私だけのメニュー
姉妹が立ち上がって、お互いを強く抱きしめた。そして、見つめあう。二人の顔は、清々しい表情をしていた。
「迎えに来てくれて、ありがと」
「お姉ちゃんを迎えに来れてよかったよ」
「シスコン〜」
「シスコンだもん! 行こ!」
幼い子どもみたいに、手を繋いで扉に走っていく。私の存在なんて、もうとっくのとうに忘れ去ってる。そう思っていたのに、扉の前でぴたりと止まった。振り返って、同じ顔で微笑んだ。
「店員さんもありがとう」
何もしていないのに。
居た堪れず、ソファから立ち上がってお辞儀する。
「ご来店、ありがとうございました」
店員になりきってお礼だけ告げて、床を眺める。
ちりんちりんと鳴り響くベルの音が、渇いて聞こえた。
扉の外は変わらず、純白の色をしている。苦々しく、睨みつけても、変わらない。
二人がお皿を重ねていた席に近づいて、テーブルを撫でてみる。
残ったお皿たちの料理は中華のままなのに、レストランはいつものファミレスへと戻っていく。
見覚えのある押しベルに、木でできてる丸っぽいイス。メニュー表は、透明のアクリルに立てかけられている。
メニュー表……前からあったけ?
私が見えていなかった、だけかもしれない。
ここに来た、誰も彼もが座る真ん中の席。そう認識した瞬間、私が座っていたソファ席と、ここの席以外、姿を消した。
ううん、本当は元々そうだったのかもしれない。私がファミレスだと思ってるから、座席がたくさんあるように見えた。
きっと、そうな気がする。
ここに座ったら、私だけのメニューが出てくるかな。
シェフが作って、風に乗せて届けてくれる?
自問自答しても答えは、知るはずもない。だから、本当にゆっくり、確かめるように座席に手をかけた。
そして、ためらいながらも、腰掛ける。最初から私が座るべき場所だったかのように、しっくり来た。
でも……
私専用のメニューは最初からない、と。
わかってしまった。テーブルの上には、先ほどの姉妹の食べたものの残りが、まだ残ってる。
新しく何か運ばれてくることはなく、あの姉妹が居なくなった時のまま、時間は止まっていた。やっぱり、私がここに来たこと自体が、間違いだったのかもしれない。
よろよろと立ち上がって、這いずるようにソファ席に戻る。
ユウジは、まだ迎えに来てくれない?
向こうの時間感覚は、わからない。それでも、もう一組を見送ったよ。
泣き出したくなって、歯を食いしばる。泣いたところで、事実は変わらないのに。ボロボロ勝手にこぼれ落ちていく涙を、制服の袖で拭い取った。
私は、一生、一人でここで過ごすんだろうか。
他の人が訪れることだけが、まだ、救いだなと思った。一人きりじゃない時間があるだけ、幸せかもしれない。でも、会話もなく、風景の一部として店員をするだけだ。
誰かに熱く見つめられることも、触れらることも、思い出を懐かしむこともできない。
シェフもそうだったのかな。もしかしたら、私の未来はシェフなんだろうか。
想像していたら、手がうっすらと透けて見える。パチパチと何回瞬きをしても、映る景色は、変わらない。
手をポスターにかざしてみれば、手越しに、アイスを頬張る女の子が見えた。気のせいなんかじゃない。
私は、もう、透明になってしまうの?
シェフみたいに、会話できずに、ただ運ぶだけの人?
もしかしたら、気づかなかっただけで、ウェイターもいたのかもしれない。でも、私もユウジが居たから、二人とも休んでた?
