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とある夫婦の記憶


 いつからここにいたかも、もうわからない。

 わかることといえば自分が高校生くらいの姿で、誰も迎えにきてくれない人間だと言うこと。


 ちくんっと痛む頭を押さえれば、レストランの扉についたベルが来客を知らせた。

──からんからん

 微かに耳に響く音に、顔を上げる緑色のワンピースを着た女性。その女性は気づけば、テーブルに座っていた。


 何回目かわからない、幸せそうな人々の再会に唇を噛み締める。

 自分のことを何一つ思い出せないのに、痛みと悲しみだけは胸を埋め尽くすから。手に負えない。


 ため息をこぼして、扉の方を向き直す。女性よりは、少し年老いたように見える男性が花束を抱えて立っていた。紺色に仕立て上げられたスーツは、サマになっている。


「迎えに来たよ」

「私の方が先なんて、珍しいわね」


 絶妙に噛み合わない会話。それでも、そんなやりとりが羨ましくて、また、頭の中心が痛んだ気がした。


「いらっしゃいませ」


 憧れていたレストランのウェイターの制服に身を包んで、ぺこりとお辞儀する。憧れていたレストランの記憶は、うっすらと残っているのに、料理も、どんな人が働いていたかも、覚えてない。


「初めてこっちに来て、道に迷ったと思ったのに。彦春くんの方が後だなんて」


 女性は困ったように呟いて、残念そうに眉毛を下げた。恋人同士か、夫婦か。初デートとは言ってるけど、相手の方を見ればそうじゃないことはわかる。


 幾度となく見送ってきた人たちのおかげで、わかったことがいくつかある。

 ここは、死んだ後の場所ってこと。見た目は、その人が認識してる時点で止まっているということ。そして、その人にとって馴染み深い料理が出てきて、それを食べれば記憶が少しずつ思い出されるってこと。

 大抵の人は、恋人や家族、友人などが迎えにくる。


 迎えに来る人は扉から入ってくるから、一目でわかる。迎えられる人は気付けばレストラン内に現れていた。

 

 私には、迎えにくる人も、記憶が思い出されるような料理も用意されていないみたいだけど。


 男性は驚いた顔で、こちらをじっと見つめる。きっと迎えに来てもらった時は、私はまだここに居なかったのだろう。


「ウェイターさん、前から居たかな」

「新人です。お料理を、お運びいたします」


 体の前で左手をくるりと自分に向けてから、お辞儀をする。生前の自分が、どんな人間だったかはわからない。それでも、ここで働くのは、私の空っぽな心を少しだけ満たしてくれていた。


 厨房に向かえば、今回も勝手に料理が出てきている。記憶を覗き見してるようで、微かな罪悪感が湧いてきた。でも、私にはない、おいしい幸せな記憶が羨ましくて、いつもどんな料理か確認してしまう。


 今回の二人の料理は、和食だ。ぷるぷるの茶碗蒸しに、焼いた鮭。やけに多い豚汁と、艶々と輝く白米。それに、きゅうりと大根の漬物。デザートには、ピンク色のシャーベットアイス。

 

 渋いメニューだ、と思った。メニューを認識した瞬間、洋風だった店内がガラリと様子を変える。木の匂いがしそうな木の壁、掘り炬燵式の座席。そして、私の制服も、和風シャツへと姿を変える。


 お盆を両手に乗せて、二人に近づく。話振りから察するに二人はどうやら、遠距離恋愛か、結婚だったらしい。ちょうど新しい場所で、二人の新生活を始める頃の記憶みたいだ。

 

「彦春くんは、もう来て数ヶ月経ったんでしょう?」

「慣れたよ。フミも、すぐに慣れるよ」


 相手の方を見つめて、女性は何か言いたげに息を飲み込む。それでも、視線の熱に、溶かされてしまいそうだった。


「彦春くんは仕事だから良いけど……」

「フミにも友達だってできるし、俺だっているから」

 

