ジユウの記憶
ジユウに連れられて、扉の前に立つ。全身が凍りついたように、冷えていた。
開いたら、私はどんな顔すればいい?
ジユウは、どんな顔をする?
扉の金色の取手をじぃっと見つめたまま、どれくらいの時間が経っただろう。ジユウは急かすでもなく、一緒になって扉を見つめていた。
「やってみる」
ふぅっと深く息を吐き出して、勇気を出す。もし、あっちへ行けたら。絶対にジユウを、迎えにくる。
手を掛ければ、かちゃりと金属音がした。手に力を込めて捻っても、やっぱり扉は開かない。
「まだ、足りないみたい」
誤魔化すように微笑んで見せれば、ジユウはただ息を呑んでいた。
「まだ、一緒に居られるね」
あっちへいけない悲しさよりも、ジユウとまだ居られるという事実に嬉しくなってしまう。ジユウは、悲しそうに眉毛を下げて「そうだね」と小さく答えてくれた。
それでも、あっちに行くことを諦めたわけじゃない。
きっと、私の記憶の料理がある。あのパンのおかげで、それを知れただけでも進歩だ。
「ねぇ、また何か作ろうよ」
「何がいい?」
「ジユウは、何が好き?」
聞いてから、覚えてるわけないか、と小さく口にする。ジユウは一瞬、悩む。わかるわけないのに、ごめんと謝ろうと口を開けば、声が重なった。
「おにぎり」
「おにぎり……?」
思いもよらない答えに、つい、繰り返してしまう。顔をあげて目を見つめれば、照れたように頬を染めていた。
「おにぎり好きみたい」
「思いつきだったってこと?」
「うん、聞かれて、ぼんやりと」
話してるうちに思い出す。そんなパターンもあるのか。ジユウが来てから色々あり過ぎて今更、驚きもしないけど。
「じゃあ、つくろ! 明太子におかか、あとは、さけ」
「ベーシックなのばっかり」
「だって思いついたんだもん」
ジユウの手を引いて、厨房に向かう。明るく振る舞ってるのは、わざとらしくないだろうか。
私はジユウとの時間が今、死ぬほど嬉しい。あちらに行くよりも、ジユウと居る時間が。
厨房の炊飯器には、ほかほかの炊き立てのごはんがぎっしりと詰まっていた。ジユウは、と言えば棚や冷蔵庫から、おにぎりの具になりそうなものを出している。
近くの棚から私もかつおぶしと、醤油を取り出す。
作業台の上に、明太子、鮭フレーク、チーズ、梅干しと具材が並んでいった。
「よし、おにぎり作ろっか」
ぐっと手のひらに力を込めて、ちからこぶを見せつける。ジユウがやっと、ふふっと笑った。
「おにぎりは、作れんの?」
「え、そういうこと?」
「だって、料理やったことあるか、わからないんだろ」
ジユウの質問に、たしかにと頷く。でも、高校にまで通っていたんだから。家庭科くらいあっただろうと思う。でもおにぎりを作れたらパンなんか買わないで作って持って行ってたかな?
急に不安になってきて、しゃもじを見つめた。
「うそうそ。多分ハナちゃんは、料理できる人だよ」
「そういえば、呼び方!」
「ん?」
「ヒトカじゃなくなってる」
「あぁ」
ジユウは一瞬考え込んで、顎を触る。そしてゆっくりと唇を開いて、「ヒトカ」とまた私のことを呼んだ。
「ヒトカでいいの?」
「ジユウが付けてくれた名前だから」
「でも、ハナちゃんなんでしょ?」
それは、そう。でも、ハナという名前にまだ私は、しっくり来ていない。
ハナという名前なのかもしれないけど。どちらかといえば、本当の名前じゃないような。だったら、ジユウに呼ばれる名前は、ジユウが私にくれたヒトカの方がいい。
うまく言葉に、まとまらないけど。
「ヒトカ、がいいの」
「そっか。じゃあ、ヒトカ」
「うん、それで、なんだっけ」
つい先程まで話していた話題が、頭の中からすっ飛んでいってしまった。ジユウに聞き返せば、ジユウは、くすくすと笑いながら塩を手に振りかける。
「ヒトカは、料理をする人だよ」
「えー? そう?」
私も手を差し出せば、ぱらぱらと塩が降りかかる。塩のつぶつぶとした感触を手に馴染ませて、しゃもじでごはんを手のひらに乗せる。ほかほかと湯気がたちのぼって、甘いお米の香りがした。
「どうしてそう思ったの?」
「玉ねぎ切ってもらった、だろ」
「あったねぇ、そんなことも」
真ん中に明太子を乗せて、ごはんで覆う。くるくると手を動かしながら、頷いた。ほぼ、ジユウが作ってくれたブイヤベースの時。
「料理慣れてない人は、きちんと猫の手を作れないよ」
ジユウは、軽く空気を握るように、ふわふわおにぎりを作っていく。用意していたお皿に乗せれば、お店のものみたいにキレイな三角形だ。私の方は、ボールみたいなまんまる。
「形もそれぞれだよなぁ」
「ジユウのはキレイな三角だね」
「ヒトカのは、爆弾おにぎりって感じ」
