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とあるカップルの記憶


 ちりんちりんという音で、意識が目覚める。ハッとして、ジユウの方を見つめれば、いつのまにかシェフみたいなキッチンコートを身に纏っていた。


「ん? あれ、俺の服変わったな」


 ジユウも気づいたようで、キョロキョロと自分を見回していた。料理人として、自覚をしたか。もしくは、このレストランに認められたか。

 だから、きっと服装が変わったのだ。私のウェイターの時と同じだった。


「あの」


 唐突な声に二人して、驚いて飛び上がる。同い年くらいの、右耳にピアスをつけた男の子が私たちの前に立っていた。


「このお店の方ですよね?」


 質問に頷きかけて、一瞬固まる。そうだと答えてしまったら、私は本当に一生ここで過ごすことになるかもしれない。だって、ここでは、自覚が、全てを変えてしまうのだから。

 

 戸惑っている私とは違い、ジユウはニコッと笑って答える。


「勝手にやってるだけっすけど!」


 さっぱりとした答えに、やっぱりジユウらしくていいなと思った。男の子は困ったように、私とジユウを見比べてから、口を開く。


「料理を出さないで欲しいんです」


 男の子の言葉に、首を傾げる。初めて言われた言葉だった。ふわりと境界線が揺らいで、答えを出す前に女の子が現れる。


「あれ、ゴウくん。先に来てたんだ」

「あぁ、うん、初デートだから」


 歯切れの悪い男の子――ゴウくん――の言葉を、気にも止めず女の子はソファ席に座る。そして、メニューを手に取って開いた。


「何食べよっか」


 ゴウくんは、おずおずと女の子の手を取って、首を横に振った。


「今日はやめないか」

「え、初デートなのに? どうしたの、ゴウくん」


 いつもとは違う雰囲気に、ごくりと唾を飲む。静かな沈黙だけが、レストランの中に流れていた。急に、オーブンの音が鳴り響いて、二人も顔を上げる。

 

 厨房の方を見れば、ジユウがオーブンからグラタンを取り出すところだった。


「あちっ」

「グラタン……?」

「ヒトカ、できるぞー」


 ジユウの声に、ゴウくんは絶望の表情を浮かべる。料理を出さないで欲しいと願ったゴウくんにも、何か理由があるだろうけど、ジユウは何を考えているんだろう?


 出さないわけにもいかない。でも、ゴウくんは出さないでと望んでいた。

 目の前で煙を上げて、チーズが焦げたグラタンと見つめ合う。それでも、私には答えは出せなかった。


「はい、パスタも」

「パスタ?」

「うん、パスタ」

「なんで?」


 今まではみんな、同じメニューだったのに。今回はいつもと違うことばかり、起こってる。不安が背中にピッタリと張り付いて、息切れが起きそうだった。

 ジユウが、料理をするようになったから?

 わからない。


 それでも、トレイを持ち上げる。違うのはメイン料理だけだった。

 一つには、グラタン。もう一つには、カルボナーラ。それ以外は、エビのサラダに、コンソメスープ。デザートには、オレンジ色のシャーベット。


 持っていくしかない。覚悟を決めて、トレイを運べば、ゴウくんは泣き出しそうな表情をした。


 二人の前に置いて、こっそりと下がる。いつのまにか私たちの分も用意したジユウが、近くの席に座っていた。いつも一緒に食べてると、教えたことはなかったのに。


「こっち」

「う、うん」


 戸惑いながらも、席に座って二人の様子を観察する。女の子はキラキラとした目で、感嘆の声をあげていた。


「グラタン、チーズたっぷり! カルボナーラもおいしそうだね。やっぱりゴウくんの選ぶお店は、センスいい!」

「そうだね」


 震える声で、彼女を見つめてるゴウくんの目には涙が浮かんでるように見えた。

 迎えに来た、わけじゃないの?

