オーディンの面影 八章
オーディンの面影 八章
――ヴァルハラ、第3区画、農場プラント
樹里博士から解放されたユーディンは、軽く食事を済ませてから、この農場プラントに足を運んでいた。
荒廃した世界のなかで、人工的に維持されている数少ない自然環境、農作物や家畜が息づく、命の営みが残された場所だった。
「やっぱり……ここが一番落ち着く」
区画の中央に、大きな水路が流れていて、それが枝分かれするように、周囲に建てられたドーム状の農場プラントへと続いている。
その中で、ここに住む人々の食料……野菜や果物などを育てている。
そして、この水路に沿って進んで行くと、広い牧草地帯へと繋がっていて、牛や豚などの家畜達を育てているエリアに辿り着く。
荒廃した世界の中で、生命が静かに息づくこの場所が、彼は好きだった。
そして、いつものように景色を眺めながら歩いていると、思いがけない人物を見かけた。
「リシェルさん」
彼女は水路の淵に腰を下ろし、人の手で管理された植物を眺めていた。
ユーディンの声に振り向き、感情の読み取れない表情を浮かべながら口を開く。
「……お前は、ユーディン、だったかしら?」
「はい、あの何か、見てたんですか?」
「ええ、ここで管理されている植物をね……千年経っても変わらないものね」
そう言いながら、目の前の小さな葉を優しく撫でる。
「変わらないって……神々の黄昏で、ほとんどの生き物が絶滅したんですよ?変わらないなんてことは」
「違うわ、そういう意味じゃないの……世界が滅んだと言うのに、ここの植物たちは、滅ぶ前と変わらぬ姿のままなんだなって……そう思ったのよ」
郷愁の漂う表情で、静かにそう口にした彼女に、ユーディンは少し戸惑った。
さっきまでの凛とした雰囲気はどこへいったのか……ここまで感傷的になっているリシェルの姿を見て、ユーディンの彼女に対するイメージが変わっていく。
昔話で聞いていた神族や戦乙女はもっと神々しくて、気高い印象だったけど……
「変わらないんだ」
「ええ、変わってないのよ」
「あ、いや」
彼女も人と、自分と変わらないんだと、思ったことが口に出てしまった。
「そ、そうだ!リシェルさん、千年前の世界はどんな感じだったんです?」
「千年前?私にしたらほんの少し前の感覚だけど……そうね、この要塞の周りも、見渡す限り草原や森が広がる大地だったわ」
「この荒野が?」
「ええ、もっと自然に満ち溢れた世界だったわ……もっとも、当時は戦いばかりの日々で、こんな風に自然に触れることもなかったけどね」
オーディンが戦うために創造した存在……眷属、か
「リシェルさんは、何のために戦ったの?」
「何のため……か、考えたことも無かったわね。知ってると思うけど、私はオーディン様によって創造された存在。意思を持った時から、オーディン様の命に従う以外に何も無かったのよ」
「そう、なんだ」
「そう言うあなたはどうなの?オーディン様の神格と血を継ぐ、あなたの戦う理由は?」
僕の戦う理由……
「僕は、皆の想いに応えたいんです。オーディンの血筋や、神装機の力に期待する人達の想いにも、これまでオーディーンの後継者として、役目を果たせなかった先代たちの想いにも……いや」
……ちがう、これは建前だ。
「本当は嫌だった。オーディンの血なんて、後継者なんて、押し付けられた役割も、期待も全部」
誰にも言ったことのない、本音。
ヴァルハラの中で、ただ一人、抱き続けた想い。
「だけど、ここには家族がいる。オーディンの血筋として、皆から役目を押し付けられて、理不尽に罵倒されてきた神峰家の皆が……その家族が笑って暮らせる世界にしたい!そのために戦うんだ!」
今まで口にせず、心の中で燻っていた思いが形となって燃え上がるのを感じる。
リシェルは、そのユーディンの心の芯に触れ、オーディンの言葉を思い出した。
――「私達のような神格を持たずに生まれた人族が、ヨトゥンから理不尽に命を奪われるのを止めたい。全ての生命が平穏に暮らせる世界にしたい!そのために……」
――「力を貸して欲しい」
ヴァルキリーとして、意思を持った時の記憶……ユーディンとオーディンの言葉が重なり、かつての主神の面影を確かに感じた。
