第3話「出会い」
※ヒート描写あり(R15です)
◇ ◇ ◇ ◇
「……ん」
朝か。――眩しい光が部屋の中に差し込む。額に手を当て、目を開けた。
やっと今回のヒートが終わった。
体調でそう判断して、ほっと息をつき、ゆっくり体を起こした。かなり頻繁なヒートは正直辛い。ヒートの熱を抑えるには、アルファに触れてもらうのが一番効果的だが、それをするのは躊躇う。
自分のような鍛えられたオメガに触れたい酔狂な奴は居ないだろうし、例え居たとしても、騎士団長だと知られる訳にはいかない。そう思うと、一人で耐える以外に無かった。
ヒート中の自分が頭を掠め、ハルは乱れたシーツに視線を落とすが、少し後、息をつきながら顔を上げた。
「起きるか」
気合を入れるために、そうつぶやいた。
シーツを洗って、きちんと食事をして、それから、久しぶりに剣の稽古もして、体を動かそう。
立ち上がって扉を開け、「ヴァロ、ウニ」と名を呼ぶと、二匹が駆けてきた。よしよしと撫でてやる。
「ヴァロ、ウニ。ごめんな、寂しかったよな。後で散歩に行こうな」
ヒートの間は満足に散歩も行けず、少し家の外に出して走らせ、用を足したら家の中に呼び戻していた。料理もしていられず、エサも犬用の簡単なドライフードだけになってしまっていた。
「もう大丈夫だから」
そう言うと、二匹は嬉しそうに、アン!と鳴いた。
シーツを洗い、外に干すと、馬と牛の小屋と鶏小屋も確認。ヒートでも最低限の世話はしていたけれど、少し丁寧に小屋の掃除を済ませた。
小麦などの食料は、十分な量を地下の格納庫に保管しているので、しばらくどこにも行かなくても、普通に暮らすことは出来る。ヒート明けの、久しぶりの体調の良い、晴天。動物たちと畑の世話をして、犬たちとゆっくり散歩をして、その日を穏やかに楽しく過ごした。
本当に、ヒートさえ無ければ楽なのに、と思ってしまうが、それはもう仕方がない。
久々にきちんと作った夕食を食べて、食器を片付け終えた時だった。
不意に扉が外から叩かれた。すみません、と男の声。森の奥のこの家に、こんな風な来客は初だった。
「森で迷ってしまって――水を貰えませんか?」
「――分かった。少し待ってくれ」
ハルはそう答えて水を用意すると、剣を背中側に差し、いつでも対処できるようにしてから扉を開ける。
男は背が高く、見上げる位置に顔があった。普通の民と同じ軽微な服装で、態度は下手に出ているが、よく鍛えられた体が見て取れるし妙な迫力を感じる。更に警戒しながらコップを渡すと、男は水を飲み干した。
「ありがとう。助かりました――町までの道を聞きたいんですが」
男は外を振り返りながらそう言って、またハルに視線を戻してくる。艶のある黒髪と濃い青の瞳が印象的な、整った顔をしていた。不用意にこちらに背を向けたことと、敵意の感じられない穏やかな声に、本当にただ迷っただけかと、少し力が抜ける。
「ああ、それなら、この先の道を……」
コップを受け取りながらそう言って、男と視線を絡めた瞬間。
「え」
不意に、どくん、と血が沸き立った。受け取った空のコップが手から滑り落ちて、床に転がった。
「……え……?」
――ヒート?
昨日でヒートは収まったはずなのに――まずい。いつもは念のために持っている抑制剤も、収まったばかりの今はさすがに持っていない。
ぶわっとフェロモンが放出されたのが自分でも分かる。男は驚いた顔をしていた。ヒートだと悟ったのなら、この男はアルファということになる。
まずい。
ヒートに巻き込む訳にはいかない。ハルは、扉に手をかけた。
「まっすぐ突き当りを右に行けば、町につく……っすまない、行ってくれ」
早口でそう言って扉を閉めようとした腕を男に掴まれた。掴まれた瞬間、小さく震えた。
「あ……っ?」
急に体温が上昇し、眩暈を起こしたハルの体を、男が支える。男は一歩進み、家の中に入ってきた。咄嗟に見上げて、視線が絡む。涙が目に滲んで、視界がぼやける。
「大丈夫か?」
息があがる。苦しくて、眉を寄せた。どうしてか――支えてくれるこの腕に、縋りたくなる。
滲む視界で、男が少し息を飲んで――それから、ふ、と微笑んだ。
「……あんた、すげえ可愛いな」
そう言って、ハルをじっと見つめてくる。その視線に、なぜかまた熱くなる。
「――キス、してもいいか?」
駄目に決まってる。初対面の、得体のしれない男。
なのに、なぜか拒否できずにいると、唇が重ねられた。
優しい触れ方。思えば、これが初めてのキスだった。
「……抵抗しないのか?」
少し離れて確かめるように囁かれた言葉に返せずにいると、またキスされる。
頬に触れる男と、見つめ合う。なぜか、抵抗する気がおきなかった。
ハルが背中に差した剣に気づいた男は、する、とそれを抜いた。
「――これは、置いてもいいか?」
そう問われて、ハルは言い返すこともできず、小さく頷いた。男は壁に剣を立てかけて、再びハルを引き寄せた。
「……名前は? 何て呼んで欲しい?」
「……ハル」
「ハル、だな……オレは、クロウだ。呼んでみろ」
「……クロウ」
「――いい子だな」
いい子、なんて言われるのは子供の時以来だ。かあっと赤くなって俯くと、顎を取られてキスされた。
◇ ◇ ◇ ◇
――翌日。
差し込む眩しい光を感じて目覚めると、隣にクロウが居た。
「あ……」
がばっと起き上がろうとしたけれど阻まれて、クロウと至近距離で目が合ってしまった。
「やっと目が覚めたな」
「……おは、よう」
顔が熱いことに戸惑いながらハルが返すと、大きな手が、頭を撫でた。
「まだ早い。犬たちも、もう少し待てるだろ?」
「……ああ」
「もう少し寝て――そうしたら、朝食を作ってやるよ。昨日閉め出した犬も、散歩に連れて行ってやる」
額にキスされて、そんな風に囁かれる。
こんな風に自分がされるなんて、考えもしなかった。なんと言ったらいいのか迷いながら、ん、と頷いた。
「髪、柔らかくて……綺麗だな」
髪を優しく撫でられているうちに、ウトウトして眠ってしまった。
そんな風に自分がされていることが。その行為を自然と受け止めている事実が、ものすごく不思議だった。
◇ ◇ ◇ ◇