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親子のメニュー


 ハナビさんは、小さく確かめるように、名前を呼ぶ。

ユウジに貰った、私の名前に似た響きだった。


「一華?」


 イチカ。

 一つの華で、イチカ?

 だから、あだ名は、ハナだった?


「ごめんなさい、そんなわけないのにね」


 私の頬を撫でようとしていた手を止めて、ハナビさんは首を横に振った。そうだとも、違うとも答えられない。だって、私にはハナビさんの記憶がないから。


 作り笑顔を見せれば、ハナビさんは嬉しそうに微笑んだ。そしてぎゅっと手を握りしめて、私に背を向ける。ハナビさんも、女子高生で記憶が止まってるはずなのに。

 

 娘が居たんだろう。似てる子を見てるだけで、思い出すくらい大切な。


「私、何言ってるのかしら。娘がいる年齢でもないのに。夢でも見てたのかな。ごめんね、変なこと言って」


 私が、その娘だったら、どれだけ幸せか。また、バカみたいな妄想をしてしまった。


 私は小さい子供で、お母さんに頭を撫でられながら名前の由来を聞いている。お母さんは、愛しいと言わんばかりの瞳で私をじいっと見つめていた。

 

「あなたの名前の華はね、私と同じなの。意味はね、人生が華やかに彩られるように」


 人生が華やかに彩られるように。素敵な由来だなと思った。


「たくさんの人から、花みたいな幸せを受け取れるような名前よ」


 希望が込められた、名前だと思った。そして、お母さんは私と小指を絡めて「ちゃんと幸せにするからね」と強く誓っている。色とりどりの花束みたいな光の中の一コマだった。あまりにも幸せすぎる妄想に、涙が頬を伝う。


 イチカと名付けてくれたユウジを、思い出す。一輪の花が咲き誇るみたいな笑顔と言ってくれた。花という字のつもりだったかもしれない。それでも、一華だったら、いいなと心の底から思った。


 ハナビさんは、フラフラと席に戻っていく。その背中を見ていれば、胸の奥がかぁあっと熱くなって、どうしていいか、わからなかった。


「大丈夫か? ハナビ」


 おじさんは、手を必死に伸ばして背中をさすっている。ハナビさんは何故か涙が止まらなくなって、ただ、ひっくとしゃくりあげていた。


「わからない。わからないけど、涙が止まらないの」

「混乱してるんだ、きっと」

「落ち着くから、待ってね」


 ひっくひっくと、喉を鳴らしながら、肩を揺らす。その姿に、私も慰めたくなった。それでも、近づけなくて、ただ二人のやりとりを見守る。


 ふうっと深い呼吸を繰り返して、ハナビさんは落ち着いたようだった。目の前にあるコップの水をごくごくと、飲み干してからグラスを置く。それから、目尻の雫を人差し指で掬い取って、おじさんと向き合う。


「とりあえず、頼んじゃお」

「そうだな。注文、いいかな?」

「あ、はい!」


 今はウェイターをしてるんだから。困って固まっている場合じゃない。

 エプロンのポケットから、メモを取り出す。そして、二人の注文をサラサラと書き留めた。


「シーフードドリアに、フライドチキン、あと、この四種のチーズピザ、サバ味噌定食をお願いします。食後には、桃のシャーベットを!」

「かしこまりました!」


 こくんっと頷いて、席を離れる。久しぶりの再会を嬉しそうに噛み締めるおじさんと、甲高い声ではしゃぐハナビさん。二人の声を聞きながら、厨房へ向かえば、すでにセットが用意されていた。


「さすが、シェフ……?」


 褒めようとしたのに、用意されてるものを見つけて、呼吸が止まる。確かに、いつも、同じメニューをお願いしてる。してるけど、すでに私の分まで出てきてるのはなかった。


 いつもだったら「私もおねがーい」と言うと、出てきていた。なのに、シーフードドリアとチキンが載ったトレイが二つある。

 でもサバ味噌定食は、一人前だ。シェフが、気を利かせたのかもしれない。


 とりあえず、一人前のシーフードドリアとチキンを置いていこう。右手にサバ味噌定食、左手にハナビさんのドリアやピザを持つ。私が置いていこうとしたトレイは、ふわふわと宙に浮いて私についてくる。


「どういこと……?」


 戸惑い気味に呟けば、耳に息が吹きかかる。びくんっと体が跳ねて、うっかりトレイを落としかけた。

 

「どうしたの?」

「おど、おどかさないで……」


 すっかり腰が抜けて、足がへたり込んでる。それでも、トレイを落とさずきちんと握りしめた私は、ウェイターとしては百点満点だと思う。ハナビさんが、私のトレイを取り上げて「ごめんごめん」と眉毛を縦にした。

 変顔にぷはっと、吹き出せば満足そうに勝手に持っていく。


「どうして」


 私の問いかけに、不思議そうな顔で振り返る。そして、顎で私をさし示して、当たり前のように答えた。

 

「え? だって、あなたもお客さんでしょ?」


 私も、お客さん?

