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お別れの時


 ジユウが作ってくれた、鮭チーズのおにぎりを手に取る。ふわふわとした感触に、おにぎりらしからぬ軽いなという感想を抱いた。

 鮭フレークのオレンジと、ところどころに混ざるチーズの薄黄色。想像したことのない組み合わせを、ゆっくり口に運ぶ。


 ほろりとお米が解けて、鮭の塩っぱさが口に広がる。そして、チーズの部分を噛み締めれば、かすかな酸っぱさと鮭を包み込む独特の味。


「鮭とチーズおいしいねぇ」


 意外にも、私の好みには合っていたようだ。あっという間に、手の中のおにぎりは減っていく。ジユウは、私が作ったぎっしりとした明太子おにぎりを頬張っていた。


「人の作ってくれたおにぎりって、なんでこんなにうまいんだろうなぁ」


 ぽろり、ぽろり。

 こぼれ落ちていく涙の意味を、勝手に空想する。

 さようならが近づいてるから?

 あまりのおいしさには、ないか。だって、中身もお米も、同じものだもの。


 おみそ汁で一息ついてから、おかかおにぎりにも手を伸ばす。私が握ったものは、やっぱり密度が高い気がする。

 一口齧れば醤油の香ばしい匂いと、かつおぶしの柔らかい味がした。私も、必死におにぎりを食べる。


 お互い言葉にしないけど、最期の時間なこと、わかってた。ジユウの記憶が、あんなにあっさりと浮かび上がるとは思わなかったけど。

 目の前がぼやけて、まるで、ここに来た時みたいだなと思った。

 そういえば、そっか。

 よくわからずにここにいたけど。


 最初は、ぼんやりとした空間だった。まるで手触りがないような、何もないみたいな。


 ここはどこだろう、って思って、目を凝らしてるうちに、レストランに見えてきた。あれは、私が何の想像もしていなかったから。見えていなかったんだなぁ、多分。


 手についた米粒も、残すことなく口に入れる。そして、柴漬けを噛み締めれば、甘酸っぱいつけ汁が口いっぱいに広がって、頬がきゅうっとした。


「すっぱぁ」

「柴漬けはそれがいいんだろ」

「たしかに」


 ジユウが入れてくれたあったかいお茶で、酸っぱさを洗い流す。そのまま、梅干しのおにぎりも。

 やっぱり、ジユウが握ったおにぎりは、柔らかくて、ふんわりしている。優しく包み込んでくれるような。


 私たちは、夢中になっておにぎりを口に運んだ。そして、多いなと思っていたのに、全て食べ切った。

 味は感じられるのに、お腹は満たされないらしい。便利なものだなぁと、もう一度、お茶を飲み込む。


「ねぇ、ジユウ」

「なに?」

「お茶の記憶って、どんな記憶だったの」


 顔を見るのが少しだけ怖くて、手のひらを見つめながら問いかけてみた。それでも、ジユウは何も答えない。

 しょうがなく、顔をあげて向いのジユウを見れば、私を濡れた目でじいっと見つめていた。


「気づかないと思った?」


 わざとらしく出した明るい声が、レストランに反響する。あまりにも力を込めすぎて、声が大きくなってしまったようだ。

 私の声が、ぐわんぐわんと揺れて耳に返ってくる。唇を薄く横に伸ばして、にいっと笑ってしまう。


「行く前にさ、どんな記憶だったか教えてよ」

 

 ほっぺたが攣りそうになった。

 私、そんなに笑ってなかったけ?

 わからないけど、筋肉痛になりそうだ。


「ヒトカ」

「教えてよー!」


 目の前のジユウに、手を伸ばす。ぶんぶんと手を握って振り回せば、またぽつりと涙をこぼしてから微笑む。


「俺さ、二番目の子で。にいちゃんはなんでもできて、優秀な子だったんだ」

「いいお兄ちゃんだったんだね」

「でも俺は、昔からどんくさくて、親に期待されても答えられなくて、いつのまにか、見てもらえなくなった」


 きゅうっと胸が、縮こまる。それでも、あいづちを打って、話を続けてもらう。


「うん」

「だから自由にできて、そんな俺がにいちゃんは嫌だったんだろうなぁ。でも、母さんも父さんも、頑張ろうとする俺を見ると、いっつも、顔を歪めてたから。バカみたいに、気にしていないみたいに振る舞おうと思って」


 ジユウらしくない弱音に、心臓が掴まれたみたいだった。自由に振る舞っているように見えていたのは、ジユウなりの処世術の名残。そう思うと、心惹かれたジユウの姿に、少しだけ涙が浮かんでしまった。


