⑫
「本当は」
男が道具を片付けながら、ユーグを見ることなく呟く。静かな納屋の中で、言葉が浮かんで溶けていくように。
「儂もあの子に会ってみたかった。大好きな爺さんと婆さんが大切にしていたあの子に。小さなころから何度も何度も話を聞かせてくれたのに、いくら待っていてもあの子は来てくれない。この庭にいくら立派な花を咲かせても、姿を見せてくれることは無かった。屋敷を貰っただけで何も知らない若旦那や、何の関係もないあんたには姿を見せるのにな。」
最後のほうの言葉はかすれていて、小さく震えている身体は泣いているようだった。
「あなたが満足する答えではないのでしょうが、」
ユーグは庭師の背中を見つめながら静かに言う。
「彼女はいつも言っていました。この屋敷の庭が大好きなんだと。大好きなお爺さまが、自分のために大好きな花でいっぱいにしてくれるからだと言っていました。亡くなった人の魂は悲しそうに彷徨うことも多いのに、彼女はいつだって幸せそうに見えました。それは、あなたがお爺さまと同じように彼女を想って庭の手入れをしてきたからではないですか。庭の手入れをすることが重労働なことは、素人の私でも知っています。あなたが亡きお爺さまの意思を継いで庭を育ててきたからこそ、きっと彼女は今でもこの屋敷で幸せそうにしているのだと思いますよ。」
男は背を向けたまま何も言わなかった。少女とユーグが話したことなど信じられないのかもしれない。信じられなかったとしても、それで構わない思った。ユーグは軽く会釈して納屋を出て行こうとしたが、ふと立ち止まって振り返った。
「ああ、そうだ。彼女はいつも、お手伝いしなくちゃいけないからと言って庭の中へ行くんですよ。ひょっとしたら、今までもあなたのそばで手伝っていたのかもしれません。もし彼女がいるのかもしれないと思ったら、話しかけてくれませんか。きっと喜ぶと思いますよ。」
ユーグはそう言うと、軽い足取りで歩いて行った。持っていたバスケットを、かたかたと鳴らしながら。
庭師の男は棚に手を置いたままうつむいていたが、しばらくすると誰に言うともなく呟いた。ふと目に入った大きな手は、日焼けしていて深い皺が刻まれている。
「今までもそばで手伝ってくれてたのか・・・。話しかけてやれなんて、こんな爺さんがなぁ。もっと若いときだったら良かったのによ。そんなこと言われちゃ、そろそろ引退しようかなんて言えなくなっちまったな。」
庭師の男と話した次の日の朝、ユーグは一人で庭を歩いていた。昨晩、昼前にはここを発つつもりだと執事には伝えている。もうこの庭にも入ることは無いだろう。
ユーグは、噛みしめるようにゆっくり歩いて庭の草花を楽しんだ。ここのところ、朝の早い時間は気温が日に日に冷たくなっていく。ユーグは首に巻いた厚手のショールをしっかりと巻きなおした。
かさりと落ちた葉を踏むと、いつもの椅子には美しい少女が座っていた。
「おはよう、今日は早いのね。」
そう言って少女は咳き込んだ。ユーグは慌てて彼女のそばに駆け寄る。
「こんなに寒いところで、何をしていたの。」
「だって、この時間でないと庭に出られないの。昼間はやらなくちゃいけないことがたくさんあって・・・」
そこまで言うと、またひどく咳き込んだ。ユーグは慌てて、首に巻いたショールで彼女を包んだ。
「少しでも暖かければいいのだけれど。」
「いいの。すごく暖かい・・・ありがとう。」
「ローズ、お願いだからもっと暖かくしてくれ。咳が酷くなってしまう。」
ローズは困ったようにユーグを見た。そして何か言いたそうにしていたが、諦めたようにうつむいてしまった。
「今日はお別れを言いに来たんだ。君と話が出来てとても楽しかったよ。今までありがとう。」
「そう・・・寂しくなるわね。私もお話しできて楽しかったわ。今までありがとう。」
そのまま、何も言うことが出来ずユーグは少女を見つめた。彼女の顔色は先日見たときよりも少し悪いように見えた。