十八話
月曜日の朝。俺は今日も玄関のチャイムの音で目を覚ました。例に漏れず逢が来たのだろう。
俺は体を起こしつつ、枕元に置いてあった携帯を手に取り時間を確かめた。
「……七時四十五分か、今日は来るの遅かったな」
最近は朝食を作る時間を考慮して七時前後、それが無かったとしても三十分頃には家にきていたんだが……
まぁ大方、寝坊でもしたのだろう。あいつにしては珍しいがそういう日もあるだろう。
俺はそう思いながら玄関まで行き、扉を開けた。
「……おはようございます、先輩」
「よう、今日は遅かったな。寝坊でもしたか?」
そう言った俺に対し、逢はどこかゆっくりとした調子で答えた。
「……いえ、寝坊はしなかったんですが、準備に、時間が掛かって、しまって……」
「なんかあったのか?」
どこか様子がおかしい逢に俺はそう聞いた。
「……何も、ないですよ。それより、早く準備、を……っ!」
「おいっ!」
逢は言い終わるよりも早く、膝をつくような感じで倒れてきた。
「おい大丈夫か?」
「……だい、じょうぶ……です」
俺は咄嗟に逢を受けとめ声をかけたが、逢は荒い息を吐きながらそう答えた。
とてもじゃないが大丈夫そうには見えない。
とそこで、俺はもしやと思い逢の額に触れてみた。
「……やっぱりな。大分熱があるぞ」
予想通り逢の額はかなり熱くなっていた。
「仕方ねぇ……ちょっと我慢しろよ」
「あ……」
そう言って、俺は逢の体を所謂お姫様抱っこの形で抱え上げた。
逢は一瞬声を出したものの、抵抗する元気も無いのかそのまま素直に抱えられていた。
このまま逢を家に連れて帰るのもあれなので、俺は逢を抱え自分のベッドに連れていきそこに寝かせた。
「そこで寝てろ」
「……ですが、学校が……」
「こんな状態で行けるわけねぇだろ。いいからお前はそこでおとなしくしてろ」
そう言って俺は逢に布団を被せてその場を離れた。
俺はリビングの前でこの後のことについて考えた
(とりあえずまずは薬を飲ませねぇとな。つっても家には薬はねぇし……。仕方ねぇ、買いにいくか……)
そう思い、俺は財布を持って家を出た。
始めにコンビニ行ったがそこでは風邪薬を取り扱ってないと言われ、どうしようかと迷ったあげく、俺は開店準備をしていた薬局に行った。
「すまない、どうしても薬が要るんだ。悪いんだが今買わせてくれないか?」
俺が無理を承知で頼むと、店員は意外にもあっさりとそれを了承してくれた。
俺は店員に勧められた風邪薬とスポーツ飲料と冷却シート、それと丁度良いものがあったのでそれも買い、店員に礼を言って急いで店を後にした。
家に帰ると逢は荒い息を吐きながら横になっていた。それに随分と汗をかいているようだった。制服のままってのも余り寝心地の良いものでは無いだろう。
「流石にこのままじゃ不味いか……」
そう思い、俺は一度キッチンへ行き、少し熱めのお湯とタオル、それと逢が着れそうな服を用意してから部屋に戻った。
「逢、起きてるか? 悪いがこれからお前の身体拭いてから着替えさせるからな? 男の俺で悪いけど我慢してくれ」
逢は俺の声を聞いているのかいないのか分からないぼんやりした感じだったので、俺は返事を待たずにやることにした。
最初に上半身だけ脱がしていき、流石に下着を取るのは不味いかと思いそのままにして身体を拭き始めた。
逢の身体は華奢で、肌の色も白く、とてもキレイだと思った。
拭かれている間も逢はぼんやりしていて、自分が何をされているのか分かっていないようだった。
(流石に普通の状態だったら興奮してたかも知れないが、今はそんな状況じゃねぇからな)
全くとは言わないが変な気を起こそうとは思わなかった。
上半身を拭き終わり、持ってきたTシャツを着せたが、俺のものなのでやはり少し大きかったようだ。
その後少し苦戦しながらスカートを脱がし、同じ様に脚を拭いてからまたも苦戦しながらズボンを履かせた。
最後に顔を拭ってから俺は再びキッチンに戻り、薬などと一緒に買ったレトルトのお粥を作り、逢の元に持っていった。
