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義母と娘の記憶



 華陽さんは、へにゃりと笑って私の肩を離した。


「ごめんごめん。なんか、ずっと一緒に居たような、親しい人な気がして。おかしいよね」

「とりあえず、冷める前に食べようか」


 冷めることはないのだけど、おじさんの言葉に大きく頷く。やっと華陽さんも、一口グラタンに手を付けた。


「あっつーい!」


 そう言いながら、もむもむと口を動かす。高校生にしては幼い仕草に、可愛いなという感想が湧き上がる。おじさんは、キレイな所作で鯖の味噌煮を口に運んでいた。


「うん、うまいな」


 ちらちらと、華陽さんの様子を窺いながら。私も横目で華陽さんを、確認する。

 どんな記憶を思い出したんだろうか。気になるのに、華陽さんは何も言葉にしない。


 はふはふっと変わらずに、ドリアを口に運んでいる。

 私とおじさんの視線に気づいたのか「なーにー?」と、笑いながら口の横にホワイトソースを残した。おじさんは、すかさず紙ナプキンを差し出す。華陽さんはそのまま受け取らず、口をんっと突き出した。


 しかたないなという顔のくせに、おじさんは口元がだらしなく緩んでる。久しぶりの再会が、こんなやりとりが、懐かしく、嬉しくてたまらないのだろう。

 二人で微笑みあったかと思えば、華陽さんは私の方を見つめる。


「あ、あなたも」


 唇の横を、人差し指でつんつん、とアピールされた。紙ナプキンを取ろうとすれば、横から華陽さんにかっさらわられる。


「はい」


 どんどん迫り来る右手に、身構えながらも、動けなかった。優しく、紙ナプキンが口に触れて、ホワイトソースが拭い取られる。


「こうやってると、二人は似てるかもな」


 おじさんの茶化した言葉に、カァっと顔が熱くなる。華陽さんみたいな、可愛らしい人と似てる。単純に素直に、嬉しかった。

 

 いつのまにか、華陽さんの風貌は大人の女性のようになっていて、おじさんはあっと声を漏らして涙を流す。

髪の毛も伸びて、背も高くなってる。それにうっすらとメイクされた顔は、美しかった。


「どうしたの、お父さん」

「いや、なんでもないよ」

「うそ。わかるよ、さすがに。夢なの、かな」


 ぽつりとこぼした声は、微かに震えている。

 あぁ、そっか。

 おじさん、華陽さんが高校生の頃に亡くなってしまったって言ってた。だから、今の華陽さんには、おじさんが亡くなってしまった後の記憶がある。それなのに取り乱しもせず、普通の顔して笑ってる。


 おじさんは、息が詰まったような苦しいような音で、華陽さんに問いかけた。


「大学生には、なったのか?」


 華陽さんは大きく頷いて、ドリアを口に頬張る。そして、目を細めながら語り始めた。


「なったよ、奨学金制度もあったし。それでならないなんて言ったら、きっとお父さんは自分のせいだって思い込むから」

「そうだな」

「お父さんが作る家具大好きだったから、私も家具職人になろうと思ったんだけど……」

「そんなこと、一言も言わなかったくせに」


 音があまりにも優しくて、胸のところがきゅうっと締め付けられる。無意識に、右手で服を掴んでいた。華陽さんの手が伸びてきて、優しく私の手を解く。


「シワになっちゃうよ」

「あ、ごめんなさい」

「怒ってるんじゃなくてね。本当は、シワになったって良いんだけど」


 華陽さんの目が、悲しい色をしていて頭が痛い。どうして、そんな顔をしてるんだろう。その顔を見たくなくて、話を戻すように、質問を投げかけた。


「何を学んでるんですか?」

「建築! お父さんの家具を置く部屋とか、こうだったらいいなぁーからね」

「建築」

「楽しいんだよ、設計図を描くのも。学ぶのも。あなたは、何がしたい?」


 問いかけられて、自分のことを考えてみた。記憶がないから、やりたいことも、好きなこともわからない。でも、建築も、家具を作るのも、良いなぁと思った。心がワクワクする。


 死んでるから、想像したところで、何の意味もなさないけど。


「建築か。細かい華陽には、合いそうだな」

「細かいって何よ、お父さんだって小さいところにこだわって、ずっとやってたじゃない!」

「俺の性格が似たってことか」

「そうね、お父さん似みたいよ」


 そう言いながら、華陽さんがピザを手に取る。おじさんはお漬物をぽりぽりと鳴らしながら、噛み締めていた。私もと、ピザに手を伸ばす。


「お母さんは?」

「元気、というのはどうかと思うが。相変わらず花を愛でてるよ」

「死んでるのに元気という表現もね、変だもんね。でも、お母さんも来るかと思った」


 華陽さんの口ぶりは、ここがどこか理解してるようだった。もしくは、本当に夢だと思ってるんだろうか。


「まぁ母さんは、食べ物に執着がない人だから」


 迎えに来る人も、食べ物の記憶を持ってる人なんだろうか?

