第2話「穏やかな日々」
「ハルさん、こんにちは」
呼びかけられ、ハルは顔見知りの商人のミロに微笑む。この暮らしで関わる人達には、「ハル」と名乗ることにしている。生前の父母の呼び名だ。
ここは、ハルの住まいからしばらく歩けば辿り着く、酪農と農業で成り立っている穏やかな町だ。ハルは、馬に乗せてきた荷物を降ろすと、中から美しい花と野菜を出してミロの前に並べた。
「ハルさんの花と野菜、すごく評判がいいんですよ」
品物を見ていたミロがハルを見上げて笑う。ハルは、それはよかった、と微笑み返した。花と野菜を買い取ってもらい、代わりに暮らしに必要なものを手に入れたところで、ミロが周りを見回した。
「ヴァロとウニは今日は来てないんですか?」
「ああ、子供たちが遊んでくれてる」
「二匹、可愛いですもんね」
クスクス笑うミロに、ハルも微笑んで、そうだなと返した。
湖のほとりの家は、もともとはボートを貸していた者が住処にしていた場所だった。戦が始まるまでは、湖にも人が来て、ボート遊びを楽しんでいたらしい。戦争がはじまり、国境付近の湖は当然遊ぶ場所ではなくなった。ボートの貸出もなくなり、住んでいた人間もどこかに行ってしまったらしい。
一番近いこの町で聞いても、もはや誰のものでもないということだったので、手直しを頼み、ついでに馬と牛の小屋、鶏小屋と、畑を整備してもらった。
住み始めて飼ったのは、犬二匹、馬を二頭、牛を一頭、鶏を二羽。その中で、馬は移動手段、牛と鶏は乳と卵と必要に応じたのだが、犬だけは生活手段としてではなかった。
もふもふとした柔らかい毛並み、短めの脚、ぴょこんと立った耳、つぶらな瞳。可愛らしすぎる犬が、自分に似合わないのは百も承知だが、どうしても飼いたかった。
「呼んできましょうか、子供たち」
「ああ、いいよ。探しにいくから」
顔を上げて、辺りを見回すとちょうど、町の子供達と犬達が戻ってきた。楽しそうに駆けてくる姿に、顔が綻ぶ。
「ハルさん、もう買い物は終わり?」
子供たちが楽しそうに声をかけてくる。
「今度はいつ来る?」
「また近いうちに来るよ」
ハルが答えると、子供達は嬉しそうに笑う。ミロがハルに視線を向けた。
「ハルさんが来てくれると、町の皆が喜ぶんですよ」
社交辞令なのか、そんな風に言って笑うミロに、なんと言っていいか分からず、ただ少し笑って見せた。
――まだ慣れない。
ほんの少し前までは、鎧を着て戦っていて、怖れられていた。強い騎士は味方の大人たちにとっては頼もしい存在だったかもしれないが、敵や幼い子供たちにとっては、それはもう恐怖の対象だったはず。けれど、鎧を脱いで普通の民の服装で、この可愛い犬たちを連れていると、周りの反応が全然違う。
ただ、当初は騎士と言うことも秘密にしていたが、得体のしれない強そうな奴、と訝しげにも見られることもあったため、それとなく、戦が終わり休暇中の騎士だということだけは伝えた。国を救った「騎士様」というのもあり、それからは皆、むしろ丁寧に接してくれるようになった。
騎士になる七年前までは、伯爵家の息子として、普通にただ楽しく暮らしていたけれど、今となっては遠い記憶だ。
「ありがとう。また来る」
そう言って微笑むと、ミロや子供たちがじっと見つめてくる。
金の髪に、アクアブルーの瞳。珍しいのか、よく見つめられることがある。昔はそれには慣れていた。騎士の間は、周りは皆部下ばかりで、こんな風に見つめられることはなくなっていたのだけれど、この町に来ると、男にも女にも、子供たちにもよく見つめられる。居心地が悪いというか、何と反応したらいいかよく分からないまま、過ごしている。
すれ違う人達や子供たちにも挨拶をしながら、町を抜けて、森へと戻る。
町に通う道はもうとっくに慣れたのに、人とどう接していいのか迷い、少し疲れることもある。
七年間、騎士団長として命令をだす日々だった。そうやって過ごしていた日々が、ここでは何の役にも立たない。
馬に荷物を乗せて、手綱を引いて歩きながら、足の横をテクテクと歩いている二匹を見つめる。今度は、自然と、心からの笑みがこぼれた。
「ヴァロ、ウニ。帰ったらご飯にしような」
そう言うと、ハルを見上げた二匹が嬉しそうに笑った気がする。本当に可愛いなと思う。
――ハルは昔から、とにかくもふもふとした柔らかいものが大好きだった。「蒼炎の騎士」などと呼ばれていたが、たまたま剣や戦の才能があっただけ。強いからと言って、性格までがそれにふさわしく雄々しいかといえば、それはまた別の話だった。本当は、可愛い生き物が好きで、自然が好きで、花が好きで、料理も好きだ。
けれど騎士の時は、それが好きだとは言えなかった。思えば、戦で勝つことだけに全部を賭けて、それ以外のところでは、嘘ばかりついていた七年間だったな、と少し呆れる。
――それでも、長く続いた戦を終わらせたことには誇りを持っている。平和でなければ、穏やかに何かを愛すこともできない。
今の国王が、戦ばかりの周辺国を倒して統一し、平和に暮らせる国を作ると宣言した時、その為に、全てを手放して入団したのだから、悔いも何もない。現に今、強い信念の元に国王は、平和な国を作ろうと奮闘している。本当は、戻ってその手伝いもしたい。
辞退はしたものの、国王の配慮でかなりの褒美が出た。贅沢をしなければ、数年は暮らせそうだが、いつまでも団長が代理ではまずいのは分かっている。
――いつ、騎士団に帰ろう。帰ったら、また強い抑制剤を飲み続けなければいけないだろうな……。
また全てを隠し続けるのか。隠し続けていられるものなのか。
そんな風に色々迷いながらも、一人の穏やかな生活に大分慣れた頃だった。