サイズも、ジユウの二倍くらいはありそう。
爆弾おにぎりの語呂がおかしくなって、くすくす笑ってしまった。また手に塩を振って、次のおにぎりに取り掛かる。
「あ、おかかってどうするの、これ。かつお節と醤油だよね」
「先に混ぜときゃよかった。あ、混ぜおかかにしようか」
ジユウの提案に、頷く。手に振ってしまった塩はもったいないから、もう一つ明太子おにぎりを握りながら。
「おにぎりもちゃんと握れるし、料理もしたことあったのかもね。私」
「そうだと思うよ」
あいづちを打ちながら、ジユウがしゃがみこんでボウルを取り出した。ジユウはボウルの中にかつお節を入れてから、醤油を手の甲に出して舐める。
「うん、甘いやつだ」
「甘い醤油?」
「そうそう、正確には醤油風調味料らしいけど」
「見た目では、わかんないね」
出来上がった明太子おにぎりを、先ほどのお皿の上に乗せる。ジユウに醤油を差し出されたから、私も手の甲を差し出す。とんっと一滴だけ垂らされた醤油を、少し舐めてみれば確かにほんのり甘かった。
「本当だ、ほんのり甘い」
「みりんとかダシとか入ってるんだよ」
「そうなんだ」
うんうん、頷きながらシンクで手を洗う。手を洗い終えたジユウが、ボウルの中にとぷとぷと醤油を注いだ。そして、スプーンで手早くかつお節と醤油を和える。香ばしい醤油の匂いと、ふんわりとかつお節の香りが薫ってきた。
「いい匂いだね」
「おかかが一番好きかも」
「あれ、そうなの?」
「なんとなくだけど」
「私は、明太子なのかな。最初に思いついたし」
私もなんとなくで、答える。自分のことを覚えていないんだから、当たり前だ。それでも、ジユウの好きなものを知れることが嬉しい。
「はい、ここにごはん入れて混ぜといて」
ボウルを私に押し付けて、ジユウはしゃがみこむ。そして、また新しいボウルを取り出した。
「もう一個作るの?」
「鮭チーズ」
「なにそれ」
「鮭とチーズを和えるやつ」
ジユウは私が知りもしない料理を、知ってる。やっぱり、料理をしていた人なのだと思う。鮭とチーズ、おいしそうだなと思いながら、ごはんをボウルに放り込んだ。
シャッシャッとしゃもじできっていれば、ジユウはプロセスチーズを手でちぎる。そこに鮭フレークをぱっぱっと入れてから、おかかの時のように手早くスプーンで混ぜた。
私の方のおかかとごはんも、いい具合に混ざったように思う。炊飯器に近い場所を開けるように、ボウルを抱えてジユウの隣へと移動する。
「さんきゅ」
「はいはーい」
しゃもじで一人分ずつ、ごはんをよそっておにぎりにしていく。普通のやりとりすぎて、あっさりスルーしたけど。
私たち意思の疎通うまくなってない?
言葉もなく、立ち位置を変えた自分に気づいて、顔が熱くなった。以心伝心みたいだ。
「鮭チーズの方ももうちょっとでできるから。あ、みそ汁とかも作る?」
「いいね、いいね。握り終わったらお漬物も探してこよ」
「漬物は何派?」
ジユウの言葉に、想像してみる。真っ先に浮かんだのは、柴漬けだった。紫色で、噛むとちょっときゅうっとする酸っぱさ。想像だけで、口の中によだれが出てきた。
「しばづけ。ジユウは?」
「俺は、たくあん、かなぁ」
「真っ黄色のやつ!」
「ううん、茶色っぽいやつの方が好き」
「あぁ、なんかわかる」
すごく、ジユウっぽいと思った。うんうんと頷きながら、ごはんをおにぎりに変えていく。ちょうど四つ分のおかかおにぎりが、完成した。
「じゃあ手を洗って、漬物探してきまーす」
「はーい、つか、これ作りすぎじゃない?」
お皿の上には、おかかおにぎり四つ。
明太子二つ。
梅干し入りが二つ。
あとは、ジユウが作ってる鮭チーズが二つ増える予定。
単純に計算すれば、一人あたり五個。さすがに多い気もするけど、作ってしまったからにはしょうがない。
新しく誰か来たら、食べてもらおうか。考えながら、冷蔵庫に手をかける。
開いた瞬間、冷気が顔を冷やしていく。
ひんやりとした冷蔵庫の中には、都合よく、しば漬けとたくあんが置かれていた。
今更、それもそうかと思う。
だって、想像でこのレストランは姿形を変えるんだから。
思えば、なんだって出てくるだろう。
「あ、ジユウー?」
振り返りながら声を掛ければ、ジユウは目を見開いて手元のお茶を見つめていた。おにぎりを握り終わって、一休みしていたんだろうか。罪悪感からか、気まずそうに唇を歪めている。
「どうしたの?」
「いや、なんでもない」
「そう、おみそ汁何のやつにする?」
漬物を取り出して、冷蔵庫を閉めながら問い掛ければ、ジユウの様子がおかしい。
うん、とか、ううんとか、ばっかり口にしてる。
私の質問が、聞こえていなかったんだろうか?