 二人をじいっと見つめていれば、彼女の輪郭だけ透けて見えるような気がした。ずるるるという音で、ハッとしてジユウを見つめる。


「あ、悪い」

「パスタ、啜るタイプ?」

「みたい。気をつけます」


 グラタンを一口。あつあつのチーズがとろんっと糸を引き、口の中でホワイトソースが広がっていく。

 ジユウの作った料理は、シェフが作っていたものより、おいしい気がする。あまりの熱さに、つい声をあげてしまった。


「あつっ」


 うるさかったかなと二人の様子を盗み見る。それでも私たちの会話も、音も、二人は気にせずに見つめ合っていた。そして、彼女の手から、ゴウくんはスプーンを奪い去る。

 

「お願い、食べないで」

「どうして? 私と付き合ったの後悔してるの? 初デート、嫌になっちゃった?」

 

 彼女の困惑も、もっともだと思う。それでもゴウくんは、「お願いだから」と懇願を続けている。


「お願い、食べないで欲しい。マナには、知られたくない」

「知られたくないって何を?」

「これから起こること、全部。思い出さないで。食べないで、お願い。全部忘れてていいから」


 スプーンをぐっと握りしめて、ゴウくんは声を振るわす。瞳からぼつり、ぽつりとこぼれ落ちていく雫があまりにもきれいで私まで魅入ってしまった。

 女の子――マナちゃん――は、軽く微笑んで、ゴウくんの頭を撫でる仕草をする。私の目からは、透き通っていて、通り抜けたように、見えた。


 通り抜けた?

 まるで、幽霊みたいに?


 二人はそんなことに気づいていない様子だった。ジユウはあっという間に、平らげたみたいで、じっと二人を観察してる私を突く。


「どうしたの?」

「いつもと、様子が違うの。普通だったら一緒に食べて、少しずつ記憶を思い出すのに。あの男の子、すごい抗ってる……理由はわからないけど」

「なんかあんだろ」

「そうだと思うんだけど」

「あっ!」


 ゴウくんの驚いた声に振り返れば、私たちのやりとりの間に、マナちゃんがスプーンを奪い返したらしい。グラタンを一口分掬い上げて、ふぅふぅと息を吹きかけて冷ましていた。あーんっと頬張ろうとした瞬間、ゴウくんが奪い取る。


「こっちのパスタは? どう? 俺グラタン食べたくなっちゃった」

「今日のゴウくん変だよ、いいけど」


 お皿を取り替えて、ゴウくんは安心したようにため息を吐き出した。そして、マナちゃんはフォークで器用にパスタを巻いていく。あーんと食べる姿を、ハラハラと見守っていれば「おいしい」と笑顔になる。


 自分の思い出深い料理でなければ、記憶はやっぱり蘇らないのか。確信を得ながらも、二人の様子を伺う。


 シーンと静かなレストランに、フォークやスプーンがお皿に擦れるカチャカチャという音だけが響いていた。


「エビのサラダっておいしいよね、私大好き」


 マナちゃんはそんなことを言いながら、フォークをエビに突き刺す。冷ます暇がなかったからか、ゴウくんが止める前に、エビはマナちゃんの口に入った。私もマナちゃんを真似て、エビのサラダを口に運ぶ。


 ミルキーなドレッシングは、かすかに甘酸っぱい。

 エビはぷりぷりでしゃくしゃくなレタスと、合っていた。エビを食べていたマナちゃんは、目を見開く。そして、テーブルの上に置いていた男の子の手を、ぱしぱしと軽く叩いた。