 宥めるような口調で、男性の女性を見る視線は、柔らかい。そして、「愛しい」と力強く、語っていた。

 机の上の女性の手をとって、ゆっくり握りしめる。まるで、最初からそうと決まっていたことのように。女性の方は、また耳まで赤く染め上げて、微笑んでいた。


「いいなぁ」


 勝手に口から飛び出していく言葉を、取り消しはできない。それでも、二人はお互いしか目に入らないようで、私の言葉には気づかなかった。二人の前に料理を出して、そそくさと遠ざかる。


 お腹は空かないけど、厨房に「私の分も」と伝えれば、同じものが出てきた。お願いをすれば作ってくれるけど、私はいまだに誰が作ってるのか見たこともない。それでも、この寂しい空間でたった二人だけ。妙に親近感が、湧いていた。


 受け取った料理を持って二人を見える位置のソファ席に、こっそりと座り込む。私の存在はもう気にならないようで、あっという間に二人の空気だ。二人の中では、きっとここはもう思い出の場所になってるんだろう。


 二人は茶碗蒸しを手に取って、スプーンで一口掬う。

私も二人に倣って、口に運んでみる。口の中で茶碗蒸しはぷるんっと揺れて、噛み締めればしいたけからじゅわりと出汁が溢れ出した。女性の方は、一つ目の記憶が浮かび上がったのか、不思議そうな表情をする。


「ねぇ、ここ何回か来たことない?」

「初めてのお店で道に迷った、ってさっき言ってたじゃん」

「そうなんだけど」


 確かにと女性が頷きながらも、首を傾げる。そして、もう一口、茶碗蒸しを口に運んだ。男性の方も、同じペースで食べ進めていく。


「お出汁が効いてて、美味しいね」

「フミが、好きな味だろ」

「彦春くんは、一人で来たことあったの?」

「もう何回も」


 記憶を振り返るように、遠い目をして微笑みかける。まるで、理想の夫婦みたいだ。


「ずるいっ!」


 女性がビシッと男性を指差して、頬を膨らませた。そんなやりとりも可愛らしくて、ついくすくすと笑ってしまう。私の声はやっぱり耳に届いていないようで、透明人間になったみたいだ。


「まぁとりあえず、冷めちゃうから。ほら、こっちも食べよう」


 男性が勧めるように、女性も焼き鮭に手をつける。私も箸でほぐせば、簡単にほろりと身が取れた。塩味が濃いめで、ご飯に合う脂の乗った鮭だった。


 一口焼き鮭を食べた女性が、顔を上げる。また、記憶の蓋が緩んで浮かび上がったのだろうか。


「やっぱり、何回か来てるわよ。私は焼き鮭で、あなたはいつも、焼きサバだったじゃない」

「また、それ?」

「だって、サバなんて……食べてた?」


 戸惑う女性の言葉に、いつも見てる光景だと思う。少しずつ浮かび上がる記憶は、デジャブのように、体験していないのに、覚えている。みんな最初は、不安そうに相手に尋ねるんだ。

 大体は、こんなことあったけ? と記憶を尋ねる方が多いんだけど。この人は、ここに来たことあるということばかりが、浮かんでるらしい。


 よっぽど、そのお店の常連だったのかもしれない。本当のレストランの姿はどこにもなくて、その人の記憶に寄り添うように形を変えるんだけど。だから、ここは、二人の記憶のお店であって、本物とは違うお店だ。


「結婚して三ヶ月。一緒に暮らすのだって、今日からなのに。私何言ってるんだろう」

「疲れてるんだよ、きっと。大丈夫大丈夫。食べよう」

「でも、ケンカなんて私たちしてないわよね?」

「することもあるよ、違う人間なんだから」


 たくさんケンカもしてきたのか。仲良し夫婦に、見えるのに。お互いを思い合いながら、側から見てる私ですらわかるくらいの熱量で見つめあってる。

 

 鮭の塩味に、二人を待ちきれず白米を頬張った。じんわりと口の中で広がっていく甘みに、少しだけ寂しさが和らぐ。おいしいご飯を食べてきたんだなぁ、この人たちは。そんな感想が、また頭の中をぎゅうっと締め付けた。