「ジユウ?」
「あ、うん、ごめん、なに?」
漬物を作業台に置いて、ジユウに近寄る。目の端が、かすかに湿っていた。
塩でも入った?
そんなわけないか。
「どうしたの?」
「なんでもないよ」
「なんでもないのに、そんな挙動不審なの?」
キョロキョロと周りを見渡しながら、ジユウは首を横に振った。お皿の上には、先程まで握っていた鮭チーズのおにぎりも乗っている。
「おみそ汁やめる?」
「俺が、作るよ」
「なめこがいいな!」
「なめこ、うん、なめこにしよっか」
こくこくと頷いて、コンロの前に向かう。私も一緒に着いていけば、ジユウは下の棚からなべを取り出す。がじゃんっと大きな音がして、重ねてあったなべやフライパンが崩れ落ちた。
「あ、悪い」
「さっきから本当に挙動不審。まるで急に、何が思い出したみたいな!」
「いや、そうじゃないんだけど、ごめん」
例えを口にしてから、息を飲み込んだ。ごくりと喉が動いて、苦しくなってくる。
そういえば、ジユウが現れた時。前の人のものだと思ったけど、お茶があった。背中をぞわぞわと予感が這ってくる。
崩れ落ちたフライパンやなべを、重ね直しながら、ジユウに問いかけた。
「ねぇ、もしかして、思い出した? お茶だった?」
手のひらの上で豆腐を切りながら、ジユウは「なにがー?」と間延びした声で答える。
なめこって、言ったのに。うんって、頷いたのに。
なべの中に豆腐を落として、くるくるとお玉で掻き混ぜてる。ジユウが素知らぬ顔をして。
記憶を思い出したのに、私を置いていくのが忍びない?
それとも、いい記憶じゃなかった?
でも、最初からお茶が出ていたのだとしたら。ジユウは、もう、あっち側へ行けるはずだ。それを隠すのは、私が心配だから?
私には、急かしたくせに。
「ネギ、切ってくるね! ジユウはいっぱい? ちよっと?」
「いっぱいが、いいかなぁ」
「おっけー!」
聞かれたくなさそうなジユウに、問い詰めることはしない。でも、これを食べたら、あっちの世界に行ってもらうんだから。そして、迎えに来てもらう。
ジユウが心置きなく、あちらに行けるように。私は一人で、大丈夫なところを見せなくちゃ。
長ネギを取り出して、小口切りにしていく。切り方も簡単に頭に浮かんだってことは、やっぱり私は料理をしていた人なのかもしれない。ジユウが言う通り。
得意かは、わからないけど。
長ネギを半分くらい切ったところで、ジユウがお椀によそったおみそ汁を持ってきた。パラパラと切り終わったネギをそのお椀に、落とす。
「完成ー! おいしそうだねぇ」
「なかなかな、出来だな」
「食べよ食べよ」
トレイに、おにぎりのお皿と漬物を乗せる。おみそ汁のお椀は、ジユウがそのまま持って行ってくれるみたいだから任せた。
レストランのホールに戻れば、変わらずにシーンとしてる。新しい人は、まだ来てないみたいだ。
私たちの定位置になっていたソファ席に全て並べれば、圧巻の光景だった。
ジユウは、どうしたら安心してあちらへ行ってくれるだろうか。
やっぱり、一番は、迎えにくると言う約束?
私も、もしかしたら行けるかもってさっき思った時、真っ先に浮かんだのはそれだったもんなぁ。
二人でソファに座って、手を合わせる。
「いただきます」
その声を合図に、おみそ汁を口に運ぶ。柔らかいおみその味が口の中でいっぱいに広がった。なめこは、やっぱり入ってなかったけど。




