第六話:無音のディスバトル勃発! 口パクハイプが「心のビート」をブーストする!
王都北門。そこは異様な静寂に支配されていた。
街路を覆うように存在しているのは、半透明で巨大なゼリー状の魔物、沈黙の粘体である。この粘体の周囲数メートルの空間は、完全に音と振動が吸収されており、兵士たちの足音も、風のざわめきすらも、空間に吸い込まれて消えていた。
「これが沈黙の粘体か……確かに、何も聞こえないな」
アレンは、地面に立ちながら、耳元を触った。本当に、何も聞こえない。彼が地面を踏みしめた際の「振動」も、粘体に触れた瞬間、エネルギーを抜かれたように消滅する。
「先生、私の声も……」ルナが口を開いたが、彼女の言葉も、音になることなくただ唇の動きとして消費されるだけだった。
「気にするな、ルナ。心の準備はいいか?今回は、全て『口パク』だ。俺のフローを信じろ」
アレンは、覚悟を決めて粘体に向き合った。そして、口を大きく開けた。
アレンは、粘体に対する強烈なディスラップを頭の中で組み立て、そのリリックを唇と舌の動きで表現し始めた。
(Yo, Yo, Check it out!この粘体、マジで無愛想!存在自体が、アンチ・ミュージック!)
アレンの口は激しく動き、リズムに合わせて上半身を揺らす。それは、音のない世界で行われる、一人の魔導師の熱狂的なパフォーマンスだった。
(静寂がテーマか? それじゃつまんねぇ!俺様のビートで、お前を踊らせる!)
しかし、魔力は一切発動しない。彼の体から魔力が迸る気配は、全くなかった。
「……ッ、ダメだ!」アレンは無音で叫んだ。
彼が頭の中で刻む「心のビート」だけでは、魔力をエネルギーとして外界に放出できないのだ。魔法のトリガーは、やはり、空気の振動を伴う「声」が必要らしい。
沈黙の粘体は、アレンの動きをただ観察し、まるで「時間の無駄だ」と言いたげに、ゆっくりとアレンの方へ体を広げ始めた。
ルナは焦った。このままでは、アレン先生の「ラップ」という概念そのものが、この魔物によって無力化されてしまう。
ルナは、アレンの目を見た。その瞳は、まだ諦めていない。心の中では、世界で一番速いビートを刻んでいるに違いない。
(先生が、私をハイプマンに指名した理由……それは、私が先生の「心のビート」をブーストさせるため!)
ルナは意を決し、アレンの隣に並び立った。そして、アレンの口パクに合わせて、彼女も口を大きく開けた。
(Yo! Yo! Yo! アレン先生、ビートは止めるな!)
ルナは、無音で、全身全霊の「ハイプ」をアレンに送った。声は出ていないが、彼女の顔の表情、首の角度、突き出した拳、その全てが「超熱い合いの手」を表現していた。
その瞬間、アレンの体内に、小さな変化が起きた。
ルナの「口パクハイプ」が、視覚的な情報としてアレンの脳に届き、それがアレンの「心のビート」を増幅させたのだ!
「視覚化されたルナのノリ」が、アレンの魔力を振動させる、新たなトリガーとなった!
アレンの体が、再び熱を帯び始めた。彼は驚愕し、そして歓喜した。この状況で、ルナのハイプが通用するとは!
(サンキュー、ルナ! お前のノリ、マジで宇宙規模!)
アレンは心の中でルナに感謝しつつ、口パクのフローを最高潮まで高めた。狙うは、粘体のコア!
(無音の空間でも俺は止まらない!心のフローで、限界突破だ!俺のライトニング、マジでキラーチューン!)
詠唱呪文は「ライトニング・ストライク」!
ルナは口パクで「Strike! Strike! Yeah!」と叫び続ける。
そして、無音の世界で、最強の魔法が発動した。
バチィィィィン!!
――と、いう音は、誰も聞いていない。
しかし、沈黙の粘体の体表に、稲妻が走ったような「光の線」が、無数の亀裂のように走り抜けた。音のない、ただ光の激しさだけを伴う、視覚的な攻撃。光の線は超高速で粘体の内部コアを貫き、魔物の体を瞬時に蒸発させた。
沈黙の粘体は、静かに、そして完全に消滅した。
アレンとルナは、無音の空間の中、互いに拳を合わせた。二人の表情は、達成感で満ち溢れている。
周囲の兵士たちは、遠巻きにその光景を見ていた。彼らに見えたのは、以下の光景だけである。
1.最強の魔導師アレンが、突然、真剣な顔で激しく口をパクパクさせ、首を振り、上半身を揺らす。
2.弟子のルナが、アレンに負けじと、無言で「Yo! Yo!」という口の形を連発しながら、アレンを煽り立てる。
3.そして、彼らが必死に口パクを続けた後、粘体が無音で蒸発した。
兵士A:「……今の、アレン様は何の儀式を?」
兵士B:「さ、さあ……おそらく、あれが彼の最新の『無音の極意』かと……」
兵士C:「それにしても、あのお嬢さんの『口パクYo!』の迫力は凄まじかったな……」
アレンは、沈黙が解除された空間で、静かにルナに言った。
「ルナ。お前は、この世界で唯一、俺の『無音のラップ』を成立させられるハイプマンだ。心から感謝する」
「……先生」
ルナは感動に震えたが、すぐに真顔に戻った。
「あの、先生。私、さっきの口パクハイプのせいで、顔の筋肉が全て、韻を踏んだ動きになってしまった気がします」
アレンはルナの顔を覗き込むと、その頬の筋肉が、無意識に「タタタタン、タタタタン」と、妙なリズムでピクピクしているのを見て、深く頷いた。
「いいか、ルナ。それは、お前が新たな進化を遂げた証だ。その『韻を踏む頬の筋肉』は、必ず、今後のハイプに役立つ」
こうして、最強の魔導師と、顔の筋肉が韻を踏み始めたハイプマンの伝説は、王都の新たな噂と共に、さらに続いていくのだった。




