わんちゃんとおばあちゃん
出来上がったシーフードが盛りだくさんのスープを持って、ジユウはテーブルにつく。結局ほとんど、ジユウが作ってくれた。私はジユウの後ろで、黙り込んで見つめていただけ。
初めて、食べる料理だ。もし、私がこれで記憶を思い出して、ジユウを置き去りにしてしまったら?
不安に駆られて、なかなか手が伸びない。
ジユウは、といえば、ためらいもなくスプーンでエビを掬う。そのまま、咀嚼してごくりと飲み干した。
表情を見つめていれば、変化はない。
「食べないの?」
「食べる、食べるよ!」
すうっとスープだけを掬って、一口飲み干す。今までの人たちの最後の一品を食べる前は、こんな気持ちだったんだろうかと思いながら。
たくさんシーフードを使っているからか、口の中で出汁が弾ける。ぷりぷりのエビも、むにゅっとしたアサリも、ほろっとほどけるタラもトマトの旨みを吸って美味しくなっていた。
そして、私の記憶は……蘇っていない。良かったのか、悪かったのか、どちらともいえない表情をしてしまったようだ。
私の顔を見たジユウは、くすくすと笑い声をあげた。
「ヒトカが、もし、先に思い出したら、迎えに来てよ」
改めてジユウが口にするから、もちろんと大きく頷く。二人同時なんてキセキ、起こらないだろうから。
どちらかは、置いて行かれてしまう。それなら、どちらの方がいいんだろう。
考え始めた瞬間、いつもの柔らかいちりんちりんという音が響いた。ハッと顔を上げれば、おばあちゃんが立っている。
「あら、店員さんがいるのねぇ今は」
ゆっくりとしてるけど、上品な話し方。シャキッと伸びた背筋に、まっすぐ揃えられた指。所作が美しい人だった。
「いらっしゃいませ」
慌てて立ち上がってお辞儀をすれば、おばあちゃんは手を横に振って「いいのよいいのよ、座ってちょうだい」と答えた。
ホールを見渡しても、相手がいない。
また、おかしなことになってる?
ジユウが現れてから、初めてのことばかりだ。
ジユウの方を見れば、足元を見つめて固まっている。
ぐるりとテーブルを回って近づけば、わんっという声が聞こえた。
「あらあら、ごめんなさいね。シバ〜」
おばあちゃんがしゃがみ込んで、柔らかく手を広げる。見つけたシバと呼ばれたわんちゃんは、タッタっと軽快に走り、おばあちゃんの腕の中に飛び込んだ。
「わん!」
嬉しそうにすりすりとおばあちゃんの頬を、必死に舐めている。ブンブンと振り回される尻尾が、バタバタとおばあちゃんの腕を叩いていた。
「動物の場合もあるんだな……まぁ、家族だもんな」
いつのまにか、私の横に立っていたジユウがぽつりと呟く。腕を組んで、じいっとおばあちゃんとシバくんを見つめながら。そして、ジユウが驚いた声をあげた。
「あっ」
「ん? どうしたの?」
「俺、犬用の料理は流石にわからないんだけど」
ぽつり、とこぼした言葉に、確かに! と頷いてしまう。
人間の食べ物と違って、食べちゃダメなものもあるはずだ。微かな記憶だけど。
死んだ後だから関係ないか。
再会の喜びを確かめ合ったのか、おばあちゃんがシバくんを抱き抱えたまま近寄ってくる。ジユウは、ジリジリと下がっていく。
もしかして、わんちゃん、苦手?
