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「私はイギリスに行くこともありますが、このような素晴らしい庭のある御宅はなかなかありませんよ。」
「本当?イギリスのお庭は、この国よりも素敵なものが多いのでしょう?それを聞いたら、おじいさまは喜ぶわ!」
少女は嬉しそうに笑ったが、窓の外を見ると、途端に顔が曇った。
「ごめんなさい。ここでおしゃべりばかりしていたら怒られてしまうわ。私、すぐに出て行かなくちゃ。」
「残念。あなたとのお話は楽しいので、またお会いできませんか。」
「嬉しい。私も会いたいわ。」
「どちらに行ったら会えますか?」
「そうね・・・このお屋敷の中で会うのは旦那様に怒られてしまうから、庭ならいいわよ。」
少女は窓の近くまで歩くと、迷うことなく指差した。
「あそこ、見えるかしら?あの場所で会いましょう。」
少女が出て行った部屋の扉を、ユーグは暫しのあいだ呆然と見ていた。
(本当に綺麗な子だった。大人になったらどれほど男たちを夢中にさせるだろう。)
12歳くらいだろうが、背は高くはないが華奢で、貴族の子供によくあるすました感じはなく人懐っこい印象を受けた。村娘のような訛りのある言葉遣いもせず、かといって貴族の子女のような遠回しの上品な話し方でもない、まるで貴族が道楽で書いた小説の中にいる空想上の町娘のようだ。 そして、実際にこの屋敷の主人であるジョルジュ氏を夢中にさせている。恐ろしい子だな、と思った。それと同時に、目が離せない、とも思った。
ユーグは、屋敷に来た時から早朝と昼過ぎに庭を歩くことにしている。湿っていた地面から出ていた芽が昼過ぎには真っ直ぐ立っていたり、朝露に濡れていた花が昼過ぎにはしぼんでいたりと、見ていて飽きることがない。昼は昼で、明るい光に反射した花や葉が鮮やかに広がる世界が美しくて見入ってしまう。この屋敷の住人たちは、興味がないのか、忙しいのか、あまり庭に出てこないことを残念に思った。
ユーグは一通り庭を眺めると、小さな椅子に座って休憩する。以前、庭を散策していた時に見つけた粗末なものだが、植物に隠されるように置いてありちょっとした秘密基地のようでお気に入りの場所になった。
今日もユーグは椅子に座ってのんびりと新聞を読んでいた。
「こんにちは。今日も来てくれたのね。」
可愛らしいお客が、目の前の花のあいだからひょっこりと顔を覗かせた。
「やあ、ローズ。こんにちは。朝も来たんだけれど、君は忙しかったのかな。」
「ええ。お掃除をしたり、お皿を洗ったりしていたのよ。」
「そうか。君は働き者だね。」
「ありがとう。おじいさまやおばあさまにはまだまだ勝てないけどね。」
そう言うと、彼女はおやつに出すケーキのことや街で見かけた犬のこと、いろいろなことを話し始めた。これまでの彼女の話から、この屋敷にはローズと面倒を見てくれている老夫婦が住んでいるが、夏のあいだだけ屋敷の主人と身の回りの世話をするメイドやコックたちが来ることが分かった。また、屋敷にはローズの他に子供はおらず、老夫婦は彼女のことを大変可愛がってはいるが、もっと話がしたいのだろうということも感じた。
ローズはたくさん話が出来て満足してくれたのか、すっくと立ちあがった。
「今日もお話が出来て楽しかったわ。どうもありがとう。私、旦那さまから読んでおくようにと言われた本があるから行くわね。」
「そうなんだ。どんな本なんだい?」
「それが、難しくってよく分からないの。」
「じゃあ、また持ってきてくれるかい。私が教えてあげよう。」
「本当?約束よ。」
「もちろん。またここで待っているからね。」
「ええ、また今度。」
そう言うと、少女はあっという間に見えなくなった。
次の日の朝、ユーグはコックの許可をもらってポットに熱い湯をたっぷりと注ぐと、籐で編まれたバスケットの中に入れて庭を散歩した。いつものように庭を散策してから、いつも座っている小さな椅子に座った。柔らかい土の上に置いたバスケットから、お湯の入ったポットを出して、茶葉の入ったティーポットに注いでいく。辺りに良い香りが漂うころ、その子は現れた。「おはようございます。とってもいい香りね。」
「おはよう。どうせなら一緒にと思ってね。紅茶は好きかな。」
「大好きよ。」
「よかった。ちょうど良い時間だから、先にいただこうか。」
ユーグは慣れた手つきで紅茶を注いでいく。しかしローズはユーグが紅茶を飲むのを見つめるばかりで、自分のカップには一向に手をつけなかった。