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家族の時間


「一華、これ食べてみてくれない?」


 華陽さんが私に差し出したのは、透明なガラスの器に盛り付けられたシャーベットアイスだった。

 薄いピンク色をした、桃の果肉が入ってるアイス。ハッと、ポスターの女の子を見上げる。女の子は変わらず満面の笑みで、幸せそうに頬張っていた。


 ずっと、ずっと、最初から出てきていた。桃だけじゃない、いろんなフルーツのシャーベットアイスが必ず、デザートについてるのを私は見てる。なのに、全部が全部、みんなのデザートだと思い込んでいた。


 でも、誰も手を付けていない。

 ううん、ユウジだけがおいしそうに食べていた。それなのに、私は、いらないって、断って……

 思い返して、涙が浮かんでいく。


 私が、遠ざけてた。自分自身の記憶はここに合ったのに。


 華陽さんから受け取って、手のひらに収める。ひんやりと冷え切ったアイスは、体の熱をスゥッと心地よく冷ましていく。

 華陽さんが正しければ、このアイスが私の記憶で。

 私は、華陽さんの娘で。

 誰も迎えに来ないと思ってたけど、ちゃんと、家族がいて。

 ちゃんと、思われていて……


 想像だけで、ボロボロと涙をこぼす。それでも、スプーンを持つ手は、緊張で震えた。

 だって、違ったら、どうしたらいいの。こんなに、あたたかく、おじさんも華陽さんも、私が食べるのを待ってる。

 早く、口にしなければ。答えを出さなければ。


 わかっているのに、スプーンはからんからんと音を立てて床に落ちていった。


「食べさせてあげようか?」


 華陽さんの提案に、体がきごちなく動く。自分の意思とは関係なく、勝手に首が頷いていた。華陽さんのアイスを掬った手が、スプーンが、口に近づいていく。

 ぱくりと、口に入れた瞬間。爽やかな甘さが、脳を痺れさせる。ふわりと浮かび上がったのは、幼い私と、少しだけ若く見える華陽さん。



「熱、下がらないわねぇ」


 おでこが、ガンガンと熱い。ぼんやりと視界がぼやけてるのは、きっと熱のせいだ。中学生にもなって、こんな熱を出して、華陽さんにまた迷惑を掛けてしまってる。

 そんな感情が蘇って、私は子供のように、泣き出してしまった。


 白い天井に、ふわりと輪が掛かった照明。ピンク色の布団カバーは、私の趣味じゃない。華陽さんが好きな色。

 

 私は、水色とか紫色とかの方が好きだった。でも、「一緒に暮らすんだから新しいの買いましょう」と嬉しそうに選ぶ華陽さんに、何も言えない。

 買ってもらったのは、いつ頃だったけ。私が来たばかりだから、もう数年は経ってるはず。


 ピンク色は、光焼けをしていて、本当に微かに残ってるくらい。それでも、新しいものを買おうとする華陽さんを、必死に止めたっけ。私にお金を使うのは、勿体無いって。


「大丈夫、大丈夫。お薬も飲んだし、すぐ下がるわよ」「ごめんなさい、ごめんなさい」


 か細い震える声で謝れば、華陽さんの顔は怖くなった。すごくすごく、怒ってるような表情。

 ぎゅっと布団の端を握りしめて、潜り込む。華陽さんも追いかけるように潜り込んで、私の隣で目を閉じた。


「ハルヒさん帰ってくるまで一緒に寝ちゃおうかな」


 ハルヒさん、というのは、華陽さんの旦那さん。私の、義理のお父さんにあたる人。優しくて朗らかで、でも、確かに時間にルーズだった。

 華陽さんは、休みのたびに家族で出かける計画を立てていた。それに、私もハルヒさんも、ノーとは言わない。


 でも、ハルヒさんはいつも決まって出発の時間に、遅れて起きてくる。いっつも、華陽さんは怒っていた。ハルヒさんは「ごめんごめん」と笑い飛ばして、急ぎもせずに服を着替えていたっけ。

 

「ごはんは、どうするの」

「ハルヒさんに、買ってきてもらいましょう」

「いいの?」

「いつも待たされてるんだから、それくらいしてもらいたいわ」


 ふうっとため息混じりにこぼした言葉は、本心だと思った。それでも、華陽さんはハルヒさんのことが、大好き。だから、いつも怒りながらもハルヒさんを待って、三人で手を繋いで出かけた。


 中学生にもなって、恥ずかしかったけど。嫌だとも言えなかった。言ってしまえば、優しくしてくれる二人を傷つけてしまうと思ったから。それに、もう優しくしてもらえなくなることが、怖かった。