察して、私が前に出れば、おばあちゃんにまた謝られた。
「ごめんなさいね」
「どうしました?」
「キッチン貸していただけるかしら。シバと二人で、あちらに行きたくて」
こくこくと後ろで頷くジユウの気配を感じながら、どうしたものか考える。普通のお店だったら、ダメな気がした。でもここは、なんでもありの、生と死の狭間のレストランだ。
それに、私がダメと答える権利もない。私はただ行き場がなくて、ここに立ち止まってるだけの人間なのだから。
「どうぞ、と言っても私たちには、何の権利もないんですけど」
「あら、そうなの?」
「俺たちも、あっちの世界に行く途中なんです」
おばあちゃんは目を丸くして、私とジユウを見比べる。私たちの格好が、調理服とウェイターの制服だから、当たり前だ。
ジユウの言葉に偽りはない、けど、私たちはまだ、あっちの世界に行く手がかりがない状態。
お迎えもいない。だから、同じとは言い切れないんだけど。
「そういうことも、あるのね」
「おばあちゃんの時もお迎えの人、いらっしゃったんですか?」
「そうよ、お姉ちゃんがね。旦那のお迎えも私がしたわ。二人で来ようとも話してたんだけど……」
言いかけて、シバくんを見つめる。そして、シバくんを床に下ろしながら、指示を出した。
「じゃあシバは、ソファにおすわりよ」
また、レストランが姿を変える。お店ではなく、一軒家のような場所に移り変わった。
黒い大きなソファの上に、ぴょんっとシバくんは飛び乗って素直に座って待つ。
偉いなぁと思いながら、おばあちゃんを厨房に案内すれば厨房も、家の台所のように変化していた。おばあちゃんは懐かしそうに目を細めて、ふふっと口元を緩める。
「まるで、本当に私たちのお家みたい」
グレーの冷蔵庫を開けば、漬物や手作りのゼリー。それに、麦茶が入っていて、本当に人の家に来たみたいだ。
おばあちゃんは慣れたように、鳥のささみを取り出す。そして、冷蔵庫の扉を閉めた。あまりジロジロ見るのも失礼かもしれない。そう思うのに、懐かしいような香りについ、そばにいてしまう。
ジユウの方を見れば、中学生のようなジャージ姿に変わっている。驚いて自分を確認すれば、私もTシャツとハーフパンツというラフな格好に変わっていた。
「あらあら、あなたたちも楽な格好になったのね」
「その時来る方のイメージに合わせて変わるみたいで」
説明すれば、おばあちゃんは「そうなの」と楽しそうに笑う。見てていいですか、と聞くか悩んでいれば、ジユウの方が先に問いかけた。
「横で見ててもいいっすか?」
「歓迎よ、昔はこうやって孫たちと一緒に作ったの、毎日シバのごはんをね」
「毎日……」
「シバは好き嫌いが多くて、ペットフードじゃ食べてくれない子だから。私がいなくなった後は、孫たちに作ってもらってたのかしら」
部屋の中を覗き込むように、シバくんの方を見つめる。視線があまりにも優しくて、泣きたくなってきた。
私にも、こんな視線をくれる人が居たんだろうか。
ううん、きっといない。だから、私はここで一人ぼっちで待ってるんだ。
手際よく、おばあちゃんがささみを茹で始める。そして、近くにあったカゴから、キャベツを取り出して、私たちの方に手渡した。
「二枚くらい、むしって小さくちぎってくれる?」
「はい」
言われたとおり、手を動かす。ジユウも、私がむしったキャベツを、一枚奪い取った。そして、シバくんでも食べれそうな小さいサイズに、ちぎっていく。
「旦那さんも、迎えに来たんですよね」
問いかけてみれば、おばあちゃんは茹で上がったささみを取り出しながら頷く。そして、ふぅっと小さくため息を漏らした。
「会えるのは嬉しいけど、何人も迎えにいくのはやっぱり、寂しさはあるわよね」
「寂しさ?」
「あぁ、こっちに来ちゃったんだなって、言っても旦那も大往生だったのよ。九十六才。充分なのはわかってても、ね」
そんなに、あちらの世界は寂しいのだろうか。迎えが来て、ここを出ていく人たちは、皆同じように幸せそうな表情をしているのに。不思議に思っていれば、おばあちゃんが手を差し出す。
「あ、キャベツですね」
「ちょうどいいサイズだわ、あなたたち、思いやりがあるのね」
ニコニコと笑いながら、キャベツも軽く茹で始める。ぽこぽこと沸騰するお湯を見ながら、おばあちゃんは先ほどの話を続けた。
「あっちが悪い世界ではないのよ。それでも、孫たちとはもうしばらく会えなくなってしまうし、シバとも離れてしまったからね。寂しさはあるのよ、あっちの世界でも」
おばあちゃんの言葉に、なるほどと頷く。大切な人たちと、隔てられた世界。だから再会した時に、全員あんなに愛おしそうに見つめるのか。