「だから、迎えにも来てくれないんだな。誰も」


 ジユウのぽつりとこぼした言葉に、見せかけだけの慰めじゃダメだと思った。でも、なんと答えていいか、うまく言葉が見つからない。


「でもさ、お茶。いつも、顧問が淹れてくれてたんだ。家庭科部みたいなのに入ってて、他の部員たちとごはん作って食べんの、放課後に」

「だから、料理上手だったんだね」


 家庭科部。言葉を聞いて想像しても、脳内には浮かばない。同じ学校では、ないのかもしれない。


「それが楽しくて、幸せで、嬉しい記憶だったみたい」

「じゃあ、家庭科部で楽しんでる記憶だったんだ」

「そう……それと……」


 言いづらそうに、口ごもる。ジユウの目を見つめれば、私を見つめ返して、唇を歪めて開いた。


「看取ってくれたのも、顧問だったみたいだ」

「ジユウのことを?」

「病気で入院してたみたいなんだけど、親もにいちゃんもずっと来なくて。顧問が何回も会いに来てくれてた。そしていつもの、熱いお茶を差し入れで持ってきてくれて、元気になれよって」


 言葉がどんどん震えて、小さくなっていく。自分が死んだ時の記憶を思い出すのは、どうかと思う。

 そんなところ、知らなくていいじゃん。

 信じてもいなかった神様に、文句を言いたくなった。すぅっと深く息を吸い込んでから、ジユウは、私の手を握りしめる。

 

「それが、俺のお茶の記憶」

「じゃあ、ジユウはもうあっちに行けるね」


 ジユウの手を触っていた私の手をゆっくりと引く。私たちはここで、もうお別れだ。でも、ジユウが迎えに来てくれるの信じて待ってる。

 私はもう大丈夫。ジユウと一緒に居た時間が、私をひとりぼっちにはしないから。


 そんな思いを込めて、ジユウに笑顔を作って見せた。ぼやけていた視界を、服の袖で拭い取ってから。


「行けないよ。ヒトカを置いていけない」


 首をぶんぶんと横に振って、ジユウが否定する。そんなこと言われたって、迎えに来てもらわないと困るんだから。言いたいのに、喉が張り付いたように動かない。


「ほら、エミちゃんとルイナちゃんも思い出してもしばらくここに居ただろ?」

「そうだけど」

「思い出したらすぐ行かなきゃいけないって、ルールもないんだから。俺は、ヒトカが思い出すまでここにいる」


 ダメだよ。

 そんなのダメ。

 だって、あっちにせっかく行けるようになったのに。

 私のために、ここに留まるなんて。


 嬉しくなってしまった気持ちを、押さえ込む。あっちがどんな世界かは、わからない。でも、私しか居ないここより、ずっと良いはず。それに、私がもし思い出せなくても、迎えに来てもらえるって希望になるのに。


「早く行って、迎えにきてよ」

「そんな俺がここに居るの、嫌かよ」

「違うよ、でも、迎えに来てくれるって希望だったのに……残るのは違うよ」

「一緒に、ヒトカの記憶の食べ物探せばいいだろ!」


 あんなに、萎んでいた声が、今では、レストラン中に響いてる。あるかもわからないものを、どれくらいの期間探し続けるの?


「意味わかんねぇ」

「私の時は、あんなに急かしたのに。私の方が意味わかんない。早く言ってよ、お願いだから」

「いじっぱり」


 ふんっと顔を横にそらして、ジユウは気まずそうに眉間に皺を寄せた。子供っぽい仕草に、ちょっとおかしくなってしまう。

 こんなところで、ケンカするとは思わなかったな。でも、私は、ジユウを送り出すよ。


 もしかしたら、あっちで知ってる人とまた会えるかもしれないし。顧問を、迎えに来れるかもしれないし。ジユウにとって大切な人は、私以外にも居るってわかったから。


 だから、私のことを気にしないように、送り出してあげたい。


「ジユウが何を言っても、私は、一人で残るからね」

「なんで」


 片手を持ち上げて、人差し指を立てる。そして、ジユウの前に突きつけた。

 

「だって、あるかもわからないものを探すのと」


 もう片方の人差し指も持ち上げて、ジユウの目に近づけていく。

 