「私、未来予知に目覚めたかも」

「どういうこと?」

「私たち、今日が初デートでしょ?」

「そ、うだね」


 喉に骨が詰まったみたいに、ゴウくんは息を止める。本当は、初デートじゃない。ここは、初デートの記憶の中のやり直しだから。

 私たちとゴウくんだけが、知っている。でも、マナちゃんにとっては初デートの場所だ。


「ゴウくんは、優しいから誰にでも優しさを配るでしょ」

「なんだよそれ」

「他の女の子と同じ扱いなのが気に入らなくて、私が怒っちゃうの。でも、ゴウくんは、一番大切なのは私だから、私が不安な時は絶対にそばにいるって約束してくれるの」

「当たり前だろ。俺の中での一番は、マナで。マナ以外には、大切な人なんていないから」


 キッパリと答えて、寂しそうに眉を顰める。ゴウくんは、後悔してるんだろうか。置いていってしまったこと。だから、思い出して欲しくないんだろうか。


 想像してみても、わからない。思い出して欲しくない、そんなことあるんだろうか。ましてや、一番大切で愛しい人。

 自分だけが、宝物のような二人の記憶を抱えている。

 そして、相手はそれを忘れていて、思い出さないとあっち側に行けないのに。私だったら、思い出して欲しい。記憶はないから、かもしれないけど。


 ひとりぼっちは、あまりにも悲しい。


「ゴウくん、やっぱ変だよ。初デート緊張しすぎて、眠れなかったの?」

「ううん、違うよ。そうじゃないんだ」

「じゃあ、何? 教えてよ、笑わないから」

「笑ってくれる方が、どれだけよかったか」


 距離はあるのに、二人の会話はしっかりと聞こえる。そんな不思議な空間に、今まで疑問も浮かばなかった。だって、レストランは普通、もっとガヤガヤとしていて……

 

 自分の記憶が、不安になるけど。私の想像の中では、もっと人の声に溢れた場所だったはずだ。


「隙あり!」


 マナちゃんが、ゴウくんの手からグラタンの乗ったスプーンを奪い取る。そして、口に運ぶ。ゴウくんの声は、間に合わなかった。


「おいしいー! チーズとろっとろだね」


 普通の反応に、記憶が浮かんでいない事実に驚きを隠せなかった。ゴウくんも、あからさまにふぅっと安心のため息を吐いてる。自分の前のグラタンを、見つめながら。


「大丈夫だよ、ゴウくん」


 マナちゃんの優しい声に、ゴウくんは下げた目線を戻す。マナちゃんの頬には、涙がつぅううと伝っていた。そのまま、スープを掬って、ごくりと飲み干す。そして、もう一度力強く「大丈夫だよ」と答えた。


 ゴウくんは、そんなマナちゃんを見つめて、全て悟ったように大きく頷く。


「ごめん、こんなこと、思い出させて」

「覚悟は決めたし、ゴウくんと一緒ならどこでもいいよ」


 あっさりと、自分の死を受け入れた彼女に、頭がぎゅううと締め付けられる。私は、いまだに自分が死んでる実感は、ないのに。一口で、思い出した記憶だけで、取り乱しもせずに受け止めるマナちゃんの強さに、憧れを抱いてしまった。


 それでも、ゴウくんは首を横に振る。そして、ごめんと何度も謝罪の言葉を口にした。


「連れていけないんだ」

「どういうこと?」

「マナは、起きなきゃいけないんだよ。寝てちゃだめなんだ。起きるために、これが必要だったんだよ」


 想定外の言葉に、私の方がびっくりしてしまった。マナちゃんも、理解していないのか、ぱくぱくと口を動かしている。


「どういうこと? 迎えに来てくれたんじゃないの?」

「マナが起きないから。起こしに来たんだ」

「起こしにって、私は、ゴウくんと一緒にいけないの?」


 落ち着いていたはずのマナちゃんの声が、先ほどのゴウくんより震え始める。居ても立っても居られず、つい立ち上がってしまった。

 迎えに来てくれたのに、突き放す?

