初めて口にした幸せな音
私の謝罪の言葉に、お母さんもおじいちゃんも息を止める。静寂だけがレストランの中で、広がっていた。私も、無意識に呼吸を鎮めて、二人の言葉を待つ。
「迎えに来れなくて、悪かったな」
おじいちゃんの言葉に、ぐっと涙を飲み込む。寂しかった。私には誰もいないと思ってた。だから、迎えに来て欲しかった。
それでも、おじいちゃんは、今の今まで私の存在を知らなかったんだから。謝るのは、違う。
首を横に振れば、お母さんの手がすっと私の両手を掴んだ。
「一華が謝ることじゃないわ」
「おじいちゃんが謝ることでもない! それに、私こんなにお母さんに大切にされてたのに、忘れて、ひとりぼっちで」
言葉がとめどなく、涙のように流れ落ちていく。お母さんもおじいちゃんも、静かに頷いて、私の言葉に耳を傾けてくれた。そして、優しく私の手をおじいちゃんとお母さんが繋ぐ。
「ひとりぼっちにさせてごめんなさい。ちょっと、長生きしすぎちゃった」
「知らなかったとはいえ、一人にさせて悪かった。知ってたら、飛んできたのに」
二人が甘く、柔らかく、私を見つめるから。耐えきれず、体中の水分を瞳からこぼす。このまま、泣きすぎて私はからっからに乾燥してしまう。
それもいいと思えた。だって、今のこの幸せを感じれた、それだけで、十分だった。
「迎えに来れなくて、私の方が後でごめんね。一華」
「お母さんは、悪くないよ、私が悪いの。でも、こうやって会えたから。私、今幸せで、嬉しくて、どうしていいかわからない」
おでこにひんやりとしたものを当てられて、顔を上げる。お母さんの手の付けられていない、アイスシャーベットだった。食べなさいと言うように、私の手のひらにゆっくりと渡される。
「いっぱい、食べて。あなたの、記憶なんでしょう?」
もう思い出していないことも、無いだろうけど。それでも、気持ちが嬉しくて頬張る。食べ終わりそうになっていたおじいちゃんが、ちらちらと私とお母さんを見比べていた。
その様子がおかしくて、泣いていたことも忘れて、頬を緩める。この一瞬だけで、笑いすぎてほっぺたが痛い。
頭がキィイインっとしてきて、つい、こめかみを抑えた。甘さと冷たさに、歯がぎゅうっとなる。
「あ」
ユウジのことを、二人は知ってるだろうか。エミとルイナ、学校の友達の二人がどこかで見たことあると言っていたから。シャーベットアイス、あの時ユウジが一人で食べてた。
「どうしたの?」
「ユウジって人、知ってる? 私より二十センチくらい大きくて、ふくらはぎに大きな傷があって」
私の説明にお母さんは、困ったように視線を扉に向けた。おじいちゃんは、全く知らないらしい。首を横にブンブンと振ってる。
「知らないけど、一華が、会いたい人なのね?」
「一緒にいたの。ここで、二人でお迎え来ないねって、待ってた」
ユウジが迎えに来てくれるって約束したけど、結局来なかった。
何か事情があるんだろうけど……
私の言葉にお母さんは、何かを思いついたように、私の方に視線を向ける。
「ユウジくんだったか、忘れたけど。居た、居たわよ」
「へ?」
「児童館に預かってもらってたの、小学生の頃の一華」
うっすらと覚えてる気がする。お母さんに引き取ってもらったけど、小学校が終わる時間には家にいなくて。
児童館で、待っててくれる? とお母さんにお願いされたんだ。
ハルヒさんもあの頃は、外で働いていた。お母さんは、ハルヒさんに家庭に入って欲しいって言われて結婚したと言っていたけど……
私の記憶にある限りでは、バリバリ働いていたし。だから、家で一人で待つ私を心配してくれたんだ。
児童館に通っていたのは、小学生四年生? 三年生? どっちかの一年だけだったけど。そこからは、ハルヒさんが在宅ワークになったから、って、児童館はやめてしまった。
「足にグルグル包帯を巻いてる男の子。一華とその子二人ともお迎えが一番最後で、おままごとをしながら待ってたのよ。小学校は違ったのかしらね。学校で見た記憶はないけど」
「犬に追いかけられてできた傷?」
「犬に追いかけられてかまでは、わからないわね」
「そっか」
じゃあ、ユウジは、やっぱり同い年だったのかな。本当にその子がユウジかはわからない。でも、ユウジな気がする。私より後に来たから、私よりは長生きだったのかも。
昔からの繋がりがあったことに、妙な高揚感を覚える。だったら、本当に迎えに来てくれてもよかったのに。
私も、お母さんに聞くまで覚えてなかったけど。ユウジも、きっと記憶にないだろう。でも、二人で並んでダンボールのキッチンで料理の真似事をしたこと、ふんわり思い出した。
「じゃあ、俺が料理人やる! ハナちゃんは、ウェイターさんな!」
半袖のTシャツなのに、ギリギリまで捲り上げて、タンクトップみたいにしてた。そして、手をぱんっと叩いて、私に指示を出す。
「はい、おにぎり! いちばんさんに!」
見よう見まねのシェフ。それに、よくわからず付き合っていた私のウェイター。
なんて、呼んでたっけ?