「そうか、ユーディン……あなたにオーディン様の神格が宿っている理由が、わかった気がするわ」
「え?」
「私も一緒に戦ってあげる。私の戦う理由を思い出したから」
(そう、オーディン様が守りたかったものを、私が守るのよ)
「本当に!?良かった、リシェルさんが一緒に戦ってくれるなら心強いや!」
「私に頼ってないで、神装機の力を引き出せるようになりなさい」
「は、はい、頑張ります……」
「言葉だけならなんとでも……」
――ユーディンとリシェルがお互いの戦う理由を話していた頃、格納庫では2機の神装機が真剣な面持ちで並んでいた……いや、表情は見てもわからないのだが。
「ヒルダよ、聞いておったか?」
「当然よ、私の身体が残っていたら、泣きながら妹の成長を喜んでいたでしょうね」
「ほほ、おぬしも相変わらずよのぉ」
「うるさいわね、大事な妹が自分のやるべきことを、あの子の意思で決めたのよ?喜ばないわけがないじゃない」
「使命だ何だと拘っておったリシェルがのぅ……いや、しかし、ユーディンも若僧じゃと思っておったが、こやつもなかなか……」
「そうね、まだまだ頼りないけど、オーディン様の面影を感じたわ」
「うむ、これなら『神装展開』が出来るようになるのも時間の問題じゃろうな」
「神装……大丈夫なの?いくら神格を受け継いでいると言っても、人族の血が混ざっているのよ?」
「うむ、神格が目覚めたのなら可能じゃろう。人族と交わったことで、どのような影響が出るかはわからぬが、ヘルや奪われた神装機のことを考えると、必要になるやもしれぬ」
「それは、そうかもしれないけど」
「使わずに済めば、それでよいが」
――ヴァルハラ、第1区画、司令室
「樹里博士、奪われたヘイムダルがどうなったかわかるか?」
ヴィーダルが表情を変える事なく尋ねる。
「ジュリアンだって言ってるでしょ、まったく……ヘイムダルに関してはどうなったかは不明。あのヘルとかいうヨトゥンが、黒い霧で覆ってからその反応は途絶えたままよ」
「そうか、今まで組織立って襲って来なかったヨトゥンが、これからどんな動きをするかわからん……こちらの戦力を増強を考えるべきか」
「確かにね、だけど、どうやって戦力を増強するの?」
「南の要塞都市、ニブルヘイムで新たに神装機が覚醒したという報告がある。まずはそこに援軍要請をかける」
ジュリアンがホログラムを操作して、大陸の地図を映し出す。ヴァルハラのある位置から南方の方を拡大し、氷河の淵に築かれた要塞を指差しながら、ヴィーダルの方に顔を向ける。
「南の寒冷地ならヨトゥンの襲撃はほとんどないだろうからね、要請には応えてくれるだろうけど……神装機が一機だけ増えたとして、そこまでの戦力増強になる?」
「移動商船隊にも協力を頼む」
「あいつらに?自分の利益しか考えてないような連中が、手を貸してくれるとは思えないけど」
移動商船隊、通称『グレイブウォーカー』と呼ばれ、その正体は……神々の黄昏で滅んだ世界の遺跡を荒らしている、ならず者の集団とも言われている。
「それは一部の者が流している噂に過ぎんだろ?彼らはヨトゥンに対抗するほどの兵器を独自に使っていると聞く」
「時代遅れの遺産を再利用してるだけでしょ?」
怪訝そうな顔で口を尖らせるジュリアン。
「ヨトゥンに対抗するための戦力だ、時代遅れだの何だのは関係ない。G.O.Dシリーズだって似たようなものだろ?」
「違うわよ!あれは、神々の遺産を模して創り出した傑作よ?時代を追うごとに新たな機構や強化を施して今にいたるの!リサイクル品なんかと一緒にしないで」
「ああ、悪かった。とにかく、今後のヨトゥンの動きを警戒しながら、要塞の戦力を増強していく。これでいいか?」
「ふん、本当に悪いと思ってんの?まぁ、これからの方針については了解したわ。管制塔の方にも連絡しといてあげる」
「助かる」
はいはい、と言いながら背を向けて部屋を出て行くジュリアン。その扉が閉まるまで、ヴィーダルは見送り、一人呟く。
「ジュリ、アンか……俺には無理だ。ふぅ、それよりもヨトゥンの動きだ、いったいこれからどうなる?」