 二人もようやく白米を頬張ったようで、女性が涙ぐむ。そして、箸を置いて、ぴたりと固まった。


「どうしたの?」

「もうこれ以上、食べたくない」


 首を横に振って、不安げな佇まいだ。私は二人を見ながら、鮭や茶碗蒸しを口にする。やっぱり、おいしい。記憶は、何一つ浮かばないけれど。


「私、あなたと結婚したばかりよね?」

「どうしちゃったの、本当に。食べようよ、落ち着くかもよ」

「でも」

「ほら、あーん」


 鮭を箸で摘んで、女性の口に運ぶ。大人しく食べた女性は、安堵の表情を浮かべて箸を手に持った。


「やっぱり、気のせい、みたい」

「だろ?」


 ごはん、鮭、茶碗蒸しと、手を進めていく。まだ食べていないのは、豚汁と漬物。あとは、デザートのシャーベットアイスだ。


 私は二人の様子を伺いながらも、豚汁を一口啜ってみた。豚の脂が溶け出て、じんわりと甘い。そういえば、味はわかるんだな。変な空間なのに……


 何度も他の人の記憶のメニューを食べてきたのに、今更な疑問。答えを問いかける相手はいないから、そういこともあるのかと自己完結する。


 女性の方が、豚汁に手を伸ばす。一口、飲み込んで、また目を潤ませた。今度は、どんな記憶だったんだろうか。


 言葉を聞こうと耳をすませば、ぽつりと小さくこぼす。


「私たち、仲良しの夫婦よね」

「そうだよ、ケンカもしたし、色々あっても、永遠を誓った」

「そうね……」


 含みのある言葉をつぶやいてから、漬物を見つめている。女性は、薄々自分の置かれた状況を理解し始めたのかもしれない。男性は、気にしてないふりをして、ちらちらと女性の手元を見つめていた。


 きゅうりを一口。ほどよい塩加減で、パリッと音がするくらいの浅漬けだ。ごはんが食べたくなる味。


 私の音に感化されたのか、そんなことはないか。

 私のことなど、二人とも眼中にないのだから。女性も、意を結したように漬物に箸を伸ばした。一口齧って、ついに嗚咽を漏らし始める。


「あの子たちが大好きだったわね」

「俺も、フミも、いつもあげてたな」

「私たち最初は、焼き魚じゃなかったわね」

「俺もフミも、からあげを頼んだよな」


 二人で遠い愛しい記憶を思い浮かべてるのか、微笑み合いながら涙をこぼし続けた。体が熱くなって、震えてくる。この瞬間が、羨ましくて、憧れて、私が心の底から望んでる一瞬だった。


「約束守って、迎えにきてくれたのね」

「永遠を誓い合ったからな」

「そう……」


 若々しく見えていた女性が、どんどん男性に釣り合う年齢に変わっていく。旦那さんの目には、最初からあの姿で見えていたのだろうか。二人は手を取り合って、見つめあっていた。そして、手を離したかと思えば、味わうようにじっくりとごはんを噛み締める。


 満腹、という感覚がないはずなのに。私はなぜか、お腹がいっぱいになってしまって、もう食べれそうになかった。


「ごちそうさまでした」


 食べ終わった二人が、両手を合わせる。テーブルの上には、手をつけられていないシャーベットだけが残ったお盆が乗っていた。

 

 立ち上がったかと思えば、手を取り合って扉へと向かっていく。そして、ふと思い出したように私の方を振り返った。


「おいしいごはんをありがとう」

「こちらこそ、ありがとうございました」


 私は、何もしていない。ウェイターだって、一人で居るのが暇すぎて始めただけ。私がしていない時は、勝手に配膳されていた。


 私は、何もできない。ただ、みんなの愛のカケラを見つめて、憧れてるだけだ。首を横にふれば、二人は満足したように扉の方へ向いた。


「行きましょうか、彦春さん」

「あぁ。じゃあお嬢さん、ありがとう」


 二人が揃って、扉を開ける。まばゆい光がまるで祝福のように降り注いで、二人がその中に消えていく。

 呆然としながら、その光景を眺めていた。そして、前にも試したのに、懲りもせず私はまた扉に手を掛ける。


 ガチャガチャという音だけが、レストランに響く。私は、やっぱりまだここを出られない。

 

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