 細かい条件は、私にはわからない。

 もしかしたら、死んだ人の食べ物の記憶に縁がある人が、訪れてる?

 そう考えてみれば、しっくりと来る。迎えにきた人たちとは、どこかで食べた記憶があった。そして、その出来事をなぞりながら、記憶を思い出していた。


 ピザを、一口。チーズがとろんっと伸びて、遠ざかっていく。はちみつが掛かっているのか、あまじょっぱい。


「おいしいんだよね、チーズとはちみつが」


 華美さんの言葉に、こくこくと頷く。華美さんは頬を片手で押さえながら、首を揺らしてピザを食べ進めていた。


 おじさんは、みそ汁をすすって、ほおっと一息ついている。華美さんに目を戻せば、先ほどより少し、大人になったように見えた。髪の毛はキレイにまとめられて、後ろで低めのお団子にしている。服装も、先ほどのカジュアルなものから、スーツ姿に変わっていた。


「仕事もね、もらえるようになってきたのよ」

「建築士、としてか?」

「そう。私の作る家が良いって言ってもらえたり。生活導線を一番考えてくれるって、褒められたわ」


 そう呟きながら、お水を一口飲み込む。娘の活躍が嬉しいのか、おじさんは急かすように「それでそれで」と口にする。

 成長を見られなかった分、大人になってからの華陽さんがなおさら気になってるのかもしれない。


「仕事も楽しかったけど、家庭に入って欲しいってプロポーズされて結婚も決まってるの。お父さんにも合わせたかったな、お父さんと一緒でビールが好きな人」


 指輪がきらりと、薬指に光出す。シンプルなピンクゴールドの指輪。


「実はこれも手作り! あの人も、作ることが好きな人なの」

「どんなやつなんだ?」

「今更結婚させないって言われても、遅いわよ」

「言えるわけないだろ」


 お父さんの喉が、ごくんっと動いた。もうきっと結婚しているし、お子さんも居る。だって、私をお子さんと見間違えるくらいだもん。


「優しい人。お父さんみたいにおっきな背中で、疲れきってる私を背負ってくれた人」

「いい、やつなんだな」

「いつか、お父さんと一緒に呑めるといいなってずっと言ってくれてた。だから、いつか呑んであげて」


 華陽さんの言葉に、おじさんは瞳に涙を浮かべる。そして、力無く首を横に振った。

 

「大人になった華陽のことは全然、知らんぞ」

「だから、小さい頃の私の話をして、あの人から大人になった私の話を聞いてよ。それで十分でしょ」


 くすくすと笑って、愛おしそうに左手の指輪を撫でる。幸せな夫婦だったんだろう。世間が羨むような家族って、本当にいるんだ。


「でも……」

「でも?」

「ケンカもしたし、優しいのは、無頓着な証なのよね」


 ぽつりと愚痴をこぼした華陽さんに、驚いていれば、おじさんが怒りを露わにする。コップから水をごくごくと、飲み干してから眉を吊り上げて華陽さんに問いかけた。


「華陽を悲しませるようなことをするのか」

「違うのよ、時間にもルーズだし、何にもルーズだから、私はいっつも待たされてたの。それを文句言いたくなった、だけ」


 不思議そうに、指輪を見つめて「どうしてだろう」と小さく呟いた。きっと、言えなくて、思っていたんだと思う。

 華陽さんは、我慢強そうだから。

 どうして?