「逢、いまから薬飲ますけどその前に少しでも胃に何か入れとかないと不味いから、ちょっとで良いからこれ食え」
そう言って逢の身体を片手で支えながら、もう片方でお粥を掬い、少し冷ましながら逢の口元まで運んだ。
「……ん、はぁ……」
逢は時間を掛けて一口を飲み込み、また熱い息を吐いた。
「もう少し食べれるか?」
微かに頷くのをみて、俺はまたお粥を口元まで運んだ。
その後二口ほど食べた後になんとか薬を飲ませ、またベッドに寝かせてから額に冷却シートを貼ってやった。
そして薬が効いてきたのか、逢はそのままに眠りについた。
side逢
「……あ、れ?」
目を覚ましたわたしはいつもと違う景色に軽い戸惑い覚えた。
それになんだか身体か少し重い。
なんとか上半身を起こし辺りを見回してみた。あまり物がない、殺風景な部屋。
あるのはわたしが寝ていたベッド、それに小さい本棚と床の上に丸いテーブルが一つあるくらいだ。
そんな風に部屋を見回していると、突然部屋のドアがガチャリと音をたてて開いた。
「ん? なんだ起きてたのか」
そう言って入ってきたのはこの部屋とは違い最近ではよく見慣れた人物だった。
「……夕霧、先輩?」
「なんだ? ボケてんのか?」
「いえ、そういうわけじゃ……」
ただ突然の出来事に少し戸惑ってしまったのだ。
「あの、ここは?」
「俺の家だよ。そういやこっちの部屋はきたことなかったか」
そう言いながら先輩はわたしの側までやって来て額に貼ってあったシートをはがし、そのままに直に手を当ててきた。
「まだ少し熱いな……」
「あの、何でわたしはここに?」
「覚えてないのか? お前、朝うちの玄関で倒れたんだよ」
言われ、わたしは微かにそんな記憶があるのを思い出した。
「医者に診てもらったわけじゃないから正確にはわからねぇけど、多分普通の風邪だろ。大方昨日の雨に濡れたのが原因だな」
そう言いながら、先輩は新しいシートをわたしの額に貼った。その冷たさがなんだかとても気持ちよかった。
「先輩、いま何時ですか?」
「あ? えーとそろそろ三時になる頃だな」
「えっ? あ、学校は……」
「今更もうおせぇだろ。つかそんな状態で行けるわけねぇだろうが。まぁ一日位サボっても問題ないだろ。ついでに彗華の奴にも連絡しといた。今日はゆっくり休めってさ」
そう言われ、わたしは申し訳ない気持ちになった。自分の体調管理が出来てないせいでいろんな人に迷惑をかけてしまった。
そんな思いが顔に出ていたのか先輩はわたしの頭に手をおきながら言った。
「そんな顔すんなよ。誰だってこういう時はある。それこそ無理してこられた方が迷惑だ。こういう時は誰かに頼れ、誰も迷惑だなんて思わねぇから」
けして優しい口調ではなかったけど、その言葉に含まれた優しさに気づき、わたしは少し心が軽くなったような気がした。
「分かったらもう少し寝てろ、まだ治ったわけじゃねぇんだから。それとも腹減ってんならなんか食うか?」
「いえ、大丈夫です。そういえば先輩、学校は?」
「そんな状態のお前をほっとけるわけねぇだろうが。そこまで薄情な人間じゃねぇよ。……いやサボれてラッキーとか思ってないよ?」
「先輩……」
ジト目で睨んではいたものの、それでも先輩がわたしの為に学校を休んでまで看病してくれていたことが少し嬉しかった。
「まぁそういうことだからお前はもう少し休んでろ。なんかあったら連絡してくれ、お前の携帯は枕元に置いてあるから」
そう言って先輩は部屋を出ていってしまった。
先輩がいなくなって静かになった部屋を少し寂しく思いつつ、わたしは少し横になろうとしてあることに気づいた。
服が、着替えさせられてる……
「え、あれ、なんで? …………あっ!」
そこでわたしは朧気ながらその時の記憶を思い出した。
先輩に服を脱がされ、身体を拭かれていたという記憶を……
「――っ!」
思い出した瞬間、わたしは自分でも顔が真っ赤になっていくのが分かった。
(どうしようどうしようどうしようっ! わたし、先輩に裸見られてっ!)