ユウくん、って言ってた気がする。
そっか、あの時から、ユウジは私のことハナちゃんって呼んでた。もっと、早く思い出せていれば、二人で思い出話でもできたのに。
ちりんちりん、と幸せな音が鳴って、慌てて扉を振り返る。
誰かがいる時に人が現れるのは、初めてだった。扉から入ってきた男の人は、キッチンコートを着こなした大人のように見える。
それでも、それが、誰だかは、すぐにわかった。
おじいちゃんもお母さんも、そのままに、駆け出す。勢いよく抱きついたのに、ユウジはよろけもせずに私を抱き止める。
「待たせた、ね」
「遅い、遅いよ、私もう全部思い出したんだから」
「え、じゃあ、俺本当に遅かったじゃん」
目を見れば、変わらず優しい目の横の笑い皺。くすぐったいようなあたたかさに、また涙が出た。テーブルに居るおかあさんとおじいちゃんを見つめて、ユウジはパッと私を放す。
「えっと、お邪魔しましたー?」
くるりと踵をかえして、扉の方に向かうユウジの服の裾を引っ張った。遅かったけど、また会いたかった。私は、ユウジに話したいことたくさんある。行かないで欲しい。
「待ってよ!」
「だって、ヒトカ、もう行けるんでしょ? 家族、なんだよな?」
「私とユウジ、繋がりがあったってわかったの。それに、私の本当の名前も」
ごちゃごちゃと扉の前でやってる私たちに、おじいちゃんは痺れを切らしたように大きな声を出した。
「ほら、君もこっちに座りなさい」
「そうよ、急ぐ必要もないでしょう? それに、私思い出したの」
お母さんとおじいちゃんの言葉に、大きく頷く。それでも、抵抗するユウジの右手を繋いで、ぐいぐいと引っ張った。
私が寂しい時に寄り添ってくれたのは、ユウジだから。お母さんとおじいちゃんに紹介したかったし、ユウジにもお母さんとおじいちゃんを見せたかった。
ちゃんと、私にも居たよ。大切に思ってくれていた人。そう伝えたかった。
渋々と、ユウジは、おじいちゃんの横に座った。そして、身を縮こめて、私たちの様子を窺っている。
「レストランで料理人してたわよね」
お母さんの言葉に、驚いて「え」と声を出してしまった。そういえば、ユウジが記憶を思い出した時。私は、どんな記憶だったか、顧問の話しか聞かなかった。
ユウジは恥ずかしそうに、「はい」と小さく答える。
「一華がいつも覗いてたの、そのお店」
「私が、覗いてた?」
覗いていた、お店。微かに思い浮かんだのは、中学生の頃の通学路にあった洋食屋さんだった。
洋食屋さん? 創作料理屋さん?
どっちかは、わからないけど美味しそうなメニュー写真に、美しい家具。一つ一つこだわって選んだような、全ての席が違うイスとテーブルだった。
入ったことはないけど、道路に面した大きな窓があって、いつも幸せそうに家族がご飯を食べていたから。通るたびに、つい見入ってしまっていたのだ。
あそこが、ユウジの、お店?