胸が張り裂けそうになって、死にたくなった。
こんなところで、一人ぼっちで居るなら、消えてしまいたい。誰にも会えず、誰にも認識されないなんて。
死んでしまいたい。そう思って、乾いた笑い声を上げる。
「あはははは」
もう、私は死んでるのに。ひとりぼっちで、気が狂いそうだった。それでも、誰にも愛されずに消えるのは、嫌だった。ユウジがくれたあの優しい視線をもう一度、受け止めたい。
ユウジともう一度話したい。それまで、私は、消えたくない。
机に突っ伏して、私はここに居ると暗示をかける。私はまだ、居る。ユウジが迎えに来てくれるまで、忘れない。
ずっと、ずっと、待ってる。
だから、消えれない。
消えない。だって、約束したから。
ちりんちりんという明るい音が鳴って、扉が開いた感覚がする。風が通り抜けていくような、初めての感覚に顔を上げた。
髪の毛が、頬に張り付く。指で髪の毛を退けながら、顔を上げる。
そこに立っていたのは、おじさん。私を見つめて、心配そうに近寄ってきた。
「店員さん? 大丈夫かい?」
まだ、見えてる。死にたいと思っていたくせに、消えたいと願ったくせに、その安心感に胸を撫で下ろす。流れた涙を隠すように手の甲で、目を拭った。
「ご心配おかけしました。こちらどうぞ」
先ほどの席に案内しようとして、姉妹のお皿が残ってることに気づく。今まで、片付けしたことなかったのに。そういえば、食べ終わったお皿たちは勝手に消えていた。
シェフのように見えないウェイターが、やってくれていたのかもしれないけど。
慌ててお皿たちをお盆に乗せて、全て厨房の方へ運ぶ。厨房に合ったダスターを手に持って、先ほどの席に戻れば、待ち合わせの人は見当たらない。
一つの予感に、飛び跳ねたくなる。でも、縋っちゃダメだ。ますます、虚しくなってしまうから。それでも、勝手に心は淡い幸せを願ってしまう。
私のお迎え……?
淡い期待が胸にちりちりと、芽生えていく。でも、この人は私のことを知らない風だった。
テーブルを拭きながら、どんな顔をすればいいか、考える。思いつかない。
だって、この人が私のお迎えだったら。
どうしよう、やっとお迎えが来たのかもしれない。
ユウジ?
ユウジが年を取ったらこんな感じ?
想像して照らし合わせてみたけど、全然違う気がする。
「店員さん?」
「あ、はい、もう大丈夫です。どうぞ!」
「あぁ、ありがとう」
「待ち合わせの方は、まだみたいです、ね?」
確かめるように、恐る恐る、問いかける。おじさんは、こくんっと頷いて、メニュー表を手に取った。周りを見渡しても、ファミレスから変わる気配はない。
相手の方が来たら、変わるんだろうか?
いや、でも、同時に来ないのは、初めてだからわからない。
「お待ちの方って……」
「娘なんだ。そうだな、私が別れた時には、君くらいの年齢だった」
「そう、なんですね」
本当に、私?
お互い認識していないパターンも、あるんだろうか。
否定した、微かな期待がまだ胸を燃やす。ここ最近はずっと、例外が多かった。私と同じ、お迎えの来ないユウジが現れたこと。死んだ人と、生きてる人の再会があったこと。たった一つのメニューで、あっちへ行ったこと。
思い返してみれば、たくさん、たくさんの例外を見てきた。じゃあ、今回も例外なのかもしれない。このおじさんが、私のお迎えで。
「娘が来るまで、おじさんの話を聞いてくれるかい?」
メニュー表を、パタンと音を鳴らして閉じる。私との共通点があればと願って、頷く。
名前にハナと入ってませんか?
聞きたいのに、喉が引っ付いて、うまく言葉が出てこない。
「娘が高校生の頃に、私は亡くなってしまってね。どうなったか、不安なんだ」
「どうなったか?」
「恨まれてるかもな、とか、不幸になってないかな、とか」
お父さんが先に亡くなってることで、お金の面で迷惑をかけたとかだろうか?