わたしは布団の中に潜って軽くパニックになっていた。
心臓がドクドクと脈打ってうるさいくらいだ。
(自分の体調管理ができてなかったせいとはいえ、これは流石に恥ずかしすぎる! 見られるだけならまだしも、その上先輩に身体を拭かれたなんて……)
思い出してるうちに熱が上がってきている気がする。多分気のせいではないだろう。
(あれ? でもさっき先輩は全然普通にしてたよね? それなのにあの反応……わたしの身体ってそんなに魅力無かったのかなぁ……)
裸を見られたという動揺と熱のせいもあって、だんだんと自分が何を考えてるのか分からなくなってきていた。
(先輩のばか! どうしてこんなことしたの……!)
善意でやってくれていたとはいえ、それを理性的に受けとめる余裕は今のわたしにはなかった。
感情がうまくコントロールできない。自分からこんなにも感情が溢れてくるというのも動揺の一端になっていた。
(もうどんな顔して先輩に会えばいいのかわかんない……)
でも先輩は、わたしの裸を見たのに全然そんな素振りを見せていなかったのを思い出し、今度は少し悲しい気持ちになった。
心臓がさっきとは違う感じで苦しくなった。
(はぁ、熱が出てるのに色々考えすぎたせいかな。とりあえず少し休もう……)
そう思い、寝やすい感じに体勢を整えた。
そこである匂いに気づいた。
(この匂い、なんか落ち着くなぁ。でもなんの匂いだろ? なんか最近嗅いだことがある気がする……)
眠ろうとしていた思考を動かし、思い出してみた。
(……そうだ、これ、先輩の匂いだ……)
最近、わたしの近くに要るのが当たり前みたいになっていた先輩の匂い。
男の人の匂いだけど、不思議と嫌じゃない。なんだかほっとする、そんな匂い。
その匂いを嗅いでいると、またわたしの心臓がドキドキと脈打った。
(でも、この感じは嫌じゃない)
そう思い、心臓の音を子守唄にわたしはまた眠りについた。
俺は部屋のドアをノックしてから声をかけた。
「入るぞー」
自分の部屋なのに声をかけるというのも変だか、今は逢が寝ているということもあり一応声をかけてから部屋に入った。
「せ、先輩!?」
逢は既に起きていて、俺が部屋に入ると少し戸惑ったような声を出した。
「なんだ? なんか不味かったか?」
「い、いえ……大丈夫です……」
どこか様子がおかしいと思い、俺は逢の姿を少し不躾に眺めてみた。
すると逢の顔が紅くなっているのに気づいた。
「お前顔が紅いぞ、もしかしてまた熱が上がったんじゃないのか?」
そう言いながら俺は逢に近づいていった。
「だ、大丈夫です! 問題ないです!」
「いいから少しじっとしてろ」
やけに拒む逢の言葉を遮り、俺はシートの貼ってある額ではなく、かわりに頬から首筋の部分に手を当ててみた。
「――――っ!」
「……やっぱり少し熱いな」
自分の体温と比べてみても逢の体温が高いのが分かった。
それにさっきより逢の顔が紅い気がする。
「もう少し寝てろ、いま新しいシートと冷たい飲み物持ってくるか――」
「ち、違うんです!」
俺の言葉を遮るようにして、逢は大声ではないが強めの口調で言った。
「はぁ……何が違うんだよ。現にお前、顔も紅いし熱だってあるじゃねぇか」
「それは……そうなんですけど……」
呆れるように言った俺に対し、罰が悪そうに一瞬顔を伏した逢は、直ぐにキッと顔を上げて睨むような視線を向けて言ってきた。