 どんな理由があろうと、マナちゃんの辛い気持ちがわかってしまって……


 私の手をジユウが、ぐっと引っ張る。そして、ソファに座らせられて、口にスープを押し付けられた。


「飲んで落ち着けよ」


 コンソメの味がじわりと、口の中に広がっていく。緩やかな温かさに、玉ねぎのとろりとした食感。おいしい。おいしいんだけど……二人のやりとりが気になりすぎて、味わえない。


「マナは、起きて、生きるんだよ。本当に、死んだ時に、俺が迎えに来るから」

「一人で、ゴウくんのいない世界で、私は生きていくの? まだ? こうやって、再会できたのに?」


 バンっと机を叩きつけた音が、激しく広がっていった。ゴウくんは、泣きながらも力強く頷く。そして、立ち上がってマナちゃんを抱き寄せた。


「俺の分も、幸せに生きて。ごはんはきちんと食べること。早くこっちに来ようなんて思わないこと。ちゃんと、寝ること。お願いだから、まだ生きててよ」


 優しく頭を撫でながら、ゴウくんは祈るように声を出す。思わず、私の方が泣き出してしまいたくなった。

 

 どれだけ、思ってるのか。

 痛いくらい、伝わってる。


 マナちゃんは、小さく震えてから「そっか」と答えた。


「でも、俺のことは思い出して。ごめん、本当にごめん、一緒に未来に行けなくて。死んでるくせに、マナが傷ついて、どんどん弱っていくの見て死にそうなくらい辛かった。だから、早く起きて。意識を取り戻して。マナは、まだこっちには、来ちゃだめな人間なんだよ」


 涙をぐっと拭い取って、無理矢理に貼り付けた笑顔が、痛々しい。それでも、マナちゃんは小さく「そっかぁ」と答えて、ゴウくんを強く抱きしめ返した。やっぱり、するんっと手はすり抜けていたけど。


「思い出さないでくれればいいと思った。でも、そうしたらマナは起きれないから」

「ここにゴウくんが来なかったら、思い出さなかったのに」

「本当だよな、ごめん。マナに会いたいなんて、願っちゃったから。マナと一緒にいたいと思ってしまったから」


 ゴウくんの声は、涙交じりで聞こえにくい。それでも、マナちゃんにはきちんと伝わったようで、マナちゃんも無理矢理に笑顔を張り付ける。


「バカだなぁ。ずっと忘れないし、ずっと大好きだよ。でも、ゴウくんが望んでるから、私はずっと幸せに生きるよ」

「俺のこと忘れて、新しい人と恋に落ちて、幸せになって、そんなこと願ってたくせに、会えば、離れがたくて、マナのことが、愛しくて。でも、生きててくれればなんでもいいから」


 抱きしめていた手を緩めて、小指を二人で絡め合う。二人の薬指には、いつのまにかシルバーの指輪が光っていた。きっと、二人の記憶のペアリングなんだろう。

 

「ちゃんと、死んだ時は俺が迎えに来る。約束するから、生きてて」

「うん、しょうがないから、ちゃんと生きるよ。ゴウくん、忘れちゃやだよ。ちゃんと、最期は迎えに来てね。しわしわのおばあちゃんになっちゃうかもだけど」

「そしたら、俺もしわしわのおじいちゃんの見た目で会いに来るよ」


 二人してくすくすと笑い出して、小指を離した。そして、マナちゃんの方は、どんどんと光に包まれて薄くなっていく。

 すぅっと飲み込まれるように消えたマナちゃんの方を見つめながら、ゴウくんは小指をずっと差し出していた。


 どれくらい経ったか、わからないくらい経った後、ゴウくんは腕で涙を拭い取った。そして、私たちの方に向き合う。私の方が、ぐしゃぐしゃに泣いてしまっていた。


「また、来ます。騒がしかったですよね」

「いえ、あの、また、お待ちしてます」


 私がその時まで、ここにいるかはわからないけど。涙を流し続ける私に、ジユウがペーパーナプキンを差し出す。ジユウの瞳にも、じわりと雫が浮かび上がっていた。


「じゃあ。ありがとうございました。料理を出さないでなんて、わがまま言ってすいませんでした」


 ぺこりとお辞儀をして、ゴウくんが扉から出ていく。私たちは、ゴウくんの背中を見送る。ちりんちりんという音が、優しく慰めてくれるようだった。

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