知らない私の記憶
ルイナが語る内容は、私とジユウの予想を明確にしていく。そして、私たちがここにいることがやっぱり、間違いなんじゃないかと思い始めた。
「一つの長い映画を見て、私のことを思い出して。あぁ、死んじゃったんだなぁって。走馬灯ってよく言うじゃん?」
エミの瞳に、涙がうるうると溜まっていく。そして、ぽつりと「わかってたけど、ちょっと切ないね」と呟いた。
誰かを、置いてきたんだろうか。会いたい誰かが。やりたい何かが。まだ、あったのかもしれない。
そんな記憶すらなく、ここにいた私にはわからない感情だった。悲しい、寂しい、ひとりぼっちの実感しかなかった。手に触れるジユウの感覚に、意識をこの空間に戻す。
私まで泣き出しそうになっていたのかも。
「だから、みんなそうだと思ってたんだよね。でも、エミのお迎えを頼まれた時レストランって言われてびっくりしたんだぁ」
ルイナは、まるで普通のことのように語る。そして、お迎えを頼まれた、と口にした。
お迎えはやはり、縁が強い人が選ばれるのだろう。
「ルイナの映画館の時は、お迎えの人は?」
「映画が終わって、出ようとしたらお母さんがいたよ」
「お迎えの人は、やっぱり、居るんだね」
「そうだね」
気まずそうに唇を歪めて、ルイナもエミも目を逸らす。可哀想に思われているのがわかって、息が詰まりそうになった。
「もう記憶も思い出したんだし、二人とももう行く?」
引き止めてしまった罪悪感と、哀れみの視線に耐えきれずに、出口を指し示す。あまりにも雑な言い方だったと、思う。それでも、この空気感がいたたまれなかった。
「もうちょっと、居ようかなぁ」
「そうそう、華と話し足りないこともあるし」
エミもルイナも、一瞬目配せをして、まだポテトに手を伸ばす。私も手を伸ばせば、ポテトはまだ揚げたてサクサクだった。
「ポテトずっと揚げたてなんだね」
ぽろり、とこぼせば、ジユウが「そりゃあそうだろ」と頷く。
確信めいた言い方に、疑問を覚えたけど、聞き逃したことにした。それなのに、ジユウはまだ言葉を続ける。
「全部俺たちの想像が積み重なってるんだから」
「なにそれ」
「想像した、熱々ポテトの状態で固定されてんだよ」
まるでここが、空想の世界みたいな言い方だ。現実ではないから、間違いではないといえば、間違いじゃないけど。でも、ここは、現実でも空想でもない。
「私だって、おばあちゃんになってたのに、今は女子高生だし」
エミが立ち上がって、制服をくるりんと翻しながら回る。一瞬、しわしわのおばあちゃんの姿に見えて、目を擦った。エミはあっという間に、見慣れた高校生の姿に戻っていく。
自分がいくつかは、わからない。でも、おばちゃんになる前には亡くなってるんだということを実感して、また感傷に浸ってしまう。高校生の頃には、亡くなったって言ってたな。
「私、死ぬ前って何してた?」
「何してたって、うーん難しい質問だなぁ」
エミはイスに座り直して、髪の毛を指でくるくると弄り始めた。ルイナの方も、唸りながらポテトを食む。
「たとえばこれが好きだったーとか、これよく食べてたーとかでも、な? ハナちゃん」
「好きだったは、わからないけど。お昼はいつも菓子パン食べてたよ」
「あーそうそう! 食パンにマーガリンと砂糖が乗ってるやつ!」
ルイナとエミが、懐かしむように頬を緩ませる。そして、声を弾ませた。
「いつも教室で一人で同じパンばっかり食べてるから、交換しよーって言って、ルイナのお弁当と時々交換してたよね?」
「エミだって、焼きそばパンとかと交換してもらってたじゃん」
「お昼休み楽しかったなぁ。もうだいぶ前に別れちゃったけど、恋バナとかもしてさ」
ルイナもエミも、宙を見つめて幸せそうに微笑む。私にも、楽しい記憶があったのか。他人事のように、感じながら頷く。思い出せないことが、申し訳なくなってきた。
「菓子パンかぁ。ちょっと待ってて」
ジユウが厨房に向かって、軽く走り出す。菓子パンすら置いてあるんだろうか。
本当に私の記憶の味だとしたら、きっと厨房から出てくる。わかっているのに、私の体は動かなかった。
「菓子パンまであるの? やば、食べたい!」
「私も久しぶりに食べたいかも、華も食べようよ!」
私の反応とは裏腹に、エミもルイナも乗り気だ。私だけが、躊躇ってる。戸惑っている。
「はい、これ?」
ジユウがぽんと私の手のひらの上に載せたのは、普通のシュガートースト。食べていた記憶も、食べていなかった記憶も、ないからわからない。それでも、ルイナもエミも目を細めて、パンをしげしげと見つめていた。
「懐かしいねぇ」
「そうそう、これこれ! 近くのコンビニでいっちばん安い菓子パンだった」
「お弁当を作ってもらうのも忍びない、でも、お小遣いを貰うのもって一回華こぼしてたよね」
そこまで、里親さんに遠慮していたんだろうか。自分自身のことなのに、ふわふわとしていて実感がない。記憶がないから、当たり前なんだけど。
ルイナは一気に袋を開けて、ばくりと齧り付く。ジユウも、エミもつられるように袋を開けて食べ始めた。私のパンの袋だけが、未開封のまま。
思い出したら。
ジユウを、置いて、あっち側に行く?