「も、もとはと言えば先輩のせいですっ!」
「……は?」
いきなりの逢の発言に、俺はわけがわからずそう返した。
「先輩が変なことするから、だから……!」
「いやいや変なことってなんだよ、俺がなんかしたってのかよ」
「しましたっ! 先輩はわたしの裸を見ました!」
「……は?」
一瞬言葉の意味が理解できず、俺は思わずさっきと同じような返しをしてしまった。そして言葉の意味を理解した俺は、
「……あぁ」
「『あぁ』じゃないですよ!」
…………
「先輩は本当にデリカシーがないですね」
「いやそれについては悪かったよ」
あの後逢に話を聞き、俺は逢の様子が変だった理由を知った。
要するに、逢は裸を見られた俺にどう対応していいのか分からなくなってた、なのにそれを気にしたふうもなく俺が接してきたのが原因だったようだ。
「でも別に疚しい気持ちがあったわけじゃねぇぞ?」
いやまぁ肌綺麗だなとか、なんかいい匂いするなとか思わなくもなかったけど……
「先輩に悪気が無かったのは分かってます。わたしの為にやってくれたというのも十分理解してます。だから別にもう怒ってません」
「……そうか」
そのわりにいまだに態度が厳しいのは何故なんだろう。
「だから先輩はもう少し気遣いを持ってください。わたしだって、その、女なんですから……」
そう言った逢が、いつもと違いやけに年相応の少女に見え、俺は思わず笑ってしまった。
「なに笑ってるんですか? ちゃんと反省してください」
「あぁ、悪かったよ。ちゃんと反省するって」
言いつつも笑っている俺に、逢はとても不満そうだった。
「そういや当初の目的を忘れてた」
予想外の出来事に俺は本来の目的をすっかり忘れていた。
「そういえば何か用があってきたんですよね? なんの用だったんですか?」
「あぁ、そろそろ飯にしようと思ってたんだけど、お前食えそうか? 一応うどんにするつもりだけど」
病人ということもあり一応ごはんものは控えておいた。
「はい、大丈夫です。というか先輩が作るんですか?」
「当たり前だろ。いまこの家には俺とお前しかいないんだから」
加えて逢は病人。となれば作るのは必然的に俺しかいないだろうが。
「先輩、料理できるんですか……?」
若干不安の混じった声で逢が聞いてきた。
「多少はな。これでも一年以上独り暮らししてるし」
「いつも出来合いの物ばかり食べてる気がしますが……」
まぁ実際作るのは面倒だしな。それに最近の出来合いものはなかなか旨いし。
「安心しろ。さっきお前が寝てる間に本屋に行って料理本買って読んでたから問題ない」
「それを聞いて激しく不安になったんですが……」
終いには自分が作ると言いだした逢を説き伏せ、俺は調理の支度に入った。
「出来たぞ」
二十分程で出来上がったうどんを持って俺は部屋に入った。
「さぁ食え、遠慮はいらん」
そう言ってうどんの乗ったお盆を渡し、逢が食べるのを待った。
「……見た目は……普通ですね」
逢は若干安堵しながら、それでも緊張を残しつつ箸を持った。
「変に凝ったものじゃなく、なるべくシンプルにしてみた」
料理本があるとはいえ、いきなり凝ったものを作るのもあれだしな。
「それじゃあ、いただきます……」
逢は緊張しながら最初の一口を食べた。
「……どうだ」
自信はあるとはいえ、やはり他人の評価は気になる。
俺は思わず急かすような感じで聞いてしまった。
「…………おいしい」
一口目を飲み込んだところで逢は口を開いて言った。