「あの!」
ジユウが、意を結した顔でおばあちゃんに向かっていく。何を聞こうとしてるのか、私には何となくわかった。
「俺聞きたいんですけど。迎えに来るかどうか、って自分で決められるんですか」
私も聞きたかった質問。でも、答えを知りたくない質問でもあった。だって、わかってしまえば、私が誰からも愛されていなかった人間だって、知ってしまう。
そんなこと、知りたくなかった。一人ぼっちでいるよりも、耐えられない真実だ。
「うーん、そうねぇ。自分で決められるっていうより、この人が来るので誰が迎えに行きますか? みたいな感じよ」
「それは、何の基準で選ばれてるんですか?」
ジユウが質問したのに、つい口を挟んでしまう。
「縁が強かった人、かしらねぇ。詳しくは私もわからないけど」
私にも、ジユウにも、縁が強かった人が居なかったんだろうか。そんな人、いるんだろうか。
私たちを迎えに来るのを、嫌がったんだろうか。
頭がまた、ぎゅうううと締め付けられるように痛む。
不意におばあちゃんの手が柔らかく、頭を撫でてくれた。そして、ゆっくりとまた「ごめんなさいね」と謝った。
「来れない理由があるのかもしれないわね」
「そんなの」
私の頭から手を離したかと思うと、ジユウの頭もよしよしと優しく撫でる。ジユウの瞳から、涙がぽつり、ぽつりとこぼれ落ちていた。
「迎えに来てくれる人すら、居ない人間なんだって思って、俺」
耐えきれず、私の頬も涙が伝っていく。二人きりで居ても、やっぱり寂しいものは寂しい。ひとりぼっちよりも、マシだけど。
「迎えに来る人がいないんじゃなくて、あなたたちが先に亡くなってしまったのかもしれないわね。若いみたいだから」
おばあちゃんの言葉に、ハッとする。それでも、見た目の年齢は、イメージに沿っているはずだ。だから、私たちが本当に、この年なのかはわからない。
あばあちゃんの慰めの言葉は、じんわりと胸の奥に広がっていく。
私たちをひとしきり慰めた後、おばあちゃんはご飯づくりを再開した。少し冷めたささみを手でむしりながら、お皿に乗せていく。
「お姉さん、そこの右下の棚にチーズ入ってるから出してくださらない?」
おばあちゃんのいう通り、開ければ、犬用チーズと書かれた袋が入っていた。手渡せば、おばあちゃんはまた褒めてくれる。
「ありがとう、いい子ねぇ」
「いえ、そんな」
「俺は? やることないですか」
ジユウが提案するから、おばあちゃんはうーんと悩んでから、言葉を口にした。
「シバにごはんを渡してくれる?」
ひゅっとジユウが、息を呑む音が聞こえた。わんちゃん、やっぱり苦手なのかもしれない。それでも、ジユウは、悩んだ後、大きく頷いた。
盛り付け終わったお皿を受け取って、シバくんにジリジリと近づいていく。
私たちもジユウの後ろをついていけば、シバくんは、立ち上がってしっぽをぶんぶんと振り回す。ジユウがしゃがみ込んで、シバくんの前にお皿を置いた瞬間。シバくんは、お皿に顔を突っ込んで、勢いよく食べ始めた。
「あらあら、そんなに急いで食べなくてもいいのに」
三人でソファに座って、シバくんが食べ終わるのを待つ。シバくんが思い出す記憶は、どんなものだろうか。
おばあちゃんが、先に行ってしまった時の事?
想像してみて、ちくん、と体が痛んだ。どれくらいの悲しみなんだろうか。大切な人を、失う痛みは。
シバくんがパッと顔を上げて、おばあちゃんに飛び掛かる。そして、おばあちゃんの腕を鼻で持ち上げて、その下に顔を突っ込んだ。
おばあちゃんは、言いたいことがわかるのか、何度も何度もシバくんの名前を呼んで、頭を撫でる。
「シバ、もう一緒よ」
「くぅううん」
甘えるように、頭をすりすりと擦り付けて、シバくんが鳴く。二人の絆が見える気がして、また、羨ましくなってしまった。
私にも、甘える相手が居たのだろうか。こんなに再会を切望できる、相手が、本当にいるんだろうか。
隣に座っているジユウの手が、震えていることに気づいた。そっと握り締めれば、震えが収まっていく。
たとえ、生きてる時に居なかったとしても、私はここで出会ったジユウは、再会を絶望できる相手だ。たった少しの時間、二人きりで言葉を交わしただけでも。
シバくんの嬉しそうに暴れ回るしっぽを見つめていれば、やる気が湧いてきた。私が記憶を取り戻して、あっちに行ったら、絶対にジユウを迎えに来る。そして、ジユウの記憶も思い出させてあげるんだ。
ジユウの記憶が、先でもいい。
私たちは、お互いがお互いの迎えに来る人になろう。
心の中で強く決めて、ジユウの方を確認する。ジユウは、下唇を噛み締めて、何かを考えていた。