友達と?
ジユウのことを考えなければ、幸せな結末だと思った。
私は、ずっと寂しかった。誰かと共に、幸せそうに出ていく人たちが羨ましかった。ずっと、ずっと。
袋を開けられずに、ただ見つめる。ガサガサとビニールが擦れる音だけが、耳に響く。パンを咀嚼して、みんな、何も喋らなくなった。
私の方に視線が向いてることだけは、わかる。私だけが、ジユウを一人にしたらと心配していた。みんな、みんな、私が記憶を思い出すことを期待してる。
ピリッと微かな音がして、ビニールを破った。袋から直接齧り付けば、じゃりっとした砂糖が口の中に甘さを広げる。そして、エミとルイナと三人で、教室の机を囲む夢を見た。
二人とも私の顔を見つめて、楽しそうに笑ってる。食べ終わったらどうしようか、とか。先生のモノマネだとか。次の選択授業の教室の話をしていた。
私はそんな二人のやりとりを見ながら、友達が居たらこんな感じなんだろうなと、考えていた。でも、私は二人の友達には、なれないな、とも。
「ハナちゃん?」
ジユウの声で、顔を上げる。ジユウは、なんともいえない表情で、パンをもぐもぐと食べていた。楽しい記憶でもあり、切ない記憶でもあった。だから、変な表情になってしまったと思う。
唇は緩んでいるし、眉毛は顰められていたかも。
「思い出した?」
「ちょっとだけ。ルイナとエミと、三人でお昼を過ごす記憶」
「いつのだろうね?」
「でも、私もエミも華も、いっつも一緒に食べてたじゃん」
エミの笑い声が、レストランにこだまする。そうだ、エミはいつだってすべて笑い飛ばしてくれた。そして、ルイナはいつだって、寄り添ってくれた。
ふわりとした記憶が、固まっていくような、輪郭を濃くしていくような。不思議な感覚を、噛み締める。ここに訪れた人たちは、みんな、こんな思いをしていたんだ。
「ハナちゃんは」
ジユウが言いかけて、パンを口に突っ込んでやめた。
そして、パッと立ち上がってまた厨房へと戻っていく。何を言いかけたか、気になったけど、ルイナとエミの言葉の方が気になってしまった。
「ジユウって、なぁんか見たことある気がするんだよね」
「あれ、ルイナも? 私も思ってたんだよね」
ルイナとエミと過ごした、お昼休みの記憶には、ジユウはいなかった。でも、二人の記憶に、ジユウが居る。ジユウが、記憶を思い出すヒントがあるかもと、ついテーブルから身を乗り出す。
「思い出して!」
ガタンと大袈裟に揺れたテーブルを、手で押さえた。私の急な大きな声に、二人とも目を見開く。そっくりな表情に、本当に友達なんだなと思う。表情が似てくるほどに、ずっとそばにいたんだ。
「ジユウのこと、大切なんだね」
ルイナは、エミを見つめながら、優しい声で呟く。私とジユウを、エミと自分に重ねて見てるのかもしれない。
そんなんじゃない。大切とか、そういうのじゃなくて。でも、うまく言葉にならない。
私とジユウは……
運命共同体というよりも。なんだろう。
「でも、こうひっかかりはするけど、全然思い出せない!」
エミがんーっと力を思いっきり放つように、立ち上がった。ルイナは、まぁまぁとエミを落ち着かせている。
「関わってきた人では、ないのかもね。記憶に残るほど」
「そうそう、でも、見たことはあるんだよなぁ」
「なにが?」
戻ってきたジユウの手には、オレンジジュースが人数分乗ったトレイ。私たちの前に置きながら、顔を見合わせる私たちを不思議そうに見つめた。
「ジユウのこと見たことある気がするんだよねーって話」
「え、俺ハナちゃんと、前から知り合いだったってこと?」
オレンジジュースをごくごくと、飲み干しながら私の方を見つめる。唇の横には、オレンジの粒を付けて。子供みたいな仕草に、ついクスリと笑ってしまう。
「知り合いってほどじゃないような、そうなような」
