⑦
朝食の後にジョルジュと話したユーグだが、仕事の進捗状況を聞かれることが無く安心すると共に少し拍子抜けした。この調子なら、頼んでいた梯子のことすら忘れているかもしれないとも思った。ユーグが梯子を運んで2階の様子を覗いていたことなど、屋敷の誰かが主人に伝えるかもしれないと思っていたのだが、その様子はジョルジュからは微塵も感じられない。
(まぁ、そのほうが今は良いかもしれないけれど。)
そう思いながら、ユーグは2階へ続く階段を登っていった。
ユーグは執事に確認を取って、先日覗いた部屋の隣にあると思われる部屋の中に入っていった。執事は、主人の使っている部屋ではないため快く了承してくれた。大した価値のないものしかない部屋なのか、特に見張りがつけられることなく自由に部屋を見てよいとまで言われた。
その部屋は以前、図書室として使われていたのか古い本が棚にびっしりと並べられている。ユーグはひとつひとつの本の背表紙を眺め、時々手に取ってページを捲っていた。並べられている本のほとんどが、今から80年以上前に作られているものだった。国の歴史や医療のこと、また土木技術に至るまで内容は様々だったが、かつてのこの屋敷の持ち主がいかに勤勉かということが分かるようだった。残念ながら、国が近代化するとともに屋敷の持ち主たちは勤勉さが求められなくなったのか、本棚に眠る貴重なコレクションは手に取られることがなくなって久しいようだ。
ユーグは窓辺に近づき、少し硬くなっている本のページをぱりぱりと捲った。自分の前にこの本のページを捲ったのはどんな人物だったのだろう、そう考えながら本を眺めるのが楽しくて、ユーグはしばらくのあいだ夢中で本を読んだ。窓辺から差し込む光は柔らかく、決して部屋の奥まで照らそうとはしない。
「何しているの?あなた、旦那さまのお客さま?」
不意に声が聞こえて、驚いてしまった。
「ごめんなさい、驚いてしまったかしら。」
そこには、12歳くらいの見事なブロンドの髪をした愛らしい少女が立っていた。
「ここにお客さまが来るのは久しぶり。あなたは旦那さまのお友達かしら。」
「・・・ええ、そうですよ。勝手に部屋に入って申し訳ない。私こそ驚かせてしまいましたね。」
「ふふ、大丈夫。」
「こちらに来て少し経ちますが、初めまして、ですね。私はユーグと申します。あなたの名前をお聞きしても?」
「・・・みんなからは、ローズと呼ばれているわ。ご主人さまがつけてくださったの。」
「ローズ嬢。お会いできて光栄です。」
「まあ、ありがとう。」
ローズという少女は、ほんのり微笑んだ。若草色のワンピースは育ちの良い商家の娘という感じでとても似合っているが、いったい何年前に作られたのだろうというくらい古めかしいデザインだ。
「ご主人さまはどこかしら。あなた、ご存じ?」
「今日は仕事があるようで、屋敷にはいませんよ。」
「そうなの・・・。じゃあ、私をここで見たことは内緒にしてくれる?本当は、ご主人さまがいいと言った時でないと、お部屋から出てはいけないの。」
「ええ、もちろんですよ。でも、あなたの部屋は、どこにあるのですか?」
「こっちよ。」
少女が指差したのは、この部屋の隣にある、先日梯子に登って覗き込んだあの部屋のある場所だった。
「隣の、部屋ですか。」
「ええ。ご主人さまたちが住んでいるところとは行き来できないようになっているから、ここからは行けないの。どうやって来たかは、秘密。」
「そうだったのですね。・・・あなたはこの屋敷の御主人のお子様ですか?」
「いいえ、違うわ。私は小さな頃、隣の街にある孤児院で育ったのだけれど、たまたま用事があって来ていた旦那さまが私を連れてきてくださったのよ。今はここを管理している庭師のおじいさまとメイドのおばあさまと一緒に暮らしているわ。」
「そうなんですね。あの立派な庭は、あなたのおじいさまが手入れをされていたのですか。」
「まあ!」
少女はぱっと顔を輝かせた。
「おじいさまの庭を褒めてくれてありがとう。私も、おじいさまの育てる花が大好きなの。」