「そうか!」
俺は柄にもなく喜びを全面に出してしまった。
「本当においしいです。シンプルな分味の良し悪しがはっきりしますが、これは本当においしいですよ」
料理の上手い逢がそう言うのなら本当においしいかったのだろう。
俺は嬉しくなって逢にどんどん食べるよう進めた。
「これ、だしは市販の物じゃないですよね?」
「一応料理本に書いてあったの見て作った」
作り方も難しくなく、それでいて美味しく出来たのならまさに料理本様々だな。
その後も逢は美味しいと言いながら食べ、量は少な目にしていたとはいえ見事完食してくれた。
「ごちそうさまでした」
「お粗末さま」
俺は空いた食器を下げ、その後薬を持っていき逢に飲ませた。
「先輩、わたしそろそろ……」
薬を飲み、一息ついたところで逢が言った。
「トイレか?」
「違います! そうじゃなくてそろそろわたし家に……」
言いながら逢はのそのそと布団から出ようとしていた。
「馬鹿、そんな状態で帰せるわけねぇだろうが。熱だってまだあるし」
薬を飲んである程度熱は下がったとはいえ、まだまだ平熱より大分高い。そんな人間を一人家に帰せるわけがなかった。
「ですが、今日一日で先輩にも大分迷惑をかけていますし……」
「そういうのは治ってから言え。いま帰ってまた熱がぶり返ったりしたらそっちのが迷惑だ。わかったら今日はおとなしく泊まってけ」
「でもそれじゃあ先輩はどうするんですか? ベッドだってわたしが独占しちゃってますし」
逢は申し訳なさそうにしながら不安材料を述べていた。
とそこで、俺に軽いイタズラ心が芽生えた。
「じゃあ一緒に寝るか?」
「はぇ!?」
逢の予想以上の反応に、俺は楽しくなって更なる追撃を試みた。
「いや~お前がそんなにも心苦しいってんならそれも一つの選択だぞ? そのベッドセミダブルだし二人くらいなら多分寝れるぞ」
「そ、そそ、そんなのダメに決まってるじゃないですか! わ、わたしたちそ、そういう関係じゃないですし、先輩は変態だし!」
別に変態じゃねぇよ。
「別に良いんじゃねぇの? ただ一緒に寝るだけだ、別に変なことしようってわけじゃねぇだろ?」
「当たり前です! じゃなくて、どっちにしろ一緒に寝るなんてダメです! 第一、一緒に寝てもしわたしの風邪が移ったら……」
からかってる時の逢の反応は面白いがそろそろやめとくか。これ以上やったらなんか取り返しのつかないことになりそうだし。
「それじゃあやっぱ別々に寝るしかねぇな」
「は、い……?」
突然素に戻った俺に、逢はついてこれなかったようだ。
「だって風邪が移ったりするのが嫌なんだろ? じゃあやっぱり別々に寝るしかねぇだろ」
「……そ、そうですね、それがいいですね……」
何故か若干寂しそうに見えたのは気のせいだろうか。
まぁなんにせよ、逢がこの家に泊まるのを了承したようなのでこれでいいだろう。
「じゃ、決まりだな。そういうことだから俺はリビングのソファーで寝るわ。お前はそのままベッド使ってくれ」
「え、ぁ……」
「なにかあったら携帯でもいいから言ってくれ。そんじゃ俺は向こうの部屋にいくから、お前は安静にしてろよ」
「せ、せんぱ……」
一方的に捲し上げて俺は部屋を出た。
ちょっと強引だったかもしれないな。
ま、このくらいやんないとあいつも強情だから頷かないだろうし。