「ジユウが迎えに来てくれるだったら、ジユウの方が可能性高いじゃん。自分のためだよ?」


 くすくすと笑えば、ジユウは目を丸く見開く。そして、言いづらそうに「それは、そうだけど」とかすかに頷いた。

 私は、ジユウが迎えに来てくれるって信じてる。だから、扉を指で指し示す。


「行こう」


 私の言葉に頷いたくせに、ジユウは頑なにソファから立ち上がらない。だから、私の方が先に立ち上がって、ジユウの腕を引っ張る。

 力の強さで勝てなさそうだけど、ここは想像が物を言うから。ジユウは軽くて、私の力でも立ち上がらせられる。


「ジユウに勝ち目はないよ」


 そう呟きながら、ジユウを掴む手に力を入れる。ぐいっと、引っ張れば、あっさりとジユウは立ち上がった。

 そのまま、ジユウの後ろに立って、ぐいぐいと扉の方まで押していく。スルスルの動く姿は、ちょっとしたゲームみたいで面白かった。扉の前に立っても、ジユウは手を下げたまま、私の押す力に抵抗する。


「俺はまだ、納得してない」


 ジユウを押すのをやめて、ジユウの手を勝手に持ち上げる。金属のドアノブに、むりやり手を掛けさせた。ぶつかったドアノブの感触に、手を引っ込める。


「はい、回して」

 

 ジユウは、ドアノブから手を離して、私の方にくるりと振り返る。そして、私を思い切り強く抱きしめた。


「いやだ。ヒトカと離れたくない」

「離れたくないって、また会えるって」

「会えなかったらどうすんの」

「迎えに来てくれるって約束はどうなるの」


 ぎゅううと強まる力に、腕を解こうともがく。それでも、ジユウの思いの方が強くて、びくりともしない。

 一人でも大丈夫と思わせればいいと、思ってた。頑なに拒むジユウに、どうしていいかわからない。


 ただ、背中に感じるジユウの腕の感触に、目を閉じる。


「俺は、ヒトカとまだここに居る。ヒトカが、記憶を取り戻すまで」

「ジユウが迎えに来てくれなきゃ、私一生ここにいるかも」


 不安を煽るように、言葉にすれば、ジユウは怒ったように私を抱きしめる腕を緩めた。少し空いた隙間から、ジユウの顔を眺める。しかめられた顔に、困惑したようにモゴモゴと動く唇。


「迎えに来てくれるって約束したのに。ウソだったの?」

「ウソじゃないけど」

「一緒に記憶の食べ物を探して、どれだけここにいるの? いい加減私もあっちに行きたいなぁ」

「それは……」

「だから、お願い。早く、行ってよ」


 私の涙が、瞳を通ってぼろぼろこぼれ落ちる前に。真上を見上げて、涙を目の奥に押し込む。レストランの真っ白な天井が目に入って、眩しい。


「わかった」


 押し問答をしても、私が折れないとわかったからか、ジユウはやっと頷く。そして、もう一度強く私を抱きしめてから、耳元で自分の名前を囁いた。


「覚えてて欲しいんだけど。俺は、ユウジ」

「ユウジ?」

「そう、ユウジ」

「ユウジ、か。ジユウって名前、割と近かったんだね」

 

 自由な振る舞いをするから、付けた名前だったのに。割と惜しかったらしい。


「でも、ヒトカもそうだろ。ハナって付くんだから」

「一花で、ヒトカだもんね。ハナは合ってた」

「お互い、名前のかけらがあったのかもな」


 ユウジが呟いてから、ハッとして顔を上げる。何に気づいたのかわからなくて、首を傾げれば、ユウジは急に嬉しそうな顔をした。


「俺、絶対ヒトカを迎えに来るよ。だって、俺ら、お互いのこと知ってるかもしれないだろ」

「エミとルイナの見たことあるって話?」

「それもだし、お互いの名前のカケラを覚えていたんだとしたら。俺たち関わりあったのかもしれないだろ!」


 ユウジの言葉に、つい訝しむ表情をしてしまった。だって、ユウジはもう記憶を思い出してる。なのに、私のことを思い出してないんだから、その可能性は低いんじゃないかな。でも、それを口にすれば、ユウジは、また「ここに残る!」と言い出しそうだから飲み込む。


「そうかもしれないね」

「俺、もう行く。すぐ戻ってくる。ヒトカを迎えに、だから、俺のこと覚えてて」

「忘れるわけないじゃん」

 

 私の存在を確かめるように、もう一度、抱きしめる。包み込まれるような感触に、身を委ねた。ユウジが本当に迎えに来てくれる幸せを、想像しながら。


 パッと離れた感覚に、名残惜しくなりながらも、微笑む。ユウジも、私を見つめて、微笑んだ。そして、もう一度、私の名前を呼ぶ。


「ヒトカ」

「うん」

「絶対迎えにくる」

「待ってるから、お願いねユウジ」

「おう」


 ユウジがドアノブに手を掛ければ、するんっと扉はあっさり開いた。そして、ちりんちりんと寂しい音を響かせて、真っ白な光をレストランの中に差し込ませる。何回も振り返るユウジの姿が、吸い込まれていくのを見つめてから、私は声をあげて涙を流した。

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