 だから、私は言葉を飲み込んで、甘えることを悪だと思い込んだ。早く大人になって、迷惑を掛けないようになりたかった。


「私作るよ」

「熱出てるんだから、ゆっくり寝るのがお仕事。あと、私も一緒に寝かせて」

「うつっちゃうよ」

「いいのいいの、移してよ。家族みたいでしょ」


 そう言って、私を抱きしめて、とんとんっと背中を撫でるように叩く。いつもはあたたかい華陽さんの体温が、冷たくて、心地よかった。


 ぼやけた視界で、目の前のシャーベットアイスを見つめる。どんな時も華陽さんは、シャーベットアイスを作ってくれた。

 季節のフルーツを買い込んできて、楽しそうに潰して、混ぜて、凍らせる。私も時々手伝っていた。言えなかったけど、その一瞬が、家族みたいで、幸せで、大好きだった。


 死ぬ直前まで、私は、華陽さんのことも、ハルヒさんのことも、お母さんとも、お父さんとも呼べなかった。

 本当のお母さんだったら、いいと願いながら。

 本当のお父さんみたいと、思いながら。

 呼んだ時の反応が、怖かった。


 でも、今、アイスを食べる私を見つめる華陽さんの顔を見て、わかった。これは、大切な人を見つめる表情だ。だって、たくさんの、迎えにきて、一緒に出ていった人たちと、同じ視線をしてる。


 愛しい。

 大切。

 やっと会えた。

 大好き。

 ずっと一緒にいたい。

 隣に居れて、幸せ。

 また会えて、嬉しい。


 そんな思いが全部混ざった、顔だ。私は、こんなに愛されてた。ずっと、ずっと、私は我慢しなければいけないと思っていたし。

 甘えたくなかった。

 重荷に、なりたくなかった。

 血の繋がりのない私を育ててくれたハルヒさんに、華陽さんに、迷惑を掛けないように必死だった。


 でも、間違いだったんだね。今更気づいても、遅いかな。遅くないか。

 あっちの世界に、私は、華陽さんと、華陽さんのお父さんと行けるんだもん。


「ごめんなさい、私」


 お母さんと呼ぼうとしたのに、喉の奥につっかえる。私の言葉に、華陽さんは困ったように笑った。そして、私の頬を両手で包み込む。


「一華は、いっつもごめんなさい、ね。謝ることなんて、何一つないのに」

「違うの、本当に謝らなくちゃいけないことが、あって」


 お母さんって、呼べなかったこと。ただ怖がるばかりで、愛情をちゃんと受け取らなかったこと。二人を信じて、甘えられなかったこと。何より、私の方が先に、死んでしまったこと。


 謝っても、謝りきれない。こんなに思ってくれてる人たちに、私はむごい仕打ちをした。だって、だって。


 言葉も、考えも、息も、全て詰まって。ただただ、嗚咽を上げながら、私は、華陽さんを抱きしめた。


 

 頭がぼんやりとする。どれくらい、華陽さんと抱きしめ合っていたか、わからない。やっと、喉の奥に息が通って、おじいちゃんの顔も、お母さんの顔も、きちんと見えた。


「お母さん」


 初めて呼んだ音は、震えていた。

 お母さんはどんな顔をしてる?

 確認する勇気が、まだ出ない。だから、お母さんの肩越しに、おじいちゃんを見つめていた。


 おじいちゃんは、ふっと笑うように息を吐き出す。そして、涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら、私とお母さんを指さした。


「な、なに?」

「そっくりな顔で泣いてるんだから」


 抱きしめていた腕を緩めて、そっと離れる。お母さんの顔も涙と鼻水でぐしゃぐしゃで、なのに笑ってた。

 満面の笑みで、私を見つめている。その顔は、おじいちゃんとそっくりだった。


「おじいちゃんと、お母さんもそっくりだよ」


 私もつい、ふふっと笑えば、おじいちゃんは目を丸くする。急に涙が止まったみたいに、固まっていた。そして、ズンズンと私に近づいてきて、お母さんごと私を抱きしめる。


「もう一回、呼んでくれないか」

「おじいちゃん?」

「もう一回だ!」

「おじいちゃん!」


 何回も何回も、繰り返す。それを止めたのは、お母さんだった。


「私だって、お母さんって初めて呼ばれたんだから、お父さんは待ってよ!」

「な、俺だって初めての孫だぞ!」

「私だって初めての娘よ!」


 二人で言い争いを始めて、ぷんぷんと頬を膨らませる。子どもみたいなやり取りだけど、二人とも、また、そっくりな顔だった。私もこんな顔で泣いて、怒って、笑ってるんだろうか。

 血が繋がってないのに、似てるの?