想像しようとしたけど、家族に対してだけ。私は、想像がつかない。施設育ちなことや、里親に遠慮して生きてきたせいだろうか。
記憶はなくても、私の脳内はその時のまま、なのかもしれない。あ、施設育ちって、聞いたんだった。
じゃあ、この人は、私の父親ではない。だって、一緒に暮らしていたような。亡くなるまで側に居たような口ぶりだった。
小さく芽生えた期待が、しおしおと萎んでいくのがわかる。思ったよりも、傷ついてる。期待なんかしたから。もしかしたら、と願ったから。
馬鹿な自分を恨みながら、おじさんを見つめる。
「行きたい大学の相談を受けたばかりの頃だったから。私が亡くなって、お金も残せなかったからね。大変な生活を強いてしまったんじゃないかって、ずっと心残りだった」
「奥様は、どうだったんですか?」
「妻は、私より先に亡くなってたからね。娘を一人、残してしまったんだよ」
悲しそうな目で、それでも、愛しそうな顔で、思い出してる。
こんなお父さんだったら、きっと幸せだったんだろうな。
勝手な考えで、娘さんを羨む。私にも、こういう父親が居て、欲しかったなぁ。亡くなってからも、心配で、愛しくてたまらないと、何度も思ってくれるような親が欲しかった。
「大変だったかもしれませんね。でも」
「でも?」
「おじさんの愛情を受けて育った方なら、幸せだったと思いますよ」
勝手な言葉。それでも、心の底からそう思う。きっと、不幸があっても、乗り越えて、強く生きれるだろう。それくらい、優しい愛情を、このたった一瞬で私は感じ取った。
「そうだと、いいな」
ぽつりとこぼした言葉に、大きく力強く頷く。
きっとそうです。
大丈夫ですよ。
と安心させるように。
微かに空気が揺れて、明るい女の人の声がレストランに響いた。
「お父さん?」
「あぁ、ハナビ」
ハナって入ってませんか、と聞かなくてよかったと思った。だって、入ってると言われたら。ハナビだって聞いてたら、私は確信していた。あぁ、この人は、私のお迎えの人だって。
でも、結局違った。娘さんが、ちょっと遅れて現れた。やっぱり、私じゃなかった。
「お父さんが先に待ってるなんて、珍しいこともあるんだね」
ハナビさんは、席に座りながらメニュー表に手を伸ばす。私と同い年くらいの女子高生の姿に、見えた。きっと、二人の最期の思い出の姿なんだろう。
邪魔をしないように、音を立てずに席を離れる。おじさんは、ありがとうと音を鳴らさず口を動かした。
私は、何もしていないのに。感謝されたことが、嬉しくて、胸がこそばゆい。
「お父さん何食べる? 私、アイスが食べたい!」
「ごはんを食べに来たんじゃないのか?」
「ごはんも食べるけど、デザートもいいでしょ?」
ねだるように両手を合わせて「お願いお願い」と、おじさんを拝み倒してる。可愛らしいやり取りに、あぁ家族っていいなと、漠然と思ってしまう。
こういうやりとりを見るたびに、羨ましいという仄暗い気持ちに苛まれていた。
でも、今は、なぜか、心地よい。羨ましいとは思うけど、微笑ましくなってしまう。
今までと、違うのは、何だろう。
いい家族だな、と素直に心から思えた。二人が幸せな記憶を思い出して、幸せにあちらに行けたらいいと、願える。
先ほどまでの、消えたいと、死にたいと願う気持ちとの高低差に、自分自身で酔いそうだ。それでも、消えたい気持ちは、鳴りを潜めて静かに心の奥底に隠れてる。
不思議だった。まるで、ユウジといる時に感じた安心感みたいなものに、包まれてる。
「ごはんはどれにするんだ?」
「お父さんはいつもの定食?」
「あぁ、そうだな」
テーブルの上にメニュー表を広げて、ハナビさんが一つ一つ、人差し指でさす。
「じゃあ、私はドリアとピザと、チキンにする」
「いいぞ」
「いつもなら、多いって怒るのにー!」
ハナビさんは驚いた顔で、メニュー表から顔をあげる。そして、お父さんの笑顔を見て訝しんだ表情に変わった。
「なにー? 今日はやけに、ニヤニヤしてる」
「ハナビが楽しそうで、嬉しいんだよ」
「いつものことでしょ? 変なお父さん」
お父さんにとっては、ずっと心配していた娘との久しぶりの再会だ。嬉しくてたまらないのだろう。
たとえ、相手に記憶がなくて、過去のシーンのリプレイだったとしても。ハナビさんにとっては、初めての光景だから、笑ってるお父さんに違和感しかないんだ。
他人の私しか、知り得ない状況に、ついクスッと笑ってしまった。元々の仲の良さがわかるような。愛し合ってる家族の感じが、じんわりと温かい。
振り返って注文をしようとしたハナビさんは、私を見つめて息をのんだ。
「待って」
刹那の閃光。わからない衝撃が、胸に落ちた感覚。息が浅くなって、ただ、その場で私は凍りついていた。
ハナビさんの表情の意味が、涙の意味が。
わからない。
それなのに、今すぐ、駆け出して、抱きつきたい。
そんな衝動が体の真ん中で、疼いてる。
もしかして、ねぇ、もしかして、私の大切な人だったりする?
聞きたいのに、口も、身体も動かない。
ゆっくりとこちらへ向かってくるハナビさんが、やけにスローモーションに見えた。