 立ち上がって、ズボンを叩こうとして、手が止まる。ウェイター姿だったはずなのに、いつのまにか、制服に変わってた。紺色のスカートに、グレーのブレザー。どこかで見たな、と思うのは、エミやルイナの制服だろうか。


 相変わらず、私の横で、私用と言わんばかりにトレイがフカフカと浮いている。一歩進めば付いてくるし、一歩戻れば、ぴたりと止まった。

 しょうがなく、手に持つ。ずしりと感じる重みが、一気に手のひらへと集中した。


「こっちこっち」


 ハナビさんが、席に座ったまま、おいでおいでと手招く。おじさんも、どうぞと笑顔で空いてる席を示していた。本当に、いいんだろうか。


 ためらって、戸惑ってる私を動かしたのは、トレイだった。ぐいぐいと強い力で、あの席へと向かっていく。

 おじさんもハナビさんも、スポットライトを浴びたように、そこだけが光って見えた。


「えーっと、なにちゃん、だっけ?」

「ハナです」


 ハナビさんの隣に腰掛けながら、エミたちが呼んでいた名前を口にした。ヒトカは、ユウジだけに呼ばれたい。だから、すぐ答えたのは、ハナだった。


「私は、ハナビ。こちらはお父さん。ってか、同じ名前だね、漢字も?」

「カタカナで、ハナ」

「カタカナか。私は、華陽。ちょっとキラキラネームだよね」


 恥ずかしそうに、目を細めて華陽さんが笑う。それでも、いい名前だと思った。だから、素直に答えてみる。


「いい名前だと思いますよ。人生が華やかに、陽射しに照らされるような、幸せな人生になりそうな」

「そうなの! よくわかったね。ね、お父さん」

「そうだな」


 おじさんは、先ほどの話を覚えているからか、少しだけ気まずそうに私を見つめている。唇に人差し指を添えて、さっきの話は内緒ですとアピールすれば、安堵したように割り箸に手をかけた。

 パキンっと音がして、箸が割られる。キレイに真っ二つに割れているのを見て、華陽さんは両手をパチパチと叩いた。


「良いことありそうだね」


 そんな小さいことで、とも思ったけど、華陽さんが口にすると本当になりそうだ。私も割ってみようか、と考えてから、目の前のトレイを見てやめた。割り箸を使うメニューが、ない。


「じゃあ、いただきまーす!」


 華陽さんが、パチンッと音を鳴らして手を合わせる。私もつられて、両手を合わせていた。


「いただきます」


 ここに来て、初めて口にした気がする。スプーンを手に持って、シーフードドリアに差し込む。熱々の湯気が顔に掛かって、つい、顔を背けてしまった。隣の華陽さんと、ばっちり目が合う。


「どうしました?」

「なんだか、食べてる姿を見たくなっちゃって」

「変なの」

「ふふ、ごめんね」


 こてんと首を傾げた瞬間、髪の毛が耳からはらりと落ちる。美しい仕草だと思った。肩まである長い髪の毛は、ツヤツヤと輝いていて、しっかり手入れされてることがわかる。


 私が食べることを待つように、髪の毛を耳に掛けながら、華陽さんは一人で話し始める。


「お父さんと二人暮らしなの、うちの家。だから、誰かと食べるって、特別なことみたいでワクワクしちゃって」

「そうだな。お父さんも仕事で居ないことの方が多かったし……」

「それを責めてるわけじゃないよ! 違う違う。ただ、こうやって誰かと食べれるの嬉しいの」


 申し訳なさそうなおじさんと、楽しそうな華陽さん。誰かと食べるのは、ユウジと食べてた時以来だ。急に、胸がバクバクとしてきて、緊張で手が震える。


 食べ方が変だと思われたら、どうしよう。シーフードドリアが熱くて、火傷したら、変に思われる?