 家族だから?


「似てるのよ、一緒に生活して、同じものを食べてきたから。そして、同じものを見て泣いて笑ってきたから」


 声に出していないのに、私の不安に、質問に、お母さんは、優しい声で答える。そっか、一緒に生活してきた家族だから。おじいちゃんとお母さんは、似てて。

 私はそんなお母さんと、一緒に生活してきたから、二人に似てるのか。

 そっか。


 当たり前のようなことなのに、胸にじわじわと嬉しさが広がっていく。私の家族。私を大切だと言って、抱きしめてくれる人たち。

 ハルヒさんにも、会いたいと願ってしまった。

 会えたら、きっと私はお父さんと呼べる。


 でも、ハルヒさんはのんびりやさんだから。お父さんって呼んでから、数秒、間を置いて驚いてくれる気がする。そんなゆっくりさに、お母さんはまた、「もう!」と言いながら、笑うんだろう。


 いつか、お父さんが来る時には、私が迎えに行こう。お父さんの記憶に、私が残っていたら。ううん、多分、残ってる。そんな自信があった。


「一華に話したいこと、たくさんあるのよ」


 お母さんの声に、頷く。おじいちゃんも、私も、お母さんも、三人で、またテーブルに戻って座った。お母さんは、私を引き取った頃の話から、まるで物語のようにゆっくりと語り始める。


「私は、子どもができにくい体質だったみたいなの。でも、どうしても子どもを育てたかった。お父さんからもらった愛情を、未来につなぎたいと思ってたから」


 どう答えていいかわからなくて、小さく頷く。お母さんは、シャーベットアイスを一口食べてから、また続けた。


「そんな時にね、里親募集の子の中に、一華がいたのよ。名前を見た時に、私と同じ華があるって思って、同じだねって声を掛けたの」


 一瞬、あの時に浮かんだ妄想は……

 本当にあった事。

 お母さんが、私にくれた、花束のような、名前の由来だった。そんなことに気づいて、頬が熱くなる。冷ますように、私もアイスを口に含めば、シャリッと口の中でほどけていく。

 桃の甘みが優しく氷を包んで、体も冷やしてくれるようだ。


「一華は、遠慮しがちな子だったみたいで。里親希望の人が来るとみんな集まるんだけど、一華だけ、隅っこの方で小さく縮こまってた。まるで、見つけないで、私以外の子を選んでって言うみたいに」


 想像がついてしまう。このレストランにひとりぼっちでいた時の私は、そんな感じだったから。今は、違うけど。


「だからこそ、あなたに目がいってしまったのよ」

「私は多分、ただ、怖くて、逃げてた、だけだと思う」


 見つけてほしいと願えば、見つけられない時の痛みに耐えられない。選ばれたいと思ってしまえば、選ばれるまで地獄だ。だから、見つけないで、選ばないで、私を見ないで。

 自分を守るために、全て遠ざけていた。立ち向かえば、幸せが掴めたかもしれなくても。怖い。嫌だ。痛いの方が、私を支配していたから。


「でも、幸せにするって約束したら、こくんって頷いてくれた」

「なんとなく、覚えてるよ。お母さんが約束してくれた時のこと」

「華陽は、覚えてるんだな」


 おじいちゃんの含みのある言い方に、二人の顔を見比べる。おじいちゃんは嬉しそうな顔だし、お母さんは、照れたように頬を赤くしていた。


 その二人の顔だけで、分かった。おじいちゃんが、お母さんに約束した昔の言葉だってこと。


「お父さんがね、お母さんが亡くなった時に、私がワガママばかり言って困らせた時に言ってくれたの」

「必ず幸せにするから、お父さんと二人で生きていこう」

「そう、それ!」


 ポンっと手を叩いて、お母さんがおじいちゃんを指さす。二人のやりとりの心地の良さに、私はつい唇を緩めた。

 あまりの幸せな光景に、こんな日が来ること、私はずっと望んでいたくせに。信じていなかったから。


 お母さんとの約束に、罪悪感が胸を締め付けた。幸せにするって、言ってくれた人を、私は信じれないまま、先に死んでしまった。こんなに、愛して、大切にしてくれる人を置いていったこと。

 あまりに重い罪に、押し潰されそうだ。


「先に、死んでしまってごめんなさい」

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