は先生の言葉に従い、勢いをつけて立ち上がろうとして
「あっ!」
「きゃっ」
立ち上がった途端、バランスを崩し、ルシフェルに倒れかかる形で抱きついてしまった。
「だ、大丈夫?」
「す、すまない!わ、わざとじゃ……」
……ううっ。相変わらず柔らかいし、いい匂いがする。
力が戻るまでの役得だ。もう少し……と思ったが、
!?
突然、背後からすさまじい殺気を感じ、その途端、俺は凍り付いた。
恐る恐る振り返った先にいたのは……
「き、貴様ぁ……!」
福井先生が恐ろしい形相で仁王立ちしていた。
肩が怒りでふるえ、すさまじい殺気を放っている。
うわ。ルシフェルほどじゃないが、怖い。
「この婦女暴行魔がぁ!」
「ふ?」
「せ、先生、秋篠君は―――」
福井先生が血走った目で怒鳴った。
「見苦しいぞ!現行犯だろうが!」
「げ、現行犯?」
「私の前でナナリに……ナナリにっ……」
「せ、先生!」
「なんと不埒な!」
だめだ。説得が通じる状態じゃない。
「せ、先生。私、別に……」
「ナナリ、女として辛かったことはわかる。だが、泣き寝入りしてはならないっ!」
「で、ですから……」
「何も言うな……秋篠!校庭100周だ!」
「げぇっ!?」
「私の目の黒いうちは邪なマネが許されると思うな!」
「ですから、あれは事故で!」
「見苦しい!校庭200周だ!」
「げぇっ!?」
福井先生は腰に下げていた霊刃を抜いた。
「行かねば……この場で斬り捨てる」
気がつけばもう放課後だ。
他の生徒達が下校する間を縫って俺は走り抜いた。
もう体力が続かない。
ゴール地点にたどり着いたのまでは覚えている。
気がつけば、俺は保健室のベッドで眠っていた。
すでに夜。
蛍光灯の明かりの下、痛む体で辺りを確認すると、椅子に座ったルシフェルが眠っていた。
看病してくれたらしい。
ありがたい。
気がつくと、俺はルシフェルの寝顔を見つめていた。
本当に愛らしい寝顔だ。
体力を使い切るまで走り抜いた先にあったのは、この幸福な一時。
悪くはない。
「―――んっ」
形のいい眉がぴくりと動き、ルシフェルが目を覚ました。
……ま、この先の展開は、「お約束」だ。
しかもベッドの上。
最高のシチュエーションだ。
何度目か忘れた位のキスの後、ルシフェルの声も甘くうわずっているのがわかる。
「いい?」
「――うん」
俺の指先がルシフェルの制服のボタンにかかった時――。
不意に保健室のドアが開くなり、聞きたくもない声が聞こえた。
「秋篠、目を覚ましたか?」
●翌日 明光学園教室
「―――で?」
「博雅君とルシフェルちゃんがいちゃついていた所へ、宿直の福井先生が入っちゃってぇ」
「それで校庭――」
「そう。1000周。博正君、さすがにダウンだって」
私は博正君の机に手を合わせた。
「ご苦労っていうか、ご愁傷様」