曖昧なルイナの返事に、ジユウはへにゃリと笑った。エミは、相変わらず唸っている。
「すごいモヤモヤする」
「でも、思い出せないってことは、考えても出てこないよ」
「そういうもん?」
「数十年分の記憶全部思い出せたら、いいだろうけど」
生きてきた年数分の、すれ違った人たちの記憶まで覚えていたら……
思い出すことすら、困難だろう。想像してみて、あまりの途方のなさに頭が痛んだ。
「そっかぁ。ごめんね」
「全然、気にしてないから」
エミとルイナは、オレンジジュースのコップを手に持つ。そして、ごくごくと飲み干した。ぷはっと声を被せながら。
「じゃあ、そろそろ行こうか」
「そうだね。華は、どうする?」
二人とも私も、一緒に行ける前提のような言い方だ。私は思い出したと言っても、二人との昼休みの時間だけの記憶。こんな朧げなもので、出れるんだろうか。ジユウは、どうするんだろうか。
ちらりと、ジユウの様子を確認すれば、気にも止めていないように相変わらずパンを食べていた。
立ち上がって手を繋いだ、二人の後ろに立つ。そして、小さくバイバイと手を振った。出れるか、試してみる価値はあるけど。それは、まだ、ジユウと話してからにしたい。
もし、このまま、新しい世界に行けたとしても、ジユウと向き合わないと後悔しそうだから。
二人ともそれがわかったのか、小さく頷いた。そして、繋いでいない方の手で私たちに手を振る。
「じゃあ、先に行ってるね」
「華も、全部思い出せるといいね」
「その時は、私たちがお迎えに来ようか」
ルイナとエミがお互いを見つめ合って、ふふふっと微笑み合う。二人の幸せそうな空気に、胸がいっぱいになる。
いいなぁ、羨ましいなぁといういつもの感情ではなかった。私もあの中に、確かに居たんだと思えば、記憶をたとえこの後思い出せなかったとしても、過ごしていける気がする。
「気をつけて」
「うん、またね」
「じゃあ、華もジユウも、バイバイ」
ちりんちりんと、幸福の音がして、扉が開く。幸せを煮詰めたような白い世界に、二人が溶けて消えていった。
「いいのかよ」
私の後ろに居たジユウの言葉に、振り返る。少し拗ねたような表情で、オレンジジュースをズズズと吸い込んでいた。
「行けるかどうかも、わからないし」
「ヒトカが望むなら、先に行って欲しい。足枷になりたいわけじゃない」
「ジユウが居るから残ったわけじゃないよ」
それだけじゃない。まだ、ここで、幸せを見ていたかった。もしかしたら、もっと、私の記憶も思い出せるかもしれないし。
ううん、言い訳だ。私はまだ、ジユウと離れたくない。こんな寂しいところに、記憶もなく、一人でまたせたくなかった。ジユウは、私の思いを感じとってるのか、言葉を続ける。
「先に行って、迎えにきてよ」
「行けるようになったらね」
「試してみろよ」
つんけんどんな言い方に、つい、ジユウを抱きしめてしまった。試してみて、ダメでもいい。
そう思えるのは、友達二人の思いやりのおかげか。勝手に友達だと考えていることに気づいて、胸が高鳴る。
私にも友達がいた。
今は、ジユウという仲間がいるけど。
生きてる時にも、ちゃんと、味方がいたんだ。その実感で、体がふわりと宙に浮く感覚がした。
「ダメだったら、落ち込むか?」
黙り込んで、感動に浸っていた私に勘違いしたジユウ。心配そうに扉を、見つめていた。
「ダメだったら、またジユウと色々試すよ」
「そう……じゃあ試そうぜ」
「えぇ、気が早いなぁ」
「ほら」
抱きしめていた私の腕の中から抜け出して、ジユウはぐいぐいと扉まで私を引っ張っていく。大きい木目調の扉を前に、深呼吸をする。
ダメでも、行けても、私はまだジユウと居たい。私たち、まだ話していないことがたくさんある。
お互いにほとんど記憶がないから、当たり前なんだけど。