ったく、自分が病人だってことを理解しろっつーの。普段大人っぽいっつーか冷静な癖にこういうときは子供っぽいっつーか。いやまぁ年齢的にまだ子供なんだけどさ。
その後もちょくちょく逢の様子を確認しつつ時間は過ぎていった。
部屋にいく度に逢は何か言いたそうな顔をしていたが、次第にそれも治まり……というか諦めたようだ。
夜もだいぶ更け、今はだいたい十一時頃だろう。
俺はベランダに出て空を見ていた。
特に理由は無いが俺はたまにこうして空を見上げている。
ふと、背後に気配を感じて俺は振り返った。
そこにはこちらに来ようとしてる逢の姿があった。
「寝てなくていいのか?」
突然の声に逢は少し驚いたようだが、すぐに気を取り直し、俺のそばまでやってきた。
「熱もだいぶ下がったので大丈夫です。それに昼間に寝すぎたせいか今はあまり眠くなくて……」
確かに昼間あれだけ寝ていれば眠くもないだろう。
それでもまだ横になっていた方がいいのは確かなんだが……
「先輩は何してたんですか?」
俺の考えを遮るようにして逢が聞いてきた。
「……特になにも。ただ何となく空を、な」
「空、ですか……?」
言って、逢もまた空を見上げた。
「……今日は星がよく見えますね」
「……そう、なのか……」
逢の言葉に、俺は素直に肯定することができなかった。
そんな俺の反応に、逢は少し疑問を覚えたようだった。
「違うんですか?」
「……いや、違わない」
俺は逢の言葉に一応の肯定をした。
確かにこの街にきて見た中では、今日は星がよく見える日だろう。
ただ……
「ただ、俺がこの街にくる前に見た空は、こことは比べ物にならないくらい星がよく見えたんだ」
この街とは違い、回りは山ばかりの田舎の町。そして俺はそんな山の中で、人工的な光の届かない、星と月明かりだけの空をいつも見ていた。
数えきれないほどの星が瞬き、手を伸ばせばその星に届きそうな、そんな景色。それを見慣れていたせいか、この街の空は俺には物足りなく感じてしまうのだろう。
「……いいですね、それ」
俺の話を聞いていた逢はそんなふうな感想を漏らした。
「……あぁ」
ただ、その景色を見るためにはあの町な行かなければならない。
だが、いまあの町に行くのは少し躊躇われた。
俺自身が気にしないとしても、その町に住む他の人間が俺を気にしないとは思えないから。
まだ、すべてを忘れられるほどの時間は経ってないから。
そんな俺の内心とは裏腹に、逢はなんでもないことのように言った。
「いつかに観に行きたいですね」
「……は?」
「星ですよ、星。先輩が見たっていう景色、わたしも見てみたいです」
逢の言葉に俺は暫し呆然としてしまった。
だが、すぐ気を取り直して、
「……そうだな」
俺は苦笑しつつそう答えた。
こいつと一緒ならそれもいいかもな。
いつか、そんな日が来れば……
「しかし大胆だな」
「はい?」
「だってこれ、デートの誘いだろ? まさかお前にこんな積極的に誘われるとは思わなかったぜ」
「な、ばっ! 別にそんなつもりで言ったんじゃありません!」
「照れるな、照れるな」
「照れてません!」
おぉ、凄い剣幕だ。思わず後退りそうになったよ。
そろそろやめないと不味そうだ。興奮し過ぎてまた熱が上がったら洒落になんねぇからな。
「そろそろ部屋に戻ろう。こんな時間にベランダで騒いでたらご近所さんに怒られちまう」
「先輩が変なこと言うからじゃないですか……」
ぶつぶつと文句を言っている逢を連れ、俺は部屋の中に入っていった。