「本当に俺の店、かな、いや、ですかね」
私と話していた時につられて、つい、敬語が抜けてしまったのだろう。慌てて取り繕った語尾に、くすくすと笑ってしまう。じっと困惑したように私を見つめる、ユウジと目があった。
「こんなお店?」
ふわふわと覗き込んでいたお店に、レストランが変化していく。少し暗めの照明に、こだわりのインテリア。今想像で思い返しても、オシャレだな。
ユウジが立ち上がった瞬間、ガタンと、イスが音を立てる。私の質問も忘れて、ユウジはレストランの中を歩き回って、懐かしそうに頬を緩めた。そして、一通り見終わってから、私たちの存在を思い出したようで、テーブルに戻ってくる。
「俺の、店ですね」
「やっぱり。お父さんのイスもあったから、覚えてたのよ」
お母さんの言葉に、おじいちゃんを見つめる。おじいちゃんはゆっくりと、一脚のイスを指差した。背もたれの部分が、まぁるく形どられた可愛らしい小さなイスだった。
「え、あれ、おじいちゃんのなの?」
「ヒトカのおじいちゃんのイスだったの?」
私とユウジの声が、重なる。ヒトカという名前に、お母さんもおじいちゃんも不思議そうな表情を浮かべた。
「あ、あのね、ユウジ! 私、イチカ、一つの華でイチカだったの」
「一華……ヒトカっていうのも、遠くなかったんだな」
「私とユウジ、同じ児童館でおままごとしてたみたいよ。小学生にもなって」
くすくすと笑って告げれば、ユウジは、ハッとした顔をする。そして、小さく「ハナちゃん」と私のあだ名を呼んだ。あぁ、本当に、やっぱり、あの時の男の子が、ユウジだったんだ。
胸がいっぱいになって、この気持ちが何かわからない。私たちずっと、繋がってたんだよ。そう言いたくなったけど、さすがにお母さんとおじいちゃんの前では、恥ずかしくて飲み込んでしまった。
「俺と一華は、ずっと繋がってたんだな」
私が飲み込んだ言葉を、ユウジは、ためらいもせず、口にする。そして、私の手を握って、嬉しそうに目尻の皺を濃くした。
「やっぱり、俺たちのための時間だったのかもな。誰も迎えに来てくれなかったの」
「ずいぶん、キザだね」
「ずっと、一華のことばっかり考えてたんだよ。なかなか、迎えにいくっていう申請通らなくて」
「あ、申請タイプなんだ」
あっちの世界のルールがわからないから、ユウジの言葉から察する。ずっと、繋がってた。でも、私たちの縁は、迎えに来れるほどのものじゃなかったんだろう。
本来は。
イレギュラーのこのレストランという場所がなければ。
「待たせて、ごめんね。迎えに来るって約束したのに」
「ちゃんと迎えに来てくれて、ありがとう。それなのに、思い出しててごめん」
「一華が幸せなのが一番だよ」
まっすぐ、本気でそう伝えてくれるから。体中熱くなってきた。みんなから見た私は、多分、赤く染め上がってるだろう。
おじいちゃんが、わざとらしくごほんと咳をする。
「一華は、やらんぞ」
「やらんって、おじいちゃん、今更」
「一華は、やっと会えた孫なんだ! どこの男ともわからないようなやつに……」
言いかけたおじいちゃんを、お母さんは、手を伸ばして止める。そして、急に立ち上がったかと思えば、おじいちゃんのイスをよいしょと運んできた。
「お父さんの家具の良さが分かる子だよ?」
「お母さん?」
「私は、ユウジくんなら一華を託すのもありだと思うよ」
託すも何も、私たちはもう死んでるのに。そういえば、あっちの世界には、何があるんだろうか。
みんな、普通のようにここに誰かを迎えにきて、扉を出てあっちに帰っていく。生きていた時と、変わらない生活があるんだろうか?
「それもそうだが……初めて、会った孫だぞ」
「そうだけど、一華がこんなに好いてるのよ」
お母さんの言葉に、ハッとして三人の顔を見比べる。
私、ユウジのことが好きなんだ。もう死んでるのに。
「そうだが」
「そもそも、あっちの世界ってどうなってるの?」
私が知りたかったお母さんの問いかけに、おじいちゃんはんんーと濁す。一言で言い表せないのだろう。
「まぁ、いろいろと続いていくんだよ」
「じゃあ、一華とユウジくんは、まだ話す時間も一緒に過ごすこともできるのね」
「それは、そうだが。そうだが!」
「じゃあ、いいじゃない。私とお父さんとも、また会えるようなところなんでしょう」
おじいちゃんは、小さく頷く。そのことがわかっただけでも、私の心は、晴々としていた。まだ、私は家族と、ユウジと一緒に居られる。あっちが、どんな場所かは、全然わからなかったけど。