 自分で思っていたことなのに、理由がわからない。

 ただ、なんとなく、そんな気がした。

 

「俺が怒ってやる!」

「お父さんに奢ってもらいたかったわけじゃなくて、ふと思い出しただけなの。毎回私ばっかり、あの人のこと待っていたなって……」


 おじさんの怒りは収まらないらしく、うぅっと唸ってる。まるで、動物みたいで、私はたまらず笑ってしまった。真剣な話だと、わかっていたのに。


「ほらほらこの子も困ってるんだから、やめてよお父さん」

「知らん男より、娘の方が大切に決まってるだろ」

「お父さんに愚痴をこぼしたのが、間違いだったわ」

「んんっ、まぁ、言ってても仕方ないからな」

「そうよ、ほら、フライドチキンだっておいしそう」

 

 華陽さんはフォークをフライドチキンに、突き刺す。

そして、お皿をおじさんに渡した。おじさんも、渋々と言った感じで受け取って、フライドチキンを頬張る。

 私も、と真似してフライドチキンを手に取った。スパイスの香りがふわりと鼻腔に、漂ってきた。

 

「フライドチキン、味が濃いわ……何回も食べに行ったの。お父さんが亡くなって、私も親になって」


 私もフライドチキンを齧れば、じゅわりと口の中で脂が広がる。カリッとした衣と、柔らかい鶏肉。そして、後から複雑なスパイスの味が口の中で暴れ回って、炭酸を飲みたくなった。


「ごめんね、一華」


 急に謝られて、ハッとする。顔を向ければ、華陽さんは私を強く抱きしめてくれた。


「ごめんね」


 もう一度、しっかりと謝罪の言葉を口に出されて、戸惑ってしまう。何に対する謝罪なのか。私が本当に一華なのかも、わからないのに。

   

 固まっていれば、おじさんの声が私と華陽さんの間を割り込んでいく。


「どういうことだ?」


 混乱したように、ワタワタと私と華陽さんを見比べる。そんな顔で私を見られても、私もわからない。

 顔を上げた華陽さんは、目を細めて、愛おしそうに私を見つめてる。

 本当に、私で、合ってる?

 似てるだけじゃない?

 勘違いじゃない?


 抱きしめられているのに、腕は動かない。だらんと垂れて、されるがままだ。


 強く抱きしめていた華陽さんの腕から、解放された。かと思えば、頬を包まれる。


「最初から、もっと、甘えさせてあげられればよかった」


 華陽さんはいつのまにか、もっと大人になっていた。髪の毛に、うっすらと白髪が混じり始めているし、目尻には優しい笑い皺が増えている。


「血なんか繋がってなくたって、家族なのにね」


 はっきりと言われて、真実味が増していく。

 私が遠慮して、距離を置いていたという、里親が、華陽さん?

 だって、本当にそうみたいな顔をしてる。


 置いてけぼりになったおじさんは、耐えきれなかったのか、ついに大声を上げた。


「孫なのか?」


 その声に驚いて、肩がぴくりと揺れる。負けないくらい大きな声で、華陽さんはおじさんの方を向いて叫んだ。

 

「お父さん、声が大きい!」


 キィイインとする耳。揺れる体。体が、自分のものじゃないみたいに、動かない。

 ただ、息が喉から出て、空気が体の中に入っていく。


「孫、孫だったのか」


 先ほどよりは少し小さい声で、呟いておじさんは急に立ち上がった。そして、私に近づいて、上から下まで、しげしげと眺める。


「血は繋がってないけど、私の娘だもん。お父さんの孫よ」

「そうか、そうかぁ」


 納得したように、おじさんに華陽さんごと抱きしめられる。あまりのあたたかさに、気を失いそうになった。それでも、なんとか意識を保てば、二人してポロポロと泣いてる。


「でも、血は繋がってないんでしょう? 私に、記憶もないし、私は、二人の家族じゃないかも……」


 口から出ていった言葉に、後悔が過ぎる。二人を、傷つけたかもしれない。二人はそんなこと、どうでも良いと言うように、気に求めず、私の頭をわしゃわしゃと撫でた。


 優しい手のひらの柔らかさに、つい目を細めてしまう。本当にこの人たちが、家族だったら良かった。こんなに大切に、こんなに愛されて、幸せだっただろう。


「一華は、私の娘。誰が何を言おうと、それは変わらないの」

「華陽の娘なら、俺の孫だ」

「でも」

「あなたは、覚えていないのね」


 華陽さんは悲しそうに、目を閉じる。おじさんが、ハッと思いついたように、私を離して華陽さんの肩を揺すった。


「思い出の料理、この中にないのか」


 テーブルの上に並んだ料理を、ずらっと手のひらで指す。それでも、私は、無いことを知ってる。だって、今まで同じように、食べてきた。だから、この料理の中には、私の記憶はない。


 首を横に振ろうとした瞬間、華陽さんが小さく声を出した。

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