 華陽さんは、私の様子から悟ったようで。私の背中を軽く、トンっと叩いてからスプーンを手に取った。


「ゆっくりでいいから、食べよー!」


 その一言に、ほっと胸を撫で下ろして、スプーンの上のシーフードドリアを口に運んだ。ミルキーなホワイトソースが、優しく口の中に広がっていく。

 あつあつだけど、火傷はしなかった。むにむにのイカに、バターライス。とろんっととろけたチーズの塩味が、おいしい。


 私が一口食べたことで満足したのか、おじさんも、華陽さんも手を付け始める。じいっと見てた私におじさんは、ほぐしたサバ味噌を小皿に乗せて渡してくれた。


「食べてみるかい?」

「えっと」

「遠慮しなくていいんだよ、ほら」


 小皿を受け取って、「ありがとうございます」と小さく呟く。誰かと分け合うのは、ユウジと食べた以来だ。

 当たり前のように差し出された小皿が、やけにあったかくて、つい頬が緩む。私が、ずっとずっと、欲しかった温度だ。


「お父さん、私も! 私のドリアもあげる!」


 華陽さんも欲しくなったらしく、自分のドリアを小皿によそっておじさんに渡す。そして、手をずいっと伸ばしてサバ味噌をねだっていた。


「はいはい、今ほぐしてあげるから」

「また子ども扱いして!」

「急いで食べるから毎回喉に小骨刺さってるだろ」

「そんな小さい子じゃないですー!」


 小皿にサバ味噌を少し乗せてから、目線の高さに持ち上げる。そして、小骨の取りこぼしが一つもないようにじっくりと見回した。

 親からの愛情がこもってる様に、胸が熱くなる。羨ましいという感情よりも、幸せだという気持ちが上回った。この席に同席できている事実が、私の心を暖めている。

 

「気をつけて、食べるんだぞ」

「お父さんこそ、火傷しないでよね」

「いくつだと思ってるんだ」

「あれ、いくつだっけ?」


 そんなありふれた会話に、おじさんはぐっと息が詰まったように黙る。これくらいの華陽さんの時の、自分の年齢を計算してるんだろうか。

 天井の方をじっと見ながら、フリーズしていた。


 水を一口飲み込んで、口の中の熱さを緩和させる。そして、どう助け舟を出そうか、考え出した。結局、いい言葉は思いつかなかったけど。


「いくつだっけな?」

「その年になると、年齢も忘れちゃうのね」

「しょうがないだろ。自分の年齢なんてすんなり出てこないんだよ」


 おじさんは、ぽりぽりと頭を掻いて、にへらと笑った。そんなやりとりを繰り返して、時間が経過してるのに。テーブルの上のドリアも、ピザも冷めることなく、湯気を立ち上らせている。


 ここが、現実じゃないって忘れてしまいそうになる。それでも、冷めない料理と、真っ白な天井が思い出させてくれた。

 ずっと、この三人でいられたらいいのに。ありきたりな世間話をして、おいしいねと笑い合って、小さな良いことに、「今日は良い日になるね」と言い合う。理想の幸せが、すぐそこにあった。


 だから、手に持っていたスプーンを置く。もう、お腹がいっぱいだった。ここでは、みんな幸せを食べてるのかもしれない。そう気づくくらいには、この空間には幸せしかなかった。


「熱すぎた? 火傷した?」


 私の行動に、めざとく気づいて、華陽さんは心配そうに肩を揺する。それすら、私には甘すぎる。心配されるってこんなに、胸焼けがしそうになるくらいお腹いっぱいになるんだ。


「大丈夫です。ちょっと、胸がいっぱいで」

「どうして?」


 どうして?

 二人のやりとりが、私への心配が、心地よいから。そう答えたら、ますます心配されそうな気がして、言いづらい。


 誤魔化すように口にしたのは、「おいしすぎる」だった。


「この料理がおいしすぎて」


 食べたのは、シーフードドリアだけ。

 だけど。

 他にもピザや、鯖の味噌煮、桃のシャーベットまであるのに。まだ、一品しか手を付けてないのに。


「おいしいよねぇ、ここ。いつも、お父さんと食べにくるの。ハナちゃんは?」

「私は……」


 多分、初めて、だと思う。自分の記憶がないから、あやふやな答えになってしまう。


「初めてなんじゃないか。というか、華陽、話しすぎだ。困ってるだろ、ハナさんが」

「あぁ、ごめんなさい。私おしゃべりだね、ってよく言われるの。この通りお父さんは口下手だから、あまりしゃべらないし……」

「あ、いえ、楽しいです」

「本当? ならよかった!」

「華陽」


 嬉しそうに両手を叩いてから、私の肩を掴む。困ったおじさんがもう一度だけ、厳しめに名前を